表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/10

エチュード

 これはフィルロスとアマディアがアンネイヴに訪れた時の話。

 音楽の都、楽都とも呼ばれるアンネイヴはその名の通り音楽が盛んで、大通りはもとより、狭い路地にも楽器を演奏する人の姿がある。


「わぁ~」


 アマディアは道を歩きながら今日数十回目となる歓声を溢した。

 大きな街に来たのは初めてではないが、アンネイヴのように街全体が音楽に彩られたような場所は初めてだ。

 彼女は街の全てを目に収めないと勿体ないと言わんばかりにきょろきょろと見渡しながら歩く。


「凄いです!」

「腕のある音楽家には国から幾らかの支援金が出るから我こそはと思う楽師が集まってくる。金自体は少額だが、貰える事が名誉だからな。それでなくとも生まれた時から音楽に接しているのだから趣味にしている人間も多い」

「そうなんですか」


 来る前にある程度の話を聞いていたアマディアだったが、実際に目にすれば実感として理解出来る。

 また、説明するフィルロスもアマディアの素直な反応が心地良かったのか、いつになく饒舌だった。


「この国は地方に楽器作りに適した良質の木が植わっている森が多くある。そんな経緯で元々音楽が盛んだったが、まあ、今のようになるまで色々あった。今の国王の母親も王族でなければ楽聖と呼ばれてもおかしくない傑物だった」

「へえー」

「音楽家だけなく楽器を作る職人の腕も周辺諸国の中では随一だろうな」

「随一……」


 これまでの旅の中でアマディアは知ったが、フィルロスは音楽に関して妥協はしない。

 その彼が随一と言ったなら紛れもなく腕利き揃いなのだろう。


「それだけ優秀だと冒険したくなるのか、職人の中にはオリジナルの楽器を制作する者もいる。楽器として洗練された物を完成させる者は殆どいないが、その独創性は尊重したい」

「独創性……?」

「型に囚われない自由な発想、そして行動。昔は馬鹿にしていたが、必要なのだろうな。それがないと閉塞してしまう。……だが、これはいずれ身を持って体験するだろうから、いつかこんな話をしたという事だけ覚えておけばいい」


 そこで説明を一度区切ると、フィルロスは露店に並んでいた肉に串を刺して焼いた食べ物を二つ買い、片方をアマディアに渡す。

 受け取ったアマディアは早速一口齧ってみる。美味しかったが、周囲に対する好奇心の方が上回っていた。

 現在、彼女の興味を最も引いたのは進行方向から聞こえる大音量の音楽だった。

 音の発生源は広場であり、そこの中央では軽快な演奏に合わせて数人の男女が踊っていた。周囲の観客も手拍子を送ったり一緒に体を動かす者もいる。

 その場に辿り着いたアマディアの体も無意識に揺れていた。


「……良い音楽だ」


 フィルロスの視線は踊っている人々の奥で楽器を演奏している奏者に向けられていた。

 時々音を外したりテンポが乱れたりしているが、それをこの場で指摘するのは野暮だろう。

 アマディアとフィルロスはそれから踊りが終わるまで観賞を続けた。




「楽しかったな」

「はい」


 観衆の拍手を浴びながら楽器を片付けて帰路につく一団を見送った二人は、近くにあったベンチに座って休憩をとっていた。


「ああいう軽快な音楽は聞く専門だったり趣味でやっている人間に人気がある。音楽理論や奏者の腕前など考えず、ただ楽しめばいいからな。それに音楽単体ではなく場の雰囲気を楽しむという面があるから、奏者に求められる技量もそう高くない。聴衆を乗せる才能は必要だが、これとて個人が持っている必然性もない」

「えっと、下手でも良いって事ですか?」

「上手い下手を論じる事自体が無粋な話だ。楽しめればそれでいい。まあ、上手い方が楽しみやすいというのはあるだろうが、何を持って上手いというのか。とにかく、演奏する側も聞く側も楽しんだ者勝ちだ」

