(27)復活‐Die Rückkehr des Königs‐
かなり遅れてしまったことをお詫びします
――起きて、目を覚ましてなの。狂悦死獄――
誰だ……我が超大なる古名を呼ぶのは。
――私はトリエル=レツィンデル。えっとえっと……原理は名にあり、『傾歌の至宝』。とりあえず目覚めを推奨するの。目覚まし時計はいる?――
その声……幼い少女のもののようだが、なぜ我を起こそうとするのか。否、なぜ我を起こすことができるのか。
「貴様は誰だ……!?」
久々の生身の感覚に戸惑いながらも、マリス=ドストリゲスは目の前にしゃがみこむ少女を見上げて問いかけた。
「何度も言わせないで欲しいのね。お前の封印を解いたのはこの私、『傾歌の至宝』トリエル=レツィンデル。感謝すべきで質問は拒否するの」
質問は拒否する、だと? 我が問いに答えないか、それもよかろう。
上半身を起こそうとして、右腕がないことに気がついた。ため息混じりに左腕を地面に突き、身体を起こす。
「貴様、我を知るのか?」
「質問は拒否すると言ったはずなのだけど、そのぐらいならまあいいの。答えは、もちろん。お前の名はマリス=ドストリゲス。呼称・自称共に狂悦死獄。『狂王』と呼ばれることもあったね。必要ならプリントアウトするけど欲しい? その質問は4割から5割程度、記憶を失ってる奴の台詞だから……ってグリモアールの昔の論文に書いてあった」
よくわからないことばかりを口にするこの少女、我が古き友にして仇敵アゼルの封印を解いたと言っていたが、アレには膨大な魔力を用いるはず、人の器でそれほどの魔力を有しているのか。
なればこそ、その魔力喰らい尽くすのも我が覇道の一。
「まあ、そんなのは些細なことですから~。とりあえず本題に」
「眠れ」
「は……い……?」
少女はぐらりと揺れると――ドサ。
そのまま横に倒れ込み、すやすやと静かな寝息をたて始める。
『誘眠』。
あらゆる余分な構成を廃し、言葉だけで最低限の効果だけを生じさせるために改良した効果時間わずか10秒足らずの催眠術式。センスの有無により使用者の限られる、言の葉を用いた高速魔法だった。
そして5秒もあれば魔力を喰らうには十分すぎる時間がある。
「『我は全てを奪うものなり、全ては我に奪われしものなり。嘆き悲しむ人の子よ。汝が魔力を憂いて喰らう』」
その詠唱の言葉と共に、左掌底に魔法陣が浮かび上がる。
「『魔力掌握支配』」
倒れ伏す少女を仰向けにし、その左胸、ちょうど心臓のある部分に魔法陣を押し当てる。
「無駄なの」
ピクッ。
突然の声に身体が勝手に反応した。
少女は目を閉じたままゆっくりと身体を起こすと、パチッと目を開けた。
「私のこの身体に魔力なんて存在しないのね。別にあげてもいいけどこの身体にはないというだけだから勘違いはしないで欲しいの。そんなことよりいくら人外とはいえ眠る女の子の胸を触るなんて論外だとは思わないの?」
「確かに、我が術式は触れた時点で効果を持つ。貴様に魔力がないというのは真実だと承認した」
「いくら人外とはいえ眠る女の子の胸を触るなんて論外だとは思わないの?」
どうしても後者を承諾させたいようだ。
「理由を聞く理由も無し。知らぬ者は知れ、知る者は」
一度言葉を切ったその瞬時に、少女の足下に魔法陣を展開する。
「死ね」
少女の足下の魔法陣から巨大な蔓草が異常な速度で生え出て――ズンッ。
腹部に激痛が走った。
「な……」
少女は無傷。
詠唱者の我が、なぜ肉裂薔薇に貫かれているのか、理解不能だった。
そして、目の前の少女は、笑っていた。
「えーっとー、確か……『恐れ襲われ震えよ、肉裂薔薇』」
本来ならば我が言うべきその追加術式を、目の前の少女は口にした。
そして、術式はその言葉に従った。
