(6)日常‐Der Junge verbringt Tage‐
基本的に前書きや後書きを書くのは苦手なので(どうしてもネタバレに入ってしまうため)
でもちょっとだけ補注を…
第三章(6)及び(7)はまったく別の作品のようで「投稿するの間違えてね?」と作者の頭を心配してくれる心優しい方がいるかもしれませんが、あくまでも『黒き森の掟は何処に』の文章であっています。
それはなぜなのか、読んでいけばその内わかりますのでよろしくお願いします。
前略。
狗坂康平は不本意ながら騎士である。
別にRPGに出てくるような、甲冑を着て、カッコいい西洋馬に乗り、巨大な槍や刀剣の類を華麗に振り回している美形でクールな男ってわけじゃない。
かといって、どこぞの王族から騎士の称号を賜った貴族でもなければ、軍隊に所属しているわけでもない。
ちなみに精神錯乱で自分のことを白馬に乗った騎士様だと思い込んでるイタい人でもない。
まず第1にここは世界でも平和にかけては上位ランカーの国で、騎士が必要になる中世のような戦いもなく、一般人がわざわざそんな仰々しい呼び名を自称する必要も度胸もない。
第2に康平は都内のただの公立高校1年生で、武術の経験も演劇の才能もない。
第3に騎士というのはあくまで呼び名であり、自分から公言しているわけではない不本意極まりない名前なので、呼ばれ名というのが正しいかもしれない。
ちなみに、知っての通り、騎士を連想させるような名前でもないし、性格やしゃべり方をそれっぽく心がけている訳でもない。
ともかくだ。
自称『何の面白味もない普通の高校生』狗坂康平は、これまでの人生で唯一無二のイレギュラー、幼なじみの衣笠紙縒に日常を振り回され、『騎士』なんて呼ばれてしまう羽目になっていた。
何度も言うが、康平にとってはそんな学園生活は不本意以外の何物でもないのだ。
「で、何が言いたいの?」
さらさらのロングヘアーの毛先を弄りながら幼なじみ、衣笠紙縒はあからさまに苛立っていた。原因については多分僕のせいだが、そうなった経緯に関しては理不尽この上ない。
「いや、だから……今日はダメなんだってば。今日はちょっと……」
「何よ、生理でも始まったの?」
僕の知ってる生理は男にはない。
「今日は病院に行かなきゃいけないんだって……。紙縒だって知ってるでしょ?」
「私との約束を蹴ってまで病院に行かなきゃいけない理由なんて知らない」
紙縒は頬を少し膨らませて唇を尖らせてそっぽを向いた。
ちなみに約束もなにも、彼女が一方的に言ってきたことで了承をした覚えはないし、元々通院自体が毎月1回あるものだ。子供の時からそうだったから紙縒が知らないはずがない。
結局のところ、紙縒のわがままなのだ。
ところで、紙縒の言う約束とは別に大した用でもなく、
『今日の放課後、行きたいところがあるから付き合ってよ』
という今日の昼休みに屋上で一緒に昼食を食べている時に突然言われただけの話だ。
そして、紙縒は僕の言葉も聞かずに普段の2倍の早さで購買のパンを食べ終わり、康平をおいてさっさと教室に戻ってしまった。
そして放課後、康平のところに紙縒が来て、今に至るという訳だ。
「あの時に約束してくれたのに……」
「紙縒、一方的な要求は約束とは言わない。昼休みにちゃんと断ったし」
「違う、小学生の時の約束!」
「は?」
「『一生紙縒の奴隷になるって約束するよ!』って……」
「言ってない!」
どんな小学生!? と心中でツッコミを入れて、紙縒の目の前でため息をついて見せる。紙縒はそのあからさまな様子を見て、舌打ちした。
「もう知らない! 康平なんか死んじゃえばいいんだ!」
グーで殴られた。
ね? 理不尽でしょう?
