第二十六話
「なぁるほどなぁ……」
「コンロッド、いいかげん寝床を作るの手伝ってください。」
「いやぁ、まさかこんな綺麗に集落が残ってると思わなかったから……」
「それ、もう何度も聞きました。」
「まだ怒ってるのか?」
「何を怒るんです?」トランは手を止めて友人を振り返る。
「きみがぼくの学生時代の行動を、マーギスさんに暴露したことですか?それともぼくの忠告を無視して、調査に同行したことですか?」
「怒ってるじゃないか。」
「いいから手を動かしてください!」
そう言われてコンロッドはようやく作業に参加する。が、辺りを見回し、
「墓場で寝るなんざどうかと思うが……」
それでなくとも人気のない山の中。何が出てくるかわからない不気味さがある。救いといえば季節が夏で凍死する可能性が低いこと。月が明るさが増す頃なので、目が慣れれば月明かりで互いの顔が判別できること。
「それに獣の心配はないでしょう。ざっと見たところ、そういう痕跡は見当たらなかったので。」
「いや、そういう意味じゃなくて……」
「上の様子は見たでしょう。」
そう言われてコンロッドは、昼間見たガッセンディーア司教の生まれ故郷を思い出す。
この山裾の墓地からさらに登ったところ。朽ちかけた木の柵を乗り越えた先にある村は、まるで時間が止まったようだった。草も木も人の住処を荒らすことなく、そして家々の生活道具から何から、十四年前と変わりない状態でそのまま残されていたのである。鳥の声一つ、虫の影一つ見ることがない静寂に包まれ、風が乾いた土をすくっていく。
違和感。
明らかにここで異常なことが起こったのだと、コンロッドはようやく理解した。同時に言いようのない寒気が、背筋を伝う。
確かにあそこに比べたら、ここは自然の息吹を感じることができる。ただし、墓石に囲まれているが……
諦めて天幕を張り柔らかな織物を敷いたところで、今一度山を見上げた。
「なぁ・・・本当に呪術を使ってる奴がいるのか?」
「まだ疑うんですか?」
「そうじゃないが、呪術文字なんて語り部だって読める奴はそうそういない。」
「きみは判別できるじゃないですか。」
「うちは代々語り部だからな。祖父ちゃんの祖父ちゃん……ご先祖が残した門外不出の指南書がある。」
「それと同じように呪術が継承された可能性は否定できません。できれば、もっと違う言語か風習だったら良かったんですけど……」
「あんま気休めになってねぇぞ。」
コンロッドは苦笑すると敷物に腰を下ろして空を見上げた。真っ直ぐ空に伸びた木々の間から、明るい月と、うっすら影になった月が見える。
あの空を同胞と共に飛んで来たことも含めて、今日一日いろいろありすぎた。
「呪術っていうと……べジーを思い出すな。あいつ今、どこにいるんだ?」
「わからないんです。」
「は?」
「昔の仲間に声をかけたんですが……二年前から音信不通らしくて……」
「研究室の連中と連絡取ったのか?」
問われてトランは二、三人の名前を挙げる。
「ぼくの付き合いではそれが限界です。」
いやいや、とコンロッドは首を振る。
「充分だろ。そもそもお前がオレに解読の依頼をしてきたことだって、びっくりだ。」
「他に語り部のアテなんてなかったから……」
「それにガッセンディーアの司教さまや、アデル商会と懇意なのも、だ。一介の田舎教師の人脈じゃない。いつの間にそんな積極的になった?」
「必要があれば、ぼくだって人を頼ります。」トランは憮然とする。
「それに言ったでしょう。発端は知り合いの息子さんからの依頼だって。」
「カズト・ハヤセって、学生時代にお前が共同研究した人だろ?トランがくれたあの本、けっこう好きで今でもときどき読んでるぜ。」
そこまで言ってコンロッドは「そうだな……」と呟く。
「確かに銀竜に呪術はまずい。だからその親子の危機感がわからんでもない。」
「実際、リュートは銀竜の異変を見てるので、危機以上のものを感じてるんです。」
