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≪連載停止→改稿版連載中≫  作者: 立花詩歌
第七章『狂悦死獄』
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(15)狂王‐Zu gleichen Bedingungen‐

「キャアアァァァァッ!」


 アルヴァレイ=クリスティアースはその悲鳴に後ろを振り返った。


「いやっ、いやああぁぁぁっ!」


 閉ざされたその器具――紙縒はアイアンメイデンと呼んでいたが、この用途を見る限り誉められた部類の道具ではなさそうだ――の扉の隙間から大量の赤い液体が流れ出し、ヴィルアリアのつんざくような悲鳴が穏やかだった港に響きわたった。

 その悲鳴にぎょっとした人たちが、危険を察して逃げ始めた。

 それで安全な所に逃げられるなら、俺たちを囮にするのが常套手段だろうな。


「我は問う、我が『櫃』は何処かと」


 何の抑揚もない平淡な声でそう言って、目の前の男は検分するような調子で顔を動かす。そしてピタリと動きを止めた。

 ヴィルアリアはアルヴァレイの背中に隠れ、それを頼って泣き始めた。

 背中にかかる重みが弱々しい。


「う、うぅっ、お兄ちゃん……」


 服の裾を掴む手はカタカタと震え、声も恐怖でおののいている。

 無理もない。

 どころか当然の反応だ。

 おそらく今いる中で最も実戦経験に乏しく、それ故によくも悪くも人の死に慣れていない。いくら医者のたまごと言ってもまだ子供のヴィルアリアに、あの婆さん――もちろんヴェスティアのことだ――が人の生死に関わるようなことを任せるとは思えない。ヴィルアリアにとっては、人の死はまだ遠いはずのものなのだ。

 その時だった。

 アイアンメイデンの中からカンカンと何かを叩くような音が聞こえてきたのは。


「まあそう泣かないで下さいよ、ヴィルアリア=クリスティアース。ボクはこんなんで壊れやしねえってアルヴァレイ=クリスティアースは知ってるはずなんですけどね」


 アイアンメイデンの中からくぐもった声が聞こえてくる。


 そう。

 ヴィルアリアは見ていないが、アルヴァレイはその異常を見たことがある。場所はローア城塞、チェリーという殺人狂に身体をバラバラにされてなお、何事もなかったかのように復活する。


「アプリコット! 貴女も早く出てきなさい! わたくし一人で叶う相手ではなさそうです!」


 いつのまにかメイスを抜いていた紙縒が貴婦人のような喋り方――仕事中には大抵こんな口調で話しているらしいけれど、理由とか詳しいことは聞いていない――で叫ぶと、アイアンメイデンの扉がバキィッと盛大な音を立てて吹き飛んだ。

 ヴィルアリアが息を呑む音が背中から聞こえてくる。


「アリア。もう少し下がってて」


 アルヴァレイが促すと、ヴィルアリアはアルヴァレイの背から離れて海に落ちないギリギリの所まで下がった。


「ああ、まったく痛い痛い。いい加減にしてくださいよ、狂悦死獄(マリスクルーエル)。ボクだって怒るときは怒りますし、自分より強い奴には容赦できねぇんですから。死なない程度にいたぶらせてください」


 棒読みの平淡な口調でそう言いながら、アプリコットは何事もなかったかのようにアイアンメイデンから出てきた。服は何かに突き刺されたような穴が無数に空いていて、血で真っ赤に染まっている。


「あれ?」


 出てきた途端に緊張感を欠片も感じさせない間抜けな声をあげる。

 その視線の先にはなぜか紙縒がいる。

 紙縒も訳がわからないようで、狂悦死獄マリスクルーエルの方を警戒しながらアプリコットに怪訝な表情を見せる。


「なんでこよりんはメイス出せてるんですかね。もしかして結界フィールド消えました?」


「魔法無力化結界《MCF》じゃないわ。たぶん魔法発動制限結界《MLF》ね。昔誰かさんにMCFされてから、保険として武器に透明化つけて持ち歩くことにしてたの。どうせこれなら付与効果オプション付きで軽いしね。だから……」


 紙縒は溜めるように言葉を切り、狂悦死獄マリスクルーエルに向かってメイスを構え直した。

 その目付きが瞬く間に鋭く変わる。


「貴女の『禁忌果の洗礼ヴァイター・アプフェル』も使えるはずです。わたくしの記憶が正しいのならば、あれは切換術式ではなく封印術式。既に発動し続けているモノならそれを解除するだけですわ」


