第十六話
「それ、リュートが飲んでるお酒ね。」
「なぜか図書室で見つけてね。」
早瀬はシングルモルトの壜を掲げると、杯に注いでくゆらせる。
ラグレス家の、庭に面した部屋でのこと。
「オーディが来たときに、二人で飲んでるのよ。」傍らに立つエミリアが説明する。
「うん、しっかりスモーキーだ。二人ともいい趣味してるな。」
焼けるようなアルコールの刺激に満足すると、傍らの華奢な机に目を向ける。そこに並んでいるのはさまざまなデザインの写真立て。
一番手前にあった写真を手に取る。
「これ、結納のときだね。」
媒酌人の宮原夫妻も含めた全員が写っている写真は、レストランのスタッフがシャッターを押してくれたもの。リュートが前回帰省したとき持って来たのは聞いていた。
「額は都ちゃんの見立てかな?」
「素敵よ。それにミヤコもリュートも、とても穏やかでいい表情。」
「こうしてみると、宮原はあんまり変わらないな。」
「優しそうなご主人だわ。」
「そう、じゃなくて優しい人だよ。僕が不在のときは店を手伝ってくれるし、宮原にはもったいない夫君だ。」
まぁ、とエミリアは微笑む。
「それに比べたら、僕は良い夫ではないな。」
唐突な早瀬の言葉に、エミリアは怪訝な顔をした。
「たぶん宮原も君に会いたがってる。それに君も。だけど僕のせいでそれは叶わない。」
「何かあったの?」
「ずっと思ってたことを言ったまでだよ。」
いいえ、とエミリアは首を振る。
「そんな風に言うの、あなたらしくない。」
早瀬はため息をつくと、杯に机に置いた。
「君には隠し事はできない、か。いろいろ考えてしまってね……」
妻の手を取り、窓際の安楽椅子に彼女を誘う。
並んで腰を下ろすと言った。
「今日ガイアナ議長に会った。久しぶりに彼と飛んできたよ。」
早瀬が駐屯分隊の中庭に案内されたとき、そこにはすでに二匹の竜が待機していた。
その傍らに立っていたのは、飛行服をまとった一族評議会議長の姿。白い髪を首筋で束ねた往年の竜騎士は、むしろ現役の乗り手を威圧するほどの貫禄があった。それは六十を越えてなお、評議会の現場を束ねる地位についている者の威厳でもある。
早瀬は彼に促されるまま、竜にまたがり空に舞い上がった。そうして二人で飛んだのは実に何年ぶりのことか。
しばらく飛んだところで、前を行くガイアナの手信号に従って竜を降下させる。
着いたのはガッセンディーアを見渡せる、近郊の丘の上。大昔は遠くの国境を見張る櫓があったが、連合国になって以来不要になり、今は崩れた石壁が残るばかり。
「現役といっても通用するのではないかね?」
風除けの眼鏡を外しながらガイアナが大股で歩いてくる。
「その言葉、そっくりお返しします。」
早瀬の言葉にガイアナの緑の瞳が微笑んだ。
「相変わらず控えめな男だ。初めて竜を召喚したときも……」
「昔のことです。」
「だが、ついこの間のようにも思える。」
「思い出話をするために、ここまで来たのではないでしょう。」
そう言って早瀬は辺りを見回す。
夏草の生い茂った丘の上はここしばらく人が分け入った形跡がなく、上空から見た限りでは潜んでいる人もいない。つまり、密談にはおあつらえ向きの場所。
「聡いのも相変わらずだ。」
キルフェガ・ガイアナは頷くと本題に入る。
「今から話すことは、あくまで一族の長と私の私見と思って欲しい。これから協議に入るが、その頃には君は自分の領分に戻っているし、かといって君に無関係でもない。」
そう前置きした上でガイアナが話したことは、確かに早瀬にとってこの上なく重要な内容であった。
早瀬だけでない。おそらく竜を繰る一族の、この先を左右するだろう。
その内容を早瀬はエミリアにもかいつまんで説明した。もちろん、彼女に話すことはあらかじめ了承を得た上で。
