(2)爆走‐Die maximale Geschwindigkeit‐
「ねぇ、アル君。紙縒たち……ホントに大丈夫かな?」
揺られる馬車の中、ヘカテーが馬車を引きつつ爆走するソレから意図的に目を逸らして心配そうに俺に訊ねてきた。んなこと言われても俺には無難な答えしか返せないって、言わなくたってわかってるだろ、お前。
「アイツらは未来から来たって言ってたし、事情があるんだろ。あんまり気にしなくても大丈夫だろ。紙縒もアプリコットも強いから、そういう意味での危険もないし」
馬車の壊れかけた御者席に静かに腰かけるリクルガのさらに前、不気味に蠢くソレから目を背けつつ、俺は無難な答えを返した。
ティアラとシャルルは何故か興味津々のようだが、その他のヘカテーや俺を始めとするルーナ,インフェリア,リクルガは揃ってソレから目を逸らしている。ある意味一番重傷のルーナはある意味一番軽傷――つまり目を背けてはいるものの気にしていない様子――のインフェリアをぎゅううぅっと強く抱き締めたまま、馬車の後ろでうずくまっている。
さっきから『暑いのじゃが』『重いのじゃが』『痛いのじゃが』とあきらめたようにぶつぶつと呟き続けているインフェリアには可哀想だが、もう少し付き合ってやってくれ。今まで見たことがなかった上に、中身は野生の動物であるルーナにはちょっと厳しいだろうから。
ちなみにヴィルアリアは疲れているのか、リクルガの背中にもたれ掛かるようにして眠っている。
アレの登場は助かってるっちゃ助かってるんだけどな。見かけによらず速いし、鬼塚が引くと筋トレしながらだから異常に遅くなるからそれよりは絶対マシなんだけど……。
「鬼塚ぁっ! なんでアレがこんなところにまで来てるんだよっ!」
馬車の左隣を同じ速さでバック走している相も変わらず規格外の筋肉馬鹿は、筋肉質な太い首を傾げつつ少しだけ馬車に寄ってくる。
「何か言ったかアレアレイ」
「人の名前を間抜けに改造するな。なんでアイツがここまで来てるんだよっ。お前についてきてるんじゃねえだろうなっ!」
リィラ不在につき、その役目は俺が果たす。すなわち鬼塚に対する追求だ。
「アイツ……?」
鬼塚はやけにゆっくりとした動作で俺の指差す方に首を回していき、俺と目をまっすぐ合わせるように止まった。
「俺の首はここまでしか回らないが」
「前向けやッ!」
思いきり左肩を蹴り飛ばすと、鬼塚はわずかによろけつつ一回転し、馬車の進行方向に身体を向けて、バック走し始めた。
みるみる内に遠ざかっていく鬼塚を呆然と見送り、
「……もうバカとかそんな程度で済まないだろ、アレ……」
とため息をつく。
既にはるか後方で小さくなっている鬼塚から目を逸らすと、再び前方でウネウネと蠢くソレを見てしまい、再びため息をつく。
「呼べば来るんじゃない?」
ヘカテーの提案に思案して、
「声が届かないだろ」
「だからほら、『筋肉』って」
どどどどどどどどどどどだかだかだかだかだかだかっ!
「俺を呼んだか!?」
どんな耳してんだよ。
「呼んだから土埃立てるな。親指立てるな。無駄に白い歯を見せるな」
ルーナが土埃吸ってケホケホ咳き込んでんじゃねえか。
「で、鬼塚。なんでアイツがここにいる」
今度はちゃんとした(?)前向き姿勢で走っている鬼塚に馬車を引くソイツを指し示してやると、
「マッスルタイガーだ」
「アレの何処に『タイガー』の要素があるんだよ!」
ツッコミを口に出すなんて以下略。
「思い出したぞ。この世に顕現する神の内最も高貴でかつ最高位に位置する、地を縦横無尽に駆け、空を自由自在に飛び、水中すら電光石火で泳ぐ我が友にして唯一の好敵手。筋・肉・神だ!」
「空は飛べねえだろ」
しかも前置き長い上にコイツ唯一の好敵手の名前を忘れてたよな。
今の今までは名前すら伏せてきたが、鬼塚が空気読まずにその名を口にしたために隠すこともできなくなった。
今現在、この馬車を引いているのは『衝撃的配色の筋肉イカ』もとい『筋肉神』だ。
相変わらず気持ち悪い。なんか前に見た時より大きくなってる気もするし。
「シャルル、そんなもんベタベタ触るな、汚れるぞ。ティアラ、気味悪い触手握りしめたままヨダレ垂らすな」
「だってこんなに可愛いのに」
「だってこんなにおいしそう」
