(1)潰滅‐Das Dorf wurde zerstort‐
「ん?」
辺りに不穏な気配が漂っているのを感じた火喰鳥家次女、火喰鳥依凪は小脇に抱えていた小さな洗濯籠を足下に下ろし、着物の裾に手を入れる。
護身用にいつも持っている小刀をいつでも抜けるようにするためだ。
「どうしたの……? 依凪姉さん」
不審そうに障子の裏から覗いてくるのは、四女の火喰鳥久遠だ。
一瞬警戒を抜く。
「誰かいる……隠れてる」
「うん。隠れてるね。久遠」
「違う……私の他にも」
「わかってるよ、この気配、1人や2人じゃない、もっとたくさんいる。久遠は下がってて、危ないかもしれないから」
「うん……」
久遠は障子を閉めて黙り込んだ。
「さてと、一番近い気配は……」
依凪は片目を軽く閉じる。呼吸を整える。そして、首を横に傾けた。
「……」
風切り音がして、依凪の頭のあった所を矢が通過していく。
刹那、矢の飛んできた方へ走り込む。走るというより飛ぶような流麗な動きで。
あっという間に矢を射った者の目の前に現れた。
「狂牙! 危ないからやめなさいっていつも言ってるでしょ!!」
火喰鳥家十二男、末弟の火喰鳥狂牙だった。
「どうせ全部避けるくせに、何だよ!」
「私が避けられるかどうかは関係ない! ただ単に危ないから言ってんの」
「大丈夫ッ、こんなことできるの、依凪姉にだけだから。他は普通だから、当たったら死んじゃう」
「あたしも当たったら死ぬわよ、あたしは何だ化け物か」
「たぶん違うけどかなり近、いってぇ! げんこつで殴ったな!」
「そんなに暇なら山菜でも採ってきてよ。お昼ごはんに出すから」
「嫌だよ何で俺が」
ヒュッ。
「行かせていただきます!!」
一連の騒動を遠巻きに眺める久遠はため息をついていた。
「いいなぁ……簡単に人と話せて……」
家族に『簡単に』も何もないのだが、何せ火喰鳥家最高のあがり症、久遠の頭にはそんな前提すら残っていない。そんな頭から湯気をたてる久遠の後ろから忍び寄る影が1人。
両手を久遠の腰に近づける。
「ひゃぅ……」
突然久遠の腰に抱きついてきた人影、火喰鳥家二十女、火喰鳥鏡己は人懐っこく寂しがりやだが、何故だか恥ずかしがりやの久遠になついている。
「久遠おねえちゃん。なにみてるの?」
「心臓に悪い……鏡己ちゃん、おどかさないで……」
「なにみてるの?」
「依凪姉さんと狂牙くん……。とても楽しそうなのよ……」
「ふ~ん。雅ちゃんみてない? かくれんぼしてたらどっかいっちゃったの」
雅というのは火喰鳥家二十一女、末妹の火喰鳥雅のことだ。
「見てないわ……いないの?」
「うん、いまさがしてるの」
「私も探した方がいいよね……お姉ちゃんとして」
「てつだってくれるの!? ありがとう!」
嬉しそうに部屋の奥の障子を開けて、駆けていった。
すぐに雅を呼ぶ声が聞こえ始める。久遠は障子の陰から出て、縁側に立つ。
「庭は探したのかな……?」
草履を履いて、庭に出る。
「依凪姉さん……雅ちゃんがいないらしいの……」
「雅が? どうしたの?」
「かくれんぼの途中でいなくなっちゃったんだって……」
「わかった。私も探してみる。久遠は北側の庭を探して。2人じゃちょっと不安かな。そうね、秧鶏姉さんと聖火にも東西を探して貰う、わっ」
死角から3本の矢が飛んでくるのを全て空中で掴み取ると、まとめて折った。ここまで2,5秒。
それを見たからか、草むらや石の影から子供が数人逃げていった。
「わかった……」
依凪が目を閉じるのを見て、久遠も目を閉じた。
翼が開く。
そして、目を開いた久遠の前にいる依凪の背中にも茶色と黒の翼が広がっていた。
突風が吹いて、依凪の身体が上空へ舞い上がる。
久遠も後に続き、屋敷の東西南北に広がる『庭』と呼んでいる巨大な森、霧の森の上空で解散した。
久遠は背中の翼を力強く羽ばたかせ、空を翔る。
