(26)挑発‐Das Madchen handelt heftig‐
次で第七章終わりです
金の鎖。
ヘカテーがずっと昔にガダリアから貰ったそれは、どういった仕組みなのかはわからないがヘカテーの呪いを封じるためのものなのだという。
ヘカテーはその鎖に触れ続けることに異常なほど気をつかっていて、自分の呪いが周りの現象に影響する――してしまうことを恐れていた。以前、ヘカテーの気持ちを深く考えずに戦いで使えそうだなと思った時――頭を過った程度だったのだが、この時のヘカテーはまだルシフェルと複心同体だったため心を読まれた――本気で叱られた。後にも先にもヘカテーがあんなに怒ったのを見たのは一度きりだ。
『黒き森の魔女』シャルルの裏人格『ノウェア』のように人格を持つでもなく、黒き森で一度だけ会いルシフェルに連れられて何処かへ消えた少女『ブラズヘルの王族の生き残り』シュネーと『寄生金竜』ガウルのように奇妙とはいえ共生関係を築いているわけでもない。
ヘカテーにとっては何の益ももたらさずあらゆる厄を引き込んでくる呪い、
『奴隷人形師』。恨みこそすれ疎みこそすれ、ヘカテーが積極的に敵に対して使うことはなかった。痛々しいほどの理不尽な境遇においても歪むことなく病むこともなく比較的素直に成長したヘカテーの心はある意味清らかで、おそらく後で自己嫌悪に苛まれるのだろう。
今まさにヘカテーはその呪いを、文字通り周囲の人を本心のままに操ってしまう忌み嫌っていた呪いをリィラに向けて行使しているのだから。
「『リィラ=テイルスティング! アル君から離れなさい!』」
絶令を受けたリィラは、忌々しそうにヘカテーとシャルルを睨み付けながらもその言葉に従った。
深々と刺さった剣の痛みのせいか、動きがかなりぎこちない。それにしても剣を自分の足に刺させるなんてそこまでしなくてもと思ったが、よくよく考えればヘカテーが止めてなければ死んでいたのは俺の方だ。そんな光景に出くわせばヘカテーじゃなくても頭に血がのぼってしまい、自分の本心まで気にかけてはいられないだろう。それにおそらく、リィラじゃなかったらヘカテーは襲撃者に死を選ばせていたかもしれない。足なんかではなく、直接喉か心臓に剣を突き立てさせて。
その時リィラがハッと嘲笑うように鼻を鳴らした。『奴隷人形師』の影響下でも、全てを掌握されるわけではないらしい。
「ヘカテー=ユ・レヴァンス、お前の呪いとやらも随分とえげつないな。これで人に使ったのは何回目だ? 人を思いのままに操るのは楽しいか?」
挑発。
今のヘカテーに対しては無謀だ。リィラはヘカテーの呪いの本質を知らない。下手すると、命に関わる。
「黙って……。私の呪いは本心に逆らえない。これ以上私の心を乱せば、貴女を殺してしまうかもしれない。もちろん、アル君を傷つけたりしたら間違いなく」
シャルルが、睨み合うヘカテーとリィラを後目に俺の元に駆け寄ってきた。ホント、こういう時優しいというか気が利くのは大抵シャルルだよな。
「アルヴァレイさん、立てますか?」
シャルルはいかにも心配そうな声色でそう言って、手を貸そうとしてくれる。
俺はシャルルの差し出す手を丁重に断りつつ――ただでさえヘカテーに助けられているのにシャルルにまで助けられたら、情けない上に恥ずかしいからだ――自力でなんとか立ち上がると、ちょうどリィラが刺さった剣の刃を足から引き抜くところだった。
血の色からしておそらく静脈だろう。傷つけたなんてものじゃない、おそらく完全に断裂しているだろう。短剣の刃とはいえ、もしかしたら動脈も傷つけているかもしれない。それぐらいの出血量だった。失血のせいか、リィラの足元は何度もぐらつき、顔色も悪い。立っているのもやっとに見えるのは、負傷したのが足だからだけではないだろう。
そんな状態になってなお、剣を構えようとしている辺りが恐ろしい。
「『剣を捨てなさい、リィラ=テイルスティング!』」
「くっ」
刃だけの剣が地面に投げ捨てられ、リィラはヘカテーを睨み付ける。
「やはりお前は悪霊の名に相応しいな、ヘカテー=ユ・レヴァンス。悪然と他者を操り、霊然と躊躇を覚えない」
そう吐き捨てたリィラに、ヘカテーのこめかみがピクリと震えた。
「……そんなに死にたい?」
「死にたくはない。だが貴様はそうはいかないだろう? お前が私を殺さなければ、私はアルヴァレイを殺す」
