(9)共闘‐Ein Versprechen‐
どうも徒立花詩人です。
場面は船上での戦いの後、薬師寺丸薬袋に連れられてヴァニパル共和国のリグノリアという町にやってきた紙縒と康平の話です。
描写が無いので補注しておきますと、三人(+アドミラル・レックス)がいるのは薬袋が各地に持つ大小様々な砦の一つで、名前は後出です。
紙縒が飛び起きた。
飛び起きた瞬間に左手にメイスを握り締め、床目がけて力一杯振り下ろした。
ここまでわずか3秒足らず。
ドガッ!
誰もその行動に反応できず、紙縒のメイスは石造りの床を叩き割る。
「はーッ……はーッ……はぁ……」
胸に手を当てて荒く息をする紙縒は、悪夢でも見たかのように汗びっしょりだった。
「よう寝とったなぁ」
紙縒のメイスからわずか数センチ離れた位置に座っていた薬袋が声をかけると、紙縒は『すみません』と小さく呟いた。
「気にせんでええよ。それより腕が大丈夫か気になるわぁ」
紙縒はそっと肘関節を押さえた。
「振る途中で引き戻すために無理に腕を曲げたやろう? 無茶するのは悪いことですえ? 周りに心配もかけるしなぁ」
薬袋はそう言って、布に隠された目を康平に向ける。
康平は今の今までどう話しかければいいのか迷っていて、ずっと黙り込んでいた。
「目が覚めてよかったよ、紙縒」
口をついて出たのは思っていたよりあっけない、普通すぎる安易な言葉だった。
「おはよう、紙縒」
「おはよう……康平」
いつも通りのやり取りなのに、紙縒の表情は硬かった。
薬師寺丸薬袋はゆっくりとした上品な所作で立ち上がり、
「ウチは外に出てるよって、2人きりでごゆっくりしておくれやす」
と言って、部屋の戸を少し開けるとその隙間に身を通して出ていった。
「ここは……どこ?」
声色が弱々しい。顔色も何処か青ざめていて、一挙手一投足に覇気が欠片も感じられなかった。
「ヴァニパルの……どこだったかな。リグ、リグ……」
薬袋から聞いた町の名前が思い出せない。ついさっき聞いたばかりなんだけど。
「リグノリア?」
「そうそれ、リグノリア」
パクス海の沈みゆく船の上から脱出し――薬袋に眠らされていたから、どうやって海のど真ん中にあった船から脱出したかはわからないけれど――気がついたらここにいた。パクス海に面した小さい街だそうだ。
詳しいことはまったく聞いていない。
「そう……」
紙縒は座り込んだままでうつむいた。
「なんにせよ、紙縒が無事でよかったよ」
「ごめんなさい……」
紙縒は突然謝った。
「私は、知ってたのに隠してた。康平に本当のことを教えなかった。教えられなかった。考えたくもなかったッ。康平が人じゃないなんて、言いたくなかったッ!」
紙縒の目から涙がぽろぽろとこぼれ落ち、床に染みを作る。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
紙縒は何度も何度も『ごめんなさい』と呟いている。子供のように、次々と溢れ出る涙を手の甲で拭いながら。
「紙縒」
「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」
「僕は謝ってなんか欲しくない」
ビクンと紙縒の身体が跳ね、呪詛のように続いていた言葉が途切れる。
「っぐ……ひぐっ……えぐっ……」
紙縒は謝るのをやめて、手で顔を覆い、嗚咽を漏らし始めた。
「そう……だよね、ひぐっ……わ、私……康平を騙してたんだもんね……んっ! 嫌われても……んぐっ……当然……だもん……ごめんなさい……ごめんなさい……」
紙縒は見当違いな台詞を呟いて、謝罪と共にしゃくりあげる。
「謝らないで、紙縒。おかしいよ、そんなの。絶対に間違ってる」
「だから……私がっ……ひぐっ……嫌いになったでしょ……」
「ううん、全然」
康平は一番簡潔で単純に届く言葉を、さも当然と聞こえるように言った。
「……康平は……優しいから……。気を遣わせちゃって……ごめん……ね……」
途切れ途切れの悲痛な声に、康平は昔の紙縒の言葉を思い出した。
「……『謝るのは最後の最後! できることがあるなら謝る間にやれるでしょ? それと自分が悪くないなら謝らないの! 謝るってことは自分が悪いって認める誠実なことだけど、悪いこともしてないのに謝るのは不誠実なうわべだけの奴らのやることよ。康平は悪くもないのに謝りすぎなの! 康平はそんな軽薄な連中とは違うでしょ? そうだったら私が隣にいるのをいつまでも許しておかないもの』だっけ? たしか中学二年生の秋に言われたよね」
紙縒はパッと顔を上げると、目を丸くして康平を見た。
「なんでそんなこと……」