「お前も、か?」
問われてトランは目をぱちくりさせる。
「お前がこうして動いてるのは呪術に対する危機感か?それとも……」
「確かに、学生時代は興味先行でしたね。」
「挙句に一人でカッコ付けしたじゃねぇか。」
「そうでしたっけ?」
「オレだって英雄の書を読むのを手伝った。なのにお前、聖堂から呼び出し食らったときオレの名前出さなかったじゃないか。そのせいで……」
「ぼくには逃げ場所がありましたから。ぼくは……自分から逃げたんです。」
「逃げるような状況を作った一端はオレにもある!」
「そんなこと、誰も思ってません。」
「お前が思ってなくてもオレは思ってたよ。いやオレだけじゃない!教授だってお前を庇えなかったこと、最後まで悔やんでた。大学に残った連中だって……」
「それは過ぎたこと。それにあの頃のぼくは未熟でしたから、かえってそういう結末でよかったんです。」
少し離れた場所に作った竃で湯が沸いた。
トランは立ち上がると、火にかけてあった鍋の中身を二つの木のコップに注いで持ってくる。一つをコンロッドに渡した。
暖かな湯気と一緒に爽やかな花の香りが立ち上る。
口含むと広がる微かな甘味。
「こりゃエナの花の香りか?」
「お茶に乾燥した花びらを混ぜてるんです。アデル商会の人気商品だそうですよ。」
そう説明されて、コンロッドは手の中のものをまじまじと見た。
「なぁ、さっきの話……もし今のお前だったら、昔と違う行動取るのか?」
そうですね、とトランはお茶をすすりながら思案する。
「証拠を揃えて聖堂に乗り込むか……あらゆるツテを頼って、保身に努めるか。」
なるほどね、とコンロッドは呟く。
「確かに今のお前なら、どうとでもできるな。」
「そういうコンロッドだって、聖堂の仕事を請けてるじゃないですか。しかも英雄時代の文字なんて、そうそうお目にかかれません。」
「受けたのはオレ一人じゃねぇよ。ヘザース教授は英雄時代の文字が読めそうな語り部や学者に片っ端から声をかけてるんだ。」
「自ら動かずとも声がかかる。それだけ信頼のある語り部だと認識されてるんでしょう。」
「オレの力量じゃねぇ。祖父ちゃんや、そのまた祖父さんたちがやって来た仕事の上に立ってるだけだ。」
「だけ、っていうほど簡単じゃない。それくらいわかります。学生時代だって、親父すっとばしてオレが継ぐなんて不条理極まりないって、よく愚痴ってじゃないですか。」
「妙なこと覚えてるな。」
「そう言って、ちゃんと継いでるのがコンロッドらしいですよ。」
「褒めるなら、もちょっといい言葉で褒めろよ。」
「それに英雄時代の……新発見の文字を断片でも読むことができれば、語り部冥利に尽きるでしょう。」
まぁなとコンロッドは同意する。
「けど今回は報告書が資料の全部だし、現場を見ないでわかるコトなんざ、わずかしかない。」
「聞いた話だと、かなり特殊な状況のようですね。」
「ああ。壁に描かれた文様と、そこに映し出される外部の風景の組み合わせ。」
「なんでそんな手の込んだことしたんでしょう。」
「遺跡を作った連中に聞いてくれ。」
「人目に触れちゃいけない内容……とか。」
「しっかりトランも気になってんじゃねーか。」コンロッドは笑った。
「そんなに気になるなら研究に戻りゃいいのに。お前の力量なら戻れるだろう。」
「十年の空白は長いです。」それに、とトランは微笑む。
「今の仕事も案外気に入ってるんです。一番最初の教え子が、今ヘゼラの大学にいるんです。ぼくのような教師になって、村で教えたいって手紙がつい最近来て……」
「そりゃ……凄いな。」
「ええ。モール……っていうのがその子の名前なんですけど、やんちゃで勉強嫌いだった彼がそこまでがんばったかと思うと……」
「じゃなくてトランが、だよ。」
「えっ?」
「だってお前を目標に教師になりたいってんだろ?そういう目標になったお前は凄いって言ってんだよ。」
