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第三話

 銀竜(ぎんりゅう)がふわりと肩に舞い降りる。

「おはよう、シーム。今日も元気そうだね。」

 早瀬加津杜(はやせかずと)が手を差し出すと、小さな白い竜は親愛の情を込めて尖った口をこすりつけた。

 早瀬がラグレス家に戻るのは一年に一度……今年は多くて三度目だが、それだけ不在でも銀竜たちがこうして慕ってくれるのは嬉しい。

 シームは小さな鉤爪(かぎづめ)のついた手を伸ばすと、早瀬の上唇にたくわえた髭を優しく引っ張る。短い髪と同様、五十一歳の年齢相応に白いものが混じっているが、それに黒のベストに白いシャツのいでたちで店に立つと、「喫茶店の店主らしい」と友人達に言われることしきり。なんでも貫禄があるように見えるのだとか。もともとは若い頃、童顔をごまかすために伸ばした髭だがそれも悪くないかと思い、今に至る。

 肩に銀竜を乗せたまま、早瀬は一階の厨房の扉をノックした。

 鼻歌を歌いながら(かまど)を覗き込んでいた料理人が、慌てて立ち上がる。拍子に背中で束ねた赤毛の三つ編が大きく跳ねた。

「おはようございます、カズトさま。」

 明るい茶色の瞳が元気に微笑む。

 腕まくりをした上着に動きやすいズボン姿は、二十三歳の妙齢の女性にしては勇ましく見える。が、彼女の料理を一度でも食べたことがある人は、それが彼女の誇りであり仕事着なのだと素直に納得するだろう。

「おはよう、ケィン。邪魔してしまったかな?」

「いいえ。もしかしてシーム、外の廊下にいました?」

「なにやら覗いてたようだよ。」

「どうしてわかるんだろう。今、この子の好きな蜜入りのお菓子を焼いてるんです。大人しく温室で待ってなさいって言ったでしょう。ちゃんと持ってくから。」

 銀竜は、ぎゅう、鳴くとふわりと舞い上がる。

 料理人が窓を押し開けると、すいっと初夏の空へ飛んでいった。

「本当に食いしん坊なんだから。そういえば!昨日はおばあちゃんのお見舞いありがとうございました。」

 深々と頭を下げる。

「僕もナセリに会いたかったし、元気そうで安心したよ。」

 ケィンの祖母ナセリは、かつてこの家の料理人だった。数年前にケィンが料理学校を出て厨房ちゅうぼうを引き継ぐまで、何十年もラグレス家の食事を作ってきたのである。今は引退して同じ村の中心部に孫娘のケィンと暮らしているが、寄る年に勝てず、具合がよくないと聞いて早瀬はずっと気にしていた。そしてようやく昨日、昼間一度帰宅するケィンに同行して顔を出したのだが……その歓待ぶりといったら、孫娘が呆れるほど。

「あんな大きな声、久しぶりに聞きました。それに普段はもっとうるさいんですよー。足が痛い、腰が痛いって。でも昨日はカズトさまのおかげで寝るまで一言もありませんでした。」

「こちらこそ話しこんでしまって……疲れなかっただろうか?」

「すごくさっぱりした顔だったから、ちょうどよかったんです。アタシじゃ小言ばっかりで話し相手にならないから。本当に、ありがとうございました。」

「その……ナセリに聞いたんだが父上が怪我をしたとか。」

「弟の手紙のことですね。」

 ケィンの家族は南の港町に住んでいると聞く。異国人だった実の母は彼女が幼い頃自分の国に戻り、その後来た父の再婚相手に馴染めなかったケィンを祖母がこの内陸の村に連れて来たのである。まだ子供だったその日以来、進学時以外はこのガッセンディーアの田舎で暮らしているので親兄弟にはまったく会っていない。にもかかわらず珍しく連絡が来たのだと、彼女の祖母がカズトにこぼしたのだ。

「そりゃおばあちゃんは自分の息子のことだから心配でしょうけど……今頃なんで言ってきたのか……見舞いに来いったって何日もおばあちゃんを一人にできないし、正直、アタシには関係ありません。」

