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≪連載停止→改稿版連載中≫  作者: 立花詩歌
第五章『火喰鳥一族』
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(12)微笑‐Das Madchen lachelte‐

 リィラ=テイルスティングは柄にもなく皿洗いなんかやっていた。もちろん自主的にやっているわけではない。

 鬼塚と夜通し酒を呑んでいたら、どうやら所持金を軽く超えてしまったようで、働いて返すことになったからだ。

 こういう状況になってみると、逆に酒に強い自分を恨めしく思う。それでも鬼塚ほど異常ではないが。

 なにしろあの馬鹿は酔ってる様子がほとんど無い。アルコールがほとんど効いていないようなのだ。鬼塚が酔い潰れたのを見たのは――正確に言えば見てはおらず、ヘカテー経由で鬼塚から聞いただけなのだが――純アルコールを一樽呑んだ時ぐらいだ。しかも、次に鬼塚を見た時は普通に逆立ちで動いていた。あの時はさすがに『化け物か』と思ったのをよく憶えている。


「なんで私がこんなことを……」


 リィラがそう文句を言うと、店のマスターの地獄耳が反応し、怒鳴りに来る。

 その怒声を聞き流しつつ、しばらくは沈黙を余儀なくされる。

 そしてマスターがいなくなると同時に再び文句を言う。

 突然マスターが現れる。

 後頭部を叩かれる。

 しばらく沈黙を余儀なくされる。

 この繰り返しだった。

 1度試しにその攻撃を避けてみたら、マスターの手は持っていた皿に当たり、床に落ちた皿が豪快な音を立てて割れ、またキレられた。まったく理不尽この上ない。

 鬼塚が黙々と皿洗いに励んでいることすら腹立たしいというのに、こんなことばかりやってられん。


 ガチャーン。


 手が滑って皿が割れた。

 またか、と皿の破片に諦めの視線を投げかけていると、こめかみに青筋を走らせたマスターがすごい形相で走ってきた。


「何で始めて1時間も経たない内に皿が5枚も割れるのか教えて貰おうか!」


「失敬なことを言うな、6枚だ」


「そんなことを誇られても困るんだよ! 何でこんな簡単な仕事ができないくせに偉そうなんだ!」


「こんな慣れない仕事をさせる貴様が悪いと言うのに。こんな理不尽なことがこの世に存在するのか」


「理不尽なのはいったいどっちだ?」


 頭を振るマスターの後ろに、不思議そうな顔をして手元を覗き込む鬼塚がいた。

 なんか皿がすごいことになっている。物理法則とかじゃなく、明らかに物質が変わっている。いったい何があったら、陶器をあんな風にできるんだろう。

 マスターがリィラの視線に気づいたのか、突然鬼塚に振り返った。


「む、すまん。店長。皿が曲がった」


「どうやったら陶器の皿がこんな風にぐにゃりと曲がるのか教えろや」


「む? こう……ぬるっと」


 鬼塚の手の中で、皿が焼く前の粘土に戻ったかのようにぐにゃぐにゃと曲がった。


「何でそんなどうでもいい説明のためにもう1枚皿を台無しにするんだ! お前ら今までどうやって生きてきたんだ!?」


 大袈裟に手を頭に当てて叫ぶマスターに、リィラは軽い苛立ちを覚えつつあった。


「騎士だが」


「筋肉だ!」


「片方しかわからない俺が悪いのか……? とにかくだ! この皿の分は給料から差し引いておく! もう2度とするなよ」


「すまん店長。またぬるっと」


 かなり高そうな大皿が、違和感漂うアートに変貌していた。

 愕然がくぜんとするマスターと、珍妙かつ疑問しか浮かばない芸術作品を見ていると、滑稽で思わず口元が緩んでしまう。


「まだ食い逃げしてもらった方が損失が少なくてよかったかもしれないとか思ったのは初めてだ!」


 ご立腹の様子。

 見苦しい。


「アルヴァレイめ。置いていくなんて酷い奴だな」


 次に会ったら1発殴ってやろう。


「ところで俺はなぜ皿洗いなんてやっているんだ?」


 これが来るのを待っていた!

