(22)一堂‐Ich versammele mich in einer Halle‐
特別遺失物取扱課ヴォルケンシュタイン副室長執務室――。
「――Ich beende einen bericht(以上が報告です)」
「Danke(ご苦労)」
連絡員からの通信術式を解除すると、ハルトムート=ヴォルケンシュタインはため息をついた。
「クロノ……室長直々に出ていったと思えば、消息不明だと? まったく……無駄な仕事を増やしてくれるなよ」
そう1人ごちると、椅子に体重を預けて黙考する。副室長に選ばれてこの席に座っている以上は、こういう事態でも動けなければならない。そう頭ではわかっていても、結局動かせる駒は少ないため動こうにも動けそうになかった。
「仕方ないが、今できることをするしかないのだろうな」
デスクの天板の一部をスライドさせ、通信用のマイクを引っ張り出す。
「リリスを呼べ」
そのマイクに向かってそれだけ喋ると、
「サブちゃん、呼んだ?」
執務室の扉を勢いよく開けて、1人の女性が入ってくる。外見年齢17歳というのを考えれば、少女寄りかもしれないが。
彼女の今の名は、リリス=イージスエイル=初音。
『狂喜の科学者』グリモアール=ペラペリペルの手で作られた半人半機だ。外見に大きな違いはないものの身体の半分が機械でできており、その実態はグリモアの人体実験の被害者。グリモアの刑期52年と引き換えに人として思い描いていた人生を失った少女だった。
「その呼び方は止めろと言っただろう」
「別にいいじゃない。減るわけじゃないんだから」
『サブちゃん』というのは彼女がハルトムートを呼ぶ際の呼び名だった。『副室長』の『副』からとったようだ。
「まあいい。手続きはしておく。すぐに第一世界へ行け」
「第一世界……なんで?」
「お前の妹、室長、闇桜、リュシケー、釘十字。以上五名が第一世界で消息を断った。その調査だ」
「チェリーが? びっくり! ていうか室長はなんでそんなチート集団引き連れて第一世界に行ったの? 何考えてるんだろ」
「わからない、が。そいつらが消息不明ということは何かあった可能性が高い。歴変異常は現在調査中だが結果はまだ出そうにない。だから最悪の事態を想定して先に向かえ。そういうことだ」
「あいあいさー、ところで何人か連れてってもいい?」
「構わんが、人員が決まり次第報告はしろ。手続きができないからな」
「イエース! さっすがサブちゃん、話がわかるぅ。んじゃバイ!」
扉を蹴り開けて、リリスは執務室を飛び出していった。
「室長は面倒だから回してくれるなよ、ヨイヤミクロノ」
ハルトムートは再び1人ごちた。
その直後、執務室の外のオフィスの一画で交わされた会話に気づくこともなく。
「久しぶりにめんどくさい仕事だよ~」
「仕事なんざとってくんなよリリス!」
「うっさいテクス! 私は悪くないしっ。サブちゃんから私に指名があったんだよ」
「指名ってなんだかイヤらしいヒ ビ キ」
「そう思うのはお前だけだよミルア」
「んでどんな仕事なんだよ」
「イラつくからお前が仕切るなテクス。えーっとね第一世界で調査かな。場合によっちゃ救援も入るかもね」
「ヤメだヤメだ。んなめんどくせぇことやってられっか! リリス、お前責任持ってそれ突き返してこいよ」
「行くなら自分で行きなさいよ」
「俺、あのオッサン嫌いなんだよ!」
「じゃあ文句言わな~い」
「み、みんな落ち着いて……」
「うぉっ、なんでいきなり泣きそうになってんだよミコ!」
「テクスが大声で喚くからでしょ!? いいから黙ってなさいよ! 皆で行くわよ! どうせ突き返すなんてできないんだからやるしかないじゃない」
「俺のせいかよ!」
