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≪連載停止→改稿版連載中≫  作者: 立花詩歌
第二章『ティーアの悪霊』
15/98

(2)嘲笑‐Das Madchen lachte einen Jungen aus‐

『ティーアの悪霊』編第二話です。

すいません。前半、人によっては気分が悪くなるぐらい黒いです。

 悪魔の山(トイフェルベルク)・ティーア上腹『悪霊の居城(デーモン・シュロス)』――。

 その最上階の大広間の豪奢な椅子に座る少女、この城の主ルシフェルはこのところずっと退屈していた。


「飽きた」


 激しい虚脱感と共に放たれる幼い声。

 その手にあるのは女の子を模した布製の人形と、蠕虫ワームを模した細長い木製の玩具オモチャ。数時間ほどそれを絡ませてみたりして遊んでいたのだが、暇潰しとも言えないほどつまらない。それでもやることがないよりはいくらかマシだった。

 ルシフェルは右手の親指を犬歯に押し当てて指の腹に刺し傷を付けると、


「我が与えし仮初めの形よ。汝の名は我が得たり、その魂は我が返する。おのが意思による自由を許す。次なる我が宣言にてその形代を廃し、真の姿へ返り咲け」


 紡いだ詠唱と共に人形の背に血で魔法陣ルーントを描く。そして魔法陣ルーントが発光し効力を持ったのを確認すると、口角をつり上げるように笑って、


「許す」


 ブチブチィッ。


 人形を力任せに引っ張り、上下に分かれるよう引き裂いた。

 その瞬間、ルシフェルの目の前に10代前半の少女が現れた。その姿は引き裂かれた人形とよく似ていて、人形と同じく村娘のような服も着ている。

 その少女は『ひぃっ』と悲鳴をあげた。


「アハッ、人の顔見るなり悲鳴あげるなんて性格悪いね~」


「も、申し訳ありません、ルシフェル様! どうかお許しを!」


 ブルブルと震えながら額を床にこすり付ける少女を冷ややかな目で見下し、


「アハッ♪ アハハ♪ おっかしいねぇ。私、お前に私の名を呼んでいいって許可してたっけ?」


 愉快そうに笑うルシフェルに指摘された少女はハッと息を呑んだ。


「ごめんなさいッ! ごめんなさいッ!」


「アハハハハハハッ♪」


 必死に謝る少女の様子を見て、ルシフェルはカタカタと玩具オモチャを振り回して、さも楽しそうに笑う。


「ねぇねぇ。今私ヒマなんだよね~。退屈だからなにか面白いことしてよ!」


 ルシフェルの無邪気な物言いに少女がわずかな希望を覚えて顔を上げた瞬間、


「お前、ワームと交尾したことある?」


 鼻と鼻の先がくっつくほどの至近距離で邪悪な笑みを浮かべたルシフェルに、少女は目を見開いて硬直した。


「ねぇ……ある?」


 少女の反応を長々と楽しむようにもう一度訊くルシフェルの前で、ガクンッと脱力したようにうつむいた少女は肺から空気を絞り出したような声で、


「あり……ません……」


 とそれだけ呟いた。


「アハッ♪ そんな怖がらなくてもいいのに~。まだ聞いてみただけだってば♪ どうせ交尾させるんだったらもっとエグい奴の方が見てて楽しいし。残念ながら今ここにある手持ちはワームだけだからさぁ。しかもソイツ肉食わないし、食べるの岩石だしぃ? ホントタイミング悪いよねぇ」


 言い方こそ明るいが、言っていることは耳を塞ぎたくなるほど残酷な内容ばかり。少女は芯から震え上がり、身がすくんでしまって動けなかった。


「あ、ワームと追いかけっこってどう? 逃げきったら村に戻ってもいいけど、捕まったら死ぬよ~ってヤツ」


 ルシフェルの言葉に再び少女の心にわずかな希望が生まれる。逃げ切れればいい。その希望から思わず手をぎゅっと握る仕草、それをルシフェルが見逃すわけもない。

 再び『きひっ』と奇妙な笑い声と共に再び口角をつり上げたルシフェルは目の前の弱者エモノに残虐な言葉を叩きつける。


「アハハハッ♪ 私のワームは『穿潜虫プファイルヴォルム』! 土を掘る速さなら誰にも負けない世界最速(ヽヽヽヽ)の地中生物だけどねぇ♪」


 ルシフェルの期待通りの表情を浮かべた少女は這って部屋から逃げ出そうとする。

 『ティーアの悪霊』ルシフェルは、人が希望から絶望に塗り変わる瞬間の表情をこの世の誰よりも溺愛する性格破綻者。それを見るためなら命を含む人としての全てを奪うことにすら罪悪感を微塵も感じない異常者。そしてそれができるほどの力を持つ人外。その性格は螺子ねじ以上に螺子曲がり、人という材木そざいに加工と称して深い傷を負わせる存在だった。