ああ、と拍子抜けした声が漏れる。
「そういう考えも……あるのか……」
「そういう反応もトランらしいけどよ……と……ん?」
目の端に光を見た気がして、コンロッドは墓地の入り口に目を向けた。
トランも気づいて指を唇の前に当て、喋るなと合図する。
じっと息を潜めていると、木々の間に小さな明かりが見えた。
二人は頷き合うと、そっと立ち上がる。身を隠す場所はないので、せめてと大きな墓石に身を寄せた。そのまま観察してると、どうやら明りを持った人が山道を移動しているらしい。それは確実に墓地に近づいていて、やがて夜の静けさの中、山道を踏みしめる音が聞こえてきた。
「一人じゃない?」
コンロッドの言うとおり、間もなく月明かりの下に二人分の影が現れた。
緊張が走ったそのとき。
明りを持った人影が、ありったけの声で叫んだ。
「カゥイ先生!ホランジェシ・マーギスです!」
「まったく!」と、トランは大きなため息をつく。
「バセオまで!こんな時間にこんな場所に来るなんて、なに考えてるんですか!」
すみません、とバセオが大きな背を丸くする。
「断固として止めるべきだって、あなたが一番よく知っているでしょう?ホランもホランです!」
夜の山道を登って登場した二人の神職……マーギスの部下バセオと、マーギスの甥ホランジェシを前にトランは激しく憤慨していた。
それはまるで子供を叱る教師の姿そのもの。
あまりに憤る友人の姿に、コンロッドは目を丸くする。
「んなに怒ることか?」
「きみは黙ってください!」トランはぴしゃりと言う。
「ホランは大気に敏感なんです。たとえて言えば銀竜と同じくらい。」
「そうなのか?」
「このあいだ村に行ったときは、それで気を失ってトランとマイゼル伯父さんに迷惑かけたんです。」
そう説明する年若い赤毛の男に、コンロッドは「ははぁ」と合点した。
「それが豊穣の姉妹の末裔……ってわけか。」
マーギス家が由緒ある家だと聞いていたが、そんな気質が受け継がれていることに素直に感心する。
「コンロッド、そんなとこで感心しないでください。」まったく、とトランは眼鏡を押さえてもう一度、息をつく。
そんなトランにホランジェシ・マーギスは頭を下げた。
「心配かけたのは謝ります。でも何か起こったら、それは誰でもない自分の責任ですから。」
「そう、バセオに言ったんですね。まったく、ホランに甘いのはマーギスさまだけじゃないんだから。それで、オゥビは一緒じゃないんですか?」
「彼は迎えに来たアデルさんと先にガッセンディーアに戻りました。今頃、本舎でのことをマーギスさんに報告してるはずです。」
バセオの説明によると、土地勘のある彼に作業に立ち会ってほしいというマーギスの伝言に従って、彼だけ隣村で降ろしてもらったのだと言う。その足で村に住む、かつての薬師の師匠でホランジェシの大叔母である老テマイヤを訪ねると、そこにホランジェシがいたという次第。
「おれはテマイヤばあちゃんの見舞いに来てたんだ。まさかバセオが来るなんて思わないからびっくりしたよ。」
「テマイヤさん、お加減悪いんですか?」
トランは齢八十を越える博識の老女を思い出す。口は確かに達者だが、寄る年には勝てないだろう。
「そう言われて慌てて来たんだけど、ただの風邪。強いて言うなら、ちょっと気持ちが弱ってるかな?」
バセオも頷く。
「かといって物凄く不安定というわけでもなさそうですし、お年の割にはしっかりしてましたよ。」
「そんなわけで明日には自分の神舎に戻んなきゃならないし、でも話聞いたらトランにすっごく会いたくって、それでこうやって来たんです。」
「その熱意はすごく嬉しいです。」
でも、とトランは三度目のため息をついた。
「こんなに心臓に悪い再会は、金輪際ごめんです。」
今回も地味ですが、個人的にトランの台詞を書くのは楽しかったりする(^^;
年末ですが、次回も火曜日更新予定です。