エミリアはじっとが聞いていたが、内容が一段落すると夫を覗き込んだ。
「それは決まったこと?」
「妨げがなければ、そうなるだろうね。」
「リュートに話すの?」
早瀬は深く息を吐き出し、
「話さなきゃならないだろう。ガイアナ議長が言うには早瀬とラグレス、両方が揃っての門番なのだそうだ。」
「つまり、リュートやミヤコもすでに後継者と見なされているのね?」
早瀬は頷く。
「竜杜が出向扱いで僕のところに来たのが効いたらしい。」
「それに意見しなかったことを悔やんでいるの?」
「僕が口を出したとしても、竜杜は都ちゃんの傍にいることを選んだだろう。それに議会が揉めるのは目に見えてるが、僕はこれを支持したい。わがままかもしれないけど……。」
「自分の立場を守るのは、門番として当然よ。」
「そうなんだが……」
どこか煮え切らない夫に、エミリアは首をかしげる。
「気にしているのは、あなたを味方に引き入れようとしている議員さん?」
「もっと漠然とした不安……かな。もし世の中が変わっていって一族が今の形でなくなったら……」
「そんなの、あなたが心配することじゃない。それに一族が姿を変えてしまったら、それは一族でないでしょう。」
「でもサーフスのような考えが増えたらどうなるか。」
「考え方の変化なら、今に始まったことでないでしょう。ずっと同じなんて、ありえないのだし。」
「と、いうと?」
「私の父が現役だった頃は、隊に異国の出身者や女性がいるなんてありえなかった。それに私たちのように一族と異国の籍を持つ者同士の契約も。」
そのきっかけの一つが自分たちであることは。早瀬とてよくわかっている。
「だからリュートとミヤコも、普通に婚約が整ったのでしょう?」
「まぁ、そうだね。」
「それでも一族は一族だわ。同胞と共に空を飛び、英雄達の遺物を守っている。」
言われてみれば、確かにその通りだ。
「それに竜と一族が見張っていた国境も、なくなってしまった。それも変化でしょう?」
「随分昔の話しだけど……」
歴史的事実を持ち出されると思わず、けれど反論できずに早瀬は唸る。
「父がよく言ってたわ。変わるのは悪いことじゃない。だけど、無傷でいることはできないと。もっとも父が言ってたのは英雄のことだと思うけど。」
「小ガラヴァルのことかい?」
「ええ。黒き竜を倒し世界を救ったけれど、門を守るために異世界に残った兄と別れなくてはいけなかった。」
「それを言えば、僕は君から飛ぶことを奪った。」
「それは正しくないわ。奪われたのではなくて、封印されただけ。」
「同じだよ。」
「それに、そのことを差し引いても有り余るほどのものを、私はあなたからもらった。あなたやあなたのお父様が私を受け入れてくれたから、私は絶望から救われた。こうして家と銀竜たちを守り続けられるのは、あなたがいつもいてくれるから。」エミリアは微笑む。
つられて早瀬も微笑んだ。
「僕こそ、君の寛大さのおかげで店を続けてる。」
あら?とエミリアは目を丸くする。
「もし契約関係がなければ、あなた一人でなんて行かせないわ。」
「あー、つまり契約によって見張られてる?」
「あなたが浮気心を起こさないように、繋いでるの。」
「それはありえない。」
早瀬の真顔に、エミリアはくすくす笑う。
「冗談よ。」
まったく、と息をつくと早瀬は妻の肩を抱き寄せた。
夕食後、早瀬は小さな銀竜を抱いて書架に囲まれた通称「図書室」に足を向けた。書物机に銀竜を降ろすと椅子に腰掛け、目線を銀竜のそれと合わせる。
「カルル、神舎にいるレイユに声を送って欲しい。初めての相手だけど頼むよ。」
小柄な銀竜は喉の奥を鳴らすと金色の瞳を閉じた。
