(3)惨事‐Ein Blutbad‐
どうも、徒立花詩人です。
視点は前半がヒルデガード=エインヘルヤ、後半が狗坂康平となっています。
多少、残酷な表現が入っておりますのでご注意下さい。
ヒルデガード=エインヘルヤはパクス海を上空から眺めていた。
「滞空術式は問題なく発動しているようですね。空からの景色はいかがですか? チェリー=ブライトバーク=鈴音」
「私様は滞空術式など使わずとも~、空を飛ぶことなど容易いのです~。それをお前がどうしてもと言うから頼ってやったのです~。ですからして~私様のことは鈴音様と呼ぶがよいのです~」
この方もこの方で面倒な性格をしていますね。私の周りは面倒な方ばかりで、一下女の身である私はストレスが溜まる一方です。
ヒルデガードのあからさまな嘆息にチェリーは舌打ちした。その音に再び嘆息を重ねて、ヒルデガードは腰を折った。
「この度はわざわざありがとうございます、鈴音様」
「礼には及ばないのですよ~。私様はこんな光景が大好物ですので~」
ヒルデガードは眼下で激しく燃え上がり、火柱を立てる船を見下ろした。そしてすぐに手の中に収まった軍事用対艦ミサイルの発射制御盤をしげしげと眺めた。
「私様の漆黒暗器も使わなければ錆びも同然なのですからして~」
漆黒暗器。
『戦々狂々(ドッペルシュナイデ)』チェリー=ブライトバーク=鈴音の庫内にある一部の兵器群の総称だ。グリモアール=ペラペリペルが最先端技術を結集して作ったチェリー専用の武器という訳だ。
その全てが原型となった兵器を圧倒的に逸脱している。
そもそもグリモア自体が人から逸脱しているのだから、外れるなと言うのはむしろ酷なのかもしれないが、グリモアがチェリーやその姉妹を作ったときと同じ愛情を注いで作ったらしい漆黒暗器も基本的に使う機会がなくてチェリー自身ももて余しているのだ。
「しかし不可解です~。私様の『第二漆黒暗器-無現』ならばあの程度の船、2発で沈むはずなのですよ~」
「私の目には確かに着弾したように見えましたが」
「それなら間違いなく消し飛んでいるはずと言っているのですよ~。ですから不可解なのです~。そんなこともわからないのですか、ヒルデガード~」
「魔術結界が用いられたのなら50発中49発を防いだとしてもおかしくはないかと思いますが。となると、この兵器も思ったより使えないものですね」
勘違いしないで下さい。
私はこんな子供に小馬鹿にされたからといって、腹を立てるほど心が狭くございません。
「それもありえないのです~。私様の中にある『アルテミス』の特殊レーダーは魔術結界を検知してはいないのですよ~。そもそも私様の『無現』には魔術結界や物理障壁など貫通するだけの技術が備わっているのです~。ですから不可解だと言っているのですよ~」
ヒルデガードは眉をひそめることもなく、黙って下を見下ろした。
灼炎と黒煙を立てながら徐々に崩れていく船の甲板はパニックを起こした乗客で溢れ返っている。
「鈴音様。それでは参りましょうか」
「狂悦死獄は早く『櫃』を壊せと言っていたわけですし~。船ごと沈めた方がよいのではないのですか~?」
チェリーは歪んだ笑みを浮かべると、右肩から先をグレネードランチャーに、左肩から先を艦載級主砲に換装する。身体の小さいチェリーと巨大な砲身が見る者に不和感を覚えさせる。
「いえ、残念ですが、狂悦死獄様は私か鈴音様が直接殺害するよう言われておりますので。この状況なら私と鈴音様が船の中に入る必要がございます」
チェリーの表情が固くなり、腕をだらりと下げた。
「なら……なぜ私様からわざわざ兵器を借りたのですか……?」
「言われたことに従うだけならば狗でもできるでしょう。私は命令を言われた通りに実行することは性に合いませんので」
誰ですか今、『それはメイドとして致命的なんじゃ』と思ったのは。確かに私も一下女の身で言えることでないことは重々わかっておりますが、それもふまえて言いましょう。
それがどうかしましたか?
