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≪連載停止→改稿版連載中≫  作者: 立花詩歌
第七章『狂悦死獄』
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(23)我が儘‐Ein umfassender Krieg‐

「リィラさん!」


 アルヴァレイは思わず叫んでいた。


「久しいなアルヴァレイ。チェリーの鎌を弾いた時の動き、見ていたぞ。鍛練の成果が出たんじゃないか?」


 リィラさんは剣を無造作に構えたまま、ゆっくりと歩み寄ってくる。


「お前の能力ちからだ。私が1人で手に入れることができなかった人を守れる力だ。お前なら誰かを守るに値すると証明されたんだ。もっと嬉しそうにしたらどうだ?」


「俺のことはどうだっていいです。それよりリィラさんがどうして狂悦死獄(そっち)側にいるんですか?」


 ティーアで、アルヴァレイは一度リィラの説得に成功している。それはリィラの事情をアルヴァレイがちゃんと理解していたからであり、必要なのはリィラの本心だと思ったからこその質問だったのだが、


「残念だが。私はお前と話に来たわけじゃない。狂悦死獄マリスクルーエルの命令でお前たちを殺しに来たんだ。無駄な時間が惜しい。早くそこから出て構えろアルヴァレイ。それと……しがらみの鎖アンチェインド・チェイン


 リィラの手甲ガントレットから何かがポタリと地面に落ちた。わずかに赤みのかった黒いそれはジワッと土に吸い込まれ、


「キャアァァァッ!」


 背後で悲鳴!?

 アルヴァレイがその悲鳴に振り返ると、シャルルとヘカテーが突然暴れだしたルーナに振り落とされるところだった。そして、そのルーナの脚には、地面から生えるように現れた黒く小さな何かが噛みついていた。しかし小さいとはいえ噛みつかれている脚からは血が流れ出していて痛々しい。


「当然だが逃走の足は砕かせて貰う」


「ルーナ!」


 痛みに悶えるルーナは思わず人型ひとがたになっていく。

 人型ひとがた、つまりベルンヴァーユのルーナにとっての不自然になっていくその姿にわずかな不安を覚え、


「何処を見ているアルヴァレイ。お前の前にいるのは敵なんだぞ?」


 ハッと気づいて、視界の端に移るリィラの剣筋を右手の短剣で遮ろうと動く。


「相変わらずだな」


 ビシュッ!


 頬に痛みが走り、急激に熱くなる。

 首筋にピチャッと血が飛んだ。

 頬を切られたのだ、深くはないが。


「お前の剣術は人を殺せない剣術だ。基本的には守りばかりで実戦用と言うには甘すぎる。よく言えば守ることに重きを置いているといったところだが……」


 リィラの目が殺気に満ち、振り上げた剣を躊躇いなく振り下ろしてくる。


「くっ……」


 ガィン!


 なんとか左手の鉤爪でそれを受ける。


「武器の特性を理解しているか? 鉤爪という武器が生まれたからにはそれに見合う必要性があったはずだ。さあ見せてみろ、貴様はなぜ鉤爪と短剣という稀有な組み合わせを選んだ? その理由を考えたことぐらいあるだろう。アルヴァレイ、私に全てを見せてみろ! お前が自分の力で手に入れたその剣がっ、決してハリボテなどではないと証明して見せろ!」