紙縒は僕の机をバンと叩いて、大股で歩いていってしまった。
「……何なんだよ、いつもいつも」
こんなことが1年365日ほぼ毎日続いてみろ。
常人ならキレてしかるべしだ。
僕は10年以上の長い間に少しずつ慣らされたから、今さらこの程度で腹なんて立たない。
またか、ぐらいにしか思わない。もういいかげんに……ぐらいにしか。
別に紙縒のことは嫌いな訳じゃない。ただ苦手なだけだ。
紙縒本人がじゃなく、紙縒の近くにいることの弊害がだ。
紙縒という人間は何処に行っても大抵注目の的になる。
ある方向からは羨望と嫉妬で、ある方向からは憧憬と恋慕で。
つまり、何が言いたいかというと要するに。
容姿に優れすぎているのだ。
康平に対しては子供の頃からわがままだが、それ以外の、例えばクラスメイトや友達、教師や家族に至るまで、彼女は基本的に猫を被っている。
猫を被っているというと少し言い方が悪いが、基本的には手のかからないいい子ってことだ。
性格もいいので、どちらかと言わず好かれるタイプだ。
そのためもあって、老若男女に限らず人気が高い。
しかしその容姿のために近寄りにくいのか、人気の割に友達は少ない。
そんな紙縒が単純に気を許し、いつも紙縒の近くにいる康平は周りからは紙縒を守っているように見えるらしい。
実際は紙縒の方から来ているだけなのだが、康平の外聞を知った紙縒は、面白半分9割うっかり一割で康平のことを"騎士"と形容した。しかも康平の目の前で。それを口火に学校では"守護騎士"と囃し立てられ、一躍その名を全校生徒に知らしめた。
それが1学期の後半のことで、康平が引きこもりを本気で考えた時期でもある。
「お~い、ナイト。姫が行っちまったけど、追いかけなくていいのか?」
声をかけてきたのはクラスの男子だ。
この手の扱いはすでに当たり前になっていて、どうしようもないので甘んじている。
「今から追いかけるよ……」
教科書類を鞄に放り込み、その口を閉めないままに、教室を飛び出す。
「世話が焼ける……」
廊下ですれ違う連中の目が、またか、と語っているようなので、まただ、と視線に乗せて送ってやる。
紙縒には土間で追いついた。
そして、紙縒の第一声。
「まだ生きてたの?」
「残念ながらね」
少し走っただけで息が切れてる。まったく我ながらとんだナイトがいたもんだよ。不本意だが。
「早めに紙縒の方の用を済ませよう」
「え? 一緒に来てくれるの?」
「まあね……。その代わり、後で病院に付き合ってよ?」
「うん!」
こうして素直にしてれば可愛いのになぁ。まあ僕以外には素直なんだけど。
「じゃあ、ちょっと病院に電話するから待っててよ」
そう言って、制服のポケットから携帯を取りだし、病院の電話番号をプッシュする。
そして、携帯を耳に当てた。
『トゥルルルルルル……トゥルルルルル……トゥルルルルル……』
聞き慣れたコール音を聞くこと3回。
『ガチャ』
「あ、桜病院ですか?」
『こちら桜病院……』
よかった。うろ覚えの番号だったから間違えてたらどうしようかと……。
『ではないです~』
「あれ?」
子供の声だった。
小さい女の子の声。少なくとも病院の関係者ではなさそうだった。
どうやら間違えたらしい。スミマセン番号を間違えました。
そう言おうとして、口を開いた時だった。
『ないですけど、貴方には用があるのですよ~。狗坂康平さんですよね~? 今晩迎えを遣りますので何処にも行かず、家で待っていてくださいね~?』
ピッ。
思わず電話を切っていた。
「どうしたの、康平?」
「いや、別に。番号間違えたみたい。まあいいか……今月は忘れてたって事で……」
「そう? じゃあ行こっか」
「ああ……」
さっきの電話が何だったのかわからなかった。今晩がどうとか言ってたけど。
この時に気になっていたことも、少ししたら気にならなくなっていた。
「紙縒。僕はいったいどうすればいいんだろうね」
