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≪連載停止→改稿版連載中≫  作者: 立花詩歌
第七章『狂悦死獄』
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(4)衝突‐Ein Nahenkampf‐

「もう1度、お尋ねします。貴女方は『狂悦死獄(マリスクルーエル)の櫃』をご存じではありませんか?」


 ヒルデガード=エインヘルヤと名乗った少女は冷たい人形のような視線を代わる代わる3人に向けた。そして、その視線は康平で止まった。


「申し訳ございません。わざわざ訊くまでもないことをわたくしの無知ゆえに訊ねてしまいましたね」


 ヒルデガードは船縁から音もなく甲板に降り立つと、手を手刀のように構えた。

 その静かすぎる動作を前に、ほうけていた紙縒が気がついたようにメイスを掲げる。しかし、その手は震えていた。


「怨恨はありませんが、我が主の命令ですので。その『ひつ』、わたくしが理不尽に破壊させていただきます」


 ダンッ。


 ヒルデガードの言葉が終わるのと同時に紙縒が跳んだ。


「やああぁぁぁっ!」


 紙縒は、雄叫びと共に空中で大きくメイスを振り上げる。

 標的はヒルデガードの頭部だ。紙縒は目の前の敵を、康平の安全を脅かす者を排除するため、躊躇いなく魔法で強化されたメイスを高速で振り下ろした。


「愚かですね」


 ヒルデガードがため息混じりにそう呟いた瞬間、紙縒の手の中でメイスがミシッと音を立ててきしんだ。


 バキィッ。ガシャーン。


 ガラスが割れるような音がして、紙縒のメイスが砕け散った。


「いっ……くっ……」


 飛び散った破片が紙縒の手を傷つけ、血がにじむ。そして、したたった血が甲板で赤く染みを作った。


「紙縒!」


「来ちゃダメッ!!」


 踏み出そうとした足が紙縒の言葉に押し止められる。


「レックス! ちゃんと康平を捕まえてて! こっちに来させないで!」


 紙縒の言葉を聞いた康平がとっさに振り向こうとした瞬間、レックスの太い腕にガシッと二の腕を掴まれた。


「悪いな少年。少女からお前の身の安全だけ(ヽヽ)は守ってくれと頼まれてるんでね。しばらくは我慢してもらうぜ」


 非力な康平にレックスの手を振りほどくことはできない。

 康平はすぐに紙縒に向き直った。


「『二刀式』式動!」


 紙縒の式紙が、二振りの日本刀に姿を変える。


「なるほど。初めて見る型の術式ですが、ただの召喚術式と仮定できそうですね」


 納得するようにうんうんとうなずいて見せるヒルデガードに、紙縒は刀を逆手に構えて猛突した。


「死になさい!」


 紙縒の姿がブレて、かき消える。

 即座にヒルデガードは素早く足を引くと、振り向き様に背後を手刀で凪ぎ払った。

 ヒルデガードの手刀は虚空を切り裂き、ピタリと止まる。

 ヒルデガードはさらに同じ動きで振り返って、再び手刀を振り下ろしかけたところで止まった。

 紙縒の気配はすぐ至近距離に感じられるのに、紙縒の姿がない。

 そしてヒルデガードがとっさに上を向きかけた瞬間だった。


「こっちよ!」


 ヒルデガードが反応するよりも速く、紙縒の二刀が甲板から生えるようにヒルデガードの両足を貫いた。


 バキッ!


 甲板の木の板を突き破り、無骨な金属塊と共に紙縒が姿を現した。


「油断、いえ。侮っていたようですね」


 ズルッ。


 ヒルデガードはため息をついて、何の躊躇いもなく足を上げ、甲板を貫通し足に突き刺さっていた二刀を引き抜いた。


「まさか下から来るとは思いもしませんでした。たいへん結構な判断です」


 ですが、とヒルデガードは溜めるように言って、冷ややかな目で紙縒を見つめた。


「この程度の実力でしかないあなたがひつを守っているのだとしたら、存外簡単に終わるでしょうからわたくしとしてはありがたいですね」


「馬鹿にしないで! 私はっ」


「あなたは所詮ただの人間なのです。人外に本気で勝てるとお思いですか?」


 後ろにいる康平からでも、紙縒が息を呑んだのがわかった。


「人……外……?」


「はい。そこにいる少ね――」


「お黙りなさい!」


「――んっ――」


 紙縒のメイスがヒルデガードに向けられ、虚空を凪ぎ払った。

 バックステップだけで紙縒のメイスをかわしたヒルデガードは、メイド服のスカートを軽くはたいて整えつつ、康平に冷たく微笑みかける。


「――と同じ人外です」


 ドカッ!!


