第二十一話
「留守が多くてすみません。」
「いやいや。カゥイ先生が持ち帰る土産話は、大人たちも楽しみにしてるからねぇ。」
恐縮するトランに、太った老齢の男が楽しそうに返す。
二人が歩いているのは人気のない森の中。かろうじて道筋はあるが、土地勘のない者は足を踏み入れない場所である。
「そういえば今度、村の神舎で南の伝承を披露するそうだね。」
「一度お断りしたんですが、村長に是非と言われてしまって……今、物語を選んでいるところです。」
「楽しそうでなにより。それに本当は、研究に戻りたいんじゃないのかい?」
「そう思うこともあります。」荷物を担ぎ直しながら、トランは即答する。
「でも、今の仕事も好きなんです。ぼくが教える以上のことをやってのける子供たちを見てると、わくわくして、もっといろんなことを知ってほしいと思うんです。」
「そういえば、モールは最初の教え子だったね。」
「あの頃も今も、校長先生にはご迷惑かけっぱなしですね。」すみません、とトランは再び恐縮する。
「そんなことないさ。わしが言うのもなんだが、君はお祖父さん以上によい先生だと思う。もちろん、昔もよい生徒だったがね。」
「それ、じいちゃんの墓の前で言ってくださいよ。」
「時間ができたらそうするとしよう。」
不意に目の前が開けた。
現れたのは朝日に光る小さな池。湿地帯を多く有するこの辺りでは珍しくもない、名もない池のほとりに二人は佇む。
それを待ちかねていたように空に影が一つ。
「来たようだね。」
校長は掌で庇を作ると、近づく影を確認した。
「今回も滞在先はガッセンディーアかね?」
「はい。神舎に託した銀竜の様子も気になるし……学生時代の友人に会う予定もあるので。」
「ガッセンディーアの学校を薦めたのは正しかったな。」
「先生がじいちゃんを説得してくれたおかげです。」
ばさりと羽音を立てて、竜が池のほとりに着陸した。
以前は村のすぐ傍を発着場所にしていたのだが、物珍しさに人が集まってしまい飛び立てないことがあった。以来あまり人の来ない……子供は絶対一人で行ってはいけないと言われているこの池のほとりを待ち合わせ場所にしているのだ。
「このあたりも花が咲き始めましたね。空から見るととてもきれいですよ。」
風除けの眼鏡を額に乗せたまま、セルファ・アデルは竜の背に括りつけていた荷物を包みごとトランに渡した。
「頼まれていたものです。」
「子供たちの本ですね!」
トランは乾いた草の上で包みの一つを丁寧に解いた。
油紙の中から出てきたのは色鮮やかな絵本と、挿絵がふんだんに入った物語。
「残りは運びやすいようにまとめてあります。」
「その程度担ぐのはなんら問題ありませんよ。」校長が太鼓腹を叩く。しかし、と眉を寄せ、
「やけに多くないかね?そんなに予算は渡してないはずなんだが。」
「半分はマーギスさまからです。信者の方にお話したら、読まなくなった子供の本を下さったそうです。中には自ら持ってきてくれたお子さんもいたようですよ。ずっと北のアバディーアに、自分の代わりに本を連れていてくださいって。手紙も一緒に入ってるそうです。」
トランは校長と顔を見合わせた。
「それは……」
「嬉しいねぇ。」校長が笑顔になる。
「ちゃんと子供たちに伝えないとな。トラン、」
「ええ。マーギス司教にはぼくからもお礼を言っておきます。」
「それからこれはトランに。あなたが発注した他の本は、私が預かってます」
「豊穣の姉妹の話だけ集めた本?初めて見た。」
掌にすっぽり納まる小さな本は、表紙こそ茶色く変色し染みがついているが、中は綺麗だった。トランはざっと目を通す。
「所々ホルドウルの古い文字があるけど、この程度なら問題なさそうですね。」
「恐らくあなたのような市井の研究者が自費で作った物じゃないか……とハンヴィク氏は言ってました。」
「ハンヴィクさん?」トランは目を丸くする。
「ええ。あなたに渡して欲しいと。」
「しばらくご無沙汰しているのは気にしてたんですが……」
「読み終えたら内容を聞かせてほしいそうです。」
「わかりました。少しお時間をいただくと、伝えておいてください。」
「待つのも楽しみのうち、だそうです。」
「よき知り合いが増えたようだね。」
「本当に。」トランは大きく頷く。
それから間もなく、森の中から人を乗せた竜が大きく羽ばたいて行った。
その日の午後。
「ようやく登場か。」
部屋に入るなり、トランは愚痴に出迎えられた。
けれどそれも想定のうちとばかり、手にしていた瓶を机に置く。朝、アバディーアを出立したときから携えていた酒である。
「面倒をかけたお詫びです。」
おお!という声と共に男は椅子から立ち上がった。
「お前もそういうことができるようになったかー。」
肩に届きそうな長さの黒髪をかき上げると、緑の瞳を細めて瓶に書かれた文字を確かめる。
トランより背は高いが、生まれも育ちもガッセンディーアを自認するだけあって、それと机にかじりついてることが多いので色白で、優男風。
「だから女にモテるんだ」というのが本人の弁だが、付き合いの長いトランいわく、「どうしようもない女に弄ばれるの間違いでしょう」と冷ややかである。
トランと同じ三十なかばにして独身。ガッセンディーアの旧市街にあるこの仕事場を兼ねた住まいも、それなりの散らかりようである。
「依頼人から苦情は来ないんですか?コンロッド。」
