(12)双翼‐Ein moderner Kampf‐
わずかに身を反らせたアプリコットの頬を銃弾が掠め、薄皮1枚を引き裂いて紅い線が刻まれる。
「どのような気の迷いなのですか~。アプリコットが私様の攻撃を避けるなんて~。しかししかし~避けきれてはいなかったようですが~」
アプリコットは頬から口の端に流れる赤い液体をペロリと舐めとると、
「ガチバトルでは修復に演算能力を回してられないので、できるだけ避けることにしてるんですよ、ボクは」
傷がスッと薄れるように消える。
「演算性能が低いからそんなことになるのです~」
「足りないんじゃなくて、使わないだけです。今も3割程度未使用の部分が残ってますよ。っつーかボクより遥かに性能の劣るチェリーさんには言われたくねえんですけどね」
「私様は~機界最大の兵器格納庫。そもそも演算能力などほとんど必要ないのです~」
「足りない分を『アルテミス』のCPUに任せているだけですよね知ってますよ」
ダダダダダダダダッ!
アプリコットの軽口に対して、チェリーの背中から伸びたロボットアームがUZIの引き金を引き、その掃射を返答の代わりにする。撃ち出された銃弾は、1発がアプリコットの左肩に直撃し、その他多数は彼女の背後にあるクリスティアース薬局のガラス戸を粉々に割り砕き、綺麗な緑色に塗られた木壁を蜂の巣状に貫通した。
「まったくなんてことしてくれんですか」
アプリコットは後ろを振り返りもせず、ただUZIの銃口だけを見すえながらため息混じりにそう呟いた。そして、肩に残った銃創を何もなかったかのように修復する。
チェリーの立っている背景では、発砲音に驚いたためか銃の威力を目の当たりにしたのかわからないが、本能的な危険信号に従って人々が思い思いに逃げていく。
手近な――しかし、チェリー達からは十分に離れた――店に入っていく者。
ただ遠くに逃げようとする者。
治安維持のための自衛武装組織でもあっただろうか――今、アプリコットにデータベースにアクセスする余裕は無い――、街頭設置電話からこっちの様子を窺いつつ、何処かに連絡している様子の者もいる。
「余所見をしている暇があるのですか~アプリコット~。今、お前の目の前にいるのはチェリー=ブライトバーク=鈴音。『戦々狂々』なのですよ~?」
アプリコットはきょとんとして、次の瞬間思わず口元に笑みがこぼれた。
「その呼び名、気に入ってますね」
「当然です~。私様にぴったりのよい響きですので~」
「まあ適当に考えた奴なんですけど」
『Doppelt Schneide』、英語に直せば『Double Edge』。
独語直訳で『二重の刃』を意味する、実のところアプリコットがチェリーにつけた二つ名だった。
チェリーとの初対面の時のことだ。
特別遺失物取扱課のフロアで出会い頭に腕を斬り落とされた。
『がっかりです~。ただの人間ならすぐに病院送りにできましたものを~』
正直その時は、逆にこいつを精神科送りにした方がいいんじゃないかと思った。
その時のボクは今ほど穏健派でもありませんでしたから、もちろん報復はしました。一目見て、人外だとわかったからってのもありましたけどね。ボクの腕を斬り落とした件の大鎌の刃をへし折って、口から後頭部にかけてぐさりと。
それでボクの気は晴れたんですが、その後もう1本の大鎌で身体をバラバラにされました。
いや、まあそんなグロテスクで、再現VTRなんか用意しようもんなら規制かかりそうな心暖まるエピソードはどうでもいいんですが。
そんなこんなで皮肉を込めて付けた名前が『戦々狂々』ってわけですが、まさか気に入るとは思ってもいなかったんですよね……。
「回想に浸ってないで、早く武器を抜いたらどうなのですか~アプリコット~」
「少しぐらい空気読んでくれませんかね、気持ち悪い。っつーかチェリーさんと違って、ボクには銃器も刀剣もしまえる場所がねぇんですから。武器なんてあるわけがないって、よく考えなくてもわかりませんか?」
「『機哭啾々』と呼ばれるお前が武器がないなどと言う気なのですか~?」
「言う気もなにも言ってるんですが……。つかそう呼んでんのはチェリーさんぐらいのもんです」