 何を言っているかわからないけれど、アプリコットの表情が一瞬で変わった。


「それはいいことを聞きました。ダメですね、やっぱり魔法関係のデータも入れといた方がいいんですかね」


 アプリコットが嬉しそうに跳ねる。

 アルヴァレイがアプリコットと会うのはこれで2回目だが、こんなことをするようなイメージは皆無だった。


「貴様らが何を為そうとも、我の前では等しく同じ。それを刻んでやろう」


狂悦死獄マリスクルーエル。なんでお前は今の今まで待ってたんですかね。記録通り容赦なくすぱっとやっちまえばいいじゃないですか」


「それは貴様ではなく我の都合だ。貴様の関知する事にあらず」


「はっ、笑わせてくれてありがとうございますってお礼を言えばいいですかね。どうせお前も結界フィールドの影響を受けてんでしょう? 人間の分際でぶんわきまえない見栄張るからです」


 グジュ、と嫌な音がした。

 突然地面から生えた大きな蔓草つるくさがアプリコットの身体を貫いていた。


「恐れ襲われ震えよ、肉裂薔薇ブラッディローズ


 狂悦死獄(マリスクルーエル)の呟きと共に、その巨大な蔓はガタガタと小刻みに震え始めた。

 それが招く現象はもちろん、


「あがっ……~~~~~っ!」


 傷口をえぐられ中を引き裂かれる痛みに、アプリコットが声にならない悲鳴をあげる。今、肺と同じ役割をしている部分も一緒にかき回されたのだから声が出せないのは当然のことだ。


「不死ならば無限の苦痛を与えよう」


 狂悦死獄(マリスクルーエル)はアプリコットのことを不死だと勘違いしているが、紙縒はその本質なかみを理解している。だからこそ、紙縒が次にやったのは、アプリコットの救出ではなく狂悦死獄(マリスクルーエル)への攻撃だった。


「衣笠紙縒、参ります!」


 魔術による身体強化ができない今、使えるのは本来の身体能力だけだが、そもそも魔法が使えなかった12歳の時点で殺人器『黒壷』から逃げるだけの脚力を持っていた紙縒の足の速さは並ではない。

 ほぼ一瞬で狂悦死獄(マリスクルーエル)を自分の間合いにとらえた紙縒だったが、狂悦死獄(マリスクルーエル)はそんなことを微塵も気にしてはいなかった。


「我、速さをもって罪とし、重きをもって罰とする」


 瞬間、紙縒の下に赤色の魔法陣が浮かび上がり、ガクンと紙縒が姿勢を崩した。


ひざまずけ」


 何が起きたかわからないといった表情の紙縒が顔を上げた瞬間、何かが紙縒の上に乗っているかのように紙縒の頭が地面に押し付けられる。


「我が魔法に不可能はない」


「紙縒から離れなさい!」


 ヘカテーがその身体能力全開で、瞬く間に狂悦死獄(マリスクルーエル)の背後に回り込んだ。そして握り込んだアルヴァレイの短剣――「いつの間に!?」と叫んで右手に目を遣る本人は置いといて――を狂悦死獄マリスクルーエルの背中に向けて突き出した。


