第二十七話
朝靄の中。
ホランジェシ・マーギスは両手を空に突き出して思い切り伸びをした。
清冽な山の匂いを吸い込む。
足音に振り返った。
「おはようございます、コンロッド。」
おう、と寝ぼけ眼の男が手を上げる。
「なんともなかったみたいだな。」
「トランにも言われました。今バセオと一緒に水を汲みに行ってます。」
「んじゃ、火起こしでもしとくか。あんま得意じゃないんで手伝ってくれ。」
「トラン、あの後も怒ってましたか?」
「怒ってたかもしれないが、気にするこたない。ありゃ職業病みたいなものだ。ま、夕べは本気で心配してたから、むしろ栄誉だと思うべきだろうな。」
「それ、なんとなくわかります。神職が言うべきじゃないけど、心配してくれたことも怒られたことも、すごく嬉しいんです。」
両親を亡くしてから、そんな風に怒ってくれるのは大叔母のテマイヤだけだった。「だけどさすがに近頃ばあちゃんも怒らなくなって。だからトランに怒られて心配してくれたんだとわかったら、なんだか嬉しかった。」
「それがあいつのいいとこだ。」
そんな話をしながら竃に火を起こしていると、大きな革の水筒を提げたトランとバセオが戻ってきた。
開口一番、
「コンロッド、昨日のあれを持ってきてください。」
「あれ?」
突然言われてコンロッドは記憶を辿る。ぽん、と手を打ち、
「ひょっとして、村で拾ってきた奴か?え、でもあれはマズいって……」
「ここは思ったより影響が少ないようですし、何かあればバセオが介抱してくれます。」そう言って、トランはホランジェシを振り返る。
「きみがマーギスさまに宛てた手紙の中で書いていたもの……」
「あったんですか!」
「きみが言ったとおりの場所に。」
コンロッドが布に包まれた塊を持ってきた。ホランジェシに渡すと、彼はそっと布を広げる。
横からバセオも覗き込んだ。
「竜の置物?」
翼の一部に金彩を施したそれは、白い竜をかたどった陶器の人形。ところどころすすけ、翼の一部が欠けている。けれどホランジェシはまるで大切な宝物を見るような眼差しで、手の中のそれをじっと見つめる。
「マイゼルおじさんがくれたリラントの人形。たぶん珍しくもない、どこかの土産物だと思う。でも……妹には宝物だった。」
あっ、とバセオも思い出す。
「そうだ!確かにいつもリラントの人形を持ち歩いてて、マーギスさんからもらったと自慢してた。しかし……」
「こんなもの持ち歩くの、村ではアンしかいなかった!バセオだって知ってるだろう。あいつがこういうの好きだって!」
ホランジェシの勢いに押されて、バセオは口をつぐんだ。
あの日、村から数名の子供が姿を消した。本来はそれだけでも大事件なのだが、行方を捜すはずの子供たちの家族は同じ頃、村で息絶えていた。
たまたま村を離れて生き残ったわずかな者も、もちろん子供の行方はずっと気にしていた。けれどあの日起こったことがあまりにも衝撃で、それに当時まだ子供だったホランジェシを慮って、アンリルーラの名を出すことをずっとはばかっていた。
しかしホランジェシにしてみれば、そうやって封じられていることがずっと不満だったのかもしれない。自分でも驚くほど大きな声で、憤る言葉があふれ出だす。
「アンは絶対一人で神舎になんかいかない。新しい司祭に人見知りしてるって、父さんの手紙にもあったんだ!それに大好きな伯父さんにもらったリラントを手放すなんて、なくすなんてありえない!」
「わかってます。」
当然のように返ってきた言葉に、ホランジェシは「えっ?」と聞き返す。
「それが真実だと思うから、ぼくとコンロッドはここにいるんです。」
「真実……?」
トランは大きく頷いた。
「前回集落に来たとき、神舎の跡地で白い竜の人形を見たと、マーギスさん宛ての手紙に書いたでしょう。あれを読んで、マーギスさんもぼくも確かめるべきだと感じた。だからこうして、ここに来たんです。コンロッドは勝手についてきただけですけど。」
「語り部を粗末にするんじゃねぇ。お前、英雄文字ならともかく南の古い文字は苦手じゃねぇか。それに豊穣の姉妹の故郷って聞いて、黙ってられるわけないだろう。アルラの話はオレだって嫌いじゃない。」
「アルラ?」
「アンリルーラの北での読み方。ホランスェがホランジェシてぇのと同じだ。」
「あ……」
懐かしい呼び方が語り部の口から出て、ホランジェシはすとんと納得した。
この二人は、伯父が全てを託した代理人なのだと。
要職で動けないマーギスの代わりに、調べ考え、そして確かめる専門家なのだ。
ホランジェシはもう一度手の中のものを見つめた。
「そっか」と呟くと、そっとトランに差し出す。
「これ、伯父さんに渡してもらえますか?」
トランが二つ返事で引き受けたのは言うまでもない。
朝食後、ホランジェシは一通の短い手紙を書き上げると、すぐ帰り支度をした。
「本当に、一人で大丈夫か?」
「この辺は庭みたいなものだから。テマイヤばあちゃんの顔を見たら、まっすぐ自分の神舎に帰ります。」
「手紙は必ずマーギス司教に渡します。」
「お願いします。バセオ、マイゼルおじさんのこと頼むよ。」
「ホランも道中気をつけて。」
ホランジェシは頷くと、振り返ることなくまっすぐ山を下って行った。
さて、とトランが残った面子を見回す。
「われわれも時間がありません。さっそく取り掛かりましょう。」
「ってお前、なんで朝から元気なんだ?」