「アハッ、逃げろ逃げろ♪ 我が与えし仮初めの形よ。汝の名は我が得たり、その魂は我が返する。おのが意思による自由を許す。次なる我が宣言にてその形代を廃し、真の姿へ返り咲け!」


 ルシフェルは木製の『蠕虫ワーム』を床に放り投げる。


「ほらほら、絶望の悲鳴をあげて逃げなきゃ逃げなきゃ♪ 早くしないと死んじゃうよ? きひっ、くひひっ、アーハッハッハァッー! 『許す』」


 ルシフェルがピッと指差した床と絨毯を突き破って、ずるりと全長2メートル程の『穿潜虫プファイルヴォルム』が鎌首をもたげる。その先端についた口の周りに円上に生えた短い触手がヌルヌルと薄茶色の粘液を絨毯の上にばらまいている。


「いや……やめ……か、帰して……お母さんのところに帰して……」


「まったくこの子を出すと毎回下が汚れるし壊れるし……あれ? まだいたの? アハッ♪ 勇気あるね。じゃあその勇気に免じて私がいいことを教えてあげるよ」


 少女はルシフェルの言葉に瞳を輝かせることもなく、その心は既にこの世界に希望というものがあったことすら忘れていた。


「牝として気に入られたら死にはしないかもね♪」


「いやあああああああっ!」


 罪もない少女の悲鳴が響き渡り、『穿潜虫プファイルヴォルム』は少女に襲いかかった。


「はぁ……なんか飽きたなぁ……」


 『穿潜虫プファイルヴォルム』の爪に何度も引っ掻き傷を負わされながらも必死に逃げ回る少女から目を離し、ルシフェルは広い窓から景色を眺める。何度も見た景色、既にこのティーアにも飽きてきていた。


「何処かに移ろうかな……」


 ピクッ。


 その瞬間、耳が聞き慣れない音に反応した。いや、音じゃない。何か自分と同種の、自分に限りなく近い何かの気配を感じた。


「もしかして……」


 パキンッ。


 自分と同じ異種の気配で嬉しさのあまり腕を振るうと、近くにあった燭台に当たり、真っ二つに折れてしまった。


「……面白そうなのは間違いないけど、何だろう、コレ」


 感じたことのない感情。感覚。

 疑問が気に入らない。ルシフェルはそれだけの理由で、振り返りざまに半分に折れた燭台を槍のように投擲する。燭台は部屋の中を矢のように飛び、尻餅をついて震える少女の目の前で『穿潜虫プファイルヴォルム』を串刺しにし、そのままの勢いで反対側の壁面にそれを縫い留めた。

 ルシフェルは震える少女に歩み寄ると、


「お前、コレが何かわかる? 近くに何かがある。それだけでなんかいい気分になれる。何かはわからないけど、あるってわかっただけで気分が落ち着く。気が楽になる。お前、この感覚を知ってる?」


 少女は震えながら、ルシフェルのつたない言葉に合う答えを必死に探す。混乱して、半ば真っ白になった頭の中からルシフェルの言葉を斟酌しんしゃくする。


「……あ……安心感」


 乾いた唇からかすれた声で絞り出された答えに、ルシフェルはきょとんとした。


「安心感……? ……安心感ね。コレが……安心感。なんで安心感が? ま、いいや。もーお前に興味なくなったし、望み通り元の村に帰してあげるよ♪」


 パチンッとルシフェルが指を鳴らし、気がつくと少女は山の麓に立っていた。

 混乱したまま周りを見回して、ルシフェルの姿がないことに安堵する。そして我に帰ったようにティーアを見上げると、痛む手足を引きずるように森の中を歩き始めた。今までとらわれていた悪魔の山(トイフェルベルク)に背を向けて。