この世界では異形の一族である火喰鳥家には33人の子供がいるが、そのほとんどが養子だ。
火喰鳥家の血が繋がっているのは、22歳の長女・火喰鳥秧鶏、20歳の次女・火喰鳥依凪、19歳の三女・火喰鳥聖火、18歳の双子の四女・火喰鳥久遠と五女・火喰鳥嵐華、20歳の長男・火喰鳥轆轤だけだった。火喰鳥家には先代当主火喰鳥終夜が亡くなってから、当主がいない。
現在、火喰鳥の名字を冠するにふさわしい者がいないからだ。
久遠は広大な森の上を飛び回った。
動くモノを見つける度に急降下して森に下り辺りを探し回った。
不意に不穏な気配を感じた久遠が空を見上げると、北の方から黒い影が飛んできた。
流れ星を黒く塗りつぶしたような塊。
全体が刺々しく、全てを敵に回し、たった1人でこの世の全てと戦っているような暗闇。
久遠はすぐに翼を広げ、その影の前に飛び出した。
「雅ちゃんを……見ていない?」
影が急停止し、嘲笑うような笑みと憐れむような目、蔑むような声で言った。
「火喰鳥の小娘、この黄泉烏を滅多な事で呼び止めるでない」
黄泉烏は口の端をつり上げ、静かに笑う。そして、真下に広がる森に目を遣る。
「ふん……雅のことは見てないね」
「雅のことは……って?」
「この森に人間が入った。妾はそれを確認しに来たのさ」
「人間が入ったって何処から……ですか? この辺りに……人は森の南にしか住んでないのに」
さらにその集落に住む者たちはこの森を神聖視して畏れている。
立ち入り禁止区域に指定されていなかったとしても、容易に立ち入っていい場所で無いことぐらいはわきまえている。
「負の怪異たる妾とて怖いことはある。人間はいつでも怖いものさ」
「つまり……わからないって……ことですか……」
「面倒な喋り方だねぇ。もっとはっきりと話せないのかい?」
黄泉烏はそう言うと、流れるように久遠を避け、再び南へ向かって飛んでいった。
とたんに顔が真っ赤になる久遠。
「話せた……普通に話せた……)
「くーちゃ~ん!」
久遠を呼ぶ叫び声が聞こえた。屋敷の方から久遠と双子の五女、火喰鳥嵐華が飛んでくるのが見えた。
「くーちゃん! 雅いた!」
「本当!」
「うん! 久遠もおっきな声出せたんだね! 『……』の入らなかった久遠の言葉初めて聞いた!」
「あれ……喜ぶところが、ズレてる……」
「うん。ズレてる。わーい」
「あれ……喜ぶところが、またズレてる……。何で……?」
2人は並んで、屋敷に向かって飛ぶ。
「雅ちゃん……何処にいたの?」
「ヒ・ミ・ツ」
屋敷に着くと、嵐華に雅のところに案内された。
「縁の下……?」
雅は縁の下で眠りこけていた。
おそらく隠れたはいいが暗くて、誰も見つけなかったせいで眠ってしまったのだろう。
「まだ7歳だっけ?」
「うんそうだよ。可愛いよね」
微笑ましい光景に心を和ませていた。
楽しく過ごしていた。
皆と、家族と。
あの時までは。あの時。あの朝。火喰鳥家は壊滅した。
優しかった秧鶏姉さんも、強かった依凪姉さんも。
轆轤兄さんも聖火姉さんも、嵐華ちゃんも鏡己ちゃんも、雅ちゃんも狂牙くんも。
みんないなくなってしまった。
何処かに消えてしまった。
あの男が来なければ。
「久遠お姉ちゃん」
肩を揺すられて、目が覚めた。
また、あの夢。
火喰鳥の一族は、率直に言えば人じゃない。
その存在は人間よりも、神族よりも、魔族よりも上位にある。
いわゆる神、創造主の末裔だ。
今となっては久遠だけになってしまったけれど、世界が不自然に自然な流れに沿って3つの世界を融合した時、神族の摂理を管理していた神々は『火喰鳥の一族』として、新界での居場所を約束された。
新界においては紛らわしいでしょう。
神たる『火喰鳥』と神族との間に何の違いがあるのか、と。
答えは簡単。そもそも神界には神族なんて言葉は無かった。