 紙縒が甲板にメイスを叩きつけた。


「特別遺失物取扱審査法を適用します。正体不明のルーラーを危険因子と見なし、破壊します。覚悟はよろしくて?」


「……なるほど、納得しました。何故かは存じ上げませんが、あなたは『ひつ』が『ひつ』であることを隠しているのですね。本人もその事を覚えていない」


「その口を閉じなさい! 『八式』式動! 魔力核コア指定、八式連装和弓『穿うがち』!」


 紙縒の手の中で式紙しきがみが燃え尽き、紙縒の周りに次々と8本の弓が現れる。そして出現と同時に触れてもいないのに引かれ始めた。


「血の気の多い方ですね」


 ヒルデガードはため息混じりに頭を振って、再び手刀の構えをとった。


「申し訳ありませんが、わたくしはフェアに行くつもりはありませんので、能力ちからを使わせていただきます。よろしいですね」


 紙縒の身体が強張る。

 そして、一瞬の緊張の後に最初に動いたのは紙縒の方だった。


八矢装填はっしそうてん!」


 そう叫ぶと、引かれていた弦に淡い光を放つ矢が現れた。


「追加術式『環式』式動。魔力核コア指定、八式連装和弓『穿うがち』装填八矢はっし!」


 式紙に込められた魔力が開放されて、8本の矢が纏う光が強くなる。

 そして、紙縒はヒルデガードを睨み付けると、大きく後ろに跳躍した。


各射かくしゃ!」


 直後8本の弓から放たれた8本の矢がヒルデガードに向かって直進した。


「この程度」


 短くそう言ったヒルデガードは、わずかに身体をずらし、全ての矢を紙一重でかわしてみせた。

 そして、紙縒の目の前で微笑みを浮かべる。


「くっ!」


 突然至近距離に現れたヒルデガードにぎょっとして、紙縒は再び後ろに跳ぶ。

 康平の隣に。


「やられた……」


 紙縒は悔しそうにヒルデガードを睨み付けると、メイスを右に掲げて、康平を後ろにかばうように立った。


「式紙を取られた……」


 紙縒の言う通りにヒルデガードの手元に目を遣ると、確かに紙の束のようなものを握っていた。


「これが媒体で間違いないようですね」


 ヒルデガードが一瞥すると、式紙の束がぜるように燃え尽きた。


「小細工はこれで不可能ですが、わたくしとしても流血は避けたいのですが」


「これだけのことをしておいて、よくそんなことが言えるわね! それに勘違いしないで、私は式紙が無くても戦えるわ。それにもう必要な術式は発動してる」


 紙縒の口元がわずかな笑みをたたえる。


「貴女の負けよ」


 ヒルデガードは怪訝けげんそうな表情に見えなくもない無表情で手刀を構えると、紙縒との差を瞬時に縮めるべく、足を一歩踏み込んだ。


わたくしは負けるのが大嫌い、いえ勝つのが大好きですので」


「そう。残念ね」


 ザクッ。


 刃が、肉に食い込む音がした。

 硬直。

 停止。

 ヒルデガードと紙縒、2人の動きが完全に止まった。


「式紙術式『環式』。その付与効果は『永久追跡』。貴女に当たるまで追い続ける。そして『八式』は1本が当たった時に他の7本も同じ所をえぐる」


 ドスドスッと肉を貫く音が連なる。

 ヒルデガードはゆっくりと首を回し、背中に目を遣った。


「そういうことですか……」


 ヒルデガードの心臓を貫くような位置に、何本もの矢が刺さっていた。

 ヒルデガードの顔が苦痛でわずかに歪み、口から血を吐き出した。


「人の身体は不便ですね。この程度の傷で言うことを聞かなくなる……グプッ」


 傷からはドクドクと血があふれ、吐血の量も合わせると既に致死量は下らない。


