(5)少女の話‐Eine bestimmte Nachtgeschichte‐
「改めて自己紹介しとくよ」
食事を終えて、手近な宿に部屋をとったアルヴァレイ、ヘカテー、ルーナ、リィラ、鬼塚、ヴィルアリア、そして、火喰鳥久遠と稲荷の計8人は部屋の中の思い思いの場所を陣取っていた。
早々にベッドを一つ占有したリィラ。ルーナを引き込んでさらにベッド1つはヘカテーがとった。
残り2つのベッドの内、1つは既に久遠と稲荷に分けたため、アルヴァレイとヴィルアリアは大人しくベッド1つを共用。鬼塚は床で寝ることになった。
半分近くがリィラの強制的なものだが、これ以上良くはならないだろう。
「俺に床で寝ろと言うのか?」
「鬼塚。この試練に耐えられるのはお前の筋肉だけなんだ。他の者には厳しすぎる。お前に任せてもいいか?」
「任せろ!」
これまた決まったような応酬をベッドの上と床で交わした鬼塚は、リィラとの会話を切り上げて筋トレを始めようとして部屋の外に蹴り出された。もちろんリィラに。
「何をす」
言葉が途切れる。
すごいな、この扉。防音性に富むと言うのか。リィラが扉を閉めてからは、その外の音がほとんど聞こえなくなった。
「俺はアルヴァレイ=クリスティアース。一応言っとくとただの神族」
アルヴァレイはそう言って、次のヴィルアリアに促した。
「私はヴィルアリア=クリスティアース。このアルヴァレイの妹ね。ちなみに私もただの神族だよ」
おかしくなるのはここからだと……。
次にヘカテーに振ろうとしたら、リィラが間に入ってきた。
「私はリィラ=テイルスティング。私も一応人間だ。どうしたアルヴァレイ。何か不服そうだな」
「大人しく理不人って名乗って欲しいとか思わないですよ」
「そうか、それならいい」
とか言いながら手近な置物を投げないでほしい、とか思わないですよ。
「ルーナ=ベルンヴァーユ……です。よろしくお願いします」
「ルーナの人見知りは久しぶりだな」
ルーナはヘカテーの背中に隠れて、顔だけ肩の上から出している。ヘカテーの方が小柄だからどうやったって隠れられていないことに気づいていない辺りがルーナらしい。
「私はヘカテー=ユ・レヴァンス。一応今は少し可哀想なただの可愛い神族の女の子です。少し前までは旧き理を背負う者だったけど」
「旧き理を背負う者……それって旧き理を……?」
久遠が不思議そうな声を上げる。
「うん、魔界の……何だったかな……『崩れぬ自我』とかいう摂理だったと思うけど、って何で『旧き理を背負う者』のこと知ってるの?」
「私……その、えっと……」
久遠の言葉が続かない。
「くーちゃんも旧き理を背負う者なの?」
「あ……いえ、あ……でもこの子が」
眠そうな顔でベッドに寝転がる稲荷の頭を撫でてやりながら久遠はそう言った。
「旧き理を背負う者?」
「はい」
久遠はコクリと頷いた。
「じゃあくーちゃんは?」
ヘカテーがベッドから身を乗り出した。
もしかしたらどこかルーナに似た空気を持っている久遠を、既に気に入っているのかもしれない。
「あ、あの……」
その時、久遠は来ていた着物の肩口に手をかけた。
「え?」
久遠は顔を真っ赤にしたまま、着物を着崩した。
着物は久遠の二の腕の辺りにまで下ろされ、はだけられた胸元はかろうじて引っ掛かっているような状態だった。
服の上から見た時より大きいな、と思ってしまったのは不覚にも仕方がない。ヘカテーに既に読心ができないことをありがたく思おう。
「ちょっと何やって……」
というヘカテーの言葉も続かなかった。
バサァッ。
黒い翼が。
久遠の背中から大きな鳥の翼が生えた。
