第二十九話
「ちーす。」
「おや、大地くん。いらっしゃい。」
「竜杜さんは?」制服姿の波多野大地は、フリューゲルの店内を見回す。
「ちょっと出てるけど、すぐ戻るよ。何か用だったかい?」
「んにゃ。特に用じゃないけど……おじさん、ホットドックとアメリカン。」
いつものようにカウンター席に座り、出てきたホットドッグを三口で平らげる。コーヒーに手を伸ばしたところで竜杜が店に戻ってきた。
「来てたのか。」
「うん。塾行く前の腹ごなし。夕べ何時に帰ってきたの?」
「日付が変わる前に戻った。」
「青年部会も新しい人材欲しいんだよね。オレも勧誘されてるもん。」
「だからって、無理やり連れ出すことないだろう。」
「連行されてるみたいだったもんね。」
左右を固められ、逃げ出す隙もなかった昨日の竜杜の様子を思い出して、笑う。
「竜杜さん、期待の後継者だもん。しかたないよ。それよかさぁ、木島がモテるって知ってた?」
「大地が仲介頼まれた話か?」
「あ、話し通じてんだ。」
「店でもときどき都目当ての客がいる。」
「へぇ?」
「主に常連さんだけどね。」カウンターの中から早瀬が言った。
「都ちゃん、どういうわけかお年寄りに人気でね。」
「なんだ。てっきりうちの店に来た人かと思った。」
「なんだ、それ?」と、竜杜。
「店番してたときに、ビール買いに来た人に聞かれたんだよね。あそこの喫茶店、かわいいバイトの子いるよねって。思い当たるの木島しかいなかったから……」
「どんな奴だった?」
「大学生かアルバイターっぽかったなぁ。伊達メガネしてちょっと軽そうな感じ。気になる?」
「いいや。」
「でもさー竜杜さんだって木島のことかわいいって思ってるんでしょ?あばたもえくぼ的に。」
「いいこと言うなぁ、大地!」
すかさず竜杜は、座ったままの波多野の首に自分の腕を巻きつける。
突然技をかけられた波多野は、腕を外そうとするが敵わず、じたばたもがいた。
「たんま!たんま!言い過ぎました!木島はドジっ子でかわいいです!」
「それがよけいだと言ってるんだ!」
「それ、かわいいって思ってるってコトじゃないすかぁ~!」
「わざわざ言わなくていい!」
「わかったから!降参っ!」
その言葉で、ようやく腕の力が緩められる。
そこに早瀬が声をかける。
「竜杜、大地くんと仲良しのところ悪いが……」
「おじさん、それ違う!」
「裏口にある荷物、地下に降ろしといてくれないか。」
波多野を見送った後、竜杜は店の奥にある従業員控え室にダンボールを運び込んだ。ロッカーとわずかなスペースの奥に、また扉。その扉の先に続くのはコンクリート打ち放しの階段。蛍光灯の青っぽい光を頼りに地下に荷物を運び込む。
戦時中は防空壕として使われていたここは、道標である銀竜がいれば門の入り口になる。けれど今は、倉庫として使われている無粋な空間があるのみ。天井も低く湿気もあり、何より外の気温より寒く感じる。
長居は無用とばかりに運んできたダンボールを置くと、軽く手を払う。
階段を戻ろうとして足を止め、頭上に設置された神棚を見上げた。
小さい頃、祖父と一緒にそうしてきたように正面を向き、目を閉じて黙祷する。
一連の儀式を終えて店に戻ると、冴がカウンターでコーヒーをすすっていた。
「来てたのか。」
「都ちゃんじゃなくて残念。夕べは潰されなかった?」
「無敵なのは笙子先生だけだ。」
「今日はうち来るの?」
「昨日、身動きが取れなかったから雑用が立て込んでる。すまないと伝えておいてくれ。」
「会えない時間も、ほどほど必要よ。」冴はそう言って頷いた。
