(11)収束‐Die Ruckenumstande vom Zerstoren eines Landes‐
ブラズヘル軍中央司令本部――。
「ヴァニパルの雑魚どもめ。ようやく尻尾を巻いて逃げ出しおったわ」
カーッカッカッカッ、と前時代的な笑い方を素で実践している白髪で初老の大男は、ブラズヘル軍の指揮権を持つ中では皇帝の次に位置する。
「我が国の勝利は揺るぎないことでしょうね! いえ、失礼いたしました。元より我が国には勝ち以外は存在しないのですからね。これも陛下のお力によるもの。う~ん、何とも素晴らしい!」
黒ぶちの眼鏡をかけた、皇帝の腰巾着がすぐさま皇帝を持ち上げにかかる。
こんな見えすいたお世辞にひっかかるのは馬鹿以外の何者でもない。そんな皇帝がいる国など普通ならすぐに滅びてしまうだろう。しかし、このブラズヘルの皇帝、シェオドーリア=ブラズヘルは武勲だけで国を立て皇帝に成り上がった帝だった。
「ハッハッハッ! ヴァニパルごときクズの国、この世界で存在することが贅沢なのだ。儂がそれを教えてやったのよ」
馬鹿だった。
「そうでございますとも。元より我が国以外の国などこの世界にあることがおこがましいのではないかと思われますが陛下?」
「そんなこと、言われずとも当たり前ではないか、ハーッハッハッハァ!」
「カーッカッカッカァ!」
「ハーッハッハッハァ!」
高らかな2種類の笑い声が部屋に響く。
「騒がしいな」
高笑いしていた2人は誰ともないその呟きを聞き逃さなかった。
「誰だ? 今喋ったのは」
シェオドーリアは部屋中を睨み付ける。
しかし、椅子に座っている者たちは必死に首を横に振るだけだった。
「滅相もございません」
「私ではありません」
「私ども一同、そのようなことを無礼を働く者などおりません」
その時、白髪の大男が立ち上がった。
「どうやら招いておらぬネズミがおるようですな、陛下」
部屋の中をぐるりと見回し、腰に携えた両刃剣を抜き放つ。一瞬部屋の中にいる有象無象に緊張が走った。
「姿を見せよ!」
大男は声を張り上げる。
その声は低く重たく部屋に響き、しばらくの間、沈黙が流れた。
「まったく……」
どことなくした声に、シェオドーリアと大男は部屋を見回す。
そして、見つけた。
さっきまで誰も居なかった部屋の隅に長身の男が立っていた。なぜかその男は目隠しをしている。
「貴様、何者だ!」
有象無象の1人が椅子を倒してまで立ち上がり、その男に叫んだ。
「我が名は『狂悦死獄』。知らぬ者は痴れ、知る者は死ね」
立ち上がった有象無象がよろけるように1歩後ずさる。
「ふざけるな! 『狂悦死獄』だと!? そんなことがあるか!」
「ほう。貴様、我を知るか。ならば人生の終わりに地獄を見せてやろう。光栄に思え」
両手を大袈裟に広げる『狂悦死獄』に、再び後ずさる有象無象。
ガッ。
有象無象の男が何かにつまずいて、後ろによろけた。
ザクッ。
「……え?」
その有象無象の表情が苦悶に歪んだ。
よろけた先。そこには棺桶のようなものが立っていた。その蓋は扉のように両開きに少し開き、その間から有象無象は運悪く滑り込んでしまった。
部屋の中にいる者が見たのはそこまでだった。
「ウギャアアアアアグェッ!」
ギィィッと重苦しい音を立ててその蓋が閉まり、恐怖から来る悲鳴すら途中から断末魔に変わる。
「貴様、何をした!?」
シェオドーリアが叫ぶ。
「見たいか?」
『狂悦死獄』が指をパチンと鳴らした。
再びギィィッと重苦しい音を立てて蓋が開く。その瞬間下の方から赤い液体が大量に流れ出した。
「うっ……!」
何人もの人間をその手にかけてきたシェオドーリアすらも怯み、有象無象が目を口を覆う。
さっきまで生きていた有象無象の男は、身体中に小さな穴が開いていた。1拍の間と共に前に倒れ込む死体。
針。
針。
針。
棺桶のようなそれの内側には無数の鋭い針が、中心を向いて並び立っていた。
「我が知りたる処刑器具。我はこれを『鉄の処女』と呼ぶ」
「こ、殺せ!」
シェオドーリアが隣に立っている大男に命じ、『狂悦死獄』を指さした。
その瞬間にも席を立ち、部屋の隅へと逃げる有象無象は、こともあろうに主たるシェオドーリアより『狂悦死獄』から離れていた。
「この野郎!」
白髪の大男は剣を振り、前に走り出る。その瞬間、大男は必死に後ろに跳んだ。
大男の前に突然『鉄の処女』が現れたのだ。あと1歩出ていたら間違いなく死んでいた距離だった。
「ヒィッ!」
