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第十九話

宮原(みやはら)にも面倒をかけたね。」

栄一郎(えいいちろう)くんが楽しそうだったから、別に構わないよ。」

 カウンター席の宮原笙子(しょうこ)は、旧友の淹れたコーヒーに口をつけるとホッと息を吐き出した。

 すでに夕闇の時刻。客が引けると同時に竜杜(りゅうと)は母屋に戻ったので、店にいるのは早瀬(はやせ)と笙子の二人きりである。

「仕事、忙しそうだね。」

「寒くなれば、医者の出番も多い。」宮原医院の小児科医は肩を竦めた。

 タートルのセーターにジーンズ、仕事中束ねている長い髪は解いているので至ってカジュアルな格好である。

「そっちこそ、ぶっ続けで店に立って大丈夫かい?」

「向こうにいるときは休暇みたいなものだし、エミリアがそばにいるから気持ちは安定してたよ。と、そろそろ店じまいか。ああ、宮原はそのままでいいよ。」

 早瀬は外に出て門扉(もんぴ)を閉めると、手際よく店内の片づけをする。

 再び彼がカウンターに戻ってくると、笙子は言った。

「向こうじゃ、気持ちを安定させる必要があったわけか。」

 早瀬は一瞬手を止める。

「今日のコーヒー、いつもと味が違う。」

「数日振りに淹れたせいかな。」

「年寄りになんか言われたか、役員でも押し付けられたか……。」

「それ、宮原のことじゃないのか?」

「この年齢(とし)になると、面倒ばっか増えるんだ。」笙子は思い切り眉をしかめる。

 早瀬は息をつくと、観念したように頷いた。

「似たようなものかな。避けてきた面倒ごとから逃げ切れなくなってきてね。たぶん……エミリアを追いかけていったときから……父親と君に背中を押されたときから覚悟してたことなんだろうけど。」

「悪友の愚痴聞くくらいの余裕、あるよ。」

 互いに悪友と称して何十年。

 その曖昧さと男女では友情が成立しないという外野の声に惑うこともあった。が、エミリアに関わることで彼女に助けを求めたとき、そして生まれて間もない息子を連れて帰省したとき、宮原笙子が友人であることに何度感謝したことか。それに木島都(きじまみやこ)が竜杜との交際を巡って保護者と揉めたとき、宮原夫妻が間に入ってくれたから収まった経緯もある。

 それにこうして事あるごとに心配してくれるのは、心底ありがたいと思う。

 その気配りに甘んじて、早瀬は向こうの世界での出来事……主にエミリアから告白されたことを、かいつまんで話した。

「あのときに……そんなことがあったのか。」

 一通りの話を聞いたところで、笙子は唸るように言った。

「どうやってフリューゲルにたどり着いたのか、覚えてないそうだ。」

「無我夢中だったんだな。どうりで、ちっこいのも弱ってたはずだ。それにエミリアも。」

「カルルは今でも自力で飛べない。家の中を歩き回るには支障ないけど……ああ、でもでも都ちゃんが向こうに行ったとき、一緒に連れて遠出をしたらしい。」

「それが回復の兆しだとしたら、いつかまた飛べるさ。寿命が長い生き物なんだろう?」

「そう信じたいよ。」

 そう言う早瀬の声はどこか暗かった。

「もしかして……エミリアがずっと黙ってたことがショックだったのか?」

「あのとき……彼女がここに来たときに、理由を聞くべきだったのかもしれない。そうしたら……」

「結果は変わんなかったと思うよ。」

「きっぱり言うねぇ。」

「だってエミリアは不平不満を簡単に口にするような性格じゃないだろう。そもそも長女ってのは多少の我慢を強いられるところがある。」

「君たちはそれで意気投合してたのか?」

「なわけないだろう。」笙子は呆れる。

「第一あのとき、エミリアと私は言葉が通じてなかった。」

 そういえば、まだ自分と妻が一族の契約を交わす前だったと思い出す。

「ただ、今の話し聞いて察するに、エミリアは起きたことを理解するだけで精一杯だったんじゃないかって思ったんだ。むしろお前と早瀬のおじさんが黙って受け入れたから、最悪なことにならなくて済んだ気がする。」

「最悪……って?」

 答えの代わりに笙子は肩を竦める。

「早瀬だって、当時は言いたくなかったけど今なら笑って流せるエピソード、いっぱいあるじゃないか。」

「年の功……って言いたいのか?」

「単に時間が必要だったんだよ。それがたまたま二十七年……いや二十八年か。」

「なんだか宮原に説明されると口惜しいけど……妙に納得できるからなお口惜しいね。でも……」

 と、早瀬はカーテンを閉め照明を落としたフリューゲルの店内をぐるりと見回す。

「僕もここに戻ってくるのに、時間が必要だった。」

 そんなもんだよ、と笙子は頷く。

「それよかそれ、竜杜くんに話したのか?」

「話しそびれてる。説明しなきゃいけないんだけどね。」

「躊躇するの珍しい。」

「竜杜は僕たちの息子ってだけで、面倒を背負ってる。負担を増やすのは躊躇するよ。」

「両親の馴れ初めは別に負担じゃないだろう。それに都ちゃんの件も含めて、結果オーライならそれでいいじゃないか。早瀬のこったから面倒ごとの根回し、ちゃんとしてるだろうし。」