「残念ながら、これでもわたくしは人外の端くれですので、失血で死ぬことはございません」


「なら身体を完全に破壊してあげるわ」


 紙縒はそう言うと、流れ出るヒルデガードの血に指を浸し、メイド服のスカートに直接『縛』と書いた。


「『縛式ばくしき』式動」


 ゴキリと音がした。

 ヒルデガードの口から小さく悲鳴が漏れ、両腕が稼働範囲を越えて後ろに曲がる。肩の骨が外れたのだ。


「これで貴女はもう動けない。悪いけど人外との戦いは慣れてるの」


 紙縒はメイスを高く振り上げた。


「残念ですが……」


「釈明は聞かないわよ」


 聞く耳を持たないと言ったように吐き捨てると、メイスを振り下ろした。


「いえ、わたくしは『人外』というよりも『枠外』ですので」


 ガシャーンとガラスが割れるような音がして、再び紙縒のメイスが砕け散る。

 紙縒が信じられないモノを見るような表情になった直後、何かがミシリと嫌な音をたてた。


「え……?」


 康平の目の前で紙縒が消えた。

 いや、消えたように見えた。実際はヒルデガードの高速の掌底アッパーが康平の視界の外に紙縒を吹き飛ばしたのだ。

 紙縒は人形のように宙を舞い、ドンッと甲板に強く叩きつけられた。


「カハッ……」


 肺が潰され、押し出された空気が紙縒の口から吐き出される。


「何分人外なものですから、非人道的で理不尽な光景でお目汚しをしてしまいますが、お二方もどうかご了承ください」


 康平とレックスが微動だにできないその目の前で、ヒルデガードは腰を直角に曲げるようにお辞儀をした。

 そして、倒れたまま苦痛で悶える紙縒に静かに歩み寄ると、


 ゴキン。


「いっ! ……うぐっ」


 左肩の骨を外した。


「どうかいたしましたか? 手加減はしたつもりですが」


 紙縒の表情が屈辱と苦痛に染まる。


「紙縒!」


「来ないで!」


 駆け出そうとした足を押し止められた。紙縒の言葉に康平は思わず足を止めてしまっていた。いや、足が震えていた。


「ダメッ、康平! 逃げてぇっ!!」


 ゴキン。


「あぐっ!」


 無情にもその音はよく響いた。


「誰があなたに発言権を与えましたか? わたくしに断りも無しに口を開かないようにお願い致します」


 口調こそ下手からだが、その内容は完全に上からのものだった。

 紙縒は苦痛で涙を浮かべながら、潤んだ瞳を康平に向けてくる。その目は『逃げて』と訴え続けていた。しかし、その目を見れば見る程、康平は逃げることができなかった。


「こ、紙縒を放せ!」


 声が震える。

 足が震える。

 身体中が本能的な恐怖に震えていた。


「僕が目的なんだろ! ぼ、僕を殺すなら殺せ! その代わり紙縒を」


「嫌です」


 ヒルデガードは康平の言葉を遮るように、辛辣な一言を投げかけた。

 康平が思いつく限りたった1つしかなかった紙縒を救える方法をついえさせるために。


「え……?」


 その一言を受け入れられず、思わず間の抜けた声を漏らす。


「いいですか? どちらにせよ、『櫃』を壊すことに変わりはありません。あなたが今すぐに逃げ出したとしても、この方を八つ裂きにしてからでも追いつくのは造作もありません。元より『櫃』。お前がこの船に乗った時点でこの船に乗っている者の死は免れません。口封じのためならそのくらい当然でしょう。おわかりですか? 乗客たちも、この少女も、お前のために死ぬのです」


 ヒルデガードの康平に対する呼び方が『あなた』から『お前』に変わる。このことが康平や紙縒に与える精神的な圧力プレッシャーは思った以上に大きかった。


「や……め……」


 ガッ!