「ところで鈴音様。貴方は『櫃』がどんな外見なのかを知っているのではありませんか?」
「さあ~それはどうでしょうか~。この際だから言っておきますが~、私様は別に狂悦死獄に対して畏敬も忠義も感じてはいないのです~。成りゆきで付き合ってるわけでもないですが~、私様は私様の利益のためにしか動く気は全く無いのです~」
「それを今暴露した意図が量りかねますが、私はメイドとしての業務以外では細かいことは気にしませんので。狂悦死獄様にも報告するつもりはありませんが、身の振り方にお気をつけて、と一言ご忠告申し上げます」
正直、『どうでもいい』というのが本音ではありますが、鈴音様はこの世界には元来存在しない身ですので、何かあった時は私が助けなければなりませんし。面倒ですが、私はメイドである前に原理なのですから致し方ありません。
ヒルデガードはチェリーが大砲やグレネードランチャーを格納したのを確認すると、再び船に目を遣り、ふうっと静かに息を吐き、ゆっくりと目を閉じた。
「まったくヒルデガードは駄目ですね~。見た目以上に手も気も早いなんて性格上ちょっと問題ありなのですよ~」
チェリーは上空で一人呟いて、滞空術式を解除した。
「何なのよ、コレ!?」
ひどい衝撃と揺れの中、よろけつつも立ち上がった紙縒は、レックスの肩を掴んでそう叫んだ。
「どうせあなたの仕業でしょ、レックス」
「何故俺になる!? 俺は知らんぞ!」
「あなた以外にいないじゃない! このテロリスト!」
「紙縒、レックスさん知らないって言ってるじゃん。状況も知りたいし、とりあえず部屋の外に出ようよ」
とは言え、外から聞こえてくる爆音から察するに、たぶん何者かの襲撃があっただろうことは康平にも容易に想像できる。
「紙縒、これって依頼にあった……」
「たぶん違うわ。あれは薬師寺丸薬袋が私たちを呼び出すためについた嘘のハズだか」
紙縒の言葉が途切れた。康平が顔を上げると、紙縒は自分の口を塞ぐように手で覆い、康平から目を逸らしていた。
「ちょっと紙縒、呼び出すって何? 薬師寺丸薬袋ってマルタで会ったあの人だよね? 何であの人が」
「康平うるさい。ちょっと黙ってて!」
理不尽な……。
その時、レックスが紙縒の腕を掴んで立ち上がった。背の高さのために直立はできないが。
「痛っ、なにするのよっ」
「ひでぇ臭いだ」
「におい?」
紙縒は眉をひそめて、スンと鼻を鳴らす。康平が臭いに意識を集中させようとした瞬間、紙縒は顔をしかめて大きく息を吐いた。
「なんで!? これ、硝煙と血のにおい!」
そう叫んだ後、紙縒の目が部屋の天井を睨み付けた。
「レックス、協力して」
「上で誰かがやらかしてるのか……? 助けに行くのか?」
「もちろん」
「わかった。手を貸そう」
紙縒はレックスの肩に軽く拳を押し当てて、部屋の戸を開けた。
「康平はここにいて」
康平の予想通りの台詞を言った。
「ううん。僕も一緒に行くよ」
康平がはっきりとした口調で用意していた答えを返すと、紙縒はうつむいて何かをぶつぶつと呟いた。
「酷いモノを見ることになるわよ」
「大丈夫……たぶん」
「もしかしたら怪我するかもしれない」
「それは紙縒だって同じじゃないか」
「それはそうだけど、康平は身を守る方法がないじゃない! 私は魔法が使えるけど、康平は使えないでしょ」
「でも……」
それは紙縒も危ないってことだ。
僕が隠れているだけなら簡単だけど、もしその間に紙縒に何かあったらなんて、考えるのも嫌だ。
最初は不本意だった騎士なんて呼ばれ方も、いつからか嬉しくなった。
それは相手が紙縒だったからだ。
紙縒のわがままを何だかんだ流されるように聞いてしまうのも、紙縒に嫌われるのが怖いからだ。
「紙縒の側にいたいから、我慢するよ」
紙縒が顔を真っ赤にして、その手にメイスを出現させた。そして、康平に睨み付けるような視線を送って叫んだ。
「私だって康平を守れる保証なんか無いんだよ!? さっきからする血のにおい、1人や2人じゃないんだよ! 上は危険なの! もし康平に何かあったら……私……」