「ケィンがそう言うならいいけど……もし相談が必要ならエミリアに言いなさい。僕やアデルの家も、できるだけ力になるから。」

「お気遣いありがとうございます。それでお茶ですよね?温室にお持ちしますか?」

「エミリアもじきに下りてくるから、朝食も頼むよ。それとイーサに言ってあるが、後で客が来る。軽く食べる物を支度して欲しいんだ。」

 料理人が了解すると、早瀬はその足でガラス張りの温室に向かう。

 のどかな丘陵地帯に建つラグレス家は、この地方のほかの家と同じように内部は木をふんだんに使い、外壁は石を積み上げ建てられている。温室はその外壁に増築する形で作られていて、中には小さな池や花を植えた花壇、椅子やテーブルも設えられている。そのほかに銀竜たちが休む止まり木や隠れる場所も用意されていて、この家で暮らす銀竜は昼間外で思い思いに羽ばたき、疲れるとこの温室に戻って休むのが常になっている。

 そんな銀竜たちが早瀬に気づいて鳴いた。

「シームも戻ってきたね。カルルも、調子がよさそうだな。」

 早瀬は足元に寄ってきた小さな銀竜を抱き上げる。

「きゅう!」

「残念ながら、(みやこ)ちゃんは勉強が忙しくてこちらに来られないんだ。」

「それは私も残念だわ。」

 入ってきた妻の姿に、早瀬は目を細めた。

 衿まで覆ったブラウスに、くるぶしまでの(スカート)。艶のある茶色の髪は結い上げ、耳には緑の石……守り石をあしらった耳飾、そして左手にはずっと昔自分が贈った指輪が一つあるだけ。けれど……

「とってもきれいだよ。」

 それは心からの言葉。契約を交わして二十七年経つが、彼女が現れるといつも目の前が明るくなる気がする。それに早瀬より二つ年上なのに凛とした姿勢のせいか、印象的な漆黒色の瞳のせいか変わらず若く見えるのだ。

 エミリアは早瀬が引いた椅子に腰を下ろすと、膝の上に銀竜を引き取った。

 早瀬も腰を下ろすとエミリアを覗き込む。

「大丈夫かい?」

 ええ、とエミリアは頷いた。

「むしろ聞いてもらって楽になったわ。それに昨日はあなたを独り占めできたし。」

「ナセリには会ったけどね。」

「同じ村だもの。あなたがどこで何をしたか、誰かしら教えてくれるのよ。」

 料理人と使用人が朝食を運んできたので、話は一旦途切れる。

 用意が整ったところでエミリアは言った。 

「イーサ、カルルを二階に連れて行ってあげて。」

「ミヤコさまのお部屋ですね。」

 イーサはふくよかな手で銀竜を引き取った。老齢に差し掛かった彼女は、エミリアが娘時代から庭師の兄と共にこの家で働いているラグレス家の生き字引。この飛べない銀竜のお気に入りも、ちゃんと把握しているのだ。

「最近は、陽の当たる時間はずっとミヤコさまのお部屋にいるんです。」

「そういえば、鉢植えが増えたようだね。」

 都が気兼ねなく滞在できるよう改装した部屋は、植物をあしらった壁紙で囲まれているのだが、その上さらに、窓辺にさまざまな花の咲く鉢が並べられていた。前回こちらに帰省したときは数えるほどだったのに、ひと月ほどの間で倍に増えていて驚いたのだ。

「カルルが勝手に種を埋めるものだから、兄が新しい鉢に仕立てたんです。」

 この銀竜が、庭で集めた種を好きな人に渡すのは昔からで、ラグレス家では「カルルの贈り物」と呼ばれている。それ自体珍しくないが、どうやらカルルは都のことがいたく気に入っているらしい。