よし、2人とも無視しよう。ティアラなんかいつもの珍妙な喋り方が完全に吹っ飛んでるし、シャルルの『可愛い』の基準が外れてるのもそういや前からだった。
視界の端に蠢く気持ち悪いウネウネにモザイクをかけて、俺はヘカテーに向き直る。ルーナ精神的ダメージにより行動不能、インフェリア物理的拘束により行動不能、ヴィルアリア睡眠状態につき行動不能、リクルガもたれ掛かられているという物理的精神的拘束により行動不能、鬼塚理解不能のこの現状、心の安息が望めるのはヘカテーくらいだからだ。
そう思って見るとヘカテーは、無造作に荷台に置かれた皮袋をジッと眺めていた。その中からは馬車が揺れる度にガチャガチャという金属音が聞こえてくる。
「直りそうになかったら、新調しなきゃいけないかもな……」
「そうだね……」
その中には10歳の頃から苦楽寝食その他を共にしてきた俺の相棒、の残骸――先端が切り刻まれた鉤爪と刃が見事に折れた短剣――が入っている。
今まで刃こぼれはあってもここまで壊れたことが無かったから、鍛冶職人に直接聞いてみないと直るかどうかがわからない。ちょっとした刃こぼれくらいなら我流の手入れで研ぐだけで綺麗になったので、そういう職人に世話になったことがなかったのだ。リクルガの話ではもうすぐ薬袋と合流できるらしいので、落ち着いてから最寄りの街に行ってみる予定だ。
「そろそろ戦技だけじゃキツいかなぁ」
リィラと斬り結んで解ったが、シャルルのように時間をかけてよほど熟達していないと、いざ修羅場になった時戦技だけでは厳しい戦いを強いられてしまう。剣技と戦技、近接格闘ぐらいだったらまだいいが、リィラのように魔弾や魔術をかじっている戦闘職が相手では、立ち回りが非常に難しいのだ。
「どういうこと?」
気がつくと、ヘカテーは首を傾げ、俺の顔を覗き込むように見つめていた。
「いや、あんまりやってなかったんだけど、やっぱり魔弾や魔術も使える方がいいのかな……って思って」
「魅了とか?」
「何の話をしているか。戦う時用の魔法の方だ。誰か教えてくれる奴がいればいいんだけど……ってヘカテー、お前魔法とか使えたっけ? あんまり見たことないけど」
ルシフェルの身体能力が残ってるからって言ってたし、基本的には近接の肉弾戦ばっかりだったからな。
「う~ん……一応魔術の方は使えるんだけど……」
聞けば魔弾以外なら、戦闘用の身体強化魔術や攻撃と日常生活どちらでも使える魔術など、色々知っているみたいだが、あまり乗り気じゃなさそうな様子だった。
「たぶんアル君には使えないと思うの。私が使える魔術は全部、旧い時代の魔法だから」
そう言われれば、昔の魔法は今の時代の人には使えないとかって話があったっけ。
「そう言えば……えっと、なんだっけ?」
シャルルが前に使ってた空間転移魔法の詠唱文、一時期憶えてたんだけど……。
「……行きて、来たりて、開けよ、扉……汝は、我の、帰る道、我は、汝が鍵を、持ちし者、なり、だったっけ?」
何も起きない。そりゃそうか、前に暇だったから唱えてみたけど、その時も何もなかったし。別に期待なんかしてなかったよ。一度くらい使ってみたいな~とか、使えたらカッコいいよな~とか思ってないから。別にシャルルが羨ましいとか一度も思ったことないんだからなっ。
「アル君、それ、切らずに言ってみて」
「は?」
ヘカテーは急に真面目な顔になって、グッと顔を寄せてきた。
「ど、どして?」
「今、ちょっとだけ空気中の魔力が不自然に動いたの。ち、近くに、アル君の近くにいる私の他には気づけないくらいちょっとだけだったけど」
「俺は何にも感じなかったけど……」
「アル君は魔法に関しては無能だし、慣れてるわけでも慣れようとしてるわけでもないし、人の気配も気づけないアル君が魔力の気配を追おうなんて100万年早いし! ニブいし、鈍感だしっ、天然だしッ!」
ヘカテーさん、酷い言い草っすね。しかも最後の関係ねえだろ。
「いいから早く!」
わからない。なんでヘカテーがキレたのか、理由が全然思い当たらない。
キレている当の本人は、アプローチに気づかない今までのアルヴァレイを思い出し今頃になって腹が立ってきたのだが彼がそれに気づくことはなく、むしろそれにすら気づいて貰えないことで半ば自暴自棄気味に怒りを増長させていく。ただ現時点では彼にとって不運なのか自業自得なのか判断しかねるのう、とルーナの腕の中で身動きのとれないインフェリアは暇潰しにそんなことを考えていた。
