(11)鈴音‐Ting-ein-ling Klange‐
「インフェリア=メビウスリングじゃ。よろしくの」
泣きそうな顔になっていた女の子は拗ねたように床を蹴りながら、老人のような喋り方でしぶしぶ名乗った。
「よかったですね、久々の出会いはちゃんとした人間ですよ! ……自称」
おいアプリコット。今、自称って聞こえた気がするんだが。
「でたらめ言うでない。ワシはれっきとした人間じゃぞ! ……一応」
うぉーい。本人までなんか危ないこと言い始めたぞ。
「ただ数百年死んだり生き返ったりを繰り返しとるだけじゃ!」
「それは人間じゃねぇ!」
ツッコミを口に出すなんてはしたない。
そう思い直して、喧騒――何か抗議してるっぽいインフェリアとそれをからかっているようなアプリコットの二人――から数歩身を引く。
「はぁ……今ってもうちょっと緊張感のある話題だったんじゃないのか……?」
「リィラだからじゃない?」
気がつくと、隣にヘカテーが立っていた。
いつものように、過剰なスキンシップ――ぴったり身体をくっつけてきたり――するでもなく、ちょうどいい間を空けている。
「私、リィラってまだちょっと苦手なんだけどね。なんか性格悪いし、やってるの理不尽なことばっかりだし」
うん、間違いない。間違いないけど自分のことを棚にあげるなヘカテー。
「でも苦手だけど嫌いじゃないの」
「……それはわかる」
暴言に辟易したり、暴挙に迷惑したりもするけれど、リィラさんのことは嫌いになれない。
「リィラって、なんだかんだ人に好かれるんだよね」
「悪いところもあるけど、いいところの方が多いしな」
その最たるものは、細かいことは気にしないあの豪快な性格だろう。
リィラさんはヘカテーやルシフェル、筋肉やルーナまで受け入れている。
俺はたまに自分が人外などのイレギュラーにあっさり適応しているのを、自分も普通から少し外れているのかもしれないと自問自答したりしているが、付き合いが長く、それ故に一緒にいた時間も長いリィラさんや鬼塚も、そう言った適応能力が高いのだろう。
鬼塚は受け入れるというより、全く気にしていないと言う感じだが。
あの筋肉もなんだかんだ豪快だからな。
鬼塚はさておき。
「だから、リィラなら大丈夫って思ってるんじゃないかな。みんなもリィラの強さは十分知ってるし……あ、でもほっとく訳じゃないよ。やっぱり仲間だし。苦労も苦難も強敵も、みんなで乗り越えていきたいから」
ヘカテーの人の、人間関係に対する憧れが垣間見える。
「相手があの狂悦死獄でも?」
「……うん。リィラなら大丈夫。思ってたよりちょっとだけ手強い敵だっただけ。アル君よく考えてみて」
ヘカテーはまだ何か喚いているインフェリアとアプリコットを一瞥し、開いた右手の指を2本折り曲げる。
「アリアでしょ」
また1本。
「ティアラでしょ」
さらに1本。
「シャルルちゃんでしょ」
もう1本折り曲げて、右手が握られる。
「アル君でしょ」
左手の指を――なぜか薬指から――折り曲げる。何か意味があるのだろうか。
「私でしょ」
ヘカテーは、なぜか頬を赤らめながら小指を曲げる。
「ルーナちゃんでしょ」
中指を折る。
「合流できるかわからないけど、ルシフェルと鬼塚もいるし。ガッドももうフラムに戻ってるかもしれないでしょ」
ヘカテーは、2本の指を開いたままの左手と人差し指を伸ばした右手を示すように顔の横に掲げる仕草をすると、同意を求めるような微笑みを浮かべた。
なるほど。
そう言われてみると、戦力外通告を受けそうな奴を除けば結構な面々だ。
アプリコットや初対面のインフェリアという少女の戦闘能力は未知数だが、ヘカテーにはルシフェルの身体能力の残滓が残っているし、ルーナは異常に足が速い――人の形態をとっていてもある程度は速く走れるらしい――。
俺のことは置いておいても、シャルルも一見トロそうに見えて、実は身体能力が高い――以前テオドールで非常に速く走ったのを確認済み――。
ヴィルアリアもティアラも、治療に関しては人並み以上どころかかなりのものだ。
筋肉は筋肉だし。
ガダリアさんは……規格外の気がする。
ルシフェルは――あの様子じゃそう簡単に帰ってこなさそうだけど――これまたありえない程の規格外だ。
前衛が俺とヘカテー。それと一応鬼塚。
中距離がシャルル。
支援特化がティアラとヴィルアリア。
今はいないが遊撃手がルシフェルだろう。いろんな人格を使い分けられるのも非常に大きい。
となると後衛は逃走向きの脚力を持つルーナとそのサポートとルーナの護衛、それと追跡阻止の3役を兼ねられる実力を持つガダリアさんということになる。