「店の商品とか見て私か店員さんと盛り上がっていればいいんじゃないの?」
今さらながら紙縒の事は放っておいて、病院に行けば良かったと後悔している。
「そんなことしたら僕はどうかしてしまいますが、いいんですか……?」
めまいがする。意識も朦朧としてきた。
今すぐにここから逃げ出したいのに、紙縒は僕の手をガッチリと掴んで離してくれそうにない。
まさに拷問だった。
「何で僕が下着屋についてこなきゃいけないの……?」
「下着屋じゃなくて、ランジェリーショップ。いいじゃない。男が入るぐらい、今さら誰も気にしないわよ。さすがに商品にベタベタ触ったりしてたら引くかもしれないけど。私が近くにいれば大丈夫よ」
紙縒は周りからの視線を感じないのだろうか。
レジの店員さんなんか、カウンターから出てきてまで見てるじゃん。
あっちのおばさんなんか苦笑いで顔がひきつってるし。ただの嫌がらせ目的でここに連れてきたんじゃないか心配になってきた。
「聞いてるの? 康平」
怒った顔も可愛いってのは、子供の時からその顔を見てる奴は言わないと思う。
こんな美人を子供の時から見ていたら無意識の内に、美しいの水準が高くなってしまい、それ未満に対して何の感想も得られなくなるのだ。
つまり美人を幼なじみに持つと恋愛事やら結婚やらで困るって話だ。
「ああ、ゴメン。何だっけ?」
どうやら早急に謝ったおかげで、急性不機嫌症候群は発症せずに済んだようだった。
紙縒はムスッとしていた顔を笑顔に戻して康平に笑いかけると、ほら、と言った。
「似合う?」
紙縒は悪戯っぽい小悪魔的な笑みを浮かべて、康平を見ていた。
そして、胸の辺りに掲げて身体のラインに合わせるように持っている胸部用下着、つまりブラを康平に見せつけていた。
「あ……っ」
一瞬心臓の鼓動か呼吸、その2つの少なくとも一方あるいは両方が確実に止まった。
顔がカーっと熱くなり、口をパクパクさせる。
紙縒の胸はいまだに発展途上だが、高校1年の中ではまだ大きい方な訳で、目の前でブラなんか見せられたら着用図を少なからず想像してしまうわけで……つまり何が言いたいかというと、要するに多分。
「な、な、な、なーっ!」
「アハハハハハ、康平顔真っ赤だよ!」
そんなことをこんな場所で大声で叫ばないでよ。お前には羞恥心というものはないのか。
「幼なじみだからって、こんなところに男子高校生を連れてくるなよな……。紙縒だって自分の着てる下着の趣味を知られても平気なのか?」
「へ……? あ」
あれ、なにこの反応……。
と思いつつ、嫌な予感が胸をよぎる。
紙縒はキョトンとした顔で、見せびらかしていたブラと康平の顔を見比べるように視線を移す。
それに合わせるように、紙縒の手元と顔を行ったり来たりする康平の視線。目が合う度に紙縒の顔は頬から紅く染まっていき、瞬く間に顔中真っ赤になった。
そして、さっきの康平のように紙縒は口をパクパクさせると、一息に叫んだ。
「バカ――――――ッ!」
「バカは紙縒の方じゃないか!」
たとえ学校の成績が良かったとしても、こういう些細なところにこそその本質は見えてくるものだ。
今まさに現在進行形で、紙縒はただのアホの子だった。
「え!? え!? 何で康平がここにいるの!?」
「連れてきたのはそっちでしょ!」
「信じられない!」
「信じられないのはそっち! ……とりあえず一度落ち着いて、店の外で待ってるから早く買う物決めて、出てきて」
紙縒はガクガクと首を縦に振ると、商品を持ったまま駆けていき、瞬く間に店の奥に姿を消した。
「はぁ……」
周りからの視線なんか感じない……。
感じないから気にならない……。
歩幅を大きくとり、店の中を早めに歩き、外に出た。店の入り口に立っていた店員さんの言葉が『ありがとうござひっ』で止まったのは気のせいだと信じたい。
「っと……」
店の外は雨が降っていた。