「えっと……よし、言うぞ。『行きて来たりて開けよ扉。汝は我の帰る道、我は汝が鍵を持ちし者なり』」
途中、詠唱文が合ってるかどうかが不安になったが、次の瞬間その不安がただの杞憂であることを証明するように、直径5センチ程の魔法陣が目の前に現れた。そして、迫ってきた。
「え?」
まさかの空間固定式かよ!? とツッコむ暇もなく、俺の顔は魔法陣の中に突っ込んだ。
一瞬で視界が変わる。
皆の姿は完全に無くなり、目の前には自然色代表格の緑色が広がっていた。
「……何やってんの?」
「お前っ!」
緑色に染まる世界に突然赤い何かが、いや誰かが現れた。
よくよく見直す必要もない。ズレる眼鏡もなければ視界がぼやけているわけでもない。明瞭な視界の中に現れた目立つ血のように紅い髪と瞳を持つそいつは、間違いなくルシフェル=スティルロッテだった。
「うわっ!」
メゴッ。
「ぐはっ!」
飛び退こうとしたその瞬間、鈍い打撃音がして、腹に激痛が走った。
「アハッ♪ いきなり飛んできたかと思えば人の顔見て悲鳴上げるなんていい度胸だね、アルヴァレイ=クリスティアース。今のはそのお礼と奇跡を乱用するお前への警告を兼ねた鉄拳制裁だよ♪」
「相……変わらずだな……ルシフェル」
「いやいや、私が変わってなくてもお前は変わってるから『相』変わらずにはならないよ♪ くひひっ、私の意図がわからなくても意味は自分で考えな。お前に古い魔法が使えた理由も合わせてね♪」
「ここ……どこだ?」
『相変わらず』訳のわからないことを言うルシフェルを無視して周りを見回すと、どこかの木の上のようだった。ていうか枝の上。後少し気がつくのが遅かったら落ちてるところだ。
「街道沿いの木の上だよ。お前らの乗ってる馬車の後方8メートルってところかな」
近っ。ヘカテーが最近帰ってくるのを待とうって決心するまでずっと悩んでた人騒がせな馬鹿の現在位置近っ。
「あ、そうだそうだ。お前の短剣、許可無しにへし折ったのゴメンね~とか一生に一度は言ってみたいよね♪」
「アレお前のせいかよ!?」
確かに不自然な折れ方だと思ってたけどさ! 最近手入れしてなかったからかなって、ちょっと反省してたのに! しかもお前さりげなく謝ってねえし!
「アハハッ♪ 全くアルヴァレイは何を言ってるのよ。私がそんな酷いことをするような女じゃないってことは、あなたが一番よく知ってるでしょ?」
「いつもの馬鹿にした口調ぶっ壊してまで取り繕うんじゃねえよ! なんだ今のめちゃくちゃ女の子っぽいルシフェル! 鳥肌立っちまったじゃねえか!」
しかも誰だ、そのどこぞのアルヴァレイ君は。酷いことをしないルシフェルって名前の女を知ってるなんて、なんて幸せな奴なんだ。そんな奴がこの世にいるのか。
メゴッ。
「ぐはっ!」
鳩尾に形容できないぐらいの激痛が走る。
「私、女の子」
「わ、わかった! お前は女の子だ!」
性格は女とか男とか関係なさそうなくらいえげつないけどな。
メゴッ。
「……死……ぬ……」
鳩尾に以下略。
「私、心が読める女の子」
すいません。勘弁して下さい。
メゴッ。
悲鳴や呻きすらあげられない。
「ヤダって言いたいけど、ヤダ」
言ってるじゃん。
「まあ、冗談はこんぐらいにして♪」
見てみろ諸君。冗談で人が死ぬ。
「まあまあそう言わずに、殴られたくなかったら人の話を聞くことをおすすめしておくよ♪ これ以上殴ったら死にそうだし」
「……なら最初から殴るなよ」
「ヤダよ。殴らないと私死んじゃうし」
お前が殴ると相手が死ぬだろうが。
「そういう運命だったんだよ」
お前の人殺しを運命でごまかすな。
「まあ、本気の冗談をあんまり本気にしないでよ」
「冗談か本気かどっちなんだよ。ヘカテーが大嫌いとか言っといてなんだかんだ心配で目が離せないくらい過保護なくせに」
ルシフェルは一瞬きょとんとしたような表情になると、いきなり笑い始めた。