「みんな……喧……嘩、しな……いで」
かなりドタバタしていた。
「ヒルデガード=エインヘルヤも術式を解除したようです。どうやら囮だったみたいですね」
アプリコットが紙縒に耳打ちする。
「ふふふ~アプリコット~。全力で殺らなければ残るのはお前とインフェリアだけになるのです~」
サァッと風が吹き、同時にチェリーの背後に変わらずメイド服を纏ったヒルデガード=エインヘルヤの姿が現れる。
「鈴音様、上手く……いったようですね」
「誉めて遣わす~なのですヒルデガード~。しかし私の立てた作戦に間違いはないのですからして~次そんな質問をしたら身体中を切り刻んでやりますよ~?」
チャキチャキと血に濡れた鎌同士をこすり合わせて音を鳴らすチェリーは、ヒルデガードを睨み付けた。
「明日までは憶えておきましょう」
「減らず口を~」
チェリーはヒルデガードに睨むような視線を送ると――クンッ。
手首を返して、大鎌を投げた。まるでブーメランのように回転しながら宙を切り裂き飛んでいく鎌は、残った馬の首を易々とはねてリクルガの座る御者席へと向かう。
「私に任せろ!」
腰に差した宝剣アポルオンを抜いたリクルガはその立てた刃先をその鎌に向ける。
「はぁっ!」
ガキィイィン!
気合いと共に放たれたアポルオンの一撃が鎌の軌道を大きく逸らす。そして鎌はヒュンヒュンと風切り音をたてながら、高い放物線を描いて道沿いの森に消える。
「ふふふ~ならばこれはどうです~?」
チェリーは口元を鋭く歪ませると、同じように鎌を投擲した。
リクルガは再び剣を縦に構え、
パァンキィンッ!
「なっ……」
アポルオンの切っ先が大鎌を捉える瞬間、チェリーがいつのまにか構えていたSVDから7.62mm×54Rが発射され、鎌の刃部分に接触したのだ。銃弾自体は金属刃に弾かれたが軌道を変えるには十分すぎるほどで、紙縒がそれだけの思考を終えた頃には既にリクルガに当たることなくその場所を素通りしていた。驚くことに刃の回転がちょうどリクルガの身体を避けるような軌道で。
間に合わない……! 紙縒の脳裏に『死』が過った瞬間、馬車の左側の幌を引き裂いて、アルヴァレイの鉤爪が中に飛び込んでくる。それを左手に着け、右に短剣を握りしめたアルヴァレイは、
「伏せろ!」
空中で鉤爪の刃と刃の間に鎌の大刃を捉えていた。
カンッ。
金属同士のぶつかる乾いた音が響く。
アルヴァレイは鉤爪を着けた左手首を無理やりひねり、回転に合わせて短剣を鎌の刃先にあてがって勢いを殺して馬車の後方に放り出した。
「すごっ……」
アルヴァレイの声から一瞬遅れて身を伏せた紙縒が思わず呟く。
「はぁっ……はぁっ……できるとは……思ってなかったけどねっ……」
息が荒い。
アルヴァレイ本人からしてもかなり無理のある行動だったのだろう。
「ふふふ~『奇跡』とは~かくも簡単に起こってしまうものなのですよ~」
攻撃を避けられたと言うのになぜかやけに嬉しそうにそう言った。
「無駄に器用ですね」
「何か言いましたか~ヒルデガード~」
「いいえ、何も。ところで早く馬車から出てきては如何ですか? 腰が抜けているのであれば無理強いはしませんが、私どもも何の抵抗もできない弱者をいたぶるのは心が痛みますので」
一瞬丁寧な言葉遣いに聞こえるヒルデガードの言葉。その端々に含まれた悪意の棘が、紙縒の口元をピクピクと引き攣らせる。
「アプリコット……本気出しなさいよ」
「わかってますよ、っつか言われなくてもそもそも目の前で上司と後輩拐われて苛立ってんのはこっちですから。役割プログラム起動。汎用アンドロイドプロトタイプβ。モード『禁忌果の洗礼』。Passcode【*********】認証。いちいち音声化しなきゃいけないのが面倒ですけどね」
