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リート

 アマディアを連れて街中を観光し、宿泊している宿屋に戻ったフィルロスは女将から一通の手紙を渡された。

 女将曰く、昼頃にフィルロスを尋ねて初老の男が来たという。女将が外出していて帰りはいつになるか分からないと告げると、その男はその場で手紙をしたためて女将に預けたとか。


 フィルロスは女将に礼を言って手紙を受け取り、ついでに料理を注文する。

 ここは二階が宿で一階は料理屋になっているのだ。

 フィルロスはアマディアと円形のテーブルを挟みながら座り、料理を待つ間に三つ折りになっていた手紙を開いた。


 アマディアも興味を引かれたのだが、彼女はまだ文字が上手く読めない。

 寒村出身のアマディアが農作や家事に関する事以外を教えられる訳もなく、そもそも彼女のいた村は大人でも文字を読める人間は少なかったのだ。


「……アデルが歌うのか」


 フィルロスがぽつりと呟き、自分の方を興味津々といった表情で見るアマディアに気付く。


「本名はアデライーデという。ビートホーフェン音楽隊という一団のメンバーだが、ソロで歌う事も多い。今回もそれらしく、招待された」

「親しいんですか?」


 尋ねてからアマディアは無用な質問だったと思った。わざわざ招待するのに親しくない訳がない。

 実際、フィルロスは頷いた。


「昔、ちょっと指導して曲を提供した事がある」


 そう言いながらフィルロスは読み終えた手紙を丁寧に折り畳む。


「声楽家として優れていたが、一つ致命的な欠点があった」


 内心に抱いただろう落胆を隠さずにフィルロスは言った。


「あの欠点がある限り一流にはなれないだろう。本当に惜しい」

「……」


 ここまではっきり言われると気になるのが人の心理である。

 そしてアマディアは子供らしく誘惑に弱かった。


「どんな欠点なんですか?」

「……君なら歌を聞けば分かる、かな。子供は純粋だから」


 最初、僅かに答える素振りを見せながらもフィルロスは答えなかった。

 はぐらかされたとアマディアは思い、同時に何としてもその欠点を見付けてやろうという気になる。

 後から思い返せば些か悪趣味であった。




 アマディアが連れて来られた劇場は以前訪れた所より小さかったが、派手な外見で大量の調度品が置かれていた劇場より、シンプルで落ち着いた内装をしているここの劇場の方を気に入った。

