(5)不信の種‐Eine unglaubliche Person‐
せっかく薬師寺丸薬袋と合流できたっていうのに、薬袋が余計なことを口にしたせいでうちの猛者たちが暴走し始めてしまった。
恨むぞ、薬袋。
「薬袋が言った不穏当な台詞をアル君が翻訳してくれないの」
不穏当なのは俺の周りの女子同盟だと思うのですが。
「薬袋って京ことばだったっけ……なんて言ってたの?」
「ウチは2度とは言わへんえ?」
薬袋がさも愉快そうに含み笑いをしてそう言うと、ヘカテーはシャルル、ヴィルアリアと顔を見合わせて首を振った。続いてシャルルも首を振り、後ろでヴィルアリアが首を振るのを感じた。
当然だ。聞き慣れた言葉ならともかく、慣れない音の羅列をたった1回で憶えるなんて限りなく不可能に近い。
ヴィルアリアの腕から力が抜ける。
その手を振りほどいて後方に飛ぶと、勝ち誇ったような顔で笑う。助かったのだから嬉しいに決まってる。だからこれも自然にこぼれた笑みであり、隠された意味などひとつもない。ただ純粋な喜びをこの世の誰にも止める権利はない。
「『まさか……』」
3つの音。1つ目の音は低く、2つ目の音は高く、そして3つ目の音はまた低い。独特のイントネーション。
だが、その声の主はティアラだった。
「『こないな早ようにバレるとは思うておへんやったけどなぁ。少年に裸を見してまで口止めしておいやしたのに、アレも無駄やったかと思うとなんや悲しいわぁ』」
声質以外は完全に同じだった。一字一句、イントネーションまで全て。
自分で言っておいてなんだが、聞き慣れない薬袋の台詞を全部憶えてることにびっくりだ。
「えーっと……『まさかこんなに早くバレるとは思ってなかったけど。少年に裸を見せてまで口止めしておいたのに、アレも無駄だったかと思うとなんか悲しいわ』……ってことね。アルって年上が好みなの?」
「何故そういう話になる」
そもそも最初から濡れ衣だって言ってるだろうが。
「年上とか年下とかの条件で好みはないけど、強いていうなら年下の方が好みだよ!」
実際問題どうでもいいのだができればこの惨劇寸前の空気をどうにかしたいと思って、とりあえず逆の方が好きだと言っておけばこれ以上悪い方向には転ばないだろうという思惑から来る試みだった。
「年下が好きなんですって。シャルルちゃん、今の虚言についてどう思いますか?」
久々に丁寧な口調になったヘカテー。どうして感情的になってるのか――確かめたわけではないから保証はないが、彼女は感情が昂ったりするとそれを隠すためなのか口調が丁寧になる癖がある――原因に心当たりはない。て言うか最初から虚言確定かよ。
「アルヴァレイさんよりも年下と言うと、シュネーちゃん辺りでしょうか?」
シャルルさんよ。お前は知り合いを比較対象にしかできんのか。
「んなわけないだろ」
「アルってロリコンなの? 不潔」
毒々しくそう吐き捨てる紙縒。お前らホント俺の主張なんか虫の声ぐらいにしか思ってないのな。
「さすがに年が離れすぎだと思うし、もうちょっと上で考えとけよ」
と主張すると、
「じゃあ1つ2つ年下ぐらいの女の子ね。……まさかアルってアリアが好きなの?」
「好みの話だっつってんだろ!」
実際に付き合うとか恋人とかの話はしてない。そもそもヴィルアリアは俺の血の繋がった妹だ。
「お兄ちゃん、私はいいよっ」
昔のお前はもっとマトモだったハズなんだけどな。いつからそんな頭のおかしい子になってしまったんだ。
「アルヴァレイさん、アリアさんと結婚するんですか?」
「お前は今まで何を聞いてた」
さっきから俺の台詞だけが空気と同化してるような反応だった。
「アル、実の妹に手を出すなんて不潔。あ、でも見方によってはむしろ他の血を混ぜたくないっていう異常なまでの潔癖ってことなのかな? 軽蔑はするけど」
「お前が言い出したんだろ!?」
「え?」
「首を傾げるな! 本当はツッコミなんか心の中だけにしたいのに、俺の命に関わるだけにそれすらできないじゃねえか!」
「でもこの中にツッコミできそうなのアルぐらいしかいないし。たまに鬼塚とかに対してはヘカテーもツッコミ入れてるけどノリツッコミとなるとホントにアルぐらいしかいないんだよね。ツッコミ役無しでもやれなくないけど、ほら、やっぱりなんだかんだ需要があるからね」
「色々と危うい台詞を簡単に口にするな」
「惜しいね~。それは普通のツッコミ」