小刻みに震え始めた蔓薔薇は我が臟腑をかき回し、相応の苦痛を強いる。ただの人なら最初の貫通だけで死ぬような致命傷に、喉から空気の漏れるような音が聞こえてくる。
「これで死なないなんてさすがなの。分類上は人だけど、とっくに人の域は超えてるのね。私はちゃんと言っておいたはずだけど? 私の名前はトリエル=レツィンデル。原理としての名前は『傾歌の至宝』……ってね」
そう言うと、少女はパチンと指を鳴らした。と同時に肉裂薔薇はシュルシュルと小さくなり、魔法陣の中に消えていく。
直接的な痛みから解放され、狂悦死獄は生まれて初めて膝を折って崩れ落ちた。
「歌っていうのは原理の間では原理のことを表すのね。つまり理のことなんだけど。この世で一番基礎にある理すら一時的に曲げられるのは魔法なのね。感情も奇跡も、魔法によって可変改変できるの。要するに魔法っていうのは基礎の根っこにあたるのね。それが原理のさらに枠外にある始祖原理によって決まってるの。でね、傾歌っていうのは理を傾けられる魔法のことで、さらにさらに要するに、『傾歌の至宝』っていうのは魔法の至宝ってことなのね。魔法という理の最上位にあるのが私ってことなの。わからないなら理解する必要ない。下等生物に理解を求めるのもとっても疲れることだから」
そこまで言い切った少女は少し間を開けると、ピッと狂悦死獄の右肩を指差した。
「さっきは邪魔されたけど、とっとと本題に入るの。お前の封印を解いたのはヒルデガードに言われただけだけど、お前が最初にやらなきゃいけないのはその右腕を回収することなの。右腕はもうすぐヒルデガードが持ってくると思うから、とりあえず少し待ってるの。そしたら後はくっつけるだけだから」
「待つ必要はありませんよ、トリエル」
「ううぉあぃっ!」
驚きで飛び上がる少女の背後に、下女姿の女が現れた。否、まだ若い。17歳程度の氷のように冷美な少女だった。
「いきなり後ろに立つななの!」
「偶然です」
銀髪の下女は少女をいさめると、チラッと冷ややかな視線を我に向け、
「狂悦死獄。貴方の右腕を連れてきましたよ」
そう言って、おもむろに背負っていた人を投げ捨てるように地面に落とす。
「相違なく我が右腕と承認」
間違いなくその人の外形をとるそれは、封印の直前、アゼルに気取られないよう切り離し、クライシスカノンに紛れて空間転移させた右腕に間違いなかった。
「き……さま……、何……者……だ……」
我が右腕は、ヒルデガードに目隠し布で半分以上隠れた顔を向けた。
「何者だなどと。これはまたつれないことをおっしゃいますね、狂悦死獄・右腕。私はヒルデガード=エインヘルヤです。ぶっちゃけますが、これの相手も面倒なので早く喰っていただけませんか、狂悦死獄・真祖」
我に命令するか。しかしこの下女……、トリエルと名乗ったこの少女と、全く同じ匂いがする。我が人に従うなどあり得ないが、偶然にして必然に非ず。切り離した右腕は想定外に無能だったこともあり、いずれはこうも成り得よう。
流れ出た血に指を浸し、倒れ伏す我が右腕の背に所有物を示す魔法陣を描く。
「『必定』」
魔法陣に刻み込まれた契約陣、契約した高位の魔物の力を借りて、その契約時の姿に戻す半ば治癒の属性を併せ持つ準不老を実現させる魔法。この狂悦死獄にのみ扱える術式、それが『必定』だった。
これが使えることは、同時に契約した魔物がまだ生き永らえていることをも意味している。我が手足にも等しい、あの最上位の魔物。なれば我が覇道も未だ健在となる。
魔法の行使と共に我が右腕の姿は消え、同時に右腕の感覚が蘇る。
そして同時に、右腕に与えていた魔力容量分が全て自分の中に戻ってきた。
「ふむ、我が右腕は魔力の収集に時間を費やしていたという訳か。……ん?」
違和感。
否、これは喪失感。
我の封印から解放までの間に、我が右腕は何かを失ったのか?