確かにこの戦力に勝つには軍隊を出してきても相手が人である以上はこっちが有利だろう。そう考えると、大抵の敵は相手にできるかもしれない。
「最強じゃない?」
「そこまでじゃねえよ」
何をどう勘違いしたら、そんなレベルの話に発展するのかを説明して貰いたい。
その時、アプリコットがインフェリアの首を後ろから掴んで持ち上げた。
それができる握力もかなりのものだが、その状況になってなお腕をバタつかせてもがくインフェリアもなかなかのものだ。
首は痛くないのだろうか。
「さて、こんなお子さんは放っておいて本題に入りますよ」
まだ入ってなかったのかよ。
「お主! ワシは子供ではないと言っておるじゃろうが!」
その姿では無理があるかと。
ツッコむ箇所が多くて、わずかに疲労感が溜まってきた。主に肩に。
「インフェリアはちょっと黙っててくれませんかね。うぜえのもありますけど大事な話をしてたとこだったので。っつーか戦えないのによくそれで狂悦死獄に喧嘩売ろうと思いましたね」
「んむ? 別にワシは戦えぬとは言っておらんぞ? 確かにお主らのような卓越した身体を持ってる訳ではないがの。そもそも闘えなくとも戦う術はあるじゃろうに」
「それでこれからのことですが……」
インフェリアの『無視かお主ら!?』という叫びを軽く聞き流して、アプリコットは人差し指を立てる。
「貴方たちの予定通り、今日中にヴァニパルに戻りましょう。っつーか、正直テオドールはたぶんあまり関係ないんで。戦場に入りて将を討つ、亦不楽也って奴です。知りませんね、はい。まあ別に狂悦死獄を殺す意味はないんですけどね」
アプリコットはそう言い切ると、アルヴァレイたちの反応を窺うように言葉を切る。
そこで床に座り込んだままのヴィルアリアが学生らしくまっすぐ手を挙げる。
「具体的には何をするんですか?」
「いい質問ですね、ヴィルアリア=クリスティアース。ぶっちゃけ私でもよくわからないってのが現状です。最初は衣笠紙縒にも連絡を取ろうと思ってさっき携帯に電話したんですけど出なかったんですよ。強襲戦ならお手のモンですからね。あの特例管理官サマは」
アプリコットは、第一世界の住人には通じない単語用語をそうと知っている上で普通に使い、最低限の情報しか残さない喋り方をする。
「つまり基本的には狂悦死獄の城なり砦なりを強襲することになりますね。正直めんどくせえですけど」
「やっぱり戦わなくちゃいけないんですか? リィラさんや貴方のお仲間さんたちに会えれば話し合いで何とかなりませんか?」
アプリコットは肩をストンと落とすと、ハァと大きくため息をついた。頭を振るその姿からは、明らかにヴィルアリアに対する落胆が見てとれた。
「黒乃や影乃や神流つまりボクの同僚の一部はそれでもどうにかなるかもしれませんが、ただの人間のリィラ=テイルスティングやぶっちゃけ頭おかしいチェリーさんは無理だと思いますよ。っつーかそれ以前に向こうさんが待ってくれないでしょうね」
ガァンッ!
アプリコットがそう言った瞬間、その言葉を待っていたかのように重い破裂音が表通りから聞こえてきた。
「来るとは思ってましたけど、行動記録のデータベースも持たないくせにえらく早く来ましたね」
アプリコットの言葉は他人事のように聞こえるが、この場で一番事態を重く考えているのは、間違いなくアプリコットだった。
「何? 今の音……」
ヴィルアリアがティアラに手を貸しつつ、共に立ち上がる。
「表からだ」
アルヴァレイはそう言うと、店の外に駆け出そうとして、
「人の話を聞いてください」
アプリコットに肩を掴まれて、受け身をとるひまもなく床に引き倒される。
「情けないですよ、アルヴァレイ=クリスティアース。貴方が守らなきゃいけない人は今だけでもこれだけいるのに、そんなことで大丈夫だと思いますか?」
アプリコットは視線だけをそこにいる面々に向け、最後にアルヴァレイと目を合わせた。そして、アルヴァレイを軽々と持ち上げ立たせると、
「今、外にはチェリーさんがいます。手遅れかもしれませんが、貴方たちはインフェリアを連れて裏口から港に行ってください。少し待てば船の時間ですから、予定通りヴァニパルへ、チェリーさんは私が引き受けます」
「ちょっと待っ」
ガァンッ!
アルヴァレイの言葉を遮るように、再び響く破裂音。
「時間がないんです。とっとと出てっちまってください」
アプリコットは低い声で凄むと、掴んでいた手を放す。
アルヴァレイは、無言でこくりとうなずくと、皆を連れて裏口を出た。
「ハァ~」
1人室内に残されたアプリコットは大きく1つため息をつく。
「何でこんな事になってんですかね……」
ガァンッ!
