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≪連載停止→改稿版連載中≫  作者: 立花詩歌
第七章『狂悦死獄』
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(6)安息と混乱‐Ein Gefuhl des Blutes‐

「近頃はウチに気づく子ォばかり増えて大変やわぁ」


 どこからか呟くように聞こえてきたその声は、妙に響いてスーッと消えた。


失理ロストパーツと聞いて黙っているわけにはいきませんね。どなたかは存じませんが、姿を見せてはどうでしょうか」


 ヒルデガードは紙縒を締め上げる腕から力を抜いた。


「ゲホッゲホッ、ケホッ……」


 息を急に吸い込んだために紙縒は激しく咳き込む。


「これはこれは、そこまで強く絞めたつもりはありませんでしたが、そうでもなかったようですね」


 白々しくも気遣うようなヒルデガードの声を聞いた瞬間、冷たく柔らかい何かに紙縒は目を塞がれた。


「最初からこうしておけば良かったのかも知れませんが、あなたがなかなか後ろをとらせてくれなかったものでつい長引かせてしまいました。『無自覚の子守唄クレイドル・サンクチュアリ』」


 途端に意識を直接犯されるような眠気を感じ、抵抗する間もなく紙縒は意識を失った。





「紙縒に何をしたんだ!」


 康平は叫んでいた。

 震える足を押さえながら、震えそうな声を隠しながら、動かない身体を恨みながら、康平は叫んだ。


「眠っていただいただけですので、今のところ実害はありません。それでも不服を言うようなら今すぐにこの少女を殺してさしあげますがよいですか?」


 鋭く射抜くような視線を浴びて、康平は思わず口をつぐんだ。


「お前は結局のところ無力なのです。私がこの少女を痛め付けていた時、お前は動こうともしなかったでしょう?」


 怖くて、身体が動か――。


「身体が動かなかったなどという世迷い言は壊れてから言ってください」


「……!?」


 ヒルデガードは紙縒の身体をそっと下に横たえた。

 そして、一度だけその髪を撫でると、急に気がついたように自分の身体を睨み付けた。


「トリエル。なぜ、わたくしは未だに下着姿なのか答えなさい」


 唐突にそう呟いた。


「確かに私は身体機能としか言っていませんが、言われなくともそのぐらい……わたくしに露出癖はありません! 今だって恥ずかしいのですから今すぐに服も修復しなさい!」


 突然頭を抱えて叫び始めた。


「そうではないと言っているでしょう! それだからあなたはっ、違います! あなたは少しぐらい学習能力を持ち合わせていないのですか!?」


 今まで感情の表れが希薄で、身体を欠損してすら声を荒らげなかったヒルデガードがまるで別人のようだった。

 と思っている内に、ヒルデガードの身体から浮かび上がるようにメイド服が現れた。ヒルデガードはそれを整えるように軽くはたくと、そこでハッとして周りを窺うように見た。


「意外と可愛いところがあるようで大変よい感じですよ~、ヒルデガード~」


 チェリーはわざわざ地雷を踏んで、可笑おかしそうに笑う。


わたくしはあなたが大嫌いなのかもしれません。チェリー」


「本音だとしたらとても嬉しいのですよ~。それと~、私様わたしさまのことは鈴音りんね様と呼ぶがよいのです~」


 チェリーはそう吐き捨てるように言うと、康平に向けていたSVDドラグノフをヒルデガードに向け直した。


「何の真似ですか、鈴音りんね様」


 警戒する素振りも見せず、視線すらチェリーに向けずにヒルデガードはそう呟くと、康平に1歩近づいた。


「ふふふ~気を緩めると味方に銃口を向けてしまうのは悪い癖です~。以後は気がついたら気を付けますからしてあしからず~なのですよ~」


 チェリーはコツンと自分の頭を叩くと、SVDドラグノフの銃口を再び康平に向ける。

 その瞬間、レックスが康平を押しのけて前に出た。


「下がってろ少年。エインヘルヤだけならともかく2人相手だと約束を守れる保証がないんでね」


 レックスの言葉に、ヒルデガードが『わたくしはもしかしてナメられているのでしょうか』と無表情で呟く。


「ウチも混ぜておくれやす。さっきから誰もウチのこと気にもしてくれん。ウチは放っとかれるんが一番苦手なんですえ」