その日の夜。
夕食の片付けが済んだダイニングテーブルで新聞を広げる父親に、竜杜は「話がある」と切り出した。
早瀬は老眼鏡を額に押し上げ、目をしばたたかせる。
「店のことか?それとも……」
それには応えず、竜杜は新聞の傍らに近隣の地図を広げた。
所々赤ペンで×印と日付らしい数字が書き込まれている。
「黒き竜を宿した男、あるいはそれらしい奴を目撃した場所を改めて歩いてみた。」
地図を一瞥した早瀬は、黙って新聞を畳んだ。
「それで?」
「奴がなにかしら行動するときは、この家から一定の距離があるような気がしたんだ。」テーブルを挟んで向かいに座った竜杜は、地図の×印を指で示す。
「だけどそれらしい人物が目撃されてるのは、それよりこの家に近い。」
早瀬は眼鏡をかけ直す。
「確かに都ちゃんの件もフェンスの件も、うちが張ってる予防線の外だね。」
「だけど大地が言ってた“ビールを買いに来た男”が奴だったら、かなり近い。」
「しかし竜杜は何も感じなかったんだろう。」
「もし栄一郎さんが言うように、本人と黒き竜、二つの人格が一つ人間の中で切り替えられているのだとして、“黒き竜”の人格は守りの内側では出てこられないんじゃないか?」
「出たくとも出られない、か。もしそうだったら、人間さまの能力を考えればうちの近所では見張ることしかできないな。逆に守りの内側は、外より安心できるということか……。」
「そもそも守りってなんだ?まさか本当にお稲荷さんとか地蔵さんとか……」
「詳しいことは、僕も言い伝えレベルでしか知らないんだ。でも、家の守り神は見たことあるよ。」
「守り神?それ、店の地下にある神棚のことか?」
「神棚はあくまで入れ物。」
「中になにかいるのか?」
竜杜の質問に、早瀬は上唇の髭をなでながら何か考える。
「そうだな……」と呟くと、待ってろと言い残して席を立つ。
しばらくして戻ってきた早瀬は、手にしていた紫の風呂敷包みをテーブルに置いた。紐解いて出てきたのは古い革表紙の本と、これまた古そうな和綴じの本。そして数冊の大学ノート。
ご先祖の遺したもので、普段は納戸の耐火金庫に入れていると説明する。
革表紙を渡された竜杜は、扱いに気をつけながら適当な頁を開いた。とたんに眉間に皺を寄せる。
そこに並んでいたのは流麗なペン書きの文字。どうやら印刷物でなく日記の類らしい。しかし……
「これ、何語だ?」
英語、フランス語など主だった言葉は勝手に勉強した竜杜だが、なじみのない文字の羅列に唖然とする。
「僕も昔解読しようとしたんだけど、どうも色んな文字が混ざってるらしい。ラテン語、ギリシャ語、ウェールズ語っぽいのもあったな。」
「漢字みたいなのも入ってるぞ。ということは、父さんが言ってたご先祖が残した覚書って……」
早瀬は頷き、
「ここにあるのは我が家の門番としての歴史の一部。門をここに移したご先祖が、日本に来たときに持ってきた物だよ。こっちは彼の息子が遺した、彼の口述記。」
門を持ち込んだ本人は、日本に帰化したものの最後まで日本語を書くことは難儀したらしい。
恐る恐る開いた和綴じの本は、当然ながら墨痕鮮やかな縦書きの和文が並ぶ。ほとんど古文書に近い流れるような筆文字に、竜杜はため息をついた。
「達筆すぎる。」
「僕も所々しか読めないよ。でもこれならまだ読めるだろう。」
最後に渡されたのはこれまた古そうなノート。
開くと罫線を縦書きに使っていて、薄く変色したインクが経過した年月を物語っている。
ところどころ不明の漢字はあるが、早瀬の言うとおり読むことはできる。
