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第一話

「みゃあちゃん。」

 呼ばれて、木島都(きじまみやこ)は参考書から顔を上げた。

 テーブルを挟んで向かいから身を乗り出しているのは、明るい色の髪と明るい茶色の瞳を持った小さな女の子。曲げ木の椅子の上に置いた幼児用の座面にもそもそ座ると、もう一度、

「みゃあちゃん、あのね。」

「なぁに?」

「みゃあちゃん、りゅーとくんのおよめさん?」

「へっ?」

 まさかそんなことを聞かれると思わず、目を丸くする。

 そもそも、喫茶店で保育園児と女子高生が相席すること自体珍しい。お互い人待ちとはいえ、目の前にあるのは片や画用紙と色鉛筆、そして片や受験用の参考書。しかも都は学校帰りなので、濃紺のブレザーにえんじの色のタイ、ブルーを基調としたタータン柄のスカートという制服姿。自習モードなので、セミロングの髪は邪魔にならないようヘアクリップで留めている。

 しかし相手はそんな都の気合など、どこ吹く風で、

「およめさん、なるの?」

「ああ、えっと……」そうだね、と言おうとしたとき。

「そんなに悩むことか?」

 頭の上から呆れたような男の声。

 見上げると、ワイシャツに黒いエプロン姿の早瀬竜杜(はやせりゅうと)がトレイを手に立っていた。 

「そら、パパから差し入れだ。」

 言いながら、女の子の前にマグカップを置く。

「わぁい、ココア!」

 そして都の前には、ヴィンテージのティーカップをサーブする。

「ミルクティー……セイロンのいいのが手に入ったから使ってみた。」

「いい香り……」

 都は参考書を閉じるとカップを手に取った。そっと口をつけると、広がるほのかな甘味。

「……おいしい。」うん、と頷く笑顔。

「エリも、おいしー」

 両手でカップを抱え込む女の子に、竜杜は「よかった」と笑顔で返す。

「ねーっ。みゃあちゃん、りゅーとくんのおよめさん?」

「ああ、春になったらな。」

「はる?」

「エリちゃんが保育園で一番年長さんになったら。」と、隣のテーブルを片付けに来た宮原栄一郎(みやはらえいいちろう)が言葉を継ぐ。

「もっとわかりやすいとこだと……お雛さまが過ぎたら……かな。」

「そっかー。」

 幼子は納得したのか、一人でうんうんと首を振る。

「もうすぐパパさんの仕事も終わるみたいだよ。それまでぼくが絵本読もうか?」

「いまココアのんでるから、あとでー。」

「そうだったね……と……」

 ドアベルの音に、栄一郎が振り返る。

 すかさず竜杜が動いた。  

 客を席に案内するその様子を、都は目で追いかける。

 短めの黒髪に母親譲りの漆黒色の瞳、そして百八十センチオーバーの長身は、よく見れば日本人らしからぬ雰囲気もある。それに落ち着いた低い声と物腰のせいで、実年齢の二十六より年上に見られることが多いらしい。今日は特に……一昨日からオーナー店長の父親が不在なので「店長代理」の肩書きが効いているように見える。

 かたや厨房を出入りしている宮原栄一郎はジーンズにスニーカー、デニムのエプロンというバイト仕様のいでたち。少し長めの髪と眼鏡が相まって、四十半ばにも関わらずまるで学生のような雰囲気である。

 本業は絵本作家兼イラストレーターなのだが、主夫としての料理の腕を買われ、店長の早瀬加津杜(はやせかずと)が不在のときは手伝いに入るのが最近の常になっている。

 そんな二人が切り盛りするフリューゲルは、駅前商店街が終わろうかという端にある、クラシカルな喫茶店。喫茶店としてのスタートは戦後だが、建物は大正時代の文化住宅を使っていて、そのせいか最近では建物目当ての客も多いらしい。そんな来歴を抜きにしても、ヴィンテージ感たっぷりの木と漆喰(しっくい)に囲まれた、どこか懐かしい空間に魅了される人は多い。

 都自身もそう。

 気がつけば店を被写体にした写真が増え、その中の何枚かは額装されてフリューゲルの店内に掲げられている。それに竜杜が肯定したとおり、春になれば同じ敷地内にある、早瀬家の母屋(おもや)で暮らす予定なのだ。


「あ、パパだー!」エリが椅子から身を乗り出し手を振る。

「あら、都ちゃんも来てたの?」

 先に姿を見せたのは小暮冴(こぐれさえ)だった。

「うん。授業、早く終わったから。」

「定期試験明けだもんね。手伝ってもらえばよかった。」

 ざっくりしたニットにジーンズ姿の冴は、手帳と携帯電話をテーブルに置くと都の隣に座った。華奢なデザインの眼鏡を外し、レンズの埃を払う。

「保護者がそれ言うかなぁ。わたしが受験生って……忘れてないよね?」

「だって男に会いに来る余裕、あるんでしょ?」眼鏡をかけながら、冴はこともなげに言う。

「だから、そういう言い方……」

「栄一郎さん、ブレンド二つ。それと三芳(みよし)さんが二階で片付けてるから、そっちにも差し入れといて。だって、本当のことじゃない。」

「だから言い方の問題!」

「おや、賑やかですね。エリもいい子にできたかな?都さん、こんにちは。」

「あ……こんにちは。」

 まるで壁のようにそびえる大柄な男性に、都は緊張しつつ挨拶を返す。

 彼と初めて遭遇したのは昨日。

 試験が終わり足取りも軽くやってきたフリューゲルに入るなり目に飛び込んできたのは、窓際に飾ったクリスマスツリーにはしゃぐ小さな女の子と、熊のように大きな背を丸めてその相手をする一人の男性。