ギリッと、ヘカテーが歯ぎしりする。
まずい――。
リィラの意図する通り、ヘカテーが苛立ちを覚え始めている。このままだと、本当にリィラは死んでしまうかもしれない。
「ヘカテー落ち着け」
「アル君は黙ってて!」
その剣幕に圧されて思わず口をつぐむ。そして後悔した。ヘカテーは今までなんとか堪えていたのだ。自分の本心を、凶悪な呪いを自制しようとしていた。下手になだめようとしたばっかりに、抑えられていた感情を昂らせてしまったのだ。
「私の呪いが効いてる限り、絶対にできっこない!」
そうは言いつつも本心の揺らぎを恐れているのか、ヘカテーは一歩後ずさった。
「私は貴様を挑発し続ける。今すぐにでもお前が私を殺したくなるようにな。お前が言ったんだろう? 本心に逆らえない、と。どうだ? 殺意があるだろう? 殺るがいい! お前がティーアで私にしたように! その剣で私を刺し殺してみせろ!」
「あれはルシフェルが……」
そう言いかけて、ハッとしたような表情になる。そして、悔いるように唇を噛んで目を伏せた。
「ハハハッ、アイツに責任を押し付けて、自分だけいい子を気取っているだけだろう。どれだけ飾り立てたところで生来の性悪は全く隠れていないぞ!」
「黙って……うるさい……うるさい……」
「落ち着けヘカテー!」
「黙れ……黙れ……」
「どうした悪霊。私など貴様の呪いからすれば些末な存在。まさか不可能ではないだろう、悪霊」
「ヘカテー!」
ヘカテーは俺の声が、まったく届いていないようだった。
そして、リィラはヘカテーの理性にトドメを刺すように、
「貴様など呪われて当然だ」
ピクンッと肩が震え、ヘカテーは拳を強く握った。
そして、次の瞬間――バキィッ。
思いきり殴られたリィラの身体がなんの抵抗もなく跳ね、地面に叩きつけられた。足からとんだものか殴られた傷のものか、空気中に鮮血が飛び散る。
そして殴った張本人は次いで頬の痛みに呻くリィラの首に手をかける。
なんで……なんでお前が――。
「何やってんだよ……! やめろ、シャルル!」
リィラの首に手をかけ、ギリギリと締め上げるシャルルの腕を掴み――おいおい嘘だろ!? なんで今にも折れそうなこんな細い腕でこんな力が出るんだよ!
いや、そうじゃない。そうじゃなくてどうしてシャルルがこんな――。
「!?」
どんどん顔色が悪くなっていくリィラの首を締めるシャルルは、泣きそうな顔になっていた。その表情にはリィラに対する怒りではなく、戸惑いと恐怖が表れていた。
「まさかノウェアか!?」
「違います、あの子じゃないです!」
シャルルは涙声で叫び、視線を泳がせる。頭を抱えてしゃがみこむヘカテーに。
「くそっ!」
急いでヘカテーの元に駆け寄る。
呪いを封じるための鎖はどこだ?
「アルヴァレイさん! これを!」
シャルルの叫び声に振り返ると、足を振り上げたシャルルと飛んでくる金の鎖が目に入り、慌ててそれを受けとる。
相変わらず重いなこの鎖は! 抱え込むようにして取ったのは明らかに間違いじゃねえか。
「ヘカテー!」
ヘカテーの右手を取り上げ、金の鎖を握らせる。掴もうとしなかったその手を一緒に包み込むように。
「しっかりしろヘカテー!」
そう呼びかけつつ振り返ると、フッと糸が切れたようにシャルルの腕から力が抜け、解放されたリィラと共にその場に崩れ落ちた。直後、リィラは喉を押さえて咳き込み、シャルルは脱力したまま動かない。
「私こんな……つもりは……な、なかったのに……」
震えている。ヘカテーの身体が。
もしかしたら、昔同じようなことがあった時のことを思い出してしまったのかもしれない。一縷の希望を夢見て、仲がいいと思っていた皆に自殺を命じ、目の前でそれまでの全てを打ち砕かれた昔のことを。
「ホントは口止めされてたんだけどな」
たぶん怒るだろうなと思いつつ、震えるヘカテーの肩を抱き寄せ、耳元で。
「――――」
一言だけ囁いた。
「ホント……!?」
一瞬の間を置いてパッと顔を上げ、驚いたように目を瞬かせるヘカテーにもう一度頷いてやると、ヘカテーは周りをゆっくり見回して、そしてリィラに向き直った。
身体の震えも何処へやら、ヘカテーはバッと力強く立ち上がった。
「ごめんねアル君」