 強い。

 リィラの剣を受ける一方で、攻撃に転じられない。戦いたくないという気持ちもあるが、それ以前に手も足も出ないのだ。


「アル!」


 馬車から皆を降ろした紙縒が、メイスを握り直してアルヴァレイの方へ走り始め、


「衣笠、お前の相手は私だ」


 風切り音とその声が紙縒の耳に届いた時には、その手の中でメイスがバラバラに砕け散っていた。


「なっ……リ……」


 桜花双刀リヒティリューゲ

 『宵闇』と『闇桜』。

 紙縒の目の前に振ってきたその二振りが地面に突き刺さり、その進路を遮った。

 紙縒は一瞬放たれた殺気に足が止まる。

 そして、片方の刀身がゆらゆらと揺れ始め、瞬く間にピシッとした黒のカジュアルスーツに身を包んだ宵闇黒乃が現れた。


「それ以上動けば死ぬぞ」


 地面に刺さった『闇桜』を抜き、刀身をスッと撫でるように払う。


「貴女まで何をやっているのですか黒乃。情けないですよ。仮にもわたくしの上司ならばこの程度の事態、自力で解決するのが当然ではなくて?」


 紙縒はわずかに後ろに後ずさりながらそう言った。黒乃は涼しげな顔をわずかにしかめると、フッと短く息を吐いた。


「仮だからこそだ。私はようやく思い知ったよ。長い間使われるばかりで使うことのなかった私に人を使うことなど到底無理だったというわけだ」


「だからといって貴女が狂悦死獄マリスクルーエルに従う理由にはならないでしょう? 第三世界サードに戻って、取扱課をやめればいいじゃない!」


「ここにはリィラがいるんだ」


「歴変異常が起こりつつあるこの状況下、まだわたくしの上司である貴女には解決する義務がある」


「私はもう『管理者』の立場ではない。私はリィラさえいればいい。それは影乃も同じ意見だから」


「あんなリィラが、リィラ=テイルスティングだとでも本気で思ってるの!? あんなリィラが貴女の理想!? 貴女の目標!? 貴女の恩人なの!?」


 紙縒がアルヴァレイと切り結ぶリィラを指差して、


「うるさい!」


 黒乃の叫び声に紙縒の肩が跳ねる。


「私はリィラのそばにいなければならない! 歴変異常などもうどうでもいいが、このままでは必ずリィラは壊れてしまう! リィラを救うには私が近くにいてっ、あの人を支えてやるしかないんだ!」


 そう言いきってハーッハーッと息を荒立たせる黒乃の表情は、見ていて胸が苦しくなるほど悲痛なものになっていた。


「な、ならどうして! なんでリィラを狂悦死獄マリスクルーエルから助けようとしないの!? 狂悦死獄マリスクルーエルを殺せばそれで全部終わりじゃない!」


 黒乃が急に『闇桜』を刺突で構え、説得のために新たなメイスを出しあぐねていた紙縒に猛突して、


「そのまま動くな……」


 小さな声でそう呟いた。


桜閃流おうせんりゅう毒蠱蜂針撃どっこほうしんげき!」


 『闇桜』を手首のひねりだけで回転させつつ放つ刺突攻撃スタブ

 対象に接触した時点で逆回転させて、まるでドリルのように肉を穿孔する半ば一撃必殺ワンキルにも近い技だ。

 黒乃を信じるか信じないか、わずかな逡巡の末に迷った紙縒は、


「来なさい」


 黒乃を信じた。

 その瞬間、黒乃の口元がわずかに緩んだのが見えた。


 ザクッ。


 紙縒の左腕をかすって、『闇桜』は紙縒の脇腹と腕の間を通過する。

 その紙縒の腕から飛び散った血が『闇桜』を濡らし、背後の地面に染みを作った。

 ガクンッと紙縒の身体から力が抜け、黒乃に体重を預けるようにもたれ掛かる。

 黒乃は『闇桜』を握ったまま、その身体を抱き止める。


「もう遅かったんだ」


 紙縒の耳元で黒乃は囁く。


狂悦死獄マリスクルーエルとリィラはもう契約してしまった。今リィラの左胸にその証が刻まれているんだ。リィラが狂悦死獄マリスクルーエルの意に反する行動をしただけで、リィラの心臓は止まってしまう。リィラはもう狂悦死獄マリスクルーエルに従わざるを得ない。そして狂悦死獄マリスクルーエルが死ぬと同時に契約者も死んでしまうだろう。だから助けるためにはこのままにしておくしかないんだ」


 黒乃は『闇桜』を握る手から力を抜く。


「おそらくチェリーはアプリコットが何とかするだろう。神流も狂悦死獄マリスクルーエルの影響は受けていない。森の中に隠れているから探してくれ。お前はチェリーが正気に戻ったら狗坂康平と神流,アプリコット,チェリーを連れて第三世界サードに戻るといい」