 フィルロスが受付で何かを告げると、係員の一人が奥に引っ込む。

 しばらくして、きっちりと制服を着こなした初老の男が姿を見せた。


「これはこれは。ようこそいらっしゃいました」

「アデルの調子はどうだ? 喉を痛めたりしてないか?」

「第一声がそれですか。お変わりないようで嬉しい限りです」


 男は皺の刻まれた顔を綻ばせ、フィルロスの傍らにいたアマディアに視線を移す。

 そこに敵意や悪意はなく、むしろ厚意しかなかったのだが、初対面の相手だったのでアマディアは身を竦めてしまった。


「そちらのお嬢さんは御息女ですか?」

「弟子だ」

「おや。これは失礼」


 男が軽く頭を下げるが、フィルロスは意に介さず、


「一応聞いておくが、彼女も席もあるな?」

「ええ。宿で二人連れと聞いたのでお嬢さんの席も確保しておきました」

「それは重畳」


 フィルロスは男から座席の位置を確認し、足早に劇場に向かう。




「あの、フィルロスさん、さっきの人は?」


 会話に入れず、それまで黙っていたアマディアが尋ねると、フィルロスは「ああ」とどうでも良さそうに前置きし、


「ここの支配人だ。ちょっとした昔馴染みでな。死んだら葬式で一曲演奏する約束を交わした仲だ」

「はあ……」


 アマディアにはよく分からないが、フィルロスなりの敬愛の表現なのだろう。




 支配人が確保していた席は観客席中央のやや後方だった。

 フィルロスの説明によると反響の関係でこの位置が一番良い音が聞こえるという。


 席に座って待っていると、間もなく幕が上がる。

 舞台上には鮮やかなドレスを羽織った女性の姿があった。

 彼女がフィルロスの言っていたアデライーデだろう。

 長く伸びた髪と適度に盛り上がった胸、細い腰回りは強く「女性」を意識させる。

 彼女は目を閉じたまま一礼すると、両手を軽く広げる。

 それが合図であったのか、ピアノの演奏が始まり、アデライーデの歌が劇場内に放たれる。


 それは清流のように透き通った美しい声だった。

 アマディアは川のせせらぎに身を委ねているような錯覚を覚えた。

 迷惑にならないように周囲を伺えばお客も皆聞き入っている。

 フィルロスは欠点があると言っていたが、アマディアにはとてもそうは思えなかった。


 だが、歌が始まって数分後。


『たとえ今日の天気が曇天であっても……』

「……?」


 何だろう。アマディアは違和感を覚えた。

 上手く言葉に出来ないが、何か引っ掛かる。そしてそれは小さな不快感を生む。

 一体何が?

 アマディアはもう一度自分に問いかける。

 彼女の歌声は素晴らしい。だけど、何かがおかしい。


『この青い空の下~息づく緑の大地は……』

「……」


 もしかしてと、アマディアはある仮説を打ち立てた。

 彼女の歌は心が籠っていないのではないか。

 我ながら馬鹿げていると思うが、現状ではそれくらいしか思いつかない。

 一度でも意識して聞くと確かに感情が乗っていないように感じる。

 体調でも悪いのだろうか?