 1時間もかかったのは想定外だが、これで全く問題はない。

 間違えたり噛んだりしないように何度も反芻していた言葉をもう1度復習し、鬼塚に人差し指を突きつけた。


「お前が飲み食いしすぎたせいでここで働いているんだろうが。それに私が付き合ってやってるのを忘れたのか? なんて恩知らずな奴なんだ。お前みたいな奴を手伝うんじゃなかった。私はアルヴァレイを追うから、お前はしっかり金を返してからこい」


 鬼塚は何の疑いもせず、殊勝そうに見えなくもないような微妙な表情になった。


「むぅ、それはすまんな。後は全て俺に任せろ。もう十分に助かった。感謝するぞ、テイルスティング」


 鬼塚よ、それはする必要のない感謝だと気づかないままでいろ。


「じゃあな、鬼塚」


 荷物を3秒で纏めて、マスターの制止を振りき……るために店長を殴り倒して、店を飛び出す。

 鬼塚には悪いが、こんなところで皿割りをやっていても埒があかない。追いかけてくる奴がいないことを確認すると走るのを止め、歩き出す。


「まったく無駄な時間だった」


 港の桟橋に着いたはいいものの、今日の船は既に出港しているようだった。


「ちっ。でもまあしかし、金がないから船に乗ることもできんしな。アルヴァレイの奴、そのぐらいの金は残していけばいいのに……支払いに消えるか」


 一瞬フラムのクリスティアースまで戻ろうかとも思ったが、ヴェスティアにまた迷惑がかかる。


「寝るか……?」


 こんな状況で寝ると言う選択肢を引っ張ってくる奇天烈な頭を持ち合わせているつもりなど無かったから、わずかな時間を落胆で過ごしてみる。


「さて」


 海岸に下りる。

 少し岩陰に隠れたところに、荷物を下ろし、腰を下ろす。

 過去を懐古する……暇もなく眠りについた。

 懐古なんかいつでもできる。

 死ぬ時にでも一生を振り返るさ。


「リィラ、テイルスティング……?」


 突然至近距離でした声に眠気が吹き飛ばされた。

 少しばかりの苛立ちを覚えつつ、閉じていたまぶたをゆっくりと開く。

 いつもならすぐに目を開けて剣に手を伸ばすところだが、そうしなかったのはその声が幼い少女の声だったからだ。

 夕暮れの海岸を背景にして、リィラの隣にしゃがみこみ顔を覗き込んでいたのは確かに幼い少女だった。


「お前は誰だ?」







 シャルルと久遠はアルヴァレイ達に見送られ、霧の森(ネーベルヴァルト)へ来ていた。

 別れ際にアルヴァレイさんが『こんな重要そうな局面に来てまさかの主人公放置かよ!』と、意味不明なのにどこか危なっかしさを覚えるようなことを言っていた。

 隣に立っていた白銀色の髪の女の子に後頭部をはたかれて動かなくなっていたから、少し心配にもなるけれど、それよりも今は黄泉烏(よみがらす)様の方が心配だった。


「何があったのか、説明してもらえないですか?」


 森を分け入りながら、隣を歩く着物を着た黒髪の少女、火喰鳥久遠に訊ねる。


「火喰鳥の里に黒くて嫌なモノが降ってきたんです。それは突然、姉の火喰鳥秧鶏くいなと兄の火喰鳥轆轤ろくろを呑み込みました……。まるで闇のようなモノでしたが、どこか違っていて……私にはよくわかりません。それからは急に地面が真っ黒になって、どろどろに溶け始めて、それは家中に広がりました。聖火せいか姉さんも双子の妹の嵐華らんかちゃんも、みんなみんな一番駄目な私をかばって……。私はっ、お姉ちゃんだったのにっ……蓮火れんかちゃんも、雛離ひなりちゃんも、喰火くいひくんも、火堰ひぜきくんも、鏡己かがみちゃんも、狂牙くるがくんも、みやびちゃんもっ……誰も守れなくて。他の子もどうなったかわからなくて、隠れてるしかできなくてっ……。依凪いなぎ姉さんも、稲荷いなりくんを助けるために代わりにそれに呑み込まれて、それからは稲荷いなりくんを抱えて、夢中で飛んで逃げたんです。その後、黄泉烏よみがらすさまにお会いして……貴女を探すように言われて来たんです」


 久遠は肩を落として、歩を進める。


「黄泉烏さまも、皆も、どうなってしまったのでしょうか?死んでしまったのでしょうか……」


 『死ぬ』と口に出した途端、久遠の表情が歪んだ。目からは涙が溢れ出し、子供のような仕草でそれを袖でぬぐう。

 不安を抑えきれず最悪の結果を想像してしまうと、どうしても頭から離れなくて心が潰されそうになる。今にも壊れてしまいそうな久遠を支え突き動かしているのは、わずかな希望と、他でもない稲荷の存在だ。