「むっ」


 狂悦死獄(マリスクルーエル)の身体に刃が達する瞬間、狂悦死獄(マリスクルーエル)は身をよじり、その刃をかわす。


「なめないで!」


 ヘカテーは地面に這いつくばる紙縒の胴に左腕を回し、同時に右手首を回転させてその短剣を投擲とうてきした。


「アル君!」


 ヘカテーは体勢も不安定な状態のまま身体をねじり、その勢いだけで紙縒を投げ飛ばす。


「うおっ」


 と何処と無く情けない声をあげつつもアルヴァレイがなんとか抱き止めたのを確認すると、ヘカテーは再び狂悦死獄マリスクルーエルに向き直る。

 狂悦死獄マリスクルーエルはどうやらヘカテーの投げた短剣を空中で受け取ったらしく、その柄を逆手に握ったままそこに立っていた。


「貴様が旧き理を背負う者(エンシェントルーラー)だったというのはあながち誤りではないようだ」


 そう言うと、狂悦死獄マリスクルーエルは短剣を後ろに投げ捨てる。


 ザクッ。


「?」


 狂悦死獄マリスクルーエルはわずかに身体を震わせた。そして肩ごしに背中に視線――薬師寺丸薬袋やくしじまるみないと同様に見えてるかどうかが定かではないが――を遣る。

 ヘカテーの方からは見えないが、さっき狂悦死獄マリスクルーエルが放り投げた短剣がその背中に刺さっているはずだ。


「不思議そうな顔っつっても半分見えねえのでどうでもいいんですけど、よければ解説しましょうか?」


 つるに突き刺さったままのアプリコットがだらりと身体の力を抜いたような体勢でククッと笑い、その身体を霧散させる。そしてやたら誇らしげな顔でアルヴァレイの隣に現れた。


「っつっても説明する気なんざさらさらねぇんですが」


 アプリコットがやったのはアルヴァレイの右手から抜き取った短剣を身体の中に隠し、自身の身体を粒子へと分解し、その一部を短剣の形で固定化した。

 後は想像通り、緩い攻撃で狂悦死獄マリスクルーエルに避けさせるか受けさせて、至近距離から心臓を狙ったのだ。


「不用。元よりこの程度の傷など歯牙にかけるべくもない。しかし奇妙。あの女の話より人ならざる者が多いようだ。精々が1人程度だと承知していたが、ほぼ全員となると話が逸れる」


「人じゃないのはヘカテーとアプリコットとインフェリアぐらいだ! 訂正しろ!」


「いまそこ!? ってちょっとアル君!? 私、今は人だし! ティアラは人じゃなくて人格だからね!」


「ワシは一応人じゃと言うに……」


 ヘカテーが眉をつり上げて怒り、いつの間にかアイアンメイデンの裏に隠れているインフェリアから不憫ふびんな呟きが耳に届く。


「アル、武器はあるよね」


 アルヴァレイの腕にしがみついて立ち上がった紙縒が急にそう訊ねてきた。


「ああ、もちろん」


 と左手の鉤爪のベルトを止めつつ、


「じゃあそれ貸して」


「え!?」


 紙縒は立ち上がると、当たり前のように手を差し出す。


「どうでもいいけど相変わらず俺の周りって人の了承を得ない奴多いよなぁ」


「本当にどうでもいいことね。早くして? このままだとみんな死ぬわよ」


 結局了承も得ずにアルヴァレイの左手からそれを引ったくると、左手にはめた。


「本当は慣れてない武器は使わない主義なんだけどね。でも私のはアイツの足元だし……たぶんこういう近接戦はアルより私のが慣れてると思うか、らッ!」


 紙縒は空いた右手でアルヴァレイの肩を掴み、足を左側に移しつつ引き倒した。


「いっ」


 アルヴァレイが痛みで顔をしかめた瞬間、さっきまでアルヴァレイ達の立っていた場所を風の刃が通り抜けた。

 何が起こっているのかわからず、呆然と立ち尽くすヴィルアリアに向かって。


「避けろアリア!」


 その叫び声にヴィルアリアの肩がビクンと跳ね、その瞬間に吹き荒れる高密度の風の刃がヴィルアリアを襲う。

 横からヴィルアリアの前に飛び出したティアラもろとも。


 ザグンッ!