「私は……火喰鳥。『神の翼』の末裔の……成れの果て……」
「『神の翼』……?」
ヘカテーも同じく首をかしげていた。
「旧き理を背負う者ですら記憶の届かない前界の境地……。それが……私たち、火喰鳥」
火喰鳥。
まったく聞いたことのない単語だ。
「私たちは元々……神界における造物主、神の一族……」
隠すほどのことでもない、と言っているようだった。
「私たちは……新界に降りた時にほとんどの力を失ったから」
そう言った久遠は、寂しげに笑い、悲しげに目を伏せ、翼をどこかに畳んで着崩していた着物を正した。そして、既に眠っていた稲荷に布団をかける。リィラは目を見開いて、ベッドに腰かけたまま似合わず呆けていた。
ヘカテーも唖然とした顔で絶句している。
「でも火喰鳥も……もう、私1人になっちゃいました」
明らかに無理をしている笑顔。
その笑顔を見た時、アルヴァレイは気づいた。最初に見た時から感じていた感覚。
久遠はシャルルに似ているのだ。
「……すいません」
久遠は重くなった空気をあがなうように呟いた。
「はははっ」
リィラが突然笑った。
そして、部屋の扉を勢いよく開ける。
「鬼塚ァッ! お前も自己紹介しろ」
廊下に両手をついて這いつくばり、腕立て伏せをしていた鬼塚は、リィラの方に顔を向けると同時にバランスを崩して倒れ込んだ。その様子にリィラのこめかみが引きつる。
相変わらず妙なところでキレやすい人だ。
「リィラさん。廊下までは響きますから、怒鳴るのは鬼塚を中に入れて扉を閉めてからはにしてくださいね」
「ああ、そうだな」
鬼塚の頭を掴んで、力任せに部屋の中に押し込む。
「さぁ鬼塚。貴様も筋肉の端くれなら自己紹介ぐらいこなしてみせろ。そうでなければ全力で殴ってやる」
「む? 何をキレておるのヴァ……!?」
鬼塚の鳩尾にリィラの剣の柄が食い込んだ。いや、めり込んだと言ってもいいかもしれないが。
「笑いながら自己紹介だ」
「ふははは、俺は鬼塚石平。頭脳明晰にして」
「頭脳焼失の間違いです」
「筋肉神を友に持つ選ばれた筋肉!」
「ちなみにあれが神かどうかには疑問しか残りませんよ」
「それがこの俺、鬼塚石平だ!」
「この通り、さっき名乗ったことすら覚えてませんから」
「この世界にはまだまだ筋肉が足りない! 世界を構成する一大要素が」
「そんな世界嫌です」
「それが我が」
演説終了。
もとい、演説強制終了。
リィラの剣の鞘が鬼塚の首の背部を強打し、鬼塚は昏倒した。たぶんまた数分後には起き出すだろう。
リィラもそう思ったのか、鬼塚を廊下につまみ出す。
鬼塚が何の変哲もない一般人だったならそれ相応の同情と態度があったのだろうが、あいにく鬼塚にそんなものは通用しない。
「酒だ! アルヴァレイ! 酒を持ってこい! 朝まで呑むぞ!」
「1人で呑め」
俺はもう寝る。
そう訴えるように、布団の中に入る。
「アル君……」
ヘカテーの冷ややかな声。
「返事、まだ聞いてない」
ちくしょう。
それをはぐらかすために、今の今まで突っ込みを口に出してまで、ヘカテーがそれを切り出すタイミングを上書きして、塗りつぶしてきたというのに。
「何の話だ?」
ほら、リィラさんが食いついてきた。
ルーナがキョトンとしているのはいつものことだ。久遠は曖昧に微笑んでいる。ヴィルアリアは全部わかっているというようにニコニコ笑っている。
「アル君が私のことを、好きなのか。大好きなのか。愛してるのか。早く返事が欲しいです」
「だから俺に選択肢が無いだろ」
「愛してるしかありませんか?」
「そんな最上級信じません」
ヘカテーはおもむろに金の鎖を外した。
ってちょっと待て!!