 まぁね、と早瀬は同意する。

「でもなんというか……今回の件は人の判断でどうこうできることじゃない気がするんだ。」

「そういうときはじっとしてるに限る。」

「それで済めばいいけど……」

「どうにかなるさ。」

「宮原がそう言うと、大丈夫と思えるから不思議だな。」

「医者の言うことは聞くもんだ。」

 一瞬の沈黙。

「ああ……」と呟いて早瀬は髭に触れた。

「そういえば……そうだったね。」


「セルファからの手紙……さすがに溜まったな。」

 ため息をつきながら、竜杜は机の上に大量の書類を広げていた。

 その足元では、相棒のフェスが鍵爪のついた手で器用にステープラーを駆使して紙を綴じている。

 発端は、店に専念していたせいで見事に荒れた自室を夕食後に片付け始めたことだった。積んだままのダイレクトメールを開き、店から持ってきたシュレッダーに放り込む。椅子の背に引っ掛けたままのシャツを箪笥にしまい、あるいはクリーニング屋に持って行くべく袋に放り込む。

 そこまでは順調だった。が、床に積んだままの大量の本と、ライティングデスクから落ちそうな書簡の山を前にして、さすがに片手間では片付けられないと悟る。それに最近、雪崩を起こす本の山に婚約者が眉をひそめていることを思うと、ここはきっぱり片付けるしかない……と思って着手したのだが……時刻はすでに深夜帯に突入している。

「評議会関連は、ここから持ち出せない。とすると、見切りをつけられるのはこの辺か……」

 ぶつくさ言いながら不要な書類をより分けていると、部屋の扉をノックする音。

 顔を覗かせた父親が、部屋の惨状に目を丸くする。

「凄いことになってるな。」

「ちょうどいい。」

 竜杜は紐で括った本を引っ張り出すと、父親の前に置いた。

 背表紙を見た早瀬は即座に息子の言いたいことを理解する。

「コーヒー関係の本か。テキストはともかくとして……一般書は店の閲覧用にしてもいいね。」

「テキストは二階の倉庫に入れさせてもらう。そういえば世間じゃブックカフェが流行してるとか三芳(みよし)夫妻が言ってたな。」

「うちはそこまで本を増やすつもりないよ。もっとも君たちは、ラグレスの家の図書室をバーにしてるみたいだけど。」

「あれは……」竜杜はあからさまに不機嫌な顔をする。

「ダールの奴が勝手に居座ってるだけだ。酒のために人の部屋を物色するし。」

「見られて困るものでもあったのかい?」

「気分の問題だ。」

「オーディと言えば、ご両親が連合国に戻ってきたよ。まだ南にいるが、リィナリエが迎えに行った。」

「一人で、か?」

「クラウディアが送って行ったそうだ。遅れてる荷物が届き次第、揃ってガッセンディーアに戻るらしい。」

 ああ、と竜杜は納得する。

「となると、アニエとの契約も間近か。」

「そういうこともありうるだろうね。」

「何か……支障があるのか?」

「そういうわけじゃないが……長老の件があるから。」

「見舞い……行ってきたんだろう?」

「顔を出しただけだよ。僕は医者じゃないし、評議会のことは黙って見てるしかない。」

 もし話が進めばセルファから連絡が来るだろう、と付け足す。

「ひとまず喫茶関係は店で引き受けるから、明日にでも運んでおいて。こんな時間に片付けもけっこうだが、あまり根を詰めるな。」

「何か……用だったんじゃないのか?」

「忙しそうだから別のときにするよ。」

 そう言って父親はお休み、と部屋を出て行く。

「何の話だったんだ?」

 竜杜の呟きと共に、フェスの鳴き声が響いた。

 振り返ると崩れた本の下で、銀竜(ぎんりゅう)がじたばたしていた。慌てて本をどかして救出する。

 フェスは唯一の安全地帯であるベッドに避難すると、翼を広げ自身で無事を確認する。

「この辺もどうにかしなきゃならないか……と。」

 目に留まったのは、本と本の間に挟まれたクラフト紙の書類封筒。引っ張り出して中身を改めると、出てきたのはびっしり書き込まれたメモ用紙の束。こちらで暮らし始めた頃、日記を兼ねてつけていた記録だった。

 適当な紙切れに書いては書類封筒に放り込んでいたもので、今読み返すと些細なことに一喜一憂、緊張困惑していたことが伺える。途中から必要な記録はノートを使うようになったので、不要と思って本の間に押し込んだのだろう。

 紙片をめくっていた手が止まった。

 それは二年前のある日の出来事。

 夕闇迫る時間、不穏な気を感じたこと。それを辿った先で見つけたのは、黒き竜に捕らえられそうになった一人の少女。彼女を助け出し、自宅まで送ったことが淡々とつづられていた。

 目を上げれば、あのとき手を引いて助け出した少女と自分の並ぶ写真が目に留まる。

 どこか頼りなくて、それでいて真っ直ぐで、ときどき頑固な年下の彼女。

 あのとき名前も知らなかった彼女が、今は自分にとって大切で愛おしい存在になっている。

 その変化は、同時にそれだけの時間が経過したという証拠なのだろう。

 懐かしさも手伝ってメモをめくっていた竜杜の手が、ふと止まった。

 慌てて本の山をひっくり返すと、道路地図を引っ張り出す。

 近隣が掲載されたページを探してスタンドの下で広げると、紙片と地図を熱心に見比べ始めた。

笙子先生、久しぶりの登場ですね。そして次回も火曜日更新予定です。

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