シェオドーリアが振り返ると、そこには有象無象の頭が転がっていた。
そして、巨大な木製の台に金属の刃をつけた不気味な器具。そして、その刃の向こうには拘束された身体が残っていた。
断頭台だった。
「貴様が『狂王』かぁっ!」
再び前に向き直ると、部屋の隅で十字架に磔にされてもがく大男の姿があった。
突然燃え上がるその身体。
自然の炎とは思えない早さで大男は灰になった。
凄惨。
残酷。
しかしそれですら『狂悦死獄』にとってはただの余興。ただの宴だった。
次々と処刑器具が並び立ち、気づくとシェオドーリアは1人になっていた。
「貴様のような愚者が我は大好きだ。つかの間の余生、楽しむがいい」
『狂悦死獄』は闇に消えた。
ブラズヘル軍駐屯地――。
「誰だ! そこで何を……」
あと少しで朝日が射すという時間。
見張りとして立っていた兵士の1人が怪しい男の姿を見つけて叫んだのと、その兵士の首から上が消失し、悲鳴も残さず絶命したのはほぼ同時だった。
「我が名は『狂悦死獄』。知らぬ者は痴れ、知る者は死ね」
目隠しをしたその男、『狂悦死獄』はそう呟いて、崩れ落ちる兵士の横を堂々とすり抜ける。
その瞬間、何かがすっぽりと抜け落ちたように兵士の身体が闇へと消え、暗闇の中に肉や骨を噛み砕くような凄惨で生々しい音が響く。
「ブラズヘルの、兵士、だけだ。食らい尽くせ。1人たりとも残さず、全て」
男の姿が闇に包まれた。否、男の足元から闇が噴き出し、男の姿が見えなくなった。
ディスブライト。
『狂悦死獄』の使役する中でも、最も凶悪な破壊力を誇る魔物だった。
正確に言えばその本質は闇ではない。影を操る、否、影から生まれた、否、影そのものだった。
『人食い影』として恐れられ、危険指定特S級、つまり『接触の禁止』とまでいわれる危険な存在だ。
が、しかし『狂悦死獄』にとってそんな些細なことはどうでもよかった。
星が次々と消え、夜空より黒い塊が駐屯地全域の上空を制圧した。
そして、何も知らずに休んでいたブラズヘルの兵士たちの上に、闇が降り注いだ。
とたん巻き起こる悲鳴。しかし数分後には、その場所は完全に沈黙していた。
「他愛のない」
『狂悦死獄』は首をコキリと鳴らし、入っていく。
テントは大小にかかわらず、全て倒壊していた。大きいテントほどディスブライトの通った穴が多く開いていたが。
「痕跡は……残さぬのが吉か」
『狂悦死獄』はおもむろに目隠しを外すと、閉じていた目をゆっくりと開く。近くで燃えるかがり火の弱い光にすら目に痛みを覚える。
目を開くのは26年ぶりだから無理もない。視界がぼやけるのもそのせいだろう。
「ラスウェル、テントの残骸を払え」
ミシッと空気が割れるような音がした。
次の瞬間、右目から何かが飛び出し、ありえないほど不自然に巨大化する。
狼のように見える塊。
しかし、その身体は燃え盛る炎のように不安定に揺れ、その色は『狂悦死獄』の瞳のように黒かった。
「お前か……359年ぶりだな」
その狼は『狂悦死獄』を見下ろして、しわがれた声で人語を話した。
「26年である、ボケ狼。何故、記憶と事実に333年の隔たりがある?」
「ボケ狼だと? この賢狼ラスウェルに敬意を払え。それにお前にはわからんだろうが、この歳になると333秒も333年も変わらんわ」
「大いに違う。加えてどこが賢狼か。とっととその残骸を払え。我が時間を無駄に費やさせるな」
「小童が。ふん、此奴らの名を教えろ」
「『テントの残骸』だと我は言った。何度も言わせるな、バカ狼」
黒炎の狼、ラスウェルは息を吸った。身体の大きさが桁違いなのだ。
その呼吸は暴風に近い。
しかし、ラスウェルは別に息で残骸を吹き飛ばそうとしているわけではない。それだけならわざわざラスウェルに頼まなくとも、『狂悦死獄』には造作もないことだ。
「『テントの残骸』など『本能を持たぬ羊』と同義」
ラスウェルの言葉は世界の根幹に関わるほどの重みを持つ。
事実、テントの残骸は消え、後には大量の羊が残った。
ラスウェルはすぐさまその羊たちに食らいつく。悲鳴もあげず、逃げもせず、ただ食われるのを待っていた。そして、そんな羊たちの中にぼんやりと座る人影がぽつぽつと見える。
「ラスウェル。『残った捕虜』」
「食事の邪魔をするな」
「『残った捕虜』」
両者に気まずい沈黙が訪れる。
「お前なんかと契約しちまった昔の私を噛み殺してやりたいよ。『残った捕虜』など『マリス=ドストリゲスの奴隷』と同義。これで満足か?」