 コツン、コツン、と足音を響かせて、チェリーの背後から現れたのは薬師寺丸薬袋(やくしじまるみない)だった。

 相変わらず、着物を色っぽく着崩すように纏い、目隠し布をつけていた。


「貴女が失理ロストパーツなのですか? わたくしの目には竜の姿に見えますが」


 僕の目にはマルタで見た姿にしか見えないんだけど……。


「ウチの姿を見て、竜と気づいたんはアンタが初めてやわ。可愛ええメイドさん」


「お誉めに預かり光栄です。貴女も充分にお美しいですよ」


「そこで何を誉めあっているのですか~年増ども~」


 チェリーの言葉に薬袋のこめかみに青筋が走り、ヒルデガードの指が一瞬だけピクリと動いた。


「そういう貴女は大変小さくていらっしゃいますね、鈴音りんね様」


「ウチもお人形みたいに小さい子ォは好きですえ」


 ニコリと微笑むヒルデガードと薬袋。

 しかし、口元は笑っているものの目がまったく笑っていなかった。


「まあウチはこの子らを助けに来ただけやしなぁ。はやめにおいとまさせていただきますえ」


 薬袋の腕の中には、ヒルデガードが背後に寝かせていたはずの紙縒の姿があった。


「少年……とそっちのお人は知らんねぇ。まとめてさいならや」


 薬袋が康平とレックスに振り返った瞬間、チェリーとヒルデガードの様子が変わった。戸惑いの表情で辺りをキョロキョロと見回すような挙動。

 まるで4人を見失ったかのように。


私様わたしさまのアルテミスも何も捉えていないのです~」


わたくしの目にも映りませんでした。トリエル、貴女は……そうですか……鈴音りんね様。戻りましょう」


「どうかしたのですか~」


 ヒルデガードは無言無表情のまま、チェリーの元に歩み寄り、その背中に手を当てた。

 その数秒後、チェリーの身体が浮き上がった。

 おそらく滞空の魔術でも使ったのだろう。ヒルデガードも同様に浮き上がる。


「少々厄介な失理ロストパーツですね。『外れた』ようです。現在この世界にいるわたくし達では追えません」


「そうですか~、それは本当に残念です~。ですが楽しみは後にとっておきましょう~、ということなら仕方ないですね~」


 そう言って、二人が飛び上がるところまでを、康平はそのすぐ近くで見ていた。


「あ、あの……薬師寺丸(やくしじまる)……さん」


「ウチのことは薬袋みないでええよ、少年。よそよそしくされるんは苦手や」


「薬袋さん、何なんですか? これ……」


 康平は何かしたわけではない。

 ただずっと立っていただけだった。

 それなのにまるでそこにいないかのようだった。


「アンタもなかなか鋭いなあ。でもなんも心配せんでも、ウチらをちょっと『外した』だけですえ」


 薬袋はそう言って笑うと、紙縒を抱きかかえたまま康平に抱きついた。


「わっ、えっ、ちょっと……」


「良かったなぁ。本当に良かったなぁ。でもあとでこの子にもちゃあんとお礼せなあかんえ?」


 そう言われると、さっきまでは止まらなかった足の震えが自然に止まった。


「はい……」


 母親に抱きつく子供のように、康平は黙って薬袋と紙縒を抱き締めた。







 火喰鳥ひくいどり久遠くおんは混乱していた。

 場所は火喰鳥ひくいどりの里のある霧の森(ネーベルヴァルト)から少し離れた位置にある名前すらついていない小さな丘の上だった。


「どうしたのさ久遠」


「なんかあり得ないものを見たって顔してるよ? 幽霊でも見た?」


 幽霊よりもあり得ないと思います。


「幽霊みたいな現実離れした超常現象はそんなに見れるもんじゃないから安心して」


「それに、私たち友達じゃない♪ 怖いことがあったら何でも言ってよ」


 その友達のルシフェル=スティルロッテが目の前に2人いるんです。


「ど、どどどどうして、ルシフェルさんが……ふ、ふふ2人もいるんですか……!?」


 現実離れにも限度があると思う。


「「ん~、気のせい♪」」


 絶対に気のせいなんかじゃない……。


「冗談だよジョーダン! こっちが『悪霊』ルシフェル=スティルロッテでー」


「こっちが『魔界の真理』ルシフェル=スティルロッテだよ♪ ヘカテー=ユ・レヴァンスと『旧き理を背負う者(エンシェントルーラー)』としての契約を交わしたのはそっちでー」