「おい鬼塚、私は貴様のせいで2樽しか呑めなかったんだから少しは遠慮しろ」


 前の村で貰った3分の2だ。


「ぬぅ。よくわからんがすまんな」


 これが鬼塚だ。

 鬼塚とリィラの手合わせ(?)は思った以上に長引き、深夜をまわってようやく村に着いた俺たちは、リィラの提案で村のギルドの分館のギルドマスターを叩き起こして挨拶を済ませ、それから鬼塚の提案で酒蔵を見に行ってリィラが言葉巧みに蔵主から酒をせしめると、村長の家に上がり込み滞在交渉で村長の貴重な睡眠時間を容赦なく食い潰した後に通された部屋でくつろいでいた。盗人猛々しいとは半ばこのことである。


「おい、アルヴァレイ。まったく貴様は、周りにそんな悪く取られるような言い方しかできないのか?」


「事実だろうが」


 そもそもリィラと鬼塚の行動は悪くしか言いようがない。この人たちはたぶん人の迷惑を考えたこともないのだ。

 保身のために言っておくが俺は反対したし、今でも肩身が狭い思いを感じている。村全体がひっそりと静まり返っていて、起きているのが俺たちだけだとしても。


「それと鬼塚、部屋の隅で筋トレなんか始めるな。ただでさえ狭っ苦しいってのに、暑苦しさまで加わるだろうが」


 村長が聞いたらブチキレそうな言い草だ。家で一番広い客間でくつろげるのは、リィラに傍若無人な振る舞いをされてもまだ善意を傾けてくれた村長のおかげだぞ。


「そうだな。仕方ない。ちと狭いが、廊下でやってくる」


 恩人の家を狭いとか言うな。


「鬼塚、廊下でやっても鬱陶しいだけだ。人気ひとけのない表へ出ろ」


 珍しく至極まっとうな意見だと思った瞬間、リィラが『うげっ』とらしからぬ声で呻いて後ずさった。心底嫌そうな表情だ。不思議に思ってリィラと同じように鬼塚を見た瞬間、ゾゾッと背中に悪寒が走った。

 何故か鬼塚はにやぁ~っと硬直したような笑顔を浮かべて、リィラとまっすぐ視線を合わせようとしていた。如何いかんせん、リィラの方から思いきり目を逸らしているのだ。その視線が合うはずがない。


「お前とやるのは久しぶりだが腕が鈍ってはいないだろうな。テイルスティング」


 今日の昼間、数時間がかりで組み合って喧嘩をしていたことは既に記憶の彼方かなたに消失しているようだ。

 しかも、おそらく鬼塚は前後の文脈を考えず、『表へ出ろ』という言葉だけに反応を返しているだろう。


「アルヴァレイとやってこい」


「ふざけんなよ」


 無茶振りにもほどがある。俺の実力が認められているのか、自分たちの強さに自覚がないのか。前者がいいけど実態は間違いなく後者の方だろうな。そしてやけに嬉しそうな顔でこっちを向くな鬼塚。


「よぉし、小僧! かかってこい。手加減はしないから覚悟しろ!」


「殺す気か?」


「倒す気だ!」


 どうする。

 できればここでこの人たちに迷惑の概念を教えたいところなのだが。おそらく教えようとしたらリィラが不機嫌になり、殺されかねない。かといって教えなければ当然鬼塚に殺されかねない。


「鬼塚。リィラさんは廊下だと村の人に迷惑がかかるから筋トレなら外でやってこい、って言ってんだよ」


 この世の終わりを体験したような、愕然と言った表情になる鬼塚。


「小僧、この俺の筋肉を騙すとは……貴様、鬼瓦おにがわらか!?」


「鬼瓦にヒドイ奴の意味はねえよ。寝てる人いるんだから静かにしろ」


「む、そうか」


 一応わかってくれた……のか。

 リィラに常識を説くのはあきらめた内弁慶外仏な俺だが、鬼塚は思った以上に物分かりがいい方なのか。それ以上に物忘れも良さそうだが。


「窓から出ろよ。廊下を通ると村長に迷惑がかかるぞ」


 リィラが珍しくまともなことを――と思ったが、彼女は部屋の出入口の前にあぐらをかいて座り込んでいるため、俺ならともかく鬼塚が通ろうとするとどかなければならない。それが煩わしかっただけだろう。

 鬼塚は部屋の窓から外に出ようとして、ピタリと動きを止めた。そして、振り向いて部屋の中のある一点を凝視した。その視線の先には、どんぶりで酒を呑むリィラ=テイルスティング。