一度しか見せていないはずのことをよくもまあよく憶えてるもんです。まともな常識は覚えねえくせして。
『Scharf Flugel』、同じように英語に直せば『Sharp Wing』。
これまた同じく独語直訳で、『鋭い翼』を意味するアプリコットの38番目につけられた呼び名だった。
他でもない、チェリーによって。
「抜かないつもりならそれはそれで構わないのですよ~。抜く気が起きるまでいたぶってやるだけですので~」
チェリーは鋭い歪むような笑みを一瞬だけ口元に湛えると、地面についていたPTRS1941を呑み込むように格納した。
「ど~れ~っに~し~よ~う~っか~な~。わ~た~し~さ~ま~の言う通り♪」
まるでお菓子を選ぶ子供のような表情で格納庫から出してきたモノが、チェリーの手の中に現れる。
SPAS-12。
セミオートによる高い速射性能と物理的な耐久性の高さから、猛烈な火力に加えて多種多様な状況に対応できる自動コンバットショットガンだ。
ショットガン、特にセミオートの散弾使用ショットガンは、アプリコットが敵に回した時、相手として嫌いな部類に入る。
別に苦手なわけではない。
そもそも微小な粒状金属の集合体であるアプリコットには、瞬間的な高温状態を作り出す爆弾類や火炎放射器以外の一般的な対物銃器は本質的ダメージは皆無に近い。
一般的な銃はある程度の集弾性を持っているため、身体の修復にもさほど時間がかからず、基本的には貫通するため弾が残ることも稀だ。
しかし散弾は違う。
元々の貫通性能が低いために身体の中に弾が残りやすく、広範囲に被弾するために修復にも時間がかかる。
さらにできる限り人に近づけるために痛覚に似た感覚を持っているアプリコットにとって、すぐに治せない散弾の傷は苦痛以外の何物でもない。
「相変わらず性格悪いっつーか性根腐りきってますよね」
「アプリコットに言われたくはないのです~。今までお前のせいで何回黒乃に斬られたことか~」
「いや、自業自得ですから」
シャキンッ。
アプリコットは腕を振るようにして、内に隠された刃を開く。
「いつまでもチェリーさんの自己満足に付き合っててろくなことになった試しがねぇので、望み通りにしてやりますけど……あんまり期待しねぇで下さいね」
知恵の実システムが、長い間使っていなかった形状を、スフィアキューブに指示する。
「役割プログラム起動。汎用アンドロイドプロトタイプβ、モード『禁忌果の洗礼』。天使の刃翼展開確認。Passcode【*********】認証しました」
チェリーは、アプリコットが変わるのを足をトントンと踏み鳴らして待っている。
アプリコットはそんなチェリーをちらっと見ると、チッと舌打ちした。
「ボクを舐めてませんかチェリーさん」
「ふふふ~。そんなことはまったくまったく無いのです~。私様はただ状況が面白くなるのを虎視眈々と狙っているだけなのですからして~」
チェリーはころころと鈴が鳴るような声で笑う。
アプリコットは自分の唯一の武器『天使の刃翼』をぼんやりと眺める。
自分の両腕の側面から外向きに広げられた巨大な刃。刃渡り5,60センチほどの刃は腕の先側が鋭く歪み、流れるようなフォルムで斜めに平たい『S』――もしくは『乙』――の字を描いている。ちょうど、西洋の儀礼用の装飾されたハルバードの刃を腕に取り付けるとこのような感じになるだろう――自分を作った科学者が嬉々として褒めそやし、美しいと言ったが、アプリコットには到底理解できそうになかった――。
使い方としては、トンファーガントレットに近く、さしずめブレードガントレットとでも言えるでしょうね。
腕を庇うように伸びる刃で、間接的に身体を守る。アプリコットにとっては滑稽極まりない理由のためだけに、肘関節の辺りまで刃は達している。
チェリーはそれを初めて見た時に、非効率の極みと言ってなじっている。
アプリコットがそれを思い出してチェリーの顔を見ると、
「気持ち悪い気持ち悪い、なのです~。アプリコット~、我慢は身体に悪いですよ~? 早くもう2枚の翼を出すのです~。でないと……」
ちょうど同じような表情で、手の中のスパスをアプリコットに向けていた。
ズドン!