「試験終わったの?」

 冴の声で我に返る。

 彼女は母・朝子(あさこ)の親友で、母亡き後も家族同然に暮らしている都の実質的な保護者である。普段はランチタイム以外、徒歩五分圏内の、自らが所長を務めるデザイン設計事務所のオフィスにいるはずだが……

「撮影って今日だっけ?」マフラーを解きながら、都は思い出す。

 現場に納入した家具が縁で、輸入代理店のパンフレット作りを手伝うことになったと言っていた。その撮影にフリューゲルの二階を使うと、担当カメラマンからも聞いていたことを。

「明日までかかるかしらね。ミスター、紹介しますわ。」

 それまで背を向けていた男性が立ち上がった。その背の高さに、都はぎょっとする。店を切り盛りする早瀬親子も大きいが、それよりも頭一つ分大きい。肩幅もがっちりしているので、古い縮尺で建てられたフリューゲルの店内が狭く感じる。

 なにより都が身構えたのは、彼が明らかに日本人でなかったから。明るい色の髪に明るい茶色の瞳……彼の足にしがみつく女の子も同じだった。

 都自身、東北か外国の血が入っているのでは?と言われるほど肌が白く、髪の色も茶色気味。けれどこうして対峙(たいじ)すると、小柄で華奢な自分の体型は、立派に日本人なのだと実感する。

「今回のクライアント。輸入家具の販売してる会社の社長さん。」

 相手が背をかがめて大きな手を差し出す。

「ジェイムズ・マクウェルです。この子は娘のエリ。」

 流暢(りゅうちょう)な日本語だった。

「小暮さんのご家族ですね。」

「あ、はい。都です。」

「話は聞いてます。学校の帰りですか?」

「期末試験が終わったから……その……」

「フィアンセに会いに来たんですね。」

「ええと……はい。」

 父親の足元にまとわりついていた女の子が、不思議そうな顔をする。

「ふぃあんせってなーに?」

「婚約者だよ。結婚を約束した相手。」

 そんな説明をした翌日に、まさか「およめさん?」と聞かれると思わなかった。

 しかも五歳児には「みやこ」というのが言いづらのか、気がつけばすっかり「みゃあちゃん」になっていたのである。

「エリねー、みゃあちゃんと、おべんきょうしてたの。」

「ははぁ、クリスマスツリーだね?」

 画用紙に描かれた緑の物体に、父親は目を細める。

「都ちゃんも、昔は色んなもの描いてたわよね。」

「そうだっけ?」

「途中から朝子がカメラ与えて、そっちになっちゃったけど。」

 そんな風に休憩していると、店の奥で慌しく行ったり来たりする気配。それが一段落すると、顔をのぞかせたのは三十がらみの日焼けした男性。

「都さん、やっぱ来てたか。」カメラマンの三芳啓太(みよしけいた)が笑顔で手を振る。

「とりあえず、機材の撤収終わりました。」

「ご苦労さま。後はこっちで片付けるわ。それで確認だけど……」

 その場で冴と三芳とマクウェルの三人は簡単な打ち合わせをする。

「事務所戻ったら今のメールするわ。そっちも年末スケジュールあるでしょうし。」

「ですね。っと、」

 三芳は左手にはめた実用本位のダイバーズウォッチに目をやると、軽く舌打ちする。

「道が混む前に戻れると思ったら……こりゃ微妙だな。ってぇことで、お先失礼します!」

 軽く敬礼すると、そのまま店の裏に停めてあったワンボックスに慌しく乗り込み、自分の仕事場に帰っていった。

「都ちゃんはゆっくりしてなさい。あたしは事務所に戻って一仕事してから帰るから。」

「エリもパパと家に帰るよ。」

「えー!」

 駄々をこねる娘をなだめすかし、マクウェル親子と冴も帰路に着く。

 その頃には客も減り、やがて迎える閉店時間。

 先に厨房の片づけを終えた栄一郎がエプロンを外す。

「都ちゃんは竜杜くん待ち?」

「うん。読めないトコ、教えてもらおうと思って。」

「お友達から、手紙来たんだ。」

 都は頷く。

 門扉(もんぴ)と入り口を閉めに行った竜杜が戻るのを見計らって、栄一郎も退出する。

「今日も忙しそうだったね。」

 外したエプロンを手に、戸締り点検から戻ってきた竜杜を、都は見上げた。

「客が来ないほうが問題だ。それよりも、だ。」

「ああ、えっと、あれはその……いきなり聞かれると思わなくて……」

「何も言ってないぞ。」

「そうだけど……」

 彼が言いたいことはわかってる。エリが「およめさん?」と聞いたとき、都が即座に返事をしなかったのが不満なのだ。

「不満とまで言わないが、もう少し堂々としてもいいんじゃないか?」

「それは慣れてないっていうか……だって婚約してまだ二ヵ月だし……」

「時間は関係ないだろう。最初からそういう前提だったんだ。」

「そうかもしれないけど……」でも……と言いかけたところで、不意に肩を抱き寄せられた。

 気がつけば、間近に感じる相手の息遣い。

「そういうところが都らしいというか……」

「だ、だからそういうの……」

「聞こえない。」

「ずるい……」

「かもな。」

 微笑む漆黒色の瞳に、都は負けを認める。

 拗ねたように目を閉じると、優しい口づけを受け止めた。

どうにかこうにか、6月中に立上げました。

ということで「アルラの門」、連載開始です・・・が、ちょっとまだペースがつかめてないので、当面週一の更新とさせていただきます。

ただ、今回話数が多いので(六十話越えます)どこぞで回転を早くしたいとは思ってます。長丁場になりそうですが、よろしくお付き合いください。

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