マーギス宛のメッセージを託しながら、早瀬は料理屋での会合を思い出す。
神の影。
それを敬う者たちが、禁忌である呪術を復活させようとしている。
つまり呪術と影は表裏一体。
「だから本舎も危険視していますし、根絶したいというのが本心でしょう。」
とはいえ、神舎でもごく一部しか知らない機密事項ゆえ、手紙に書くことができなかったのだと説明する。それに反論する者はいなかった。むしろ……
「ではあのとき、あなた自ら神の砦に出向いたのは、やはり証拠を探すのが目的だった?」
「司祭の交代があまりに急だった違和感はずっとありました。それに恩師の墓参りをしたかったのも本当のこと。ただ信者がいるなら、影の月が光を持つ頃に何か起こるだろう予感はありました。開帳の儀と影の月が光る時期が重なることはそうありませんから、乗り込むのによい口実でした。」
「格闘に長けた弟子は護衛ですか?」
まさか、とマーギスは苦笑する。
「カフタとオウビは純粋に私の弟子です。彼らの師は最初に赴任した神舎の兄弟子でした。神学校の先輩でもありましたが。最終的に私はガッセンディーアへ、彼は北の……カゥイ先生ならご存知でしょう。ノンディーアにある戦いの神を奉る神舎の司祭に就きました。」
「知ってます。軍人に人気があるんですよね。」トランは頷く。
「ええ。神職に武術など必要ないのですが、そこはそういうことを得意とする人材が……平たく言えば退役した軍人が多かったのです。」
「ではカフタとオウビも?」
「元軍人です。彼らは病に伏した兄弟子の最期を看取ってくれました。彼は今際で自分が死んだら私の元に行け、と言ったそうです。ちょうど私が司教になった頃だったので、私の身辺を心配してくれたのか、それとも彼らに別の世界を見せたかったのか……今となっては真意はわかりません。」
「結論から言えば、懸命な遺言だったわけですね。」
マーギスは苦笑しつつ肯定した。
「私の目付けとしては申し分ないと、メルヴァンナ司祭にいつも言われてますよ。」
「それもまた、出会いですか?」
「そう思ってます。もちろんあなたやミヤコさんと出会ったことも。」
その言葉をそっくり返したいと思ったことを、早瀬は銀竜に伝える。
その他、会合の場では慌しくて言えなかったことも託すと、結びの言葉で締めくくった。
他にも声を送っていると、イーサがやって来た。
古びた革の装丁の本を何冊か早瀬に差し出す。
「カズトさまがおっしゃっていたもの……これでしょうか?亡くなった大旦那さまのもので、ご自分で書き込んでいたのはこれしか見当たらなくて。」
「うん。たぶんそうだと思う。」
早瀬は頁をめくると、流麗なペン書きの文字を目で追いかけた。
助かった、と言うとイーサはホッとした表情を見せる。
「随分いろんなところに、声を送ってらっしゃるんですね。」
「あちこち不義理ばかりしてるから……」
「皆さん、カズトさまがお忙しいことはわかってらっしゃいます。」
「そう言ってもらえるうちが華だと思ってるよ。イーサにもまだまだ迷惑かけると思うけど……」
「迷惑だなんて思ってません。」にっこりとイーサは微笑む。
このラグレス家の使用人のおおらかな笑みに、早瀬はいつも安心と勇気をもらっている。
「私も兄もこの家が好きだから、ずっとお仕事させていただいているんです。リュートさまとミヤコさまの契約の儀のことも、ちゃんと準備を進めていますからご安心ください。」
「あー、そっちもあったか。」しまったな、と早瀬は呟く。
「まさかお忘れになってたんですか?」
「そういうことは僕も竜杜も疎いから、うんと頼りにしてるよ。」
はい、と頷く誇らしげな笑顔。
「あまり遅くならないうちにお休みくださいね。」
「そうするよ。」
次回も火曜日更新予定です。




