第二話
「だって、小さい子にどこまで言っていいのか、わかんないんだもん。」
店と同じ敷地にある早瀬家の母屋のダイニングテーブルに頬杖をつき、都はうーんと唸る。
「半分大人の口真似だ。否定か肯定でこと足りるだろう?」
「微妙だよねぇ……フェス。」
都はテーブルの上のちょこんと座る生き物に同意を求める。
色は白く、肌はサテンのように滑らか。瞳は金色で、背中から生えた蝙蝠のような羽根と長い首、それに鉤爪のある手足は紛れもなく竜。ただし、大きさは小さめの猫程度。空を飛ぶと光を受けて銀色に見えることから「銀竜」と呼ばれる。
もちろん、この世界の生き物ではない。
『門』と呼ばれる通路の先にある別の世界で、はるか昔から存在する小さな種族。
早瀬の家はその門を守る『門番』なのである。そして竜杜は門番である父と、向こうの世界で暮らす母を持つ、いわば異世界ハーフ。
もちろん、出会った当初はそんな世界があるなんて思わなかった。
そもそも都が彼と出会ったのは、危ないところを助けてもらったのがきっかけ。だがしかし、そのときの印象は良くない。
女所帯で育ったせいで男性が苦手、しかも小柄な都から見たら身長百八十センチオーバーの彼は威圧的。それにそのときの竜杜は長い髪を首筋で束ねていたので、どう見ても職業不詳。それだけではない。自分より年上なのに、当たり前のことを知らなかったり言葉遣いが変だったり、どこか不思議な雰囲気を漂わせていた。
その理由を知るのは、都が再び危ない目に遭ったとき。
謎の黒い影、それを繰る若い男に襲われた都は、深手を負ってしまう。
尽きようとしたその命を助けたのもまた、竜杜だった。
それは竜と共に空を飛ぶ者たちが、自らの子孫を残すために互いを支えあうために行う『契約』と呼ばれる婚姻の形。本来は『一族』と呼ばれる者同士が成すべきものだが、どういうわけか二人の間で成立し、それによって竜杜が都の命を繋いだのである。
運びこまれた早瀬家で竜杜の父、そして喫茶店フリューゲルの店長でもある早瀬加津杜からそう説明された都は混乱した。
「それ、どこの国の風習ですか?」
「少なくとも地球上ではないかな。」
そこで初めて、都は門で繋がれたもう一つの世界のことを知る。そして早瀬竜杜がリュート・ハヤセ・ラグレスという名を持つ一族であることも。
「その、一族って……」
「人と竜の間にいる一族……とでも言うのかな。人に近い存在でありながら、竜を召喚し、共に空を駆けることができる人々。」
竜は神話時代から生きる種族で、大気が希薄になった現在では数が減っている、いわく物語に出てくるドラゴンのような生き物だという。そんな彼らと共に空を飛ぶ人の多くは「竜隊」と呼ばれる軍部に属し、時には「竜騎士」とも呼ばれる。竜杜はまさに竜隊に属する現役の竜の乗り手で、かつては早瀬自身も竜隊で竜に乗っていた。彼は大学院まで『こちら』で過ごしたものの、初恋の人を追って『向こう』の世界に行き、そこで一族のエミリア・ラグレスと契約を交わした。竜杜が生まれ十五年ほど『向こう』で暮らした後、家督を譲って『こちら』に戻り、父親の残した喫茶店フリューゲルを継いだのだ。しかも『向こう』で暮らしていたときは隊の仕事のみならず、銀竜の研究でもその名を馳せていたらしい。
「まぁ、他に研究する人もいなかったからね。」
保有してる人も少ない、目にすることも滅多にない前時代的な小さな生き物に、あえて注目する人がいなかっただけと、早瀬は後になってから都に言った。
ともあれ、命を助けてもらったことは感謝したが、だからといって婚姻と同じ意味を持つ契約を「はい、そうですか」と受け入れることはできなかった。けれど一度交わされた契約は決して解消することができず、唯一できるとすれば、それはどちらかが命を終えたとき。
