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第十三話

 早瀬(はやせ)とセルファが戻ると宴席の支度が進められていた。

 ルーラとレイユも籠から出て、店主が用意してくれた水を美味しそうに飲んでいる。

 皆が席に就いたところで、店主自らが酒壜を持ってきた。

「オルフェル巡査長から、皆さんへお詫びだそうです。」

 料理もすぐにお持ちします、と再び階下へ消える。

「少なくとも、上司はしっかりしてるようだね。」

 それぞれ杯を持ち上げると、改めて再会を喜ぶ。

 前菜が来て酒が進むにつれ、ようやく皆の気持ちも落ち着いてきた。

「マーギスさまを見て司祭と呼ぶのは、ガッセンディーアの人じゃありません。神舎(しんしゃ)に行かなくとも司教さまがどういう人か、みんな知ってる……とぼくの友人が常々言ってます。」トランは早くも目元をほんのり酔いに染めている。

「だから君、怒ったのかい?」

「間違いを正しただけです。」

「でもその通りかもしれません。」セルファも同意した。

 商売柄いろいろな人と接する彼だが、マイゼル・マーギス司教の悪評は聞いたことがない。司祭の時代から人当たりの良さとわかりやすい説話、それに的確な助言で人望を集めていた。難点といえば司教に決まったとき、南の出身が取りざたされたくらい。いざガッセンディーアの神舎を束ねる地位に就いてみれば、それまでと変わらぬ服装と態度、それ以上の仕事ぶりは好意的に評価されている。

「トランの言うとおり、普段神舎に行かない人でも司祭服のマーギスさまが司教だと知ってます。もっともガッセンディーアで神舎に行ったことがないのは一族くらいですけど。」

「そんな高尚な思惑はなかったんですが……」マーギスは困った表情(かお)をする。

「司祭のときと大きく仕事が変わったわけではなし、それにこの格好は街を歩くにうってつけなんです。皆も気軽に声をかけてくださいますし。」

 しかし、と早瀬が髭をなでる。

「こう外野がうるさいと、言い訳は考えておいたほうがよさそうだな。」

「ええ。顔を合わせるだけなら旧交を理由にできますが、頻繁に手紙をやり取りすれば、今日みたいに言ってくる輩もいるでしょう。」

「禁忌を表立った理由にできませんからね。」トランも認める。

「しかし神舎でも呪術は日に日に問題視されています。おかげでこのたび、ゼスィに面会する許可が降りました。」

「例の、神の砦で呪術を使っていた男ですね。」

「バセオに行ってもらうつもりです。」

「マーギスさまでなく?」

「いささか神舎の内部が面倒なことになってまして……先ほどのカズトではありませんが、中立の私が本舎(ほんしゃ)に行くことは今は避けたいのです。幸いバセオは私が危惧していることも、呪術のこともよくわかってます。」

 マーギスと同じ村で生まれ育った修士のことは、もちろん皆知っている。

「今回は神の砦にも寄って、礼拝堂の神像を確かめてもらうつもりです。」

 カーヘルの平原に建つ『神の(とりで)』と呼ばれる神舎は、創造神を奉る場所では一番の大きさを誇る。かつて竜が暮らした遺跡の上に建つ石造りの建物は、まさに砦と呼ぶのがふさわしいほど堅牢で大きい。年に一度開帳する創造神ルァの姿絵を見るために多くの人が巡礼に訪れ、今年はマーギスも赴いたのである。そこで『呪術』と呼ばれる禁忌を巡る捕り物が繰り広げられたことは、この場にいる全員、周知のこと。

 呪術とは言葉と音で大気を繰り、物事を変質させるまじないのようなもの。今よりずっと大気が満ちていたはるか昔に行われていて、伝説の『黒き竜』が邪悪な存在になったのは、この力のせいとも言われている。それゆえ使うことを禁じられ、ありとあらゆる伝聞が抹殺された……はずなのだが。細々と現代に伝えられていたのだ。