悲痛な声でそう言いきると、紙縒は手の甲で目元を拭う。
「なあ少年少女」
気まずそうに目を逸らし、頬をカリカリと掻いていたレックスが少し落ち着いた声でそう言うと、バッと顔を上げた紙縒はレックスを睨み付けた。
「まあそう睨むな。少女だけなら無理かもしれんが、俺もいるだろうが。2人いりゃ少年1人くらい何とかなるだろ」
白い歯を見せて、ニッと笑うレックス。
直後、胸を張ろうとしたのか高すぎる後頭部を低すぎる天井で強打した。
「あーちくしょう、痛えなぁ」
先に廊下に出たレックスは、頭をさすりながらそう愚痴る。しかし紙縒と康平が部屋から出てくると、急に真剣な表情になった。そして、紙縒のメイスを見た。
「他に見当たらねえようだし、とりあえずはそれでいいか」
紙縒が不思議そうにレックスを見る。レックスは依然として鋭い表情のまま右手を前に突き出した。
「はあっ!」
気合いの一声と共に、突き出した右手に紙縒のメイスが握られた。
紙縒はポカンとした表情で、自分の右手に持つメイスに視線を遣り、再びレックスの持つメイスに視線を戻す。
「おい少女。何をボーッとしてる」
「別にボーッとなんてしてない。早く行くわよ! 康平、後ろからついてきて!」
紙縒に黙ってうなずくと、紙縒も頷き返して甲板に上がるための階段に向かって走り出す。その後をついて、康平も走り出す。
「おい少年」
「え?」
「これを持っとけ」
そう言って階段に足をかけつつ渡してきたのは……。
「なんでレックスさんが紙縒の携帯を持ってるんですか……?」
「ほう。ケイタイと言うのか、これは。だが残念だな。これは俺が作った複製だ。外見はまあ適当だが、中身が違う。とりあえず持っておけ。たぶん役に立つはずだ」
康平はなんとなく疑問を覚えつつも、受け取った携帯の形をした何かをポケットに入れる。そして、紙縒を追って階段を駆け上がり、甲板に立った。
「うっ……」
思わず鼻を覆う。部屋で嗅いだ時よりも遥かに濃い血のにおいが潮の香りをかき消していた。
甲板にはたくさんの人が倒れていた。
痛みに堪えて呻く者。
頭を抱えてガタガタと震えている者。
何かから逃げようとしているのか、柱の陰で怯えている者。
そしてそれらを除いた大半が、身体の一部が無くなって、なおかつ。ピクリとも動かなかった。
おびただしい赤。
血。
康平は喉をキュウッと搾られるような感覚を覚え、口を押さえて船縁に走った。
が、間に合わずに甲板に胃の中のモノをぶちまけた。
口の中が苦くて酸っぱくて、誘われるように再び吐き出す。
「ゲェッ……ゲェッ……」
気持ち悪い感覚に口の中を蹂躙される。
「康平、大丈夫?」
少し強い口調の紙縒の声が聞こえてくる。
見ると、紙縒は倒れたまま動かない人たちの中にしゃがみこみ、心配そうな、それでいて怖い顔だけを康平に向けていた。
「慣れちゃダメだよ、康平。こんなの、普通じゃないんだから」
そう言うと、視線を倒れている人々に戻し、悲痛な表情を浮かべた。
「貴女方はどなたですか?」
突然凛と響くような声がした。
「だれ!」
すぐにメイスを構えて見慣れた戦闘体勢に入った紙縒は辺りを見回した。
「わざわざ探さずとも私はここにおりますよ」
紙縒が、声のした方にとっさに顔を向けた。そこは、康平のいる側とは反対側の船縁だった。
「気配を消すだけでも思いの外気づかれないものですね」
鮮血に点々と染まったメイド服を纏った銀髪の少女が冷たい表情を浮かべていた。
「誰なの!」
紙縒はメイスをそのメイドに向けて、そう叫んだ。
「申し遅れました。私はヒルデガード=エインヘルヤ。主の命令を受け遣わされた、一介の使用人でございます」
ヒルデガードは鮮血の滴る腕を丁寧に布で拭いとり、その布を海に投げ捨てた。
「ここはあなたがやったの!」
「はい。お見苦しいところをお見せしました。しかし、あまり時間がないので率直にお尋ねします」
ヒルデガードは口を閉じて一拍置くと、再び静かに口を開いた。
「『狂悦死獄の櫃』をご存じではありませんか」
紙縒の表情が、瞬く間に凍りついた。