「アハッ♪ わかってるじゃん、私の本心。もちろんヘカテーのことは今も昔も大好きだよ。嫌いになる理由もないし、好きにならない理由もないはずなのにね。人の好き嫌いなんて理由で計るモノじゃないけどさぁ♪ やっぱり心の揺らぎなんていつ起きるかわからないから、心を計れる形にして表面上に出したいんだよ。自分の心に確信が持てない私も、人の好き嫌いがわからないお前も、どちらも自分の心の形がはっきりしなくてわからない……」
ルシフェルはクスクスッと笑った。そしてその瞬間、彼女の身体がゆらゆらと揺れ始め、瞬く間に形を変えた。
ヘカテー=ユ・レヴァンスの外見に。
「でも心の形がわからない私たちにも表面上心を示すことができる」
ヘカテーの顔で柔らかく微笑んだルシフェルは、俺の肩をいきなり掴んだ。そして――グラッ。
俺の身体を斜めに傾けてきた。
もちろんそこは枝の上。バランスを強制的に崩された俺は、崩した張本人のルシフェル共々真っ逆さまに落っこちた。
「うわわわっ!」
と叫ぶのも一瞬のことで、俺は背中から地面に叩きつけられる。
が、痛くなかった。ルシフェルは俺の上に乗っているが、笑っているから何かしてくれたのかもしれない。
「私の心の形を変えてみせろ♪」
グッと人外の力で上から押さえつけられた俺が顔をしかめ、次に目を開いた瞬間、至近距離でヘカテー、いやヘカテーの姿をしたルシフェルと目があった。
そして、唇に触れる柔らかい感触。
いつのまにか後頭部にまわされていたルシフェルの優しい手つき。
長い時間。
ルシフェルは俺と唇を重ねていた。
俺は唐突に息をするのを忘れていたことに気づき、ルシフェルの肩に手をあてがって、ゆっくりとその小さな身体を持ち上げるように押す。
「ルシフェル……お前、どうして……」
「共鳴反応が止まらなくってね。やっぱり私とお前は近づきすぎたのかもしれないって、ティーアで下手に出会っちゃったのを後悔もしてるんだよね」
らしくない弱々しい声で呟く。前にも一度見たことのある彼女の姿だった。
静かに元の姿に戻ったルシフェルは、どこか儚げな印象を受ける。
何故だろう。儚さなんて、ルシフェルに一番似合わない形容なのに。
と言うより、この儚く弱々しいルシフェルと、いつも見ていたような残酷で愉快犯でもってまわったような言い方の毒舌を振りまくルシフェルのどちらが本当のルシフェルなんだろうか。
「薬師寺丸薬袋に会うんでしょ?」
「ああ、うん。馬車に戻れれば」
道に出て、馬車の姿を目で追うが。
「あいつら、薄情だな。置いてくなんて」
「まあ、私が送ってってあげるよ。今まで通り、皆には黙っててね。それよりも気をつけて。薬師寺丸薬袋の本当の名前はミーナ=リリー=ドラグメイデン。呪われた目を持つ竜乙女だからさ」
「は? それどういう……」
「詳しいことはラクスレルに行ってみればわかるよ。あそこには竜乙女の里と……」
パチンッとルシフェルが指を鳴らした瞬間、俺の足元に魔法陣が広がった。こいつもこいつでどうやって魔術を使ってるかわかんないし。
そして、紫色の光に視界が塗り潰される瞬間、ルシフェルの声が聞こえた。
「ヘカテーの家があるから」
ヘカテーの家!?
「今回は偶然の、ううん奇跡だったけど、今度は私の方から呼ぶよ。じゃあね」
輪郭がぼやけたようなルシフェルの残像が白い光の中に見える。そして光もその残像も消えた後の俺の目の前には。
「……!?」
ウネウネウネと触手を振り回しながらぬめるような動きで向かってくる筋肉神。
すかさずきびすを返し、全力疾走を始める俺。
ちくしょう。無駄に触手広げて走りやがって、横に飛び退いても100パーセント轢かれるだろ。前門に何かあるわけではないが、全身筋肉痛でピクリとも動けない未来の俺が見える気がする。もちろん後門は筋肉神だ。ただでさえ見たくもない上に重量級の爆走状態で物理的破壊力も倍増。今さらだけど、こいつあの鬼塚と互角(?)に渡り合ってんだよな。
基本的に世界は残酷だ。なんでか俺にだけ冷たいような気もするが、神様は俺を不運の星の下にでも置いてくれやがったのだろうか。今すぐ吹き飛べそんな星。
俺、死ぬかもしれない。
そう思った瞬間に、足元の石につま先が引っ掛かった。俺はこの石以下かよ。
「やっぱアイツ性格ねじ曲がってんだろ~~~~~ッ!」
俺の断末魔は街道中に響き渡り、それを聞いたルシフェルのほくそ笑む姿が走馬灯の代わりに見えた気がした。