都は悩んだ。
そして竜杜も。
命を救うためとはいえ、一方的に契約を交わしたことを後悔した。だからもし契約が都が苦しめるなら、自分は彼女の前から消える……そう宣言したのである。
結論を委ねられ、悶々とした日々を送る都。
そんなある日、またもや黒い影が現れる。
それは「黒き竜」と呼ばれる、大昔に封印された竜の思念。はるか昔、向こうの世界を脅かした悪しきものが、こちらの世界に追放された果ての姿。
伝説では一族の英雄ガラヴァル兄弟が、悪しき竜の魂をこちらの世界におびき寄せ、空の民である聖竜リラントが、向こうの世界でその身体を八つ裂きにした。その身体は世界中のあちこちに埋められ、戻る身体のなくなった魂は封印された……はずなのだが、長い年月で封印がほころび、一人の男に寄生していたのである。
その男と竜杜が対峙したとき、それまで影にしか見えなかったものが黒い竜の姿に見えたとき、都は『契約の力』と『向こうの世界』を意識した。
結局、黒き竜を倒すことも男を捕らえることもできなかったが、都は竜杜が無事だったことに安堵した。同時に湧き上がったのは、彼と別れたくない気持ち。
「お付き合いからでいいですか?」と付け加えた上で、契約を受け入れることを決めたのである。
テーブルの上で銀竜が鳴いた。
教わった文字を写していた都が顔を上げる。
「ぎゃう!」
「え?コギンが鳴いてるの?」
間髪いれずに、携帯が震える。上着のポケットから引っ張り出し慌ててメールを表示させると、がっくり肩を落とした。
「もーっ。冴さん、事務所で軽く飲み始めたから遅くなるって。なんかコンペが通ったとか……」
「そうすると……」竜杜は左手にはめた金属ベルトの時計に目を走らせる。
「家に送って行きがてら、コギンと冴さんの夕食分もテイクアウトして行くか。うさぎ亭に電話して……」
「うさぎ亭さんだったらビーフシチューがいいな。マッシュポテトのついたやつ。」
フリューゲルと同じ商店街にある『うさぎ亭』は、洋食と気軽なフレンチを出す家庭的なレストランである。竜杜と交際を始めて訪れるようになった店だが、店名にちなんだ「うさぎの置物コレクション」の写真撮影を任されることもある、親しい付き合い。もちろん味も大満足の、お気に入りレストランである。
「銀竜たちはラムチョップかコロッケ?フェスも好きだよね。」
きゅう!と同意を示す仕草がかわいくて、都は思わず銀竜の背をなでる。
前時代的と揶揄される一方、銀竜は門に関わる者にとって必要不可欠な道標である。
竜杜の実家ラグレス家は銀竜を多く保護し、竜杜も六才の誕生日に贈られた、このフェスと名付けた銀竜をどこに行くにも伴っていた。
そもそも竜杜がこちらの世界へ来たのは、黒き竜の動向を探るため。一族評議会でも機密扱いの門を理解し、かつ道標である銀竜を扱える人材……ということで必然的に指名を受けたのだ。。黒き竜を逃がした後もその任は続いたが、さすが特命にかかりきりはできず、その後しばらく行ったり来たりの生活となる。
そんなとき、電話も郵便も届かない超遠距離をつなぐのが、銀竜の「声」を送る能力だった。
竜杜は生まれたばかりの銀竜を都に託し、彼女はそれを「コギン」と名付けた。彼が向こうに戻ったときは互いの声を届けるし、ときには冴の晩酌にも付き合う。けれど最初からそう上手く行ったわけでない。
単身赴任で不在だった冴が戻り竜杜とのことを知ると、異世界などというわけのわからないことに都を巻き込んだと、彼をなじったのだ。
都は父親を知らない。