「人のこと言えるのか?それにこっちから出向くのがほとんどだから問題ない。うん、こりゃいい!」
コンロッド・シィガンはひゅう、と口笛を鳴らす。
「なにしろアバディーアの酒なんてなかなか入ってこない。本当は二十年物がうまいんだが……」
「十五年物は市場に出回らない希少品ですよ。それで頼んでおいたものは?」
「単刀直入なとこは変わらんな。よし!」
コンロッドは立ち上がると戸棚から杯を持ってきた。
「まずは仕事。だが神舎の鐘が鳴ったら飲むぞ。」
「どうぞ。」と、トランは肩を竦める。
学生時代からお互いこんな調子なので、慣れたものである。
コンロッドは奥の部屋から丸めた紙を持ってくると床に広げた。以前トランが石碑から写し取ったのを、コンロッドが裏打ちしたのである。黒いインクは風雨に晒された石目と、刻まれた文字らしき物を白く浮かび上がらせている。
「お前が言うように、南の古い文字だった。いささか読みにくいが、まったく読めないわけじゃない。そんなところから見積もってせいぜい二百年くらい前の物だと思う。」
「案外新しいですね。」
「ただ使われてる文字はもうちょっと古い。それと別の面に年号が入ってた。」
コンロッドはそう言って、まだ裏打ちしてない薄っぺらな紙を机の上に広げた。
「何かの記号とは思ったけど……数字でしたか。」
「お前が持ち込んだとき言ったとおり、地域性のある文字だ。」
故郷アバディーアとここガッセンディーアの古文に通じてるトランだが、さすがに南の方言のような文字には歯が立たず、旧知のコンロッドに依頼したのである。
コンロッドは紙の束をトランに渡した。
そこには読み取った内容が、現代の文字に置き換えられていた。
「二百年ごとくらいの年号ですね。」
「よく家の礎石に建て替えた年号を刻むことがある。そいつに似てるな。」
「家ならわかるけど、墓石なんて建て直しますか?」
「墓じゃねぇだろ。」
「えっ?」
コンロッドは紙をめくるよう促した。
「そこにあるのがこいつを判読した線だ。」コンロッドは床に広げた紙を目で示す。
「右横にあるのが今の文字に置き換えたもの。ま、完全じゃないがな。」
「完全がありえないのはわかってます……ええと、空の友人、戻る。また一緒に空を飛ぶ、それを願う?」
「意味的にはそんなとこだろうな。もう一つある。」
「読み取りにくいって言ってたやつですね?あれ、読んだんですか?」
「オレを誰だと思ってるんだよ。」
「ガッセンディーア一の語り部。」
「結構。」
コンロッドに言われて頁をめくったトランは、そこにある文字も読み上げた。
「子が国を守り、白い翼が空を守る。そして黒い翼が海を守る?」
「上出来。どっちを取っても墓っぽくねぇだろ?」
確かに……とトランは呟く。
「それに黒い翼って……黒き竜のことでしょうか?」
「さぁ。」
「間違いないですよね?」
コンロッドは肩を竦める。
「それを調べるのはお前の役目。オレは語り部だかんな。ただ事実を読むのみ。」
開けた放した窓から街のざわめきと共に鐘の音が聞こえてきた。
彼は宣言どおり酒瓶を手にすると、封緘してある蠟を刃物でそぎ落とした。栓を開け、一五年ぶりに空気にさらされた酒の香りを確かめる。
杯に注ぎ色を確かめ、おもむろに口をつける。
言葉がなくとも、彼がいたく満足していることは一目瞭然。早くも二杯目を注ぎながら、
「お前も飲むか?」
「いただきます。」
トランは杯を受け取ると、機械的に口をつける。
「そもそも、どこで拾ってきた碑文だっけ?」杯を手にしたコンロッドが訊ねる。
「ホルドウルの山脈沿いにある……今は人が住んでない集落の墓地です。」
「ホルドウルか。山がちで近隣から隔離されたところなら、古い文字を使う集落があってもおかしくないな。そういうところはいわれがあったり、古い種族の末裔だったりすることもある。」
「ご先祖は、大地を歌う乙女だそうです。」
「って、豊穣の姉妹のか?」
「ええ。」
「そりゃ凄い。」コンロッドは目を丸くする。
「言い伝えによると、そのあたりの族長に大地を歌う次女が見初められて結ばれたとか。あと、ガラヴァル兄弟の父がそのあたりの出身だとか。」
「やけに具体的な由来だな。」
「と、子孫から聞いたんですけど、本当かどうか……」
「子孫って知り合いなのか?だったら、黒い翼の伝説がないかどうか聞いてみりゃいいじゃないか。現地に行くのが無理なら手紙でも……」
「なるほど!」
トランは窓の外に目を向けた。
「さっきの……夕方最初の鐘ですよね?」
「だな。じきに礼拝の鐘が鳴る。」
「ならちょうどいい。」
トランは音を立てて杯を机に置くと、床に広げた紙を急いで丸めた。
「どこ行くんだ?」
「助言のとおり、聞きに行くんです。今から行けば礼拝の後に話を聞くことができるでしょうから。」
えっ?とコンロッドも慌てる。
「そいつ、ガッセンディーアにいるのか?てか毎日神舎に通ってのか?」
「当たらずとも遠からず。」
「それを早く言え!」コンロッドはその辺に引っかかってる上着を掴んだ。
「オレも行く!直に話が聞けるなら好都合。それともオレがいたら困るか?」
いいえ、とトランは首を振る。
「きみさえよければ、ご随意に。」
新しい人、登場です。
個人的にトランは書いて楽しいキャラなので、今後の掛け合いが楽しみ(^^
次回も火曜日更新予定