「あっ……ぎっ……」


 ヒルデガードの足を掴んだ紙縒の手が、何でもないことのように踏みにじられる。

 そこでヒルデガードは、ああそれと、と思い出したように康平に告げた。


「お前は間違いなく人外ですが、勘違いして過度な期待はしないで下さい。お前のいた第三世界では、ご都合主義のフィクションが多々見られましたが、お前自体には何の防衛術式も組み込まれていないのです。つまりお前には戦闘力は皆無です」


 残酷に、冷徹に、康平の心にヒルデガードの言葉1つ1つが突き刺さる。

 それ以前に自分が人外であるという事実に。それ以上に紙縒の言葉と苦悶の表情に。康平はショックを受けていた。


「足元でわめかないで下さい」


 ゴスッと音がして康平が顔を上げると、紙縒は口の中にヒルデガードの足を押し込まれて呻いていた。


「屈辱を覚えていますか? きちんと苦痛を感じていますか?」


「んー、んー! んむーっ!!」


 ヒルデガードは容赦無く足に力を入れて、紙縒の口に足を押し込む。

 紙縒はその足を両手で掴んで、必死に押し返そうともがいている。

 あの紙縒が。康平の前ではいつも凛としていた紙縒が。

 屈辱的な表情を浮かべて、必死にもがいていた。


「あなたにも『ひつ』にも救いはございません。あなたもそう思うでしょう、アドミラル・レックス」


 康平は思わず振り返った。

 レックスは何も言わず、少しも動かないまま、ただ紙縒を眺めていた。


「エインヘルヤに牙を向いたら、そうなるのも当然だわなぁ。ちっとやりすぎだとは思うがな」


 レックスはそう言いつつ頭をガシガシと掻いて、どっかと甲板に座り込む。

 そこで殺意を込めてレックスを睨み付けている紙縒と目があった。


「おいおい、勘違いすんなよ少女。俺ぁ別にエインヘルヤの仲間って訳じゃねえんだ。ただの知り合いってところさ。もちろん俺は真面目にさっきの約束を守るつもりだ」


 だけど約束の中に少女を助けるっつーのは無かったしな、と当たり前のようにそう言うと、レックスは再び立ち上がった。


「レックス、まさか『櫃』を守るなんて約束をしたわけではありませんね?」


 低い声で鋭い刃を突きつけるように、ヒルデガードは問いかけた。


「エインヘルヤ。よくわかったな」


 あっけらかんとした口調で言ったレックスに向けて、ヒルデガードはあからさまに舌打ちした。


「いや、それにしても少女。その表情もえらく扇情的で俺からしたらいい感じだが、さすがに無様過ぎやしないか?」


 ヒルデガードは何を考えたか、紙縒の口から足の先を引き抜いた。


「まったく……できれば調教の最中にそんな大事な事を言うのは控えていただきたかったのです……が!」


 ヒルデガードはゲホゲホッと咳き込む紙縒の襟を掴んで、自らの視線の高さまで持ち上げた。


わたくしの靴の味はいかがでしたか? その齢ではあまり味わえない苦渋と屈辱、そして一歩手前の快楽の味です」


「あ……う……康平は……殺させな」


 ドカッ。


「ひぎっ……!」


 甲板に強く叩きつけられ、悲鳴と共に紙縒は動かなくなる。


「まだ口をきく元気があるのですか、牝犬ブルードビッチ。『ひつ』1つすら守り抜けずに、あなたはどうするつもりですか? どうやらあなたは使命感だけで『ひつ』を守っている訳ではなさそうですが、それが何になるというのですか? 人であるあなたと人でない彼の間でその感情が成立するとでも思っているのですか?」


 紙縒の腕から力が抜けていく。

 ヒルデガードは動かなくなった紙縒を見下ろしながら、突然柔和な微笑みを浮かべた。


「何を遊んでいるのですか、ヒルデガード~。見つけたら教えるようにと言っておいたではないですか~」


 ころころと鈴の鳴るような声が康平の背後から聞こえてきた。

 康平が初めて聞く声ではない。聞き覚えのある声に康平は振り返った。


「久しぶりですね~狗坂康平くさかこうへい~」


「君はあの時の……」


「チェリー=ブライトバーク=鈴音です~。『戦々狂々(ドッペルシュナイデ)』でもよいですが~。呼ぶ時は鈴音様と呼ぶがいいのです~」


 歪んだ笑みを浮かべた幼女がそこに立っていた。

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