「……ラスウェル?」
ラスウェルとの契約が途切れている。それもこの契約の切れ方は、片方が死んだ時のものだ。
ラスウェルが死んだというのか。
『口蜜伏犬』を得た死骸狼。高位どころか最上位の神獣すらも凌駕するあのラスウェルが死ぬなどほぼあり得ないと思っていたが……。不覚。我が右腕に記憶共有の術式を課しておくべきだったか。
「復活おめでとうございます、と建前なりに祝しておきます」
白々しく一礼する下女にわずかに苛立ちを覚えつつ、
「汝ら、我に何を望む」
狂悦死獄がそう問いかけた瞬間、
「え?」
目の前の少女たちは目を大きく見開いて、驚いたような表情になった。
「何を言っているのかはわかりませんが、私達は貴方に何かを求めるつもりはありませんよ。御主人様の命に従い、貴方をこの時間軸で解き放った。それだけのことですのでお気になさらずとも結構です。貴方は昔やっていたように好き勝手にやっても構いませんよ」
「無能な右腕の代わりに我の封印を解いて要求もなく好きにしろ、だと……」
「はい、そう言っているのですから一度で理解してください。私達は一介の下女に過ぎません。主の命によってしか存在を証明できないのですから」
下女姿の少女はそう言って、口角をわずかに上げるようにして冷たい微笑みを浮かべた。
「ヒルデガード。私は下女じゃないの」
「ではお嬢様。お怪我をする前に戻りましょう。ここは少々……」
その下女はチラッと空を見上げると、
「冷えますので」
と静かに呟き、我に背を向けてトリエルと呼ばれていた少女の背を押すように、ゆっくりと歩き出した。
「……ディスブライト……」
2人に聞こえないような声で静かにそう呟く。
途端足元の地面から静かに姿を現す我が使役する闇そのものの魔物。
動くものを切り刻み、動かないものを喰らうそれは、誰の目にも止まらずに確実に獲物を引き裂く人食い影。
「殺せ」
我は命じる。我を嘲るものに苦痛と死を与えようと。
不可視の暗殺者は地を這うように、高速で2人に近付き。
キィヤアアァァァ!
断末魔と共に消し飛んだ。
木っ端微塵に。
影という、物理攻撃の通じない存在を、跡形もなく吹き飛ばして、何事もなかったかのように歩き続ける。
「……原理、と言っていた……。あの2人。憶えておこう」
次で確実に殺すために。
「こよりんこよりん。ボクが判決を言い渡してもいいですかね」
「いいわよ、どうせチェリーに拒否権なんか無いし。アンタが言うのが一番いいと思うわ、アプリコット」
「ムグムグムグーッ」
「じゃあ死刑」
「ムグッ!?」
「それは駄目でしょ。アンタが裁いた後は連れ帰って上に裁いてもらわなきゃだし」
「あ~そっか。じゃあ私刑かな~! ほら、リンチリンチ」
「ムググッ!?」
「それだと今度はアンタが犯罪者よ?」
「あー、判決ってめんどくさいんですね~! ていうなら今誰も見てないし、いいんじゃないですか?」
「……それもそうね」
「ムグッ、ムグムグッ、ムグムグムグーッ! ム、ムググッ!」
「さっきからうるさいですよチェリーさん。あんまりうるさくするなら口塞ぎますよ。何か言いたいことがあるならそんな訳のわからない音の羅列なんかじゃなくて人語で話して下さいよ」
「ム、ムグッ!」
「あ、猿ぐつわ取って欲しいんですか? そんなら先に言ってくださいよ。ボクはチェリーさんと違ってムグ語には疎いんですから。じっとしてて下さいね」
「……っぷはっ。ム、ムグ語なんてあるわけないのです~! そもそも最初から口を塞いであるのに人語が話せるわけないと気づかないのですかこの馬鹿どムグムグ、ムグッ!? ムグムグッ! っぷは、話してる途中で口を塞ぐなムグムグ……」
衣笠紙縒とアプリコット=リュシケーは、周りの皆に多大どころか莫大な迷惑をかけた上、歴史の改変、公務執行妨害、殺人未遂など法に触れる罪状を仮にも特別公務員の紙縒及びアプリコットの目の前で並べ立てたチェリーを私的な理由、主にストレス解消と性格矯正を目的にお仕置きしていた。
その内容は、まずアプリコットの身体を構成するスフィアキューブという微小な機械でチェリーの全身を覆い尽くし、紙縒の術式で硬化させて、その換装を封じつつ、さらに肉体そのものの可動域も大幅に制限する。
そして、口に猿ぐつわ――これもスフィアキューブからできている――をはめて、文字通り手も足も口も出ないようにして教育・説教の名を借りた憂さ晴らしをしているというわけだ。
状況も事情もよくはわからない僕がとりあえずまとめた現状はこんなところだった。
「ねぇ康平。どうすればいいと思う?」
「そんなこと僕に聞かれても……」
紙縒の気まぐれでたまにある思考放棄にため息をつきつつ、また話を振られても困るので、僕は後ろを振り返った。
上半分つまり幌部分が大破して、車輪が残っているのが奇跡というほど至るところがボロボロになっている馬車の中及び周りに皆それぞれに場所を確保していた。
なんでアルヴァレイ君はヘカテーさん・シャルルさん・ヴィルアリアさんの3人の前で正座させられてるんだろう。
そしてティアラさんはルーナちゃんの怪我を治している。どうやら足の噛まれた傷だけじゃなく、もがいてる間に地面で擦った傷もあるようだった。
鬼塚さんはいつのまにか戻ってきていて、馬車の隣でずっと上体起こし運動に励んでいる。さっきは何処に行っていたのかは気になるけれど、アルヴァレイ君が『後で訊いてみるけどたぶん忘れてるんじゃないかな』とため息混じりに言っていた。
そして紙縒に言われて皆と一緒に探していた小さな女の子、釘十字神流は年が近いから安心するのか、インフェリアの近くでじっとしたまま黙りこくっている。
とりあえず少なくとも僕が入れそうなところはそこには無かった。
再度ため息をつきつつ紙縒の背後に戻ると、チェリーの口を塞いでいた猿ぐつわが再度外されているところだった。
「今……何て言ったの?」
少し意識から外してただけで、なんか紙縒が不機嫌ボイス。
「順行時間移動の機構は壊れた~と言っているのですよ~。確かに壊せと言ったのは私様ですが~まさか本当にぶっ壊すとは思わなかったのですからして~その件に関してだけは私様に~全く責任はないのです~」
順行時間移動の機構?