元から『神族』とは『神界に住んでいた者』と言う意味だ。つまり人間界における人間、魔界における魔族のように、特に特別な力を持つ神々という訳じゃなくただの普通の人だ。
対して、『火喰鳥』はいわゆる神々、神族と違って神界における創造主の末裔。
その意味は大きく違ってくる。与えられた力が違う。
ただしそれは神界での話。
新界に来た時に、神としての力のほとんどを失った。
新界での存在の保証はせめてもの敬意、というわけだ。
「あ……ごめんね、稲荷くん……。ちょっと説明をしなきゃ、いけなかったから……」
「何を言ってるの? 久遠お姉ちゃん」
「ううん……。こっちの話……」
この子は九男の火喰鳥稲荷。
さっきも説明した通り、火喰鳥の血を引いていない養子だ。
先代、火喰鳥終夜が集めた身よりの無い子の1人だ。
ただし普通の子供ではない。元から火喰鳥家には血筋養子問わず人は1人もいなかった。
この世から外れた者、前界に取り残されていた者たち。
『受呪者』『旧き理を背負う者』『失理』その他。
あの男が屋敷に現れた時に、依凪姉さんに託されて、一緒に逃げたこの子と私しか残らなかった。
「行こうか……、稲荷くん」
木陰から出て、朝の弱い日射しの下に出る。もちろん稲荷の手を引いて。
「探さなきゃ……」
皆の仇をとらなきゃ。
私の力じゃ皆を守れなかった。
火喰鳥の血でも歯が立たなかった。
「久遠お姉ちゃん。どこに行くの?」
「黄泉烏様のおっしゃってた人……探さなきゃ……」
その人なら助けてくれると。
今から数日前、つまり火喰鳥が襲われて数日後――。
霧の森の端っこの方に隠れていた久遠と稲荷の所に黄泉烏が現れた。
傷つき、血を流すように黒々とした何かを滴らせていたが、黄泉烏は大丈夫と言った。
「久遠。シャルロット=D=グラーフアイゼンという『旧き理を背負う者』を探すがよい。あの娘には貸しがある故、きっと助けてくれるであろ」
「……貸し?」
「妾の杖を、『神杖』を貸してやった娘よ」
「……あの、奇跡を……?」
「色々とあったのさ」
黄泉烏は、人の形をとると木を背にして座り込んだ。
ただでさえ白い肌は青ざめていて、びっしょりと汗をかいていた。
「黄泉烏様……!」
「いちいち騒ぐでない小娘。そんな暇があったらもっとはっきりと喋れ」
「よみがらすさま。大丈夫?」
稲荷が黄泉烏に恐る恐るといった表情で問いかけた。
「お前は……稲荷、だったかね。久遠が頼りない故、久遠のことを頼めるか」
「……うん」
できればお姉ちゃんとしては否定して欲しい所だった。
「なれば早く逃げよ。黒き森に飛び、あの旧き理を背負う者を探せ。この黄泉烏からの使いと言えばわかるはず」
「黒き森……ってその、何処に……あるんですか?」
「世間知らずにもほどがある……。終夜も教育を怠ったか。稲荷、お前も知らぬのかい?」
稲荷は首を小さく縦に振って、久遠の着物の裾をギュッと握った。
「まずはヴァニパルに行くがいい。ヴァニパルならばわかるであろう」
ヴァニパル共和国。
この森から西南西にずっと飛ぶとある国、だったはず。
そこなら久遠の翼でも2日とかからない。それが稲荷を連れていても、だ。
「ヴァニパルよりまっすぐ海を渡り、テオドールへ行け。その近くに大きな森がある。そこが黒き森だ」
「黄泉烏様は……来て下さらないのですか……?」
「妾がここを離れし時は永久に来ぬ。それはお前とてわかっておろうに。あまりこの黄泉烏を困らせるな。ただでさえ火喰鳥の後見人など妾の肩には重すぎると言うに。妾には願うことしかできぬのだから」
黄泉烏はふっと微笑むと、立ち上がる。
「なればこそ、妾は全てを憎んで生きてゆく」
チリーン。
透き通るような鈴の音を残し、黄泉烏は飛び上がる。
轟ッ!
燃え上がるように現れた黒き流星。
「逃げよ」
一言そう呟いて、黄泉烏は空を駆け、森の上空を屋敷の方に消えていった。