「落ちついて、久遠ちゃん。私は、皆を助けに来たんですから。絶対に皆を助けます。約束します。私を信じてください」


 久遠の手を取って、久遠の傷ついた心に語りかけるように言葉を紡ぐ。


「私も頑張るから、久遠ちゃんも頑張ってください」


「私は頑張らなくていいのかな?」


 頭上から突然した声に飛び上がる。

 すぐに身構えて、上を見る。


「誰!」


 小さな人影。逆光になって見えにくいが、確かにそこに誰かいる。


「友達のことをそう簡単に忘れるなんて酷いよね……」


 その言葉の意味を斟酌する前に、その人影は目の前に飛び降りてきた。


「ルシちゃん!? どうしてここに?」


「私人外だからここに入れるし」


 ルシフェル=スティルロッテ本人だった。悪戯っぽい笑みが驚かすために急に現れたのではないかを疑わせる。


「そっちじゃなくて、ルシちゃんがここにいる理由です」


「見せた通り、シンシアは1度見た魔法陣なら展開も制御も簡単にできるからね。シャルルの空間転移魔法をもう1回使っただけ。すごいでしょ♪」


「そっちでもないです! ごまかさないでください! ルシちゃんは何でこっちに来ているんですか?」


「残念。私は元からアルヴァレイやヘカテーみたいな綺麗な側になったつもり無いよ。私は人外だし、シャルルも久遠も人外だし。人外同士仲良くしよーよ♪ それにそろそろ久遠のうそのことはっきりさせとかなきゃ気持ち悪いし」


「でもあっちの人たちから逃げてきたんですよね……って、え? うそ?」


 久遠も不思議そうな顔をしている。


「ああ、このタイミングだと誤解するかもしれないね♪ 嘘って言うのはアルヴァレイ=クリスティアースのこと」


 久遠の肩がピクリと震えた。


「久遠、いや火喰鳥ってさぁ……あいつのコト、知ってたでしょ」


「……何のこと……ですか?」


「隠しても意味無いよ♪ アルヴァレイ=クリスティアースが人外だってこと。『神々の末裔』の火喰鳥が『|神界の真理(ヽヽヽヽヽ)』が判別できない訳ないよね♪ それに今回のことだって、あの男がいれば、纏めて解決できるってわかってるみたいだし」


 ルシフェルの口元に歪みが生じる。


「貴女、誰ですか……?」


 久遠が後ずさる。


「いいえ、貴女は……何ですか?」


「アハハ♪ 私はルシフェル。シャルルの友達のルシフェル=スティルロッテ。それで不満なら、いいこと一つ教えてアゲル♪ 私は『ティーアの悪霊』にして『魔界の真理』ルシフェル=スティルロッテだよ♪ アハハハハハハハハハ!!」


 高らかに笑いながら、ルシフェルは言い放つ。久遠は信じられないものを見るような目で、ルシフェルを見つめている。


「別に警戒なんてしなくていいよ。私が警戒するだけだから。アルヴァレイ=クリスティアースを連れてこなかった理由を知りたいだけ。何か企んでいて、そのことがアルヴァレイやヘカテーに危害が及ぼすなら、今すぐ貴女をバラバラにして殺してやるけど♪ そうじゃないなら何もしないよ。私はあんな奴どうだっていいけど、私の大事な『元』家族がアイツが死んだら悲しむから。そんな顔は見たくないだけ」


「私は……皆を助けたいだけ。皆は静かに暮らしたいだけ。『真理』を連れてこなかったのは、私たちには『触れられない』から。物理的にじゃなくて『本当の意味』で触れられないから」


 久遠は、肩の力を抜いて、そう呟いた。


「ふーん、そういう『システム』なんだね♪ うん、わかった。私からはそれだけかな。シャルルはもう帰っていいよ。あ、杖は久遠に預けといてね。『黄泉烏(よみがらす)』には渡しとくよ。後は私と久遠で何とかするから、『安全なところに避難して』」