「じゃあ行動で示してください。『アルヴァレイ=クリスティアース』、私が好きなら『キスしてください』」
「卑怯だ」
「何が卑怯なんですか?」
お前それ……。
声が出ない。
「ヘカテー、外に行こう」
しかも、勝手なことを口が喋り始める。
アルヴァレイは何の抵抗も許されず、港まで歩かされた。
「アル君」
ヘカテーを勝手に抱き寄せる俺の身体。
「迷惑……ですか?」
抱き寄せる。
「アル君の方が卑怯です。私は、ちゃんと気持ちを伝えたのに。アル君はその返事をしようともしてくれません」
「それは……」
近づく顔。
唇が重なる。
これは反則だ。
ヘカテーの顔が赤く染まってゆく。
「……っ……」
唇が離れる。
「私は、アル君のことが好きです。シャルルちゃんに負けないぐらい好きです。アル君はシャルルちゃんのことをどう思ってるんですか?」
そう言ったヘカテーの手には、金色の鎖が握られていた。
「シャルルは……友達だ」
たぶん。
「アル君は、私のこと嫌いですか?」
ヘカテーには、もう心を読む力はない。今、その場しのぎの言葉を並び立てたとしても、ヘカテーはそれを信じるだろう。
「好きか嫌いか、恋愛感情じゃなくてもいいです。どっち……ですか?」
ヘカテーは金の鎖を持ったまま、問いかけている。アルヴァレイの本音を聞き出そうとしている。
金の鎖を手放せば、本心を聞くのは容易いのに。最初こそ『呪い』に頼ったけれど、ヘカテーは正々堂々と決着をつけようとしていた。
「好きか嫌いかでいえば、もちろん好きだよ」
たぶんそれはシャルルに対してはあまり抱かなかった感情だ。
だけどそれが何なのかはわからない。
「経験がないからかもしれない」
返事をしたら、ヘカテーとの今の関係が崩れてしまいそうだった。
「ヘカテーに今までにない感情を持ってることは確かだよ」
でもそれが何かがわからない。
「でも今は、このままがいいんだ。ヘカテーや皆と笑ってると、シャルルを探すことすら忘れてる自分がいるから」
良いものか悪いものかわからないその感情に、臆病な自分は任せる気にはなれなかったから。
「シャルルを見つけるまでは、このままじゃないといけない。ルーナはそれがわかってる。本当は、シャルルは1人で探すべきだったんだ」
それが最善だったとしても、今さらもうどうにもできない。
もう自分には仲間がいる。それを拒絶する気にはなれない。離れたくないと願う自分がいるから。
「だから……」
「もういいよ」
ヘカテーが言葉を遮った。
「わかった。アル君がそう思ってるってわかれば私はとりあえず満足だから。私が不安だったのは、アル君が私を嫌ってて、でも私に気を遣って返事をごまかそうとしてるんじゃないかってことだから。アル君が私のことをそう思ってくれてたら私はそれでいい。アル君にとって私が、気を遣わなくてもいいぐらいには親しい存在になれてるなら私はそれが嬉しいから。私はアル君の隣でヒロインになりたいの。それも他の物語のヒロインみたいに、にぶい主人公がこの気持ちに気づいてくれるのを待つなんてイヤ。私は、自分自身でアル君にこの気持ちを伝えた。例えアル君の物語のメインヒロインがシャルルちゃんでも、私だって……ううん、サブヒロインでもいい。アル君の隣にいられれば」
ヘカテーはそう言って、微笑んだ。
「ほら、アル君。戻ろう」
そう言って、アルヴァレイの手を握り、ヘカテーは歩き始める。
「シャルルちゃん……」
「ん?」
「私を縛って」
「……は?」
そう言ってヘカテーが掲げたのは金の鎖だった。
「久しぶりに、アル君に縛って貰おうかと思って。いつもはルーナちゃんがやってくれるんだけど、今日はたぶん寝ちゃってるだろうし。それにルーナちゃんよりアル君の縛り方の方が上手だもん」
「そんな特殊嗜好的技術を誉められても全然嬉しくねえからな」
そんな発言をされると周りから変な目で見られるだろうが。
「自分でやれ。そんなもん」
「キャーって叫んでみようかな……」
「ほんとにいい性格してるよなぁ!」
ヘカテーの持っている金の鎖の端っこを引ったくるように掴む。
「縛り方なんて覚えてないぞ」
「言う通りでいいよ。まず真ん中辺りを首にかけて」
言われた通りにヘカテーの身体に鎖を這わせる。
「私たちって周りからどんな風に見られてるんだろうね。やっぱり恋人みたいに見えるのかな? あ、そこで1回輪を通して……そう、そこそこ」
「どう見たって変質者とその被害者にしか見えないと思うんだがな。今は夜中だから誰も見てないだろうし、唯一の救いはそれぐらいだよ」
「今度昼間にやってみようかな……。あ、そのまま肩ごしに前に垂らして、胸のところで交差するみたいに、ひゃっ!」
「昼間はやらないからな、あと変な声出すな、気が散る」
「だって擦れて……」
「自重しろ」
「アル君の意地悪」
「勘違いするな、いじめられてんのはこっちだ。これでいいか?」
「うん。ありがと♪ やっぱりルーナちゃんがやるより上手だよ」
「そりゃどーも、全然嬉しくねえ。ほら、行くぞ。もう眠い」
「うん……」
ちなみにその夜、アルヴァレイはなぜか寝付けなかった。
理由は知らん。
原因は何だ?
そこはかとなく悪意を感じる。
しかし、そんなことよりも。
この時アルヴァレイは気づいていなかった。リィラと鬼塚が部屋にいなかった、この事実を部屋が暗かったという些末な原因で見落としてしまったのである。