「だからするなと!」
確かに紙縒は最初から言うべきことだけでなく言いたいことをズバッというタイプで、俺の印象としてそれは好ましいものではあるのだが、如何せん、度を超すとそれは手に負えないモノに化ける。
「大変そうやね、少年」
お前の本性バラしたろか。
そうすりゃ竜から人への変化の時に服を着てなかっただけだと釈明できるんだから。
それができないのはもちろん薬袋がさっき言っていたことのせいだ。すなわち『本当の姿を知られとうない人がおるのもあるんやけどなぁ』の部分、このことがずっと頭に引っかかっていたのだ。まるでピースが全て揃っているパズルを前にして、そのピースをピースとして認識できないような嫌な気分だった。
「で、アル君。結局、年上と年下とどっちがいいんですか?」
論点そこだったか……?
「ぶっちゃけていうならどっちでもいい。要するに気持ちの問題だろうし」
俺はそこがピンと来ないんだがな。
「でも年齢差に限度ってのもありますよね。アルヴァレイさんは何歳差ぐらいまでなら大丈夫ですか?」
「……今まで気にする機会もなかったからなぁ。ん~、よくわかんないけどせいぜい3,4年ぐらいの差までならギリギリなんじゃないか?」
俺の4歳下と言うと……14歳か。子供だな。できれば下限の方は前言撤回しておきたいけど、今さら変えるのもまたややこしくなりそうだし。
と思っていると、気づけばシャルルとヘカテーが硬直していた。なんか打ちひしがれたみたいな絶望的な表情で『あぁ』とか『うぅ』とか呻き声を漏らして、俺と視線を合わせないように目だけを逸らす。理由はわからないがなんとなく感じた気まずさに俺も顔を逸らすと、ちょうど紙縒と目が合った。
紙縒は何かを言いたげな非難の目で俺を睨むと、下唇の下に垂直に人差し指を当てると音を発することなく口を動かし始めた。読唇をしろということなのだろう。
あまりその手のあると便利程度のスキルに自信はないが、紙縒が言いたいことは要約するとこういうことだ。
『アルは2人が旧き理を背負う者だって忘れてないでしょうね。見た目=実年齢じゃないのよ?』
忘れてました。人外だってのはもちろん意識してたけど、年齢云々のことは完全に抜け落ちていた。
シャルルやヘカテーはこう見えてはるかに年上なのだ。それなのに3,4歳でギリギリと言われたらショックだろうな。
ルシフェルに色々と言われているが、シャルルとヘカテーは既に俺に告白しているのだ。シャルルはかなりぼやかした言い方だったが、それはおいといて。
いや、でもさ――
「お前らが俺より上なの実年齢だけだろ」
ツッコミ調にそうたしなめてから、ピクンッと肩を跳ねさせて呆ける2人を前にして、さらに続ける。
「精神年齢も外見年齢も俺より年下だろうが。そもそも俺はお前らの詳しい実年齢を聞いてないわけだし、年下だって言い張られたらどうしようもないんだからな」
それに聞き出そうともしてないし。
「アル君より精神年齢が低いというのは納得がいきません」
「そうですよ、アルヴァレイさん」
お前ら。大人しく呆けてりゃいいのになんで文句だけはしっかり口に出るんだよ。
「俺の言葉だけで行動停止するぐらい打たれ弱いくせに何言ってんだ、2人とも」
2人は思い思いの反応で怯む。俺はハーッとため息をつくと、
「俺は実年齢とか細かいことは気にしない。さっき言っといただろうが。こういうのはあくまで気持ちの問題だって」
俺にはその気持ちがよくわからない。シャルルとヘカテーが俺に対して恋愛感情を抱いている事実は理解しているものの、実際に自分の方はどうかって考えると、わからないのだ。2人のことは好きだけど、恋人として好きになれるかと言われれば何か違う気もするが、そういうものかと納得できる時もある。考える度に結論が一定しないのだ。
――考えてみるとヘカテーとのキスの経験はあるが、シャルルとはまだない。もしかしたら彼女とキスすれば自分の感情にも何か変化があるかもしれない――
確かにそういうこともあるかもな。経験がほとんどなくて考えてもわからないのなら、経験してみればいい。強引さは時に道を開く、というわけか。
シャルルの顔にそれとなく視線を遣る。
繊細で、線のはっきりとした顔立ち。目はパッチリと大きく、頬は朱色に染まっている。そして、プクッとわずかに膨らんだ桜の花びらのような唇に意識が奪われる。
その瞬間――いけねっ!