「チェリーさんがそのシステム壊せば全自動でスクラップ確定とかぬかしてたんですよ。でもまさかそれが嘘とは思わなかったので、ボクは悪くねえですよ」
「う、嘘なんかじゃないのです~。グリモアがそう言っていたからそうだとばかり思っていただけなのですよ!」
ヒュンッと空気を裂く音がして、紙縒の手の中にメイスが現れる。
「ふ、ふふ、ふふふ……」
紙縒は笑うような声を漏らしながらメイスを持った右手もそうじゃない左手もギューッと握りしめる。そしてピクピクと震える肩より上に手にするメイスを持ち上げた。
「ふっ……っざけるなあああぁぁぁぁ!」
どぐしゃあっ。
鈍い音と共に、アプリコットとチェリーが振り下ろされたメイスに押し潰され地面の上に這うように倒れた。
「そんなんでどうやって第三世界に帰ればいいのよ!」
「4000年ちょっと待てば実質的に元の世界に帰れますけど」
「死ぬわよ!?」
「これだから生身は~」
「アンタはとりあえず黙りなさいチェリー! その口塞がないと潰すわよ! どうやって帰ればいいのって言ってるでしょ!?」
「紙縒、とりあえず落ち着いて……」
「帰れないのよ!? どうやって落ち着けってのよ!」
「えっと……よくわからないけどさ……。迎えが来たりしないの?」
「今来てないからもう来ない!」
うん、間違いなくこれはパニックを起こしてるね。言動や思考が自暴自棄になってきてるし。
まあ、確かにタイムパラドックスという観点から見ると、今来てなければもう来ないって考え方もあながち間違いではないんだけどさ。
「アプリコット! アンタ機械なら再現できるんでしょ!? 順行時間移動できるようにしなさいよ!」
「無理言わないで下さいよ。アレには魔術がらみの構造も含まれてるんですから。ていうかそもそも設計図もないのにあんな複雑なもの作れっこねえんですけど」
「チェリーのを見ればいいじゃない!」
「見てわかるほどボクは人工知能良かないです。ボクのはるか下のチェリーさんでも無理ですしね。あと……」
「揃いも揃って役立たずばっかりじゃない! 何ができるのよアンタらはーっ!」
アプリコットさんが何かを言おうとしたのに、紙縒がそれを遮ってうぎゃーとばかりに叫ぶ。
そして周りが静かになった。
紙縒もその違和感に気づいたらしく、急速に冷静さを取り戻して振り返る。
「爆☆殺♪」
紙縒に続いて僕が振り返ろうとしたその瞬間、聞いたことのない女の子の声が聞こえ、紙縒が息を呑む様子が見え――ガンッ!
鋭い衝撃が背中に響いた。
「え?」
刹那遅れて鋭い痛みを感じた瞬間、
ボッ、ドオォォォン!
爆発音が耳に届くと共に、僕の意識は完全に消失した――。
今、何があったの?
第七章、終了です。
迷ったのですが、次の第八章への話のつながりを途絶えさせないように
このような中途半端なところで終わらせて頂きました。
第八章『竜乙女の里』編は、いよいよ薬師寺丸薬袋との渦巻く事情に決着が着く!?かもしれない章になるかと思いますが、どうなるかは私自身わかりません。多少の構想はありますが、どうなるかはその時次第というわけで。