アプリコットは『禁忌果の洗礼』モードを起動させると、まっすぐ裂けた幌をさらに引き裂いて外に飛び出す。
「気を付けてくださいっ。姿こそ見せていませんが黒乃と影乃と神流! それにリィラ=テイルスティングも付近にいます!」
アプリコットの警告に紙縒はギリッと歯を強く噛みしめ、アルヴァレイはハッと息を呑んだ。
「テイルスティングだと!?」
馬車の外にいた鬼塚が驚いたようにそう叫び、周りを見回す。
「チェリーさん。いい加減正気ですか?」
アプリコットは最後通牒のように静かにチェリーに問いかける。
「もちろんなのです~。私様には私様なりの理由というものがあるのですからして~、邪魔と判断したお前は排除されろ~とつまりそういうことなのです~」
「そうですか。ボクとしては残念でなりませんね……。チェリーさんとこんな風に戦うことになるなんて……しかも肝心な理由はまさかの詳細不明。なんでこんなことになってんのかも未だにわかってねえっつーのに」
チェリーはSVDを再び両手で構えると、その照準器を覗いてハッと息を呑んだ。
「……お前の涙なんて初めて見たのです」
「ボクも初体験ですからね……天使の刃翼及び天使の守翼展開確認……いきますよ……鈴音」
その呼び方にチェリーの眉がピクリと歪み、アプリコットは刃翼のついた腕を肩幅に開いて、構えをとった。
「ふ……ふふふ~、だから私様はお前を気に入っているのです~」
カンッ。
文字通りの一瞬でチェリーの間合いに入ったアプリコットは、刃翼の一閃でチェリーの持つSVDを割断する。そして至近距離で笑うチェリーの目を睨み付けると、一言。
「勝ちます」
そして守翼の渾身の一撃をチェリーの身体に叩きつけた。
チェリーは一言も発することなくその一撃を受けて宙を舞い、その小さな身体は森の奥に吹き飛ばされた。
まるで全てわかっているかのように。
アプリコットは潤む瞳を手の甲で拭い、
「紙縒。らしくない言葉で悪いですが……健闘を……」
そう言い残し、チェリーを追って森の中に入っていった。
「感動のラストまで残り時間も後わずか、といった感覚でよろしいのでしょうか。残念ながら私が解することのできそうにないお二人でしたね」
ヒルデガードは言葉の割にそれをぶち壊しかねない調子でふぅっとため息をつき、前で揃えて重ねた右手を胸の前に挙げる。
「さて私は誰と戦えばよろしいのでしょうか。何分戦いはあまり好まないものですから、お手柔らかに」
「その必要はない」
凛とした声が驚くほど静かに響く。
ヒルデガードの言葉を遮りその行動すらも遮った台詞、その声の主は誰も気がつかない内にヒルデガードの後ろに立っていた。
「こいつらなら私一人で十分だ、下がっていろヒルデガード」
カチャカチャと鎧の音をさせながらゆっくりとヒルデガードに歩み寄った赤毛の女性。その凜とした瞳も、すらりとした長身も、男勝りな喋り方も、何も変わっていない。
リィラ=テイルスティングがいた。
「しかし、リィラ様は黒き森の魔女が目的なのではなかったのでしょうか」
「ここでコイツらを皆殺しにでもできなければ、私が心を喪うことなく狂悦死獄の下で残虐非道を進むなど無理な話だ」
そう言いつつも、その視線は黒き森の魔女、すなわちシャルルに向いていた。
そして、以前のリィラの面影は完全に消え失せていた。正義感が強く、弱い者を助け、そして自分の弱さを嘆いていたリィラは、完全にぶち壊されていた。
「さあ武器をとれ貴様ら。貴様らが守るべき者を全力で守れ。守るために戦え。私はそれを戦いをもって打ち壊し、貴様らから全てを奪い去る!」
シャアッと剣を抜いたリィラは、高らかにそう咆哮した。