「カルルの好きにさせていたら、どんどん鉢が増えてしまったんです。」

 よほどミヤコさまがお好きなんですね、と言うと、イーサはカルルを二階へ連れて行った。

「そういえば……昔、僕の旅の荷物にカルルが贈り物を仕込んだって、話したよね?」

 アンティークのティーカップにお茶を注ぎながら、早瀬は言った。

「あなたが伝承を集めるために南に通っていた頃ね。」朝食を口に運びながらエミリアは記憶を手繰り寄せる。

「その種を、カーヘルのある集落に蒔いたんだ。それが生き残っているらしい。」

「十年以上前の話よ?」

「種がこぼれてまた咲いて、一面の花畑になってるんだそうな。一緒に調査したトランが教えてくれた。」

「お客様って、カゥイさんなの?」

「覚えてたのか。」

「あなたのこちらでの仕事の集大成に関わった方ですもの。今も銀竜の研究をなさってるの?」

「自主的に。仕事はアバディーアで学校の先生をしてる。故郷の村で子供達に勉強を教えているんだ。」

「アバディーアと南のカーヘルは、随分離れているわ。」エミリアは眉を寄せる。

「ある人に付き添って行ってくれないかと、僕が頼んでね。」

「そういえばこの間、ハヤセの家に帰る直前まであなた手紙を書いてたわ。よほど大切な方への手紙だったかしら。」

「一番大切なのは君だよ。」

 そうだな、と早瀬は考えながら口を開く。

「トランと銀竜の伝承を調査してた頃、ある人と三度目の必然を約束した話は覚えてる?」

「たしか……神舎(しんしゃ)に仕える方だったかしら?」

「うん。カルルの贈り物を蒔いたのは、彼と二度目の偶然で会った場所なんだ。」

「でもその方との三度目はなかったはずよ。」

「そのときは。でも前回こちらに戻ったとき、ガッセンディーアで会ったんだよ。まさに三度目の必然で。」

 まぁ!とエミリアは漆黒色の瞳を見開く。

「そんな話、一つもしなかったじゃない!」

「相手の立場上、示し合わせることがたくさんあって……実は、竜杜(りゅうと)が世話になっていてね。正確には都ちゃんと竜杜が世話になった、と言うべきかな。君も聞いてるだろう。カーヘルの神舎に竜杜が忍び込んで軟禁されたとき、ガッセンディーアの司教が居合わせたって。」

「ええ。ミヤコが今もお世話になっている方。」

 本来、聖竜(せいりゅう)と英雄を敬う一族と、創造神を奉る神舎に接点はない。だが「神の砦」と呼ばれる古い神舎で偶然居合わせたのをきっかけに、息子達がガッセンディーアの神職と交流を持っていることはエミリアも了承していた。それに妹シーリアの嫁ぎ先であるアデル商会の顧客なので、司教の人となりは甥や姪からも聞いていた。

「僕も話は聞いてたけど、ガッセンディーアの神舎にはついぞ行ったことがなかったし、それに互いの名前も素性も知らなかったからね。」

 それが繋がったのは、都に持論を披露したとき。

「一度目の出会いは事故のようなもの。二度目の出会いは偶然。そして三度目の出会いは必然。」

 その言葉に、都が妙な反応をしたのだ。

 よくよく聞けば、彼女は同じ言葉をガッセンディーアの司教から聞いており、しかも彼は、その言葉を十年以上昔にある人から言われたのだという。

 都の話を聞いた早瀬はすぐさまガッセンディーアに戻ると、神舎に赴き確信した。そうして甥のセルファ・アデルに仲介を頼み、まんまと三度目の必然を果たしたのである。

 そう説明する夫に、エミリアは信じられないという表情(かお)をした。

「そんな偶然……ミヤコが二人を繋いだなんて……」

「うん。マーギスも僕も……それに都ちゃん本人も驚いてたよ。」

「もしかしたら、あなたの言う通りかもしれない。この間あなた、そういう流れだったんじゃないかとおっしゃったでしょう?」

「そんな話もしたねぇ。」

「あなたと私が出会ったことも、リュートが生まれて……そしてあの子が向こうの世界でミヤコと出会ったことも。そう考えたらミヤコがこちらの世界に関わることも、流れだったのかしら?」

「それはわからない。でも僕も、そう信じたいと思ってる……と……」

 銀竜がぎゃあぎゃあと、声を揃えて鳴いた。二人は温室の外、花の咲きほこる庭に目を向ける。

「あれ、竜じゃないかな?」

「乗っているのは……クラウディアかしら?」

次回も火曜日更新です。

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