「憶えてるよ、紙縒の言葉はぜったい忘れない。いつ言ったかもそれをどんな顔して言ったかもしっかり憶えてる」
紙縒はスンスンと鼻をすすりながら、康平の言葉にじっと耳を傾けていた。
「僕が人じゃなくたって、それを知らなかったとしても紙縒は何も悪くない。悪くもないのに謝るのは不誠実な行為なんだから、紙縒が謝ることなんてない」
「……でも」
「でもじゃない」
紙縒の身体がピクンと跳ねる。そして、むーと口をへの字にして、うつ向く。
今までも、いつもそうだった。
紙縒の間違いを――無理を押し通してでも直させないといけない間違いを――直させる時は、多少強引にいくとうまくいくことが多い。紙縒はこう見えて、強引さに弱いところがあるからだ。
これは小さい頃から目が離せない理由の一つで、紙縒のお母さんにもよろしく言われている。
「紙縒はいつも通りの紙縒が一番イイんだから、謝ったりなんてしないでよ」
「……その言い方だと、なんか私が普通だと謝りもしないみたいじゃない」
お察しの通りです。
紙縒って名言は多い――同じ学年の女の子達から聞いたのもある――けど、僕といる時は僕に対してだけ厳しくて自分には甘くなるんだよね、なぜか。
「……悪くない……私は悪くない……謝ったら……康平に嫌われちゃうかもしれないって考えれば……それだけはヤダ……」
紙縒が自分に色々言い聞かせているようだ。
うつむいたまま指をこねくり回し、ブツブツボソボソと1人ごちる姿はかなり危ない人に見えるのは黙っておいた方がイイのかな……。
後で気づけるわけもないし、それで怒られることもないから黙っておこう。
「話はついたようやねぇ。えらいあっさり終わっちゃうと拍子抜けやわぁ。ウチはもう少しこんがらがった事情の方が好みなんやけどねぇ」
「うわっ」
お願いですからいきなり出てきて、これ以上ややこしくなるようなこと言わないで下さい。
「肩の方は大丈夫?」
僕らの驚きをよそに、薬袋は紙縒の左隣にしゃがみこむと、紙縒の肩をさする。
「一応骨は入れといたけど、無理矢理はめ直しただけやから心配なんよ」
薬袋の言葉に、紙縒はヒルデガードに外されていた右肩に左手を当てて回す。
一瞬痛みで顔をしかめたが、それ以降は問題なく動くようだった。
そして左肩の駆動も確認すると、ほぅっと息をついて薬袋に、
「一応、お礼は言っておきます」
「紙縒!」
助けてくれた人に対して失礼が過ぎる、と声を荒らげた康平に薬袋はクスリと微笑んだ。
「ええんよ少年。ウチがわざわざ呼びつけて、その帰りにあったこと。本当に半分はウチのせいみたいなものなんどす」
「九割お前のせいよ、薬師寺丸薬袋」
フン、と鼻を鳴らして紙縒は腕組みをしてそっぽを向いた。
「紙縒っ! すいません、薬袋さん。せっかく助けて貰っ」
「康平、謝らないの! 康平は悪くないでしょ! さっき自分で言ってたくせに」
幼なじみを御しきれなかった責任は完全に僕にあるからね。むしろ薬袋さんこそ何も悪くない。
何はともあれ、いつもの紙縒に戻ったみたいだ。
いつもの傍若無人で居丈高で理不尽で怒りっぽくてワガママな……あれ? 少しぐらい負い目を感じて殊勝なままでいてくれた方が良かったかも。
「これで一件落着のようやし、本題に入ってもよろしおすね」
窺うような目線――依然として目元は布に隠れて見えないけれど――を送る薬袋に、一瞬驚くような表情になった紙縒は真面目な顔でうなずいた。
さらに康平に対しても同じ雰囲気を漂わせ、返事を黙って待っているような素振りを見せる。
「どうぞ」
康平が静かにそう言うと、薬袋はわずかに微笑むとゆっくりと立ち上がった。
そして、紙縒に手を伸ばす。
「ん……ありがとう」
瞬巡の後に、紙縒はお礼の言葉と同時にその手をきゅっと掴み、体重を預けて立ち上がる。
「『狂王』……」
ドクン。
「今さらそうぼかすこともあらへんねぇ。『狂悦死獄』って言えばわかるやろう? 少年には馴染みがないかもしれんけど、関係あるのはむしろ少年の方どす」
ドクン……ドクン……。
何故だろう、その名を聞くと心臓が高鳴る。
櫃……そう、櫃だ。
船の上でもヒルデガードと名乗ったメイド服の女の子が言っていた。
僕の、狗坂康平の正体。本質としての名だ。
「狂悦死獄は『櫃』つまり少年を壊そうとしとるみたいやねぇ。あのメイドもマリスの駒の一つ。大方『口蜜伏犬』で操り人形にしたんやろうけど、フフ……ほんに笑えるわぁ」
そもそも櫃って何だろう。
櫃と言うからには入れ物、器、箱。
それらの物と大差ないのだろう。そして、櫃があるということは当然その中身もあるはずだ。
だとすると何だろう。櫃の中に、僕の中に大切にしまい込まれているものは何だ?