 神の砦で謀反を起こした司教とその警護をしていた男は、不安定な呪術を確実に再現しようと試みていたらしい。 

「セルファ坊ちゃんから、ミヤコさんがあの礼拝堂で不穏な感じを受けたと聞きました。」

 確かに早瀬の家でそんな話をしたが、何か確証があるわけではない。

「ですが一族に近しいミヤコさんが感じたことなら、ただの勘でない気がするのです。」

「でもそれ、リュートは感じなかったんですよね?」トランが首をかしげる。

「彼はそもそも礼拝堂に足を踏み入れていません。ゼスィに幽閉されてましたし、解放されてからも礼拝堂に立ち入ってないはずです。」

 もったいない、と呟くトランに早瀬は苦笑した。

竜杜(りゅうと)もクラウディアも一族だからね。あえて他の宗教神に挨拶しないと思うよ。マーギスは何も感じなかったんですか?」

「生憎、私はそこまで気を感じる力がないようです。」

「だったら、バセオが行ってもマーギスさまと同じ結果になるんじゃないですか?」

「そうとも言えません。彼は見分けることができますから。本当の神と、神の影を。」

「神の影?」

「文字通り、創造神ルァの影ですよ。」

「子供が言うことを聞かないときに親が言うんです。神様の影が来るよ、って。」トランが説明した。

「影って怖いのかい?」

「闇の象徴です。その昔、影は神と肩を並べて歩いていたそうです。けれど影があまりにも悪さをするので、神があるとき怒って影を地上に追放した。以来影は地べたに張り付き、あるいはその身を闇に隠すことしかできなくなった。」

「さすがですね。カゥイ先生。」マーギスが微笑んだ。

「一応、戒める側ですから。」

「ではその影を敬う人たちがいることはご存知でしょうか?」

 トランがハッとなる。

「まさか!だってあれは連合国になる以前に途絶えた……って。」

 その慌てように、早瀬とセルファは顔を見合わせる。

「大昔から現在まで連綿と続く、ルァ神と表裏一体の信仰対象です。」

「宗教……ですか?」

「便宜上そう分類してますが、神舎は認めてません。むしろ忌むものでしょう。彼らは創造神に祈りながら、それ以上の祈りを影に捧げるのです。つまり彼らにとって敬うべきは影であり闇なのです。長い間噂はあったのですが、神舎がその存在を認めたのはほんの十四年前。」

 うん?と早瀬は眉をひそめる。

「十四年前というと……」

「あなたと出会った頃。あの村にいた司祭が信者とわかったのが発端です。」

 マーギスの故郷は十四年前に村人全てが死に絶え、今は廃墟となっている。表向きの理由は流行病だが、実際は原因不明。マーギスはそこで両親と弟家族を亡くし、たまたま村を出ていた薬師見習いのバセオは婚約者を亡くした。しかもマーギスの姪、幼いアンリルーラの死体は見つからず、未だ行方不明のまま。そして村の司祭と思われる男の焼死体が、焼け落ちた村の神舎から見つかったのである。ただし首を切断された胴体だけの状態で。

 トランはマーギスに同行して廃墟となった村に赴き、現場となった神舎の跡も目にしている。

「以前も言ったように、彼……ノイゼット司祭は犯した禁が発覚することを恐れ、逃れるようにあの村にやってきました。」

「呪術を記した禁書を持っていたんですよね?」トランは彼の地で交わした会話を思い出す。

「それは同時に影のための祈祷書でもあったのです。つまり影の祈祷書は呪術を記した本でもある。これは私の推測ですが、あるときある時代、迫害された影を敬う人たちが祈祷書を読まれないよう、あえて禁じられた呪術文字を使ったのではないか、と。」