 考えても答えは出ない。


 一つの曲が終わり、また次の曲に以降する。

 相変わらず引っ掛かるものがあったが、数曲後、


『目を閉じれば感じる空気の匂い。ずっと閉じ込めていた心を解き放ち……』

「……」


 先程まであった違和感が消えた。

 自然に寄っていた眉もフラットになる。

 しかし、それが逆にアマディアの困惑を深めてしまった。

 もやもやする。結局、その戸惑いは歌が終わるまで彼女に根付いていた。




 リサイタル終了後、退場する人の波に逆らってフィルロスとアマディアは劇場の裏手にある控え室に向かった。

 部屋の前でフィルロスがドアを二回ノックする。


「どちら様ですか?」


 中から聞こえたのは女性の声だったが、アデライーデの声ではなかった。


「私だ。フィルロスだ」


 それに応じるようにドアの向こうで人が動く音がする。


「よくいらっしゃいました」


 ドアを開けたのは眼鏡をかけた女性だった。

 彼女はフィルロスとアマディアを室内に招き入れると素早くドアを閉める。

 まるで第三者に介入を拒むように。


 室内の中央には四角形のテーブルがあり、そこの椅子にアデライーデは座っていた。


「フィルロス先生……足音が二人?」


 彼女は居住いを正そうとして、怪訝な声を漏らした。


「ああ。今日は弟子も連れてきた」

「そうですか。足音からすると……女の子ですか?」

「御明察だ」


 おかしな会話だったが、すぐにアマディアはその理由に気付いた。

 先程からずっとアデライーデの目が閉じられたままなのだ。


「アデルは生まれつき目が見えないんだ」


 横からフィルロスが補足する。


「あの……その」


 突然知らされた事実にアマディアはしどろもどろになってしまうが、アデライーデは柔和な笑みで、


「はじめてよね? 私はアデライーデ。アデルでいいわ。あなたは?」

「あ、アマディアです。よろしくお願いします」


 慌てて一礼するアマディアの方向を向きながら、見えていない筈だがアデルは笑みを濃くした。


「立ち話もなんですから、先生もアマディアちゃんも座ってください」

「そうさせてもらう」


 そして二人は部屋の隅に置かれていた椅子を持って来てアデルの対面に座る。

 ドアを開けた女性(アデルの説明によればマネージャー兼介助人)が二人にお茶を淹れ、アデルの傍らに待機する。


 最初のうちは互いの自己紹介や近況などの雑談が続いた。

 けれど、会話が一段落し、アマディアとアデルが打ち解けた頃、おもむろにフィルロスが切り出した。


「単刀直入に聞くが、君はアデルの歌を聞いてどう思った?」


 遂に来たとアマディアの背筋が緊張で伸びた。

 いつか質問が来ると思っていたし、歌の感想もある。

 だが、それを正直に言っていいものか。


「……的外れかもしれません」

「構わない。アデルもプロだ。どんな批評でも受け入れるし、むしろ当たり障りのない言葉の方に気分を害する。彼女はそういう事には鋭い」


 ご丁寧にアマディアの逃げ道も塞いでいった。

 ならば仕方ない。アマディアは意を決した。


「心が籠っていない。そう感じました」

「……っ」

「ふふっ」


 アマディアの言葉にアデルの表情には驚きが浮かび、横ではフィルロスが笑いを堪えられないという風に口に手を当てた。


「……初めて聞いた人に看破されるなんて」

「子供は大人と違って変な見栄や体面がないからあっさり本質を捉える。大人はお前の知名度や自身の鑑賞眼への不安、後は金を払ったという事実から目が曇る、いや耳が衰える」


 話の内容に差があれど、二人の反応はアマディアの感想が正しかったと物語っていた。


「やっぱり心が籠ってなかったんですか?」

「そうね。一度もモノを見た事がないから、歌詞に青い空や緑の大地と歌われても実感が湧かないの」

「生まれつき盲目なのだから想像すら出来ない。感情移入して歌えと言われても無理な話だ」

「なるほど……」


 自身の推測が合っていた事が嬉しい反面、アデルの境遇を考えて気落ちしてしまう。

 更に解決出来ていない疑問がある。


「でも、ちゃんと心が籠っていると感じた歌もあったんです。七番目の歌だったと思うんですけど」

「ああ、フィルロス先生に提供してもらった詞ね。視覚以外は健在だから、日射しが暖かい事や水が冷たい事は分かるの。あと、空気に匂いがある事も。だから歌詞次第では心が籠められるの」

「私はアデルが盲目だと知っていたから、作詞の際には視覚に依存する単語を歌詞から省いたり心理表現を多用した。……それでも、生まれつき盲目の人間の気持ちは分からないから完璧ではないが」

「なるほど……」


 疑問が氷解したが、同時に別の疑問が鎌首を擡げた。


「他の作詞の人にはそういう詞を作ってもらう事は出来ないんですか?」

「芸術家には自分本意な人間が多い。詞を作るのは自己の表現であり、自分が素晴らしいと思った歌詞を歌い手の為に変更する作詞家は少ないだろう。そしてそれらの歌はアデルだけが歌うのではないからその判断は正しい」