 ルシフェルはシャルルには何も言わせてくれなかった。

 地面から溢れる紫色の光に気づいた時には、もう遅かった。


「大丈夫。『ここであったことは、シャルルは皆忘れちゃう』から」


 シャルルは久遠に、ルシフェルに咄嗟に手を伸ばした。


「また後でね、シャルル。私の人形によろしく♪」


 シャルルの視界は、紫の光に塗りつぶされて……。

 気がつくと、黒き森(シュヴァルツヴァルト)の小屋の前に立っていた。

 そしてシャルルは、捏造された記憶を持って、小屋の扉を開けた。


「おかえり、シャルル。早かったね♪」


「ただいまです、ルシちゃん。アルヴァレイさんもただいまです。久遠ちゃんの、火喰鳥のことは解決しました。皆無事だったので良かったです」


 中にいた、全員の表情が綻んだ。


「じゃあ稲荷くんを送ってきます」


 外に残された、新しい魔法陣。

 その魔法陣は、『たった今シャルルが自身で描いたもの』という扱いだが、本当はルシフェルが残したものだ。

 シャルルが、そう思い込んでいる、もとい思い込まされているだけで。







「さて、と。行こうか、久遠」


 ルシフェルは、シャルルを見送ってから久遠に向き直ってそう言った。


「はい……、あちらに戻らなくても大丈夫なんですか?」


「私の人形は優秀だから。心配しなくても『悪霊』としての能力と本質『ぐらい』は持たせてある。アルヴァレイ=クリスティアースが自分が『真理』って気付かない限りはバレないよ♪」


「わかりました。行こう、稲荷くん。皆を助けなきゃ……」


「……うん」


「お前が見た男の本質が、私の予想通りだったら、火喰鳥は誰1人死んでない。その男もたぶんまだ里に残ってずっと残り1人を探してさ迷ってるはずだから間に合う。私がそいつをいたぶればね♪」


楽しそうに口元を歪めるルシフェル。


「ありがとう……ございます」


 これで皆が助かる。皆が助けられる。


「気にしなくていいよ♪ 久遠さえ貰えるなら私はそれでいい」


 一瞬、ルシフェルが何を言ったのか理解できなかった。


「え……?」


 ルシフェルは人差し指を立てて、久遠の顔を指差す。そして笑った。


「私は久遠の『火喰鳥じゃ無い部分』が欲しいの♪ 私は久遠の家族を助けるから、久遠は私に頂戴ね。どっちにしても久遠は家族と暮らせないけど、その時間が『久遠』か『刹那』か。どっちを選べば良いかぐらいわかるよね♪ 火喰鳥久遠」


 迷う余地なんて無かった。

 元よりこの取引、久遠に選択権など与えられていない。

 久遠はルシフェルが、『悪霊』が、どういうモノなのかがわかった気がした。それが本質なのかうわべだけの取り繕いなのかはわからない。

 久遠の身体だけでなく、魂や存在まで秤にかける悪魔の取引。どんなに不公平でも、どんなに理不尽でも、選ばざるを得ないものがある。

 久遠は隣で不安そうに久遠の顔を見上げる稲荷に目を向ける。

 久遠の着物の裾をぎゅっと握って、何も知らない無垢な瞳を久遠に向けてくる。久遠はこの瞳に応えなくちゃいけない。

 血の繋がりがなくても、一緒に過ごした時間が短くても、存在そのものに大きな隔たりがあったとしても。

 あくまでも久遠は、稲荷の『お姉ちゃん』なのだから。


「わかりました」


 だからこそ久遠は、躊躇いも、未練も残さないように、はっきりと言いきった。

 今までのように恥ずかしがらず、今までのように口ごもることの無いように。


「私を貴女の人形にしてください」


「『真理』と『神々の末裔』は友達にもなれるけど?」


 ルシフェルの口元の歪みは、拙い微笑みに形を変える。


「『神杖』は昔、そういう奇跡ばかりを叶えてたんだけどね」


 ルシフェルは大きな杖を左手でくるくると弄ぶ。


「とゆーかもうこれ、いらなさそうね」


 ルシフェルは誰に同意を求めるでもなく、『神杖』を呑み込んだ。蛙を呑み込む蛇のように丸呑みにして。


「何をっ」


 さすがの久遠でも驚いて当たり前だ。

 ルシフェルはこの霧の森(ネーベルヴァルト)の最高位に位置する『奇跡量産の宝具』を食べたのだから。


「ん、ああ。大丈夫大丈夫♪」


「何が大丈夫なんですか!?」


 ルシフェルは犬歯を見せるように鋭く笑い、久遠のおでこに人差し指を当てる。そして、あっけらかんと言った。


「これ、元々私の人格の1つだから」

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