幼なじみ
1
「ねえ、かなちゃん、かなちゃん!三時半の休憩に入ったらさ、
ちょっくら、話聞いてよ」
それは、池袋のイタリアン、「イルキャンティー・オベスト」の店内。
私たち、そこで、ホールのバイトをしていたの。
源氏の君が、例によって、甘ったるい声で、こそっと耳打ちしたから、
私、すぐぴんときたわ。
まただわ。
またなんか、女のことで、やらかしちゃったに違いないわ。
この男ったら、本当に馬鹿ね。
ちったあ、学習能力ってもんがないのかしら。
2
裕ったら、幼稚園時代から、ずっとこの調子なのよ。
裕は、私の初恋のひと。
ってか、それもはるか昔、それこそ幼稚園の頃よ?
私たち、本当に仲良しだったから、結婚の約束をしていたわ。
でもね、裕には、当時、婚約者が、ほかに七人もいたのよ。
3
裕ってね、本当に顔が可愛いのよ。
三日月を横にしたみたいな、おっきな二重の瞳。
犬っころみたいな、人懐っこい微笑みを浮かべた唇。
口角が上に上がっていてね。
しかも、性格も、もんのすごく優しいの。
当然のことながら、女にモテる。
でも、なにより、女の子を惹きつけてやまなかったのは、
身体中からにおい立つ、色香ね。
香水をつけているわけでもないのに、いい香り。
いつだって、フェロモン全開だったから、
彼がそばを通るだけで、女の子は、
「妊娠しちゃいそう!」
って、思っちゃうらしいのよね。
若い頃の沢田研二は、そんな感じだったらしいけど、
まさにその通りね。
罪な男だわ、ほんとに。
しかも、ふたご座のO型って、最悪ね。
同時に、何人、女を抱いても、罪の意識ひとつないわけだから。
無邪気なのよ。
そして、果てしなくロマンティスト。
そりゃもちろん、たびたび、トラブルになったわ。
「かなちゃん、僕、女の子って全然わからない・・・」
って、裕は言うのだけど、あんたの方が、よっぽどわからないわ!
4
だから、私、彼に、「源氏の君」って、あだ名つけたの。
「この男はたらしです。危険だから、近づかないように!」
って、警告の意味でね。
あっちこっちで、言いふらしたから、
小学生のときから、みんな、裕のことを、「源氏の君」と呼んだわ。
でも、返って逆効果だったみたい。
「源氏の君」ってあだ名は、彼の魅力を余計に高めてしまって、
女の子をさらに惹きつけたの。
彼女たちは、『源氏物語』の光源氏と重ね合わせて、一層、彼を慕ったわ。
6
そもそも、源氏の君と私は、家が隣どうしなの。
新興住宅地のニュータウン。
産まれたときから、一緒に育ったのよ?
しかも、私が、四月生まれの牡羊座で、源氏の君は、五月生まれのふたご座なの。
私がA型、源氏の君はO型。
私たちの両親が、仲が良くてね。
子供の頃は、よく夏、一緒に、河原へキャンプに行ったり、
冬は冬で、家族みんなで、人生ゲームしたり、ジグソーパズルしたりして遊んだわ。
7
でも、当時、なにより、私たちがはまっていたのは、乗馬だったわ。
春、夏、秋、冬。
私たちは、好んで馬に乗りに行った。
なんでそんな高級な遊びを覚えたか、というと、源氏の君のお父さんが、山梨に馬を持っていたからなの。
アフロディーテという、雌馬だったわ。
源氏の君のご両親は、アフロディーテに会いに行くとき、必ず、私も車に乗せて、連れて行ってくれたの。
とても、お利口な馬でね。
私たちや、乗馬クラブのひとの言うことはよく聞くけど、
他人が乗ろうとすると、さっぱり言うことを聞かないのよ。
アフロディーテのおかげで、私も源氏の君も、小学生のうちに、乗馬検定三級を取れたわ。
目を閉じると思い出す、幼き日の風景。
アフロディーテの背なに乗り、高い目線で見た、青々とした森、広い馬場。
アフロディーテと共に、障害を飛ぶ感覚。
7
・・・でもね。
アフロディーテ、もう、いないわ。
私たちが、小学校六年生のとき、死んじゃった。
産んだ仔馬の身代わりに、死んでしまったの。
知らせを聞いて、冬の乗馬クラブに駆け付けたとき、
アフロディーテの亡骸の傍らに、産毛の仔馬を見つけて、私たち、抱き合って泣いたの。
嬉しかったのか、悲しかったのか・・・。
いまでも、わからないわ。
でも、命ってそんなものかも。
ともかく、私たちは、そのとき、初めて、死に出会い、同時に生に出会ったの。
8
生まれた仔馬は、すごく愛らしかった。
若い私たちは、死よりも、生を見つめたかった。
アフロディーテのお葬式に立ち会うために、山梨のホテルに泊まったのだけれど、ホテルの部屋で、仔馬の名前を考えていたわ。
「ライト。どう?」
私が言うと、源氏の君は、
「light、right、どっち?」
と訊いたわ。
「両方。正しい、という意味のlight、光る灯り、という意味の、right」
「光源氏、そんなに好きなの?」
源氏の君は、あきれ顔。
「なによ!文句ある?
あんたの息子だから、一字、取ったのよ」
「ないよ。かなちゃんが決めることに、文句なんてない」
源氏の君は笑ったわ。
「決まりね、ライト」
「ライトね」