「その間に遊んでたのがそっちー。ちなみに本体は私じゃなくてそっちのルシフェル=スティルロッテだよー♪」


 どっちがどっちだかわからなくなってきた。どっちも完全に瓜二つで、同じ声で同じ調子で話しかけてくるからか、感覚そのものを狂わされるような感覚を覚える。


「もういいです……。ルシフェルさんは何が起こってもおかしくない超常現象の塊みたいな人外ですから……もう驚かないです」


「「な、ちょっと待って! 久遠だって完璧人外の不思議少女だからね!?」」


「2人揃って誤解されるようなことを言わないで下さい!」


「結構長い文なのによどまずに言えたじゃん。良かったね、久遠」


「あ、ありがとうござ……誤魔化さないで下さい!」


 くすっ、と小さな笑い声がルシフェル達《ヽ》と久遠の耳に届いた。


「あ……シュネーちゃんが笑いました」


「キッキックウェエエエェェ!」


「お前は笑うな♪」


 ゴキッボギンッ。


「グヴエェェ」


「あ……ガウル」


 『滅びた王家の生き残り』シュネー=ラウラ=ブラズヘル。

 久遠はまだ詳しい話は聞けていないけれど、その生まれが災厄をもたらすという言い伝えがあったために、王室の科学者達の人体実験の被験体にされてしまったらしい。

 その話を聞いて久遠は激昂したけれど、シュネーは『もういいんです、それより今は早く死にたい。お姉ちゃんは私を殺してくれる?』と無表情でそう言った。

 それを聞いて、久遠が涙を流しても『なんで泣いてるの?』と首を傾げた。

 どんな酷い目に遭ってきたんだろう。

 どんな扱いを受けたらこんな風に、当たり前の事を知らないで、当たり前のように考えられなくて、まるでそれが当たり前のように死にたがるような子供になってしまったんだろう。

 まだ本当に小さくて、なんの楽しいことも知らないのに、なんで悲しい顔一つできないんだろう。

 そう考えるとさらに可哀想に思えてきて、シュネーのために何かできることはないかと聞いてみた。

 そしたら、シュネーは何の躊躇いもなく、顔色一つ変えずに、


『殺して』


 心からそれだけを願っていた。


「ギーギーグヴィィィイイ!」


 ルシフェルに文句でも言うように金切り声をあげるガウルに、シュネーはなだめるようにその頭を撫でてやっていた。


 平和、と言ってもいいのだろうか。

 こうしてのどかに過ごすだけでも、シュネーの心を癒せているのだろうか。


「ルシフェルさん」


「「ん、何?」」


「もうどっちでもいいです……。これから……その……どうするんですか……? どこか行くあてでも……あるんでしょうか?」


 ルシフェルは『ないよ』と即答し、


「ないんですか……!?」


「ん~アハッ♪ じゃあさじゃあさ! 西に行こうよ!」


 急に鼻をひくつかせて、楽しそうにそう言った。


「西……ってヴァニパルやブラズヘルのある方で……あっ……」


 久遠は思わず口を押さえ、少し離れて隣に立つシュネーの様子を窺った。

 シュネーは久遠の視線に気づいて、少しだけ口角を吊り上げるように笑った。


「お姉ちゃんは優しいね」


 シュネーは、不自然な笑顔を浮かべてそう言った。子供らしい無邪気な笑顔からはほど遠く、ずっと年上の久遠に気を遣って、自分の感情を無理矢理押し殺している。


 その表情を見ていると、昔のみやびを思い出した。

 火喰鳥ひくいどり末妹まつまい火喰鳥ひくいどりみやびもそうだった。他の子と違うからという理由で捨てられ、秧鶏くいな姉さんが連れてくるまでは、ひどすさんでいたと聞いている。

 来た当初は誰とも馴染もうとせず、ずっと家の中に引き込もって布団を離そうとしなかった雅に、皆があの手この手で布団を離させようとしたのを覚えている。

 たしかあの時は嵐華らんかちゃんがお菓子で釣って家の外まで連れ出したんだったっけ。


「ごめんね、シュネーちゃん」


「気に……してない」


 一瞬口ごもったのは何のせいだろう。


『久遠久遠~、シュネーは本当に気にしてないよ。ただ口下手なだけ~』


 頭の中で突然声がする感覚にももうだいぶ慣れた。最初の内はつい大袈裟に驚いてしまうから、ルシフェルが面白がって何度も何度も驚かすために声をかけてきて大変だった。今は反応が薄いからかそんな目的で話しかけてくるのは少なくなったけれど。


『あんまり言い過ぎてもシュネーに本当に気遣わせちゃうだろうから……』


『はい……。それじゃ止めておき』


『どんどん謝っちゃえ♪』


 ルシフェルはルシフェルだ。


「そういうことしたら……ダメです……。それより、どうして西……なんですか?」


「匂うから」


 久遠は空気に漂う匂いを嗅ぐ。

 特におかしいところもなく、草や花や日の光の匂いがするだけだった。


「さっきからそれで酔っちゃいそう♪」


 再び鼻をひくつかせて、西の方向に広がる街並みを眺めながら、『魔界の真理』ルシフェルは足元に魔法陣を展開した。

 その円の中に入っていたシュネーは数歩後ずさって円の外に出ると、不思議そうな顔をして久遠を見上げてくる。

 わからないという意味を込めて首を振って見せると、シュネーはまた表情を失い、ガウルの身体を撫で始めた。


「どんな匂い……なんですか?」


 隣に立つ『ティーアの悪霊』ルシフェルに向き直って久遠は訊ねた。


「んー、私は少ししか嗅ぎとれないけど」


 ルシフェルの口角が驚くほどに吊り上がり、鋭く歪んだ笑みを浮かべて言った。


血腥ちなまぐささ」


 不穏な言葉を口にした後のルシフェルは、とても楽しそうだった。

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