「司祭はそれを所持していることが発覚しそうになり、田舎に逃げた。しかし、辞令を偽装すればそのほうが罪に問われるでしょうに。」

「辞令は本物でした。」

 えっ!と一同驚く。

「それはつまり、神舎内部に彼を庇う……同じ影を敬う信者がいたってことですか?」それまで黙っていたセルファが信じられない表情(かお)をする。

 マーギスは大きく頷いた。

「辞令を出した者の遺品に、呪術文字で書かれた祈祷書の紙片があったそうです。」

「遺品?」

「村がなくなったのと同じ頃、物取りに襲われて亡くなったそうです。もっとも言えば、村で見つかった死体はノイゼット司祭ではなかった。」

 できすぎた展開に、早瀬は思わず唸る。

「結局、神舎は未だに影の信者の実態を掴めていません。ノイゼットがどのような役割を担っていたのか、そして今も生きているのか……」

「そのことをいつから?」

「私が全てを知ったのは司教に就いてからですよ。」自嘲気味にマーギスは微笑む。

「さすがに本舎も隠し立てできないと感じたのでしょう。」

「それは権力の正しい使い方だろうな。それにバセオの主張は当たってた。」しかし、と空の杯を弄びながら早瀬は考えを巡らせる。

「神の砦に影の神像が紛れ込んでたとして……その元司祭を探す手がかりになるかどうか。」

「われわれが欲しいのは、収監されているゼスィが影の信者だという手がかりです。」


 影が揺れる。

 アニエ・フィマージは立ち上がると、夜風の吹き込む窓を閉めた。

 病人の横たわる枕もとの明りを細くすると、彼女を呼ぶ微かな声。

「お祖父さま、起こしてしまった?風が出てきたら窓を閉めたのだけど……」

 上掛けを直しながら、アニエは寝台に横たわる祖父を覗き込む。

「風の音だったか……」しわがれた声がささやく。

「お祖母さまはもうお休みになったわ。」

「今日……お前の父親が来ていたようだな……何か不機嫌なことがあったのか?」

 孫娘が自分の傍で本を読んでいるときは、たいていそんなときだとワイラートは知っている。

 けれどアニエは「いいえ」と首を振る。

 すでに夜遅いので髪も解き、柔らかな服に上着(ガウン)をまとった格好である。そんないでたちでも年頃の女性らしさを損ねることはないが、どこか幼い頃の闊達な少女の面影を垣間見るのは自分が年を重ねたせいか。

 アニエは椅子に腰掛けると、 

「近いうちに、オーディのご両親がガッセンディーアに戻ってらっしゃるんですって。」

「契約の儀があるから、家に戻れと言われたか。」

 アニエは空色の瞳を丸くする。

「大方予想はつく。世間体もあるからフィマージの家から嫁入りさせたいのだろう。」

「勝手な言い分だわ。」

「そんなにフィマージの家が嫌か?この間もせっかく帰ったのに、あっというまに戻ってきた。」

「嫌ではないけど、居心地は良くなかったわ。」

「年寄りの悪口でも言われたか?」

「セレジュが……聖堂(せいどう)のやり方、一族の存在が古臭いって。自分だって同胞と空を飛んでるのに、おかしいでしょう?」

「だが否めないな。」

「お祖父さまやガイアナ議長が一族や同胞のために働いてきたこと、守ってきたものはわかってるはずなのに。」

「守るというのは、ときに負担になる。その歴史が長ければ長いほど。」

「だったら逃げてるんだわ。それにセレジュは誰かに言われた受け売りをそのまま言ってるだけ。ここはご先祖が竜と一族のために切り開いた場所よ。暮らしやすい南の地を捨てて……そんな場所から竜を追い出すなんて、言ってはいけないことだと……」

「そう、お前は言ったのか?」

「言ったわ。だって本当だもの。」

「それでケンカしたのか?二十歳(いいとし)の弟と。」

「そうよ。」まるで子供のようにアニエは唇を尖らせる。

「それにオーディだったら、その通りだって言ってくれるはずだもの。」

 ワイラートは微笑む。

「お前は……本当に空が好きなのだな。」

「好きよ。空も、竜も、竜と一緒に飛ぶ竜騎士も。だって私は英雄ガラヴァルの末裔だから。」

「それにお前の婚約者は立派な竜騎士の末裔だ。」

「本当に?本当にそう思ってらっしゃる?」

「ああ。」

 その言葉が嬉しくて、アニエは笑顔になる。

「私、クラウディアやリュートもとても竜騎士らしいと思うの。なのにあの子ったら!」

「なるほど。お前の友人も標的になったか。」

「アデル家だって一族の血を引いてるんだし……それにリュートだって立派に役目を果たしてるのよ!なのに……」

 老人の瞳が微かに光を帯びる。

「私、男だったら絶対に竜隊に入ってたわ。」

「そんなことを言ったらダールが悲しむ。」

「そんなつもりじゃ……」

「だが確かに、わしの周りではお前が一番、一族のことをわかっているのかもしれない。」

「いいえ」と アニエは首を振る。

「一番はお祖父さま。その次に議長さま。私はその次くらい。そのくらいがちょうどいいの。」

ネットの調子が悪くて上手くアップできるかわかりませんが・・・連休中、ずっとこんな感じです。

来週も火曜日更新予定です。

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