シャルルと目が合ってしまった。一瞬で真っ赤になったシャルルの顔を見た途端にイケナイことをしているような気分になり、慌てて顔を背ける。
何考えてるんだ、俺は。シャルルとキスだなんて、そんなことできるわけがない。まだ何も考えられていないのに、シャルルの想いに返事をするようなものだ。ヘカテーを傷つけてしまうし、そういう意図がなかったと言えばシャルルまで傷つけてしまう。
――でも誰も傷つかない恋なんてない――
そう誰も傷つかない恋なんてないんだ……ってあれ? 俺はまた何を考えてるんだ? 経験もないからそんなことわかるわけないのになんでそんな思考が出てくるんだ?
――自問自答の中で自分を客観視できる時点で既に人の域を外れてると思う――
そう、これは自問自答。自分が無意識の内に求めている答えを求めるのに最も有効な方法のひとつ。
それなのに……さっきから俺の思考回路に割り込んでくる俺の声はいったい何なんだ?
――あれ? 気づかれた? まさか気づかれるとは思ってなかったけど。さすがルシフェル姉様が目をつけただけはあるね。さすがだよ、アルヴァレイ=クリスティアース。でも気づいちゃったかー。つまり私の計画は全て破綻したということなんだよ――
ルシフェルの名前がなんでそこで出てくるんだ? お前はいったい誰なんだ?
――バレちゃったんなら仕方ないから名乗ってやろうと思うけれども、私は『魔界の真理』ルシフェル=スティルロッテの中より生まれ、『ティーアの悪霊』第9人格としての居場所を経て、今はお前の中にいる別人格『色欲』のノイン。ルシフェルの賭けに負けたのは悔しいけど、まあこっちもこっちで面白そうかな。あ、ちなみに私のことをルシフェル以外に話そうとしても無駄だよ。私が中から止めるから――
賭けってどういうことだ? いつ俺の中に入った? 何故俺の中に入るんだ?
――質問が多いのは感心しないね。無駄によく喋る男は軽薄だと思われるよ? いつ入ってるかはもうわかってるくせに、もちろんルシフェルとのファーストキスの時だよ。賭けについては話せないことになってるんだ。それがルシフェルとの取り決めでね。何故入ってるかも教えらんない。これもルシフェルに口止めされてるんだ。それよりいいのかな、アルヴァレイ=クリスティアース。私との会話で思考の迷路に入り込んだままボーッとしてるから、周りの皆から不審に思われてるよ?――
「え?」
気がつくと、視界が揺さぶられていた。
「む、気がついたか、小僧」
「てめぇ何してる、鬼塚」
なんか息が苦しいと思ったら、鬼塚に服の襟を掴まれて、吊るされていた。
「貴様の反応がないと『悪霊』に頼まれてな。だから吊るした」
だから吊るした、じゃねえ。あと少し気がつくのが遅かったら死んでたんじゃねえのか、俺。あとそこで『私は悪霊じゃありません』とばかりに鬼塚の右手首を締め上げてるヘカテーさん、反応ないからって鬼塚に頼むな。命に関わる。
「下ろせや」
下ろされる。
「さっきはどうかしたの?」
紙縒が鬼塚を脇に押し退けながら、そう訊ねてきた。
「いや、考え事をしてただけ」
「命に関わる集中力ね」
「ヘカテーが普通に起こしてくれりゃ別に命懸ける必要ないんだけどな」
俺がため息をつくと、ヘカテーが睨み付けてきた。そして、フンと鼻を鳴らしてそっぽを向く。悪いの、俺かよ。
「そろそろここも信用できへんさかい、ウチの船まで来てもらいますえ。とりあえず話はそれからや」