 何かが裂けるいやな音がして、ティアラの背中から血の華が咲く。


「ティアラ! アリア!」


 ぐらりと二人の身体が揺らいで、バランスの崩れた2人は海に落ちた。

 アルヴァレイはすぐに起き上がると、ティアラとヴィルアリアの落ちた海に飛び込む。赤く染まったその海に。


「アル!」


 紙縒が自分も飛び込むか否かで瞬巡していると、アルヴァレイがティアラを抱えて水面に頭を出した。

 続いてヴィルアリアも水面に顔を出す。


「アリア大丈夫!?」


「私は大した傷は無いけど、ティアラさんが私を庇って……」


 紙縒は泣きそうな顔になっているヴィルアリアに手を貸して引き上げ、さらにティアラを引き上げて横たわらせる。

 すぐにアルヴァレイも上がってくると、横たわったティアラの隣にしゃがみこむ。


「アリア、治療できる?」


 紙縒がそう聞くと、ヴィルアリアは目を伏せて首を振った。


「魔法が使えないから、必要な道具も薬も出せないの! 魔法が使えなきゃどうしたらいいのかわからないし!」


「いい……。私、必要ない、治療……」


 ティアラは辛そうに眉を歪めつつも、微笑んで言った。


「理由……自分、可能……治療……」


 ティアラの右手の人差し指が淡い緑色に光り始める。


「はぁ……はぁ……」


 ティアラはその指をじっと見つめると、ゆっくりとそれを左胸に当てた。

 次の瞬間、驚くほどあっさりとティアラの左胸にその指が埋もれていった。


「私、必要、時間……治療……」


 紙縒はティアラの言葉に無言でうなずくと、狂悦死獄マリスクルーエルと対峙しているヘカテーとアプリコットの救援のため走り出す。


「時間稼ぎなんてやったことないけど! 康平! そっちよろしく!」


 康平の左側を走り抜けつつ、右手で肩を掴んで背後へ押し退ける。

 康平はうわっと叫んで尻餅をついた。


「カッコ悪……」


 康平の方もそこそこに狂悦死獄マリスクルーエルの方へ視線を戻す。

 狂悦死獄マリスクルーエルはヘカテーの持つ紙縒のメイスの一撃を、掌に張った防御特化仕様の魔法陣で受け止めているところだった。

 その接触点で、乱された魔法陣が自己修復の火花をあげる。


「この程度か」


 狂悦死獄マリスクルーエルは、まるで用意された台本のナレーション部分を淡々と読み上げるようにそう言った。


「別段急ぐ訳にもあらず。我が直接手を下す手間を惜しむゆえに」


 アプリコットがアルヴァレイの短剣で狂悦死獄マリスクルーエルを左から突く。

 狂悦死獄マリスクルーエルはそれを空いていた手と張った魔法陣で受け止めると、未だに攻防を続けていたヘカテーの手の中のメイスを弾き飛ばした。

 そして、目を隠していた布を取る。


「ラスウェル」


 低くそう呟いた。


 バキンッ。


 紙縒とアプリコットがその名前を思い出そうとしたその瞬間、何かが割れるような大きな音がそこにいる全員の耳に届いた。


「なっ!」


 紙縒が慌てたような声をあげる。

 鋭く巨大な爪と牙。

 大きく裂けたあぎと

 綺麗で滑らかな鋭角を描いて立つ耳。

 柱のような太い脚。

 恐ろしいほど美しい、まるで黒々とした炎が燃えているような毛並み。

 鞭のような毛に覆われた剛靭な尻尾。

 狂悦死獄マリスクルーエルの開かれた眼から飛び出すように現れた巨大な狼に、目を奪われていた。


「こんなのどこに入ってたってのよ、むちゃくちゃじゃない!」


 紙縒が叫ぶと、大水晶のような瞳が紙縒を見つめた。そして首をもたげると、


「相も変わらずお前の周りは人間ばかりだね。新しく手足でも見つけたか?」


 再び目を隠している狂悦死獄マリスクルーエルに視線を遣ってそう言った。


「こいつ喋るの!?」


 紙縒が驚いたような声をあげる。


「貴様の仕事は露払いだ」


「また私に雑用を押しつける気か。たいがい馬鹿にされたものだね」


「言い方が気に入らないのであればにえであると訂正しよう」


にえ……だと?」


 口元がピクリと動き、目が見開かれる。


「くくくっ、まったく都合のいい解釈をしてくれるものだ。まあよかろう。此奴こやつらの名は何と言う」


「貴様に任せるのに名前を知っていなければならないのか?」


「くくっ、ふはははっ。知らんなら知らんと大人しく言えばよいものを。くくくっ」


 ラスウェルは口元をぴくぴくと震わせて、笑いをこらえるように歪ませる。


「貴様の口には毒しかないのか。余計なことを考える頭があるのなら、さらに賢く使え。賢狼と言うのならな」


「お前なんかと契約しちまった昔の私を噛み殺してやりたいよ」


 ラスウェルは狂悦死獄マリスクルーエルから無理やり目を逸らし、紙縒やヘカテー、アプリコットに目を向ける。

 その間に狂悦死獄マリスクルーエルは姿を消した。


「小さき者たちよ」


 ラスウェルは笑うように、虐げるように上から告げる。


「お前たちのような無力な者が狂悦死獄マリスクルーエルに何をしたかに興味はないが、契約の上で私はあいつに逆らえない。ここで沈んでもらう」


 ラスウェルは尻尾を振って脚を踏み鳴らすと、大気を震わせるように咆哮した。

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