 紙縒は目を閉じたまま身体の力を抜き、黙って黒乃の言葉に耳を傾けていた。


「お前を傷つけたくはなかったが仕方がなかった。傷はできるだけ残らないように、残っても目立たないようにつけた。戻ったらすぐに治療して貰え。それと……」


 黒乃はゆっくりと紙縒の身体を押し離すと、


「神流を頼む」


 ぼそりとそう呟いた。

 そして、次の瞬間――ズン。

 肋骨に重く響くような衝撃が、紙縒の華奢な身体を襲う。

 何の用意もしていなかった紙縒は容易に吹き飛ばされ、幌馬車の中に突っ込んだ。


「紙縒!」


 康平が馬車の後ろに駆け寄ってくる。


「痛い……けど大丈夫……」


 紙縒のポケットの中で召喚術式を込めた魔法陣が光を帯びて、手の中に新たなメイスが出現する。

 紙縒は痛みをこらえながら、メイスにすがりつき、康平に助けられて立ち上がる。


「康平、アリアとインフェリアは?」


「ティアラさんとヘカテーさんが付きっきりで守ってる」


「シャルルは?」


「ルーナちゃんの足に噛みついた変なのを剥がそうとしてるよ」


「リクルガと鬼塚は?」


「リクルガさんは薬袋さんのところに走ってる。鬼塚さんはアプリコットさんを追いかけていった」


「康平が状況を見ててくれて助かったわ」


「それしかできないだけなんだけどね」


 見ると、黒乃は『闇桜』を鞘に納めてリィラから少し離れた背後に待機している。おそらくもうすぐ桜花双刀リヒティリューゲは神流を置いて戦線から離脱する。

 それまでが動き所だ。

 リィラ=テイルスティングは確かに強いけれどこれだけいれば何とかなると仮定して……、


「康平! ヒルデガードは!?」


 いつのまにか、リィラの後ろにいたはずのヒルデガードがいなくなっていたのだ。


「……最後に見た時はそっちに入っていったと思う……」


 そう言って康平が指差したのは、アプリコットたちの入っていった森の中だった。


「ヒルデガードだけ戦闘力ちからの底がわからないの。野放しは危険。となると……ふがいない」


 紙縒は康平を幌馬車の陰にしゃがませると、リィラの様子を窺ってシャルルとルーナの元へ走る。


「こいつっ、こいつっ!」


 シャルルがルーナの足に噛みつく黒い何かを大きな石で殴り付けていた。


 ぷぎゅるっ、ぷぎゅるっ。


 なんか変な音がしてる。


「ぷぎゃあっ」


 なんか変な断末魔をあげて、クチャッと潰れた。たぶん魔法の効果を具現化するための使い魔のようなものだったのだろう。

 一瞬魔法陣のような光が広がったかと思うと、グロテスクな感じに加工されたその残骸が消え失せる。


「ルーナ、いなくなったよ!」


 シャルルがそう報告すると、よっぽど痛かったのか涙でぐちゃぐちゃになった顔を上げて、自分の足を凝視する。

 鋭い歯形が半円状に食い込んでいて、血は流れて真っ赤になっている。


「治す」


 歩み寄ってきたティアラはいつものように術式を施した手をルーナの足の傷口に当てる。

 緑色の光。

 柔らかくぼやける温かい光の中で、ルーナの足についた歯形状の傷は瞬く間に塞がって、血の跡も綺麗に無くなった。


「貴女も」


 ティアラは澄んだ瞳を紙縒に向ける。その身体中についた擦り傷や左腕の切り傷のことを言っているのだろう。


「私はまだいい。それより聞いて。アプリコットの情報が正しければ近くにいる敵はさっきいたヒルデガードってメイドと私の同僚3人、それとリィラだけ。チェリーはアプリコットが何とかするはず。私は強さがわからないヒルデガードを追うべきなんだろうけど、私は私の仲間を助けたい。だからヘカテー、シャルルちゃん。2人にヒルデガードを任せてもいいかな?」


 突然名前を呼ばれた2人、ヘカテーとシャルルは顔を見合わせると、当然とでも言うように頷いた。


「ありがと……」


 紙縒は思わず溢れそうになった涙を堪えて、メイスを握り直す。


「でもアル君は……?」


 ヘカテーは自分でそう呟いて、ハッとしたように顔を上げた。


「アル君を助けなきゃ!」


「大丈夫、アルは大丈夫だよ」


「どうして? ただでさえ弱いアル君がリィラの攻撃を凌いでるだけでも奇跡なのにどうしてそう言えるの?」


 本人が聞いたら立ち直れそうにない台詞だった。でもヘカテーはある意味正しい。


 奇跡。


 アプリコットから聞いた話が本当なら、アルヴァレイにとって『奇跡』は非常に大きな意味を持つ。


「僕にできることはないの?」


 康平がおそるおそるといった感じで手を挙げる。


「あんまり人気の無いところに行って欲しくはないけど……残りの皆と康平は釘十字神流くぎじゅうじかんなっていう小さい女の子を探して。近くにいるはずなの」


「わかった」


 各々解散。

 シャルルとヘカテーはヒルデガードを追って森の中へ、ルーナや康平他は反対側の森の中へ、そして紙縒は、


「『身式』装甲、式動!」


 背中が一瞬熱くなる。装甲とは言うものの、要するに身体強化のための術式だ。

 紙縒が人外の身体能力に近づくために考案した禁止術式すれすれの両刃もろはつるぎ


「そのまま帰れるわけないってことぐらいわかるでしょ、バカ」


 パッと取り出した1枚の紙。

 紙縒はそれを手早く正確に折り始める。

 少しずつ形は整っていくのに紙縒の手は止まらない、最初からその形が決まっていたかのように折り進め、


「できた!」


 端を少しずつ折ってできた限りなく真円に近い多角形。そしてその中にも折り目でいくつもの文字や記号を再現していた。


「『飛天』」


 書くものもなく即席で作った魔法陣に紙縒の魔力が流れ、視界がぐるんと反転した。


「衣笠!?」


 目の前に黒乃。

 空間転移魔法――ヴァニパルで船に乗り遅れた時に失敗してから勉強した――に驚いている様子の黒乃の間合いに飛び込んで、構えていたメイスでその足を払う。


「くっ」


 黒乃はバランスを崩しつつも、片手を地に突いて、すぐに体勢を立て直してくる。


「特別遺失物取扱課では上下関係イコール能力の高さだ。お前は私には勝てん」


 何処かで言ったような言葉だな、と紙縒は思わず笑みをこぼした。

 そして大きく息を吸って、


「うっさい! 絶対に一緒に帰る! それはアンタも影乃も同じよ!」


 紙縒にとっては本当に珍しい、久しぶりに康平以外の誰かにワガママを言った瞬間だった。

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