「そんな……」


 アデルの事を思い、反感を覚えたが、アマディアも自分を優先させないかと問われれば否定出来ない。

 そして何も出来ない自分がもどかしい。

 そこまで考えたアマディアは当のアデルを無視している事に気付いた。

 慌てて彼女の方を見ると、アデルは師弟の会話をにこにことしながら聞いていた。


「あの、すみません。勝手に話して」

「いえいえ。ただ、次は私から先生に聞いておきたい事があるんだけど」

「あ、どうぞ!」


 恐らく彼女にとってはその質問がフィルロスを招いた理由の一つなのだろうとアマディアはおぼろげに察した。


「先生は今日の私の歌をどう思いました?」

「アマディアと同意見だ」


 予期していた質問だったのだろう。

 フィルロスの回答は早かった。


「歌声で何とかカバー出来ているが、聞いていて興醒めだ。心が籠ってなかろうが音楽には変わりない。ただまあ、聴衆が聞きたかった音楽ではないだろう」

「……そう、ですか」


 アデルが持っていたカップの水面に波紋が広がった。

 目に見えて落ち込んでいるアデルを前にして、アマディアは何か言わなければいけない気がした。

 頑張ってください、と言おうとして、慌てて口を噤んだ。

 言える筈がない。既に彼女は精一杯頑張っているのだろうから。


「あの、アデルさん、また聞きに来ます!」


 月並みな言葉しか言えず、これすら彼女のプレッシャーになるのではないかとアマディアは危惧したが、アデルは表情を緩めた。


「ええ。ありがとう」


 アマディアに笑みを送ったアデルは続いて顔をフィルロスに向けた。


「今後も続けたとして、大成出来るでしょうか?」


 アデルの真剣な問いにフィルロスは即答こそしなかったが、


「色眼鏡で見られる事なく、自分の歌唱力だけで勝負したいお前の気持ちは汲む。だが……」


 無理だろうとフィルロスは告げ、アデルは顔に微笑を浮かべて受け取った。

 下手な慰めや存在しない希望を抱かせるような言葉を言わないのは本人の為にならないと考えているからか。

 あるいは、


「個人的な見解だし、視覚が絡まない歌詞ならお前は完璧だ。妥協するなら……」

「それはしません。まだ、上を目指してみたいんです」

「そうか」


 アデルなら折れずに乗り越えられると信じているからか。

 だとすれば信頼されているアデルがアマディアには羨ましかった。


 やがてマネージャーからアデルの帰宅の時間だと告げられた。

 名残惜しかったが、無理に引き留める程の理由もなければ今後も会う機会は幾らでも作れる。

 再会を約束してアマディアはアデルと別れた。




 二人は宿に向けて夜の街を歩いていた。

 ひんやりとした風が気持ちいい。

 ただ、その夜風でも吹き飛ばせないわだかまりがアマディアには残っていた。


「あの、アデルさんは今後どうやっても大成出来ないんでしょうか?」

「自分の作品に感情移入出来ないというのは表現者としては致命的だ」


 そこまで言ってフィルロスは溜息を漏らす。


「故に彼女を未熟だと評する識者は多い」

「何とかならないんですか?」

「……盲目だと周知されれば、彼等の評価は一転するかもしれないな。アデルは望んでいないが」

「……」

「盲目であると公表した瞬間から彼女には好奇の視線が向けられるだろう。純粋に彼女の実力のみを評価しようとする人間もいるだろうが、多くは「薄幸の歌手」という余計な要素を付加する。そうなると彼女の芸術に娯楽、エンターテイメントの要素が加わり、評価を狂わせる。それを良しとする音楽家もいるだろうが、彼女は違う。純粋というか、正当な評価でないと我慢出来ないというか」


 その気持ちに共感出来るアマディアは沈黙するしかない。

 もし自分が演奏をする事になった際、拙い演奏でもフィルロスの弟子だからと評価されれば嫌な気分になるだろう。


「……」


 黙り込んだアマディアを見てフィルロスは肩を竦める。


「悩んでいるようだが、別に答えを出させるつもりでアデルに会わせた訳じゃない。そもそも答えを出すのはアデルであって、彼女は既に答えを出している。私が君をアデルに会わせたのはちょっとしたテストと、友人の紹介。そして世の中には様々な音楽家がいる事を教える為だ」


 更にフィルロスは続ける。


「己の信念を貫き通そうとする音楽家もいるし、客の望む音楽を提供する事を信条とする音楽家もいる。社会的な評価の有無はあるが、本質的に誰が正しくて誰が間違っているという訳ではない。君には様々な音楽家と出会って自分の信じる道を進んでもらいたい。それだけだ」

「……はい」


 きっとフィルロスが言った事が全てなのだろうとアマディアは思った。

 これはアデル自身の問題であって、アマディアが何かを言うのは余計なお節介にしかならない。

 自分に出来る事は応援する事と、彼女の生き方や考えを学んでこれからの糧にする事。

 完全に納得した訳ではないが、アマディアは意識を切り替えた。

 そしてフィルロスに音楽に関する質問をしながら宿への帰路についた。

盲目の歌手というアイデアは元々このシリーズとは関係ない、現代舞台の短編の筈だったんだけど、ネタ的にちょうど良かったんでシリーズに編入。

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