かなりひかえめな小降りの雨、小雨というやつだ。地面のタイルにまだ濡れていない所があるから、降りだしたのはつい今さっきなのだろう。少し急ぎ足になっている人は多かったが、傘をさして歩いている人は少なかった。
そんな中、違和感を感じた。
今見ている光景の中に、明らかにおかしい現象がある。
康平はいつのまにか視線を泳がせ、その違和感の原因を探っていた。
それを探していた時間は1分もなかったと思う。康平はその異常に気づいた。
街並みの奥に視線を集中する。大通りを挟んだ目の前にそびえ立つ高層ビルの壁面に違和感の正体はいた。巨大な尖る何かを持った小さい人影。雨が降っているのにそれに動じることもなく、重力なんて存在しないかのように壁面に対して直立していた。
「……」
思わず目を擦った。
「何してるの?」
「おわっ」
突然肩を叩かれたのに驚いて、振り返りつつ飛び退いてしまった。
声の主は紙縒だった。突然挙動不審になった康平を見て、呆気にとられていた。
キョトンとした顔から心配そうな顔になり、うつむき加減の康平の顔を下から覗いてくる。
「どうしたの、康平?」
「え? あ、いや……」
曖昧に誤魔化しつつ、再び視線をビルの壁面に戻した。
しかし、そこに小さな人影はなかった。違和感も完全に消えて、いつもの街並みに戻っていた。
日常生活で、特に気にかけることもない街の姿に。
「……何でもないよ」
「……そう? やっぱり病院行く?」
紙縒の声色は心配そうに低く、何かを恐れているかのように弱々しかった。
あまり見ない殊勝な態度だ。珍しい、そう思ったその時に紙縒の今の気持ちに気がついた。
「別に怒ってないよ」
「えっ……ううん、怒ってるとか怒ってないとかは気にしてないよ、うん」
声が裏返ってることに気がついてない辺り、つくづく嘘をつくことに向いてない奴だ。
嘘をつけるのには向き不向きがあるって話を実感できる瞬間だった。
何となく視線を下げると、店の物らしき紙袋を鞄と一緒に手に提げていた。
見た限り、結構丈夫そうないい作りをしている。
康平からすれば中が見えなきゃいいんじゃないの? といった感想を抱くほどの上質な紙袋だ。
そうやって見ていると、紙縒はその紙袋を丁寧に折り畳み、鞄の中にこれまた丁寧に仕舞い込んだ。
元々紙袋なんてかさばる前提の包装だ。
そんなものが学校指定の革鞄に入っているんだ。
どう見ても、持ちにくそうだった。どころか鞄の口も閉まらないようだ。
「そのまま手で持ってけばいいのに」
感想を素直に口に出すと、紙縒は呆れたような顔になり、やれやれといったようにため息を吐いた。
「康平ってその辺、人間の気持ちわかってないよね~」
「なんかその言い方だと、僕が人間じゃないみたいだね……」
『人』の気持ちの方じゃないかな。
「あのね、あの店は女物の下着しか売ってないのよ? そんな店の紙袋普通に持ってたら、下着買いましたって言ってるようなものじゃない。わかる? よね」
確かに、と思った。
でもそれ以上にそこまで考えが至らなかったとはいえ、紙縒に諭されたことにショックを受けていた。基本的に理屈の欠片もないあの紙縒に。
「ねえ康平、雨が大降りにならない内に早く帰ろうよ」
「あ、うん」
何とかショックから立ち直り、前に立って歩き始めた紙縒の後ろを追いかけるように歩き出した。
その後の僕は帰路の間中ずっと、今日の異常について考えながら歩いていた。
不気味な電話。
ビルの壁面に立つ人影。
後者は見間違いだったかもしれない。
雨が降っていて辺りは薄暗かったし、鳥か何かが横切ったのが人に見えたのかもしれなかった。
しかし、電話は違う。悪戯だとしても、悪趣味だった。
"今晩迎えを遣りますので何処にも行かず、家で待っていてくださいね~?"
背すじが震えた。
あの時聞こえてきた小さな女の子のような声。声音から年端もいかないことがわかる。そんな子供があんな冗談を言うだろうか。普通なら否だ。だからこそ不気味で、怖く思うのだから。
黒き森の掟は何処にの文章ですよ~