「『ラスウェル』」
「食い終わるまで待て」
「『ラスウェル』、もう夜が明ける。貴様にとって日の光とは何か、ボケて忘れたのではあるまい」
「ふん、もう朝か。『ラスウェル』など『マリス=ドストリゲスの右目に潜む使役される存在』と同義」
朝日が射した。
ラスウェルの身体中の黒炎が燃え上がり、小さな火種のようになって、再び『狂悦死獄』の右目に入っていった。
「この場にいる我が奴隷よ。集え。『向かってくる羊』よ。去れ」
すでに大半を食い尽くされていた羊の生き残りが散り散りになって逃げ始める。
それと入れ違うように『残った捕虜』たちが『狂悦死獄』の元に集まってくる。
「思惑よりも少ないが仕方ない。ん?」
『狂悦死獄』の目の前に他の捕虜たちと様子が違う少女が現れた。
「貴方は誰ですか?」
大きさの合わないローブを身体に巻きつけたその金髪の少女は深い緑色の目をしていた。
しかし、どことなく様子がおかしい。動き方がぎこちない。
「我が名は『狂悦死獄』。貴様、そのローブをとれ」
「……嫌です」
ラスウェルの『言霊』が効いていない。
『狂悦死獄』はその原因を思索して、思い当たった。
「貴様、人ではないな。その姿には理由が思い当たらないが、我が旧き友の言が効いていないのならその身体、この世の根幹以上の物。興味は湧くが、今は今、女子供には手を出さない気分である。去れ」
少女は窺うように『狂悦死獄』を見ながら後ずさった。
「去れ」
背中を見せて、走り出す少女。
「ディスブライト……」
呟くように影を呼ぶ。
「殺せ」
朝日の射す中を不自然に映る影が跳んだ。
わずかな時間、少女の心臓を黒光りする爪のような形の黒い塊が貫いた。
ギチッ。
そのままその少女の肩にかけて、引き裂くように跳ね上がる影。
華奢な肩のシルエットに軽く済まない裂け目が開く。よろける少女を見て、『狂悦死獄』は笑った。
「使えぬなら必要はない」
噴き出す赤い柱。
ディスブライトは命令された仕事を終えたことを確認すると、主の呼び掛けに応え、引き返す。
グシャ。
あっけない音。
その音は、少女の傷口から噴き出した血とは別のもう1本の柱がディスブライトを貫いた音だった。
ザシャアァッ。
その影が少女にしたように、ディスブライトの身体をいとも簡単に引き裂いて見せるその黒々としたその影はどちらかというとディスブライトよりもラスウェルに近い。
グジャッグシャッ。
「面白い小娘だ。闇の卷族か」
少女の闇に噛み砕かれる影を遠目に見て、少女の姿をした何かに背を向けた。
そこにはあるのは、虚ろな目で『狂悦死獄』をじっと見つめる十余人の人形のみ。
『狂悦死獄』はどことなく違和感にも似た感情を覚えた。あるいは喪失感、あるいは嫌悪感、あるいは親近感。形容しにくい感覚に戸惑いを覚えつつ、目隠しを再びつけ直す。
その時背後から聞きたくもない女の、クスクスという笑い声が聞こえた。
「初代マリスの右腕だったくせに、人の真似して寂しがってる姿を見てると、なんや滑稽に思えるなぁ」
独特のイントネーションで話すこの声には嫌というほど聞き覚えがある。
「寂しい……? 何を愚かなことを」
「なんやその可愛ええ反応。戸惑いが顔に出てますえ?」
「薬師寺丸薬袋。貴様ブラズヘルに行くと言ってなかったか。大言壮語の謝罪を受ける気はないが」
「用は終わらせてきたんどす。あんたにも見せたかったわぁ」
「参考までに聞いておこう。貴様ブラズヘルに何をした?」
薬袋は笑うように口元を歪める。
「立て直すのに軍部は邪魔やしなぁ。腐ったブラズヘル皇族一族郎党、今頃ラクスレルで竜の巣のど真ん中や。ううん、もう死んどるかもしれへんなぁ。焼かれたか、潰されたか、喰われたか、裂かれたか、どうでもいいことやけどなぁ」
「悪趣味」
「あんたにだけは言われとうないわ。勝手にブラズへルに手ぇ出したのは後でたっぷりお仕置きですえ?しかもなんやあの処刑道具。あんたのおかげでウチが片付ける羽目になったやないの。あ、でも王族に一人えらい可愛ええ娘がおってなぁ。ついつい助けちゃったんよ。今、あの娘何してんやろ~」
だんだん薬袋が鬱陶しく感じられた『狂悦死獄』は闇に隠れた。
「あぁん、いけず~」
薬袋は呟くと、『外れた』。
1人、遠巻きに佇む少女は虚ろな目で地面から杖を拾い上げると、一言呟いた。
「黒き森……」
即座に展開される魔法陣。
まばゆい紫色の光が消えた時、少女の姿はどこへとなく消え失せていた。