「楽しんだ者勝ち……」


 それは酷くシンプルでアマディアにも分かりやすい理屈だった。


「そういえば……」


 フィルロスは何かを思い出したようにマントの中に手を突っ込んでごそごそと漁る。

 そして引き抜いた彼の手には金色の鎖が絡められ、その先には同色の懐中時計がぶら下がっていた。


「アマディア、これからちょっと行ってみたいところがあるが、大丈夫か?」


 時刻を確認したフィルロスがアマディアに尋ねる。

 彼女の体力を気にした上での発言だったが、アマディアはフィルロスが敢えて口に出した用事に強い関心を持った。


「大丈夫ですよ」

「そうか。では行くか」





 二人が訪れたのは都市の中心部に建てられた劇場だった。

 いかにも格式高いという外観でアマディアは気圧されたが、フィルロスが気にせず足を進めるので彼女も慌てて後に付いていく。

 豪奢な入り口をくぐって中に入ると、正面に受付がある。

 いかにも旅人という服装のフィルロスとアマディアに二人いた受付係は顔を顰めた。だがそれも一瞬。すぐさまにこやかな笑みを浮かべる。

 その様子にアマディアは室内の調度品に目を奪われていて気が付かず、フィルロスは気付いたが無視し、受付の前に立つと懐中時計を見せる。

 すると係の人間はたちまち顔色を変え、二人いたうちの片方が受付を飛び出す。


「これは失礼しました。こちらにどうぞ」


 そして二人が案内されたのは二階のバルコニー席だった。

 座席は二十程あったが、彼等以外の観客はいなかった。

 フィルロスは中央の席に無造作に座り、アマディアは戸惑いを見せつつ彼の隣に座る。

 案内した男は所在なさげにしていたが、フィルロスがしっしっと手を振ると一礼して去っていく。

 完全に姿が見えなくなったのを確認してからアマディアは胸中に漂っていた疑問を吐き出した。


「今のは?」

「ああ。さっきの懐中時計は旧知から貰った物なのだが、あれを見せるとこうやって特別待遇を受けられる」


 説明するフィルロスの声は淡々としており、それだけ彼にとってどうでもいい事なのだと窺い知る事が出来た。

 辛うじて事情は把握出来たし、これ以上は聞かない方が良いとアマディアが思った時、舞台のカーテンが開いて公演が始まった。


 舞台上の演奏家が楽器を弾くたびに深く、重厚な音楽が劇場内を満たしていく。

 奏でられる調べはアマディアの心の中に様々な情景を呼び起こす。

 ある時は荘厳。またある時は流麗。

 そして彼女の目には音楽が鮮やかな色を放っているように感じられた。


 終盤に差し掛かり、移ろいゆく曲調に体を浸らせていたアマディアだったが、ふと、横目でフィルロスの方を見た。大した理由はなく、殆ど無意識の行動だった。

 だが、彼女の瞳に映ったものは全く予想外の光景だった。

 自分と同じように音楽を楽しんでいると思ったフィルロスは口をきつく結び、眉を歪ませていたのだ。

 アマディアが首を傾げた時、フィルロスと視線が合った。


「どうした? 演奏は退屈か?」

「え、いやその、難しい顔をしていたので、何でかなって」

「……」


 アマディアの言葉にフィルロスはばつが悪そうに顔に手を当てた。


「君はこの演奏をどう思う?」

「凄いと思いますけど……」

「そうだな。腕の良い音楽家を揃えている。だが、ここの演奏を聞けるのは一部の富裕層だけだ。入場料だけで下層階級の一ヶ月分の生活費にはなるか」


 フィルロスの声には微かな苛立ちが混じっていた


「そして聞く側は純粋に音楽を楽しむより、高い金を支払える自分の立場に優越感を抱いている」


 椅子から僅かに身を浮かせ、一階を見下ろすフィルロスに倣ってアマディアも体を乗り出す。

 席に座る人々は煌びやかな服を身に纏い、指や首には大粒の宝石をあしらった装飾品が光っていた。


「音楽に娯楽性を加えた所謂大衆音楽や軽音楽を低俗だと評する者がいる。確かにそれらの奏者は純粋な技量以外で人気を得ている訳だから分からない意見でもない。だが、多くの人間が触れ、楽しませる事が出来る大衆音楽が劣っているとは思えない。少なくとも一部の人間しか楽しめないのが音楽かと問われれば否定する」


 フィルロスが広場での演奏を引き合いに出したのだとアマディアにはおぼろげに察した。

 確かにここの演奏は素晴らしいし、聞いていて心に感じ入るものがある。その一方で、大通りで見た踊りは難しい事を考えず、純粋に楽しめた。

 両者を比べてどちらが優れているかなどアマディアに決める事は出来ない。


「ただまあ、彼等の演奏が本物なのも事実だ。天性の才能と最高の環境、血の滲む努力が合わさった、な」


 フィルロスの独白は続く。


「そう考えると入場料で高い金を取るのも止むを得ない面もあるのだがな。あの演奏を維持する為には一日の大半を練習につぎ込まなければならないだろうし、そうなると国からの支援金だけでなくここのような場所で演奏して金を手に入れないとな」


 儘ならないものだとフィルロスは小さな溜息を漏らす。


「ちなみに音楽家としての実力は最後から三番目の男が一番だったが、分ったか?」

「……」


 その問いにアマディアは答えられなかった。

 フィルロスが一番と称した男の演奏も覚えていたが、他の演奏者との違いが分からない。

 その男が他と同レベルという訳ではなく、単純に誰の演奏も素晴らしいという感想しかなかったのだ。


「私には、分りませんでした」


 フィルロスに対する申し訳なさと自分に対する悔しさが込み上げ、やっとの事でか細い声を吐き出した。

 一方のフィルロスは「そうか」と呟き、


「今はまだ理解出来なくてもいい。理解するには数多くの音楽に触れて感性を磨き、造詣を深め、音楽家としての己を高めなければならない」

「はい」




 やがて公演も終了する。

 これまで演奏した演奏家達が舞台の上で一礼すると、割れんばかりの拍手が起こる。

 そんな中、目を閉じ、余韻に浸っているフィルロスの隣でアマディアは考えていた。

 今日フィルロスが言った音楽に関する様々な事についてだ。

 しかし中々考えは纏まらない。

 頭の中で形にしようとしてもすぐに弾けてバラバラになってしまう。


 演奏家達が舞台裏に去る段になってアマディアは思考を打ち切った。

 答えを出すには知識や経験が不足している。フィルロスとて物事を考える姿勢を尊んでも性急な結論は望まないだろう。

 それでもただ一つ。音楽を楽しむという事だけは忘れないようにしようと心に誓った。

今回のVIP待遇の話はただ単に、演奏中に客席で雑談するとか周囲に迷惑だよね、というだけだったり。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