「ウチはマリスを止めなければあかん。櫃を守り、マリスの封印を解かせないようにせな、ね」
「ちょっと待って」
そう言ったのは紙縒だった。
訝るような目を薬袋に向けて、薬袋の言葉を遮った。
「狂悦死獄のこともちゃんと文献を読んでよく知ってるわ。でもあいつが猛威を振るったのは第一世界暦298年から312年までの14年間。312年の冬に部下だったアゼルが封印したはずよ。この時期に狂悦死獄がいるはずない」
「アンタが何を知っとるかはわからへんけど、マリス自身は封印されてなかったようですえ? 少なくともウチの知っとるマリスは本体やなく力の大半を封印されたようやわ。あれは間違いなくマリスの気配そのものやったから」
つまり、僕の中に入っているのは封印されている狂悦死獄の力。
そして、狂悦死獄は、僕を殺せばその力が復活する、という感じだろうか。
「そう言うワケやから、ウチのところに来る気はない?」
薬袋は康平と紙縒に微笑みかける。
妖艶さのにじみ出るような唇をキュッと絞って、目隠し越しに射抜くような視線を送ってくる。
「ウチのところに来れば狂悦死獄からは守りやすい。本当は少女に護衛を任せっきりにするつもりやったけどなぁ。期待してたよりも役立……まだまだ未熟なようやしねぇ」
やば。
と思って康平がおそるおそる紙縒に目を遣ると、予想に反して青筋を浮かべたわけでもなく拳を震わせていたわけでもなく、怒りに顔を真っ赤にしていたわけでもなく、ただ目を伏せて黙りこくっていた。
紙縒の性格を考えれば、薬袋の今の落胆したような物言いに紙縒は一瞬でキレていたはずなのに。
「わかったわ……。悔しいけど……すごく悔しいけど……。私はほとんど何もできなかったし……」
悔しい、を2度も重ねるほど悔しかったらしい。
その表情を見た時、普通なら聞いた瞬間に撥ね付けていただろう提案を受け入れた紙縒の今の気持ちが手にとるように、そして痛いほどわかった。
「ただし、私たちは貴女の部下になるつもりはないし、チェリーさえ捕まえたら貴女の元には戻らない」
いつものことだけど、僕には何の相談も発言の機会もないんだね紙縒。
「少年もそれで構わへんね?」
薬袋は、そんな康平の心中を察したかのようにちゃんと同意を求めてきた。
紙縒も少しぐらい見習ってくれればいいのに、と思いつつ、
「僕は紙縒と一緒なら何でもいいです」
なんか急に紙縒がぶはっと盛大に息を吐いた。
「げ、げほっげほっ!」
「ちょ、ちょっと紙縒大丈夫なの!?」
顔を真っ赤にして咳き込む紙縒に駆け寄って、その背中を擦ってあげると、しばらくして落ち着いたのかまだほんのりと赤く染まった顔を上げた。
目が半開きでじっとこっちを睨んできているようでちょっと怖い。
「ごめん紙縒。僕なんかやった?」
返事が何も考えないで適当に言ったと思われたのかな。
確かにさっきの言い方だと投げ遣りな感じがするかも。
えっとじゃあ何か具体的にやることを付け加えて……。
「僕も戦えるぐらいに魔法とか剣とか頑張るよ。いざという時に紙縒を助けられるようにしなきゃいけないし」
なんかまた急に紙縒ががはっと盛大に息を吐いた。
「げほげほげほげほっ!」
紙縒だけを戦わせてるわけにもいかないから手伝えるようにしなきゃな、と思って口にしたことだったのだけれど、どうやら紙縒の気に障ったようだ。
康平は首を傾げながら、紙縒の背中をなぞるように擦る。
「天然……」
薬袋がポツリと呟いた。