そう言ってヘカテーは金の鎖を高く直上へ投げ上げる。人外の力で投げられた鎖はかなり高くまで上がり――正直見えたのは気がつくと振り上げられていた手だけで、鎖を投げ上げたのだと気づくまで直前直後の間違い探しをしていた――、ヘカテーの手から金の鎖が完全に離れた。
「『眠れ、リィラ=テイルスティング』」
立ち上がりかけていたリィラの身体が、再び地に崩れ落ちる。
行動操作だけじゃなくて、こんなことまでできるのかよ、奴隷人形師って。こういうこと言うとまたヘカテーが怒りそうだけど、言わざるを得ないだろ。便利だな、ソレ。
気になるのはどんな状況下でこんな呪いを受けたのか、ということだ。呪いというものは状況によって内容が変化する。意識無意識関係なく人を操ってしまう呪いなんて、どうしたら発現するのか。そもそも知っている呪いの発現例が少ないからなんとも言えないが、大抵は受呪者の罪に当たる常を逆転変化させるようなものだ。
例を挙げるなら例えば、大量殺戮を呪われた者が逆に苦痛と延命を繰り返したということもあったらしい――ちなみにルシフェル談。『痛みも無しに不老不死を得ようとするからだ馬鹿め』と嬉々として語っていた。別に得ようとした訳じゃないと思うけど。
人を操ってしまう呪いを受ける、しかもまだ幼い頃に呪われる状況なんて想像もつかなかった。典型的――ルシフェルとの無駄話の中でのことだが――な逆転型だとしても、幼い頃に誰かに操られて何かをしてその事を呪われた、ということなのだろうが、それにしては『操ってしまう』という強制力には疑問を感じてしまう。
「他にリィラみたいな馬鹿はいない?」
いきなり馬鹿呼ばわりか。
まあ、かなり馬鹿だけど。
さっき伝えたことがそんなに効いているのか、ヘカテーの様子は好調そのものだ。いやほんと、後が怖い。ルシフェルがどんな怒り方をするのかがまったく予想がつかない。
それにしても、取り乱していたさっきからのこの落ち着き。感情の上下差が異常に激しく、そのことに一抹の不安を覚えてしまうのも事実。いつも通りと言えばいつも通りだが他の人と比べた時に、その異常が際立って見える。何もなければいいけど。
その時視界の端に黒い何かが映った。
「アル! そいつを止めて!」
突然聞こえた紙縒の声にハッとして、俺はその黒い何かに焦点を合わせた。
刀――?
一瞬視界に映ったものに気をとられ、
ドカッ!
息が一瞬止まり、腹に激痛が走る。
黒服の女が高速で間合いを詰めてきて、刀の峰打ちで俺の腹に一撃を加えたのだと気づいた瞬間、倒れそうになる不安定な体勢の中で俺の左手は勝手に動いていた。
左手の鉤爪を正確な軌道で強く跳ね上げる。その鉤部分が黒服の持つ刀を絡めとるようにねじり、その手からもぎとった。よくやった俺。
しかし黒服は、驚く顔ひとつせずチラッと俺を一瞥すると、駆け抜けざまにリィラの身体を抱え上げた。
「カゲノ」
キンッ!
鋭い一閃と共に――嘘だろ……。
鉤爪の先端、いわゆる鉤部分が切断され、地面に落ちた。
「ごめんなさい~姉さんって怒ると恐いから~」
そして、妙に子供っぽいおっとりした喋り方の女性がそこに立っていた。その顔は黒服そっくりで、その腕は――手首の辺りから大太刀の刀身に変わっていた。
「私のせいにするなカゲノ。行くぞ」
「は~い。桜閃流~雲霞群虫撃~」
ドガッ。
カゲノと呼ばれた女性は右手の刀身を地面に刺し、ブウゥゥゥゥウン。
当然刀身が震え始めたかと思うと、
ゴォッ。
地面が割れ、砂埃で周りが何も見えなくなる。今何をやった?
「悪いが、リィラは返して貰う」
砂埃の向こうから、さっきの黒服の声が聞こえてくる。
「キャッ!」
「ヘカテー!?」
なんだ? 何があったんだ?
「桜閃流、炎馬落天脚!」
「キャアッ!」
「今度はシャルルか!? くそっ何も見えない! シャルル! ヘカテー!」
「落ち着いて、アル。2人ともとりあえずは無事。今砂埃を払うわ。『風式』式動! 風塵結界!」
ゴッ!
強い風が吹き、紙縒の言葉通り砂塵が払われる。
って少しは考えろ紙縒! 砂が目に入って痛いだろうが!
何はともあれ、明るくなった視界には紙縒に助け起こされているヘカテーとシャルルがいた。
3人とも怪我もないようだ。
しかし同時に黒服も、カゲノという女性も、そしてリィラもいなくなっていた。
かなり遅れました。
言い訳→最初から更新期間は決めてません。
本音→すいません、ほんとごめんなさい!