アプリコットにとっては聞き慣れたPTRS1941の発砲音が再び響く。
「携帯機能シーケンス起動」
脇腹の一部のスフィアキューブを剥離させ、手の中に通話用のデバイスを形作り、コアキューブの電話帳から衣笠紙縒の携帯にコールした。
「トゥルルルルルル……トゥルルルルル……トゥルルルルル……ガチャリ」
『ちょっとアプリコット! 何でこの世界で携帯が通じるの!』
最初に聞こえた紙縒の声は、つまらないほどに元気そうだった。
「細かいことは気にしねえでください」
基地局の主な役目は電波の増幅。電子機器の機能の肩代わりはアプリコットにとっては造作もない。
そしてハッキングして乗っ取ったチェリーの多目的戦略用軍事衛星『アルテミス』を介して何処かにいる紙縒の携帯電話に電波を送っているというわけだ。
「今、話をしてるヒマはねぇのでよく聞いてください。異常あり。ヴァニパル港で待ってろ」
『ちょっ、そんな定時連絡みたいなッ』
「言ったことを繰り返してください」
『……ヴァニパル港で待ってろ……』
「よくできました」
ブツッ。
即、切った。
通話用のデバイスが『知恵の実』システム――アプリコットの身体を構成するスフィアキューブを統制する管理プログラムだ――の指示に従い、霧散する。そして、不自然に陥没していた脇腹が普通の状態に戻される。
アプリコットは身体を少し見回すと、
ガァンッ!
ゆっくりとため息をつきつつ、正面の扉から店の外に出た。
「相変わらずいい感じに危険人物気取ってますね、チェリーさん」
見慣れた黄色と紫のツートンカラー。
先の曲がったとんがり帽子。
黄色いぐるぐるの渦巻き模様が飾られたマントローブは左側の袖がちぎられている。
衣笠紙縒が腕ごとちぎり取ったときのままになっている。チェリー曰く、『衣笠紙縒に直させるのです~』だそうだが。
「私様の『アルテミス』を早く返せアプリコット」
「開口一番それですか。お断りしておきます。せっかくアプリコット特製防火壁を組んだのに、渡しちゃうなんてもったいねえですから。どうしても返して欲しかったらハッキングし返せばいいじゃねえんですか」
電子戦に関して言えば、アプリコットの方がチェリーよりも性能が圧倒的に高いため不可能だが。
現に今も、アプリコットは毎秒アルテミスのセキュリティを書き換えて、ハッキングも2秒ごとにやり直している。
万が一、チェリーがハッキングに成功したとしても、次の2秒以内には再び管理下から離れているのだ。
「うううー」
「獣みてえに唸られても困ります。で、何の用でここに来たんですか? まさかアルテミスのことだけじゃありませんよね、チェリーさん」
「私様の事は鈴音様と呼べ」
「そんなものをテオドールでぶっ放して大丈夫ですか、チェリーさん」
チェリーの細腕では普通なら持てない大きさと重さのPTRS1941。
もちろんそれは火器銃器の分類に入る。
「テオドール特別自治法7、地域内における犯罪者及び未遂者の永久追放に引っ掛かったりしたら、2度とは入れませんよ?」
「この世界の火器と言えばせいぜいが大砲程度なのです~。ですからして~、この刀剣と魔法の時代にこれが銃だとわかる者はいないのですよ~」
「それは人や店々に向かって撃たなければでしょう。それが銃だろうが剣だろうが、テオドールのモノを1つでも故意に損壊したらダメだと思いますけどね」
チェリーはぎこちない動作で足元の割れたタイルに目を遣った。
「見つかったらボクがテオドールに逃げ込むだけで手出しできなくなりますね」
「し、知ったことではないのです~」
そう言いつつも、割れてズレたタイルを足で平らに戻そうとしている。
「一応聞いておきますけどね」
ヴィルアリアの表情を思い出しながら、アプリコットは呟くように、
「色々めんどくせぇので、2人で第三世界に戻りませんか? 桜花双刀とか神流とかも放っときゃいいでしょう」
アプリコットは冗談半分本気半分で残念な台詞を吐く。
「却下です~」
チェリーの笑顔の拒否を受けた。
「私様はアプリコットには遠慮しないことにしているのです~」
「遠慮どころかいろんなところぶったぎられてますけどね」
その瞬間、チェリーはニィッと笑った。
「アプリコットと本気で戦り合うのは久しぶりです~」
ガジャンッ!
チェリーの両肩から短機関銃UZIが2丁せり上がるように装着される。
「まったくめんどくせえ事になりましたね……」
戦闘開始。
アプリコットのため息と同時に、2丁のUZIから9×19mmパラべラム弾が吐き出された。