「ぼくは普段から子供たちと一緒に遊んでますから、持久力には自信があります。」
先ほどから身体が痛いだのなんだのと呟いているコンロッドを横目で見る。
「子供に負けたか……くそう……」
妙なことをボヤくコンロッドをせかし、三人は古い墓石を改めて検分した。
「一番古いと言われているのはこれで間違いありませんね。」
胸のほどの高さのある石碑に掌で触れる。
バセオは頷いた。
「最初の村長の一族の墓……と聞いてます。」
「ところが碑文を読む限り墓とは思えない……というのがぼくとコンロッドの意見です。」
そこに至った経緯はバセオに説明したが、彼はいまだ半信半疑といった様子である。それでもトランの指示で彼と共に夏の間茂った下草を刈っていく。
露になった石碑を検分していたコンロッドが、素っ頓狂な声を上げた。
「なぁ!ここは写し取ってねぇよな。」
彼が示したのは石碑の側面で、確かに下のほうに文字らしきものがあった。
「ぼくとしたことが、取りこぼしてましたか……」
「みたいだな。ええと……ロンウェリーに捧ぐ……かな?」
「ロンウェリー?女性の名前ですか?」
「ウォンウェール。」と横からバセオが訂正する。
「そう読むんですか?」
「確かその名前の墓石があったはず。」
彼が案内したのは大きく育った木の根元で、草に埋もれた小さな墓石が二十基ほど並んでいた。
「流行病で亡くなった子供たちの墓だと聞いてます。」
「向こうと同じように草、取っ払えるか?」
コンロッドの要求に、再び二人が作業を始める。
その間に、コンロッドは自分の荷物から紙の束とペン代わりの木炭を引っ張り出した。先に下草の払われた墓石の前に膝をき、その表面を凝視する。何度か口の中で独り言を呟くと、頷きながら紙に木炭で何か書き付けていく。
それは文字と向き合う語り部の姿。
一方下草を刈り終えたトランは、バセオを促しその場を離れた。
「一人のほうがコンロッドも集中できます。その間、ぼくらは休憩させてもらいましょう。」
そう言って火のところに戻ってお茶をいれ、しばし鳥の声に耳を傾ける。
と、バセオが遠慮がちに口を開いた。
「さっきはホランを安心させてくれて、ありがとうございました。どうもホランには強く言えなくて……」
ああ、とトランは微笑む。
「バセオも当事者なんですから、当たり前です。むしろ部外者のぼくらが無遠慮だったらすみません。」
「そんなことは言いません。マーギスさんが寄越したのがあなた達でよかったと、感謝してます。」
「その言葉はマーギスさんに言ったほうがよさそうですね。終わりましたか。」
膝を土だらけにしたコンロッドが戻ってきた。
「さすがに動くと暑いな。」
「で?」
「ウォンウェールを掘ろう。」
えっ?とバセオが目を丸くする。
一方のトランはさして驚いた風もなく「根拠は?」と訊ねる。
「あのでかいの動かすのは面倒てのもあるが、掘っても何も出ない気がする。」
「きみの勘ですか?」
「違う。ウォンウェールって名前の石だけ時代が新しいんだ。古く見せかけて作ってるのは村長の墓石と同じ。」
「どうして新しいとわかるんです?」たまりかねたバセオが口を挟む。
「だってバセオがさっき言ったじゃないか。ウォンウェールって発音するって。アルラと一緒だよ。」
「え?」
「南での発音はウォンウェール。北ではロンウェリー。ガッセンディーアに昔からある名前だ。南のこんな山ん中でそういう名前があるってことは、少なくとも連合国になった百五十年よりこっちの墓って考えるのが妥当だろう。けど刻まれた年号はそれより古い。こんな無縁仏みたいな墓、わざわざ建て直すのも考えにくい。それに連合国になった頃に作ったんだとしたら、合点が行く。」
「連合国になった当時、自分たちの宗教や風習が他国のそれに懐柔されることを心配した人はたくさんいましたからね。」トランが説明する。
「経典や偶像を隠したという逸話は、けっこうどこでも聞きます。」
「じゃあ、埋まってるのは村の宗教にまつわるもの?」
「掘ればわかる。」
自信たっぷりのコンロッドに導かれるように、三人は小さな墓石の周りに集まった。しかし石の周りの土は固く、上の石をどかしたところで真っ先にコンロッドが音を上げた。
「迎えが来る明日の朝までに、結果を出さなきゃいけないんですよ。」
「ちょっとぐらい休ませろ。それよかこの人数で、竜は大丈夫なのか?」
「応援を連れて来ると、セルファさんはおっしゃってました。都合がつけば姉君を連れて来ると。」手を動かしながらバセオが言った。
「クラウディアさんなら気兼ねないですね。」
「美人か?」
「ええ。綺麗な方ですよ。それに彼女は竜騎士で現役の乗り手で……」
「女で、か?」
「それにちゃんと契約も交わしてます。」
「竜騎士を嫁にするとは、よっぽど弱い男か、はたまたごついのか。」
「ご主人は君に英雄時代の文字の解読を依頼した、ヘザース教授です。」
「はぁ?」とコンロッドは目を丸くした。
「ヘザース教授の嫁さんがアデル家の令嬢ってことか?」
「本人は令嬢なんて思ってないでしょうけど……ま、そういうことか。ん?」
掘り進めていた先に、何かが当たる音。
「何か……埋まってますね。」
「石?」
「さぁ?」
三人は顔を見合わせる。
コンロッドがよっこらしょと立ち上がった。
「オレとしては、せめて骨じゃないことを祈るしかねぇな。」
渋いところで2015の更新終了です。
来週も火曜日更新の予定。