スパスの銃口から飛び出した12ゲージ散弾のワッズ――散弾と呼ばれる複数の小さな弾丸を内包しているプラスチック製のケースのことで、リムという金属部分と共に散弾銃の銃弾を形成している――が摩擦熱と内部炸薬の熱で霧散して、中の散弾を空気中に押し出した。
「勢い余って撃ってしまうのです~」
チェリーは舌をペロリと出して、スパスの銃身を愛おしそうに撫でた。
「いつも思いますけど、撃ってから言うのやめてくれませんかね」
とっさの判断でチェリーの望み通りに前に広げた翼――科学者が比喩的な意味で名付けた『天使の刃翼』と異なり、アプリコットの背中から広がる翼はさながら天使のそれのようだ――は、『天使の守翼』という。
羽根1本1本に至るまで細かい造形が成され、それでいて白銀の金属光沢による神聖性の増長効果や、圧倒的な質量感は見た者に本能的なプレッシャーを与える効果を持つ。
元からわずかな魔力を帯びたスフィアキューブから成る『天使の守翼』は、魔力効果を付与された金属の塊であるため防御性能が非常に高い。
つまり、攻撃のための『天使の刃翼』、防御のための『天使の守翼』というわけだ。
「それでこそ機哭啾々と言えるのですよ~。ふふふ~、ここからが本番です~。戦いましょう~。ただどちらかの停止を求めて~」
「ボクとしてはこれ以上ここでやりたくないんですけどね……」
「それが甘い」
チェリーの声が低くなり、ドォン!
派手な爆発音と共に、前に展開したままだった守翼に高熱と衝撃が伝わってくる。
ボクに効果的だとわかってて爆発物まで使ってくるなんて、結構本気で来てますね、チェリーさんは。
損傷は軽微ですがいつまでも受け続けるわけにもいきませんし。
ドォン!
次の爆発が起きた直後、アプリコットは自らの守翼を押しのけて、前に飛び出す。
黒煙を抜け、思った通り地対地誘導ミサイルランチャー――たぶん歩兵携行型対戦車ミサイルM47でしょうね。詳しい情報にアクセスしてる暇はありませんが、使い捨てられたランチャーもありますし、さっきの高威力を見てもまず間違いないでしょう――次のランチャーを構えている。
「まだまだですよ~」
チェリーは片手で用意していたランチャーを投げ捨て、左手のスパスの銃口をアプリコットに向け直す。
「その手は食いません」
守翼を再び身体の前を隠すように広げ、ピン、ヒュッ……。
そんな音を聞いた。
カツーン。
足元の隙間から、アプリコットの視界に入ってきたモノ。
それはハンディ・グレネードだった。
「っ!」
思わずそれを右方に蹴り出す。
その瞬間、丸い球体が再びアプリコットの視界に映る。丸い球の表面に映し出された黒一色のディスプレイに映し出されたデジタル表示の数字四つ。
『00:01』
グレネードに気をとられたその瞬間、短時間で爆発する爆弾を、上の隙間から投げ込まれたのだ。
知恵の実システムの反応の直前、アプリコットがその動体視力で捉えたのは冷たい数字の羅列だった。
『00:00』。
カッ、ドンッ!
一瞬か否かというわずかな時間、守翼の内側が高温の爆炎に包まれる。
そしてその爆風に耐えきれず、周囲を囲うように広がっていた守翼が弾き飛ばされた。と同時に新鮮な酸素の流入で、消えかけていた炎が新たにわずかな生を受けて、アプリコットの身体を背後に向かって突き飛ばした。
ドサッ。
「痛っ……!」
何度も言うようにアプリコットの身体は金属であり、普通の人類と違って皮膚が爛れたりするようなことはないが、皮表層のスフィアキューブが変質し、知恵の実の統制下から離れて剥がれ落ちた。
「数万単位の金属細胞が機能停止したようで~、良かったですね~アプリコット~」
「だから痛えっつってるでしょう……。ホント頭腐ってますよね……チェリーさんは……」
激痛。
ホント、あの科学者も痛覚なんて余計なものをよくも付けてくれましたよね鬱陶しい。自分じゃないから別にいいのか、最後までボクをモノ扱いしてましたしね。
唯一の救いがあるとすれば、その痛みはあくまで擬似的で、傷を負ったその直後だけのものってことぐらいですが、実際問題んなこと考えたってどうしようもないんですけどね。どっちにしたって痛いですから。
「早く起き上がらないと~」
ゆっくりと歩きながら、自分に笑いかけてくるチェリーの、その両手に持っているモノに軽い戦慄を覚えた。
「両足を切断しましょうか~?」
あらゆる切断系武器をかき集めたとき、機械の力に頼らずに最高級の切れ味を誇る上位ランカー。すなわち太刀。
チェリーの手の中にあるのはその中でも、呪いにより実質的に最硬の二振り。業物中の業物で、アプリコットもその鋭さは身をもって何度も体験している。
内に意思すら蔵する双刀。
「いやいや、それはねえでしょう。チェリーさん……」
現状況下のアプリコットの立場にとって、最も堪える事実。
『桜花双刀』がそこにあった。