「これ……もしかして翻訳したものか?」
「そんな感じだね。」
「父さんの字じゃない。祖父さん?」
「いいや。おまえの大伯父さんが遺したものだよ。」
「大伯父って……戦争で死んだ?」
竜杜の祖母の兄に当たる人が先の戦争で命を落としたことは、以前聞いている。その後小さなセピア色の写真に彼の名前を見つけて、随分若かったことに驚いたのだ。
その人が戦前にまとめたらしい、と早瀬は言った。
「想像だけど、妹……竜杜のお祖母ちゃんが読みやすいようにまとめたんじゃないかと思うんだ。物凄く妹思いの人だったって聞いてるから。」
竜杜は改めてノートの几帳面な文字を見る。
ページを繰り、あるところに栞代わりの紙切れが挟まってることに気づく。
そのページの文字をゆっくり目で追いかけた。
「ええと……門を守りし白きものたち、末代まで敬い大切に守るべし。彼ら名を莉羅、瑠宇羅なり……りら?るうら?」竜杜は驚いて父親を見た。
「白きもの……まさかこれ銀竜の、ルーラのことか?」
ルーラは早瀬が道標としてこの家から連れて行った銀竜。だとしたら……
「リラなんて銀竜、うちにはいない。」
「目覚めてないからね。」
その言葉に竜杜はハッとなる。
「まさか、守り神って……銀竜?」
「おかしくないだろう。銀竜は門の道標なんだし。」
「だけど銀竜はこの世界の生き物じゃない!そもそもいるはずない!」
「だから、眠ったままなんだよ。」
「眠ったまま?」
「門と一緒に向こうの世界からやってきたんだと思う。だから大気が希薄なこちらで動けなくなったんだと思う。」
「いつの話だ?」
「さぁ……ご先祖がヨーロッパにいた頃か、あるいはリラントと同じくらい昔か。」
「待ってくれ……」竜杜はこめかみを押さえた。
「銀竜が守り神とか、リラントと同じくらい昔とか……それじゃまるで父さんとトランが調べてる伝承だ!」
「それだけ、門番の役目が連綿と続いてるってことだ。ほら、日本でも戦国時代から家計図が続く家だってあるし。珍しいことじゃない。」
「そんな比じゃないだろう……」
「言葉を返すようだけど、銀竜は向こうの世界だって伝承に近い存在だよ。」
「眠ったままなんて聞いたことない!それも何百年なんて!本当に生きてるのか?」
「僕も剥製か作り物だと思ってた。でも実際、ルーラは目覚めたわけだし……さすがにあの時は驚いたけど。」
「父さんがルーラを起こしたのか?」
「たまたま目覚めたんだよ。僕が何かしたわけじゃない。僕が十二歳の頃。」
「それ……母さんと出会った頃だよな?」
うん、まぁ、と歯切れの悪い返事。
「他に父さん、なにをやらかしたんだ?」
「だから、やらかしたわけじゃない。そうなっただけだ。まったく動揺するなら、もっと謙虚に動揺しろ。」
「無愛想なのは元からだ。この際だからこの家で何があったのか、順序だてて説明してくれ!」
「ああ、まぁ……エミリアの件もあるからそのほうがいいのか……」
と、二人の会話を遮るように和室の鴨居に止まっていたフェスが「ぎゃう!」と鳴いた。ふわりと舞い降りると竜杜の肩に止まる。
「声を受け取ったらしい。俺と父さん宛て?」
仕方ない、と早瀬もフェスを促す。
「この続きは声を聞いてからにしよう。」
フェスは竜杜の手に止まると金色の瞳を閉じる。
そこから流れるセルファ・アデルの声は珍しく慌てていた。
“リュート、伯父上、先ほど議長から急ぎの連絡が来ました。聖堂のリラントの瞳にわずかな変化があったそうです!”
次回からまたしばらく向こうになります。
火曜日更新予定です。ちょうど今回の物語、折り返しです(^^