こっちの騒動の間中リクルガと何事か話していた薬袋が、音頭をとって手招きしながら歩き始める。
「ところでいつのまにか増えてるソイツは誰なんだ? 紙縒」
薬袋について反対側の大扉まで歩きつつ紙縒にそう問いかけると、
「私、リリス=イージスエイル=初音。衣笠が信用してるっぽいから一応私も名乗っとく。呼び方はリリスでも初音でもどっちでもいいよ。ちなみにファーストネームは一応リリスの方ね」
「じゃあ呼びやすそうだし、遠慮なくリリスって呼ぶよ。俺はアルヴァレイ=クリスティアースだから……まあ紙縒みたいにアルって呼んでくれていいよ」
「じゃあアリスで」
「お前の知り合いには俺の名前をまともに略そうとする奴はいないのかよ」
アプリコットの『アイ=アス』といい。しかもアリスはどこぞの『理解を越えた珍獣』さんともろに被ってる。
「わかったわかった。じゃあこれからはアルって呼ぶね。よろしくね、アル」
チェリーみたいに性格悪い奴じゃなくて良かった。
「おう。よろしく。……なんかアレだな。リリスとか紙縒みたいな可愛い女の子に名前で呼んでもらえるのって、気恥ずかしいけど、嬉しくなるな」
「衣笠、これは確信犯なの?」
「ううん、素で言ってる天然さん」
この2人は何を言ってるんだ?
「私の同僚かな。つまり未来から来たんだけどね。あんまり他の人には話さないで。アルにだけ話しとく」
「だからって1人増えてるのを誤魔化せる訳じゃないだろ?」
「うまくやるわ。薬袋の言ってる船とやらに着いたら話すわ」
そういえば船って言ってたっけ。よく考えたら、船にはあんまりいい思い出がないんだよな。薬袋とブラズヘルの軍に襲われた時もそうだし、デルスカラーに襲われたこともあったし。
――船!?
「船ってどういうことだ?」
「……薬袋の持ってる船ってことでしょ。この近くに停めてあるんじゃないかな。それがどうかしたの?」
「ここ、内陸だぞ」
「あ」
紙縒がたった今気づいたと言うように、足を止める。
その瞬間、俺の脳裏をルシフェルの言っていた言葉がチラッとよぎった。
『気をつけて。薬師寺丸薬袋の本当の名前はミーナ=リリー=ドラグメイデン。呪われた目を持つ竜乙女だからさ』
「そう言えば康平が前に言ってた」
「康平クンが? 何を」
リリスが真剣な面持ちで促すと、紙縒は少し思案するような顔になり、
「薬師寺丸薬袋を信用しすぎないで、っていう声が頭の中で聞こえてきたらしいの」
頭の中で声……ってそれまるでルシフェルみたいじゃないか。
「ルシフェルも警告じみたこと言ってた」
「ルシフェルも?」
薬師寺丸薬袋、本当に信用してもいいのか。
「他に何か言ってなかったの?」
「えっと……詳しいことはラクスレルに行ってみればわかるって言ってたような……」
キスのインパクトが強すぎたのと、直後の筋肉神暴走のせいでそれぐらいしか憶えてないのだが。
「ラクスレル……ってどこだったっけ? リリス、第一世界の地理情報持ってる?」
「ラクスレル……ラクスレルの原生林のことね。ここから北西にずっと行くとあるナトゥーア自然保護区域の」
「ああ、あそこね。思い出したわ」
紙縒はポンと手を叩くと、再び思案顔になる。そして、リリスに顔を向けると、
「チェリーにこのことを話しておいて。私も少し考えてみるから、2人とも一応武装待機してて。よろしく」
そう言ったきり、うつむいたまま黙り込んでしまった。