風景専門の写真家だった母親はシングルマザーで都を育て、そのサポートをずっと冴がしていた。都が小学校に入る頃には一緒に暮らし始め、そして都が中学三年で母親を事故で亡くしたときも、「いまさら遠慮したら怒るわよ」と言ってくれた。血の繋がりこそないが、都にとっては家族同然。
だから冴が激怒したのも当然だと、今では理解している。
それでも最終的には竜杜との契約を了承し、銀竜も受け入れてくれたのである。
そんな紆余曲折を経て付き合い始めた二人だが、超遠距離の壁は厚かった。
契約という枷のせいで、互いの生存気配は感じるのに消息がわからないジレンマに陥ったある日、都は『向こうの世界』へと赴くことを決心する。
そのときのことは今思い出しても物凄い冒険だったと思うし、出会った人々のことは忘れようもない。特に一族の血を引く、一つ年上のネフェルと知り合ったことは大きい。彼女からの手紙を読みたい一心で、都は異世界の文字を勉強し始めたのだから。
同じ頃、竜杜も『門番の研修』と称してフリューゲルの仕事を手伝い始めた。
もちろん用があれば向こうへ戻るが、生活の基盤をこちらに移したことは確実に二人の距離を縮めることになる。
「荷物、重くない?うさぎ亭さん、おまけまでつけてくれたけど……」
「大したことない。」テイクアウトの大きな袋を提げた竜杜は、こともなげに言う。
「結局、ネフェルへの手紙、完成できなかったな。」
「明日か明後日やればいい。」
「またリュートに頼むことになるよ。」
「構わない。今は向こうの仕事もないし……父親が戻れば何かしら言付かってくるだろうが……」
「マスター、最近よくガッセンディーアに戻るよね。評議会ってそんなに大変?」
「父親は門の責任者だから、立場上いなきゃいけないこともある。」
「リュートはいいの?」
「ずっと父親の代理をしてきたんだ。それに俺の居場所は都だと、言っただろう。」
「だ、だから、そういう意味じゃなくて……ってどうして堂々と言っちゃうの?」もうっ!と都は頬を膨らませ、マフラーに顔を埋める。
「俺の居場所になって欲しい。」
それは竜杜から都への求婚の言葉。
一族として空を飛ぶことも、先祖が守ってきた門も自分にとっては大切なこと。どちらかを選ぶことはできない。だから都に手を貸してほしい。都がいれば、そこに自分はいられるから……フリューゲルの三代目として、そしてラグレス家の当主として考えた末の決断だった。
それに対する都の答えは、もちろん「イエス」。
彼女自身向こうの世界のことや竜杜のことを知るにつれ、彼が大切にしてきたもの……同胞と呼ぶ、竜と共に見てきた空への想い、そして門を内包するフリューゲルの存在がいつしか大きなものになっていたのである。
「わたしも一緒に空が見たい。今までリュートが見てきた空も、これから見る空も。」
互いに寄り添う気持ち。
それが二人に婚約という区切りを決心させた。
その後も竜杜に見合い話が来たり、大喧嘩をしたり、そして黒き竜を宿した男の気配を感じたり……心配は尽きないが、今こうして一緒に過ごせることは二人にとって奇跡のようなもの。
都が契約を受け入れた一年と少し前には、こんな穏やかな時間が来ると思わなかった。
都はそっと空を見上げる。
「フェス、うちに着いたかな。」
「恐らく。」
「久しぶりに他の銀竜にも会いたいな。」
「受験が終わったら……だろうな。」
「日帰りとか……無理?」
「あまり勧めない。第一慌しいのは母が文句を言うだろう。」
「そうだね。」
その様子が目に浮かびそうで、都はクスリと笑う。
「来年まで我慢、か。」
言いながらもう一度、街の光でほの白い空を見上げる。
「マスター、今頃銀竜たちに囲まれてるんだろうな。」
次回は来週火曜日。今月いっぱい、こんな感じで更新します。