 そのまま微動だにせず待つこと5分。

突然、くわっと目を見開くと俺の方へ顔を向けた。


「小僧、この俺の筋肉を騙すとは……貴様、鬼瓦か!?」


「思考回路がわからねえんだが」


「この部屋に寝てるヤツなんていねえじゃねえか!!」


「親切にしてくれた村の人たちが別の部屋で寝てるだろうが」


 このオッサンの頭の中には筋肉でも詰まってんのか……。その程度のことを考えるのに5分もかかるって人間としてどうだよ。

 しかも、その処理してた情報は根本から間違ってる上に、やかましいことこの上ない。

 その時、リィラが無言ですっと立った。そして、静かに鬼塚に歩み寄る。


「うるさいぞ、鬼塚」


 リィラも同じことを思っていたようで、窓枠に足をかけたままだった鬼塚を外に蹴り出した。

 勢いを考えれば、足で吹っ飛ばしたというのが正しいだろうが。やかましい悲鳴をあげながら10メートルほどの距離を転がって、筋肉の塊は動かなくなった。鬼塚だから大丈夫なんだろうが。


「よし、呑むか」


「アンタの周りの酒瓶はなんだよ」


「お前も呑め」


 なんで俺の周りには話を聞かない奴ばっかりいるんだろう。


「結構です」


「そう言うなって」


「遠慮します」


「仕方ない……鬼塚拾ってきて、あいつと呑むか」


「俺でよければお付き合いしますよ」


 あの馬鹿(おにづか)この馬鹿(リィラ)を一緒に呑ませるなんて、考えたくもない。

 言葉通り無尽蔵に朝まで呑み続けるだろう。

 それだけならまだしも、後片付けをやらされる羽目になる。ただの片付けと舐めてもらっちゃ困る。

 酒瓶の片付けだけで1時間もかかるなんて、誰が想像できるだろうか。


「ふん、まあいい。今日は1人で呑むから、寝ておけ」


危ない危ない。

 手にとった思わずどんぶりを取り落としそうになる。

 おかしい。こんなに理不尽じゃないリィラを見るのはいつ以来だろうか。と、大人しく布団に入る。ここで、あまり深く突っ込むと痛い目に会うのは目に見えてる。


「おい。アルヴァレイ」


「何ですか? 今さら頼まれても1杯も付き合いませんよ」


「鬼塚が帰ってくる前にお前に大事な話がある」


 急に声を低く潜めて真剣な面持ちになったリィラに、俺が思わず息を呑んだ時だった。


「おぅっ、俺の筋肉がどうかしたか?」


「んなこたぁ言ってねえだろうがっ」


 ゴスッ!!


 窓の外から部屋にあがろうとした鬼塚の顔面に高速で飛んできた酒瓶がめり込んだ。

 リィラのあねさん、とっても男らしくてカッコいいですっ。

 実際に口に出すと、禁句が混ざってるために殺される寸前までボコボコにされるだろうが。


「テイルスティング、お前さん……なかなかやるじゃねえ……かっ……」


 ドサ。


 鬼塚の姿が見えなくなった。


「よし、鬼塚が還ってくるまでにお前に大事な話がある」


 鬼塚は還ってこれるのだろうか……。


「さっき村長に聞いてただろう。この辺りで『魔女』とか呼ばれている奴はいないか、って。その話だ」


 唐突だった。

 それを聞いたのは、リィラと鬼塚が酒蔵に行ったのを見計らってこっそり聞いたはずだが。


「盗み聞きしてたんですか。性格だけじゃなくて趣味まで悪いんですね」


「まあ、そういうな。村長から何か聞き出していただろう。私に詳しく聞かせろ」


 たぶんリィラは退かないだろう。


「魔女はいないそうです。この近くにいるのは……」


 この村の北にある山、ティーアは山頂に近づくほど危険が高まるような山だった。

 頂上付近になるほど霧に覆われ、ドラゴンや上位の魔物が生息し、あらゆる国から危険地域に指定されている。その頂上付近に住んでいるのが、通称『ティーアの悪霊』と呼ばれる者だそうだ。

 『悪霊』がいつからいるかの話までは聞けなかったが、もしかしたらシャルルかもしれない。それらのことをリィラに告げる。

 ただリィラに伝えていないこともある。

 『ティーアの悪霊』はこの付近の村や町からアルペガやドラゴンと同格に恐れられている。それは危険地域に指定されているようなところに住んでいるからではない。強大な力に怯えているわけでもない。『ティーアの悪霊』は暇潰しで、娯楽で、遊戯で、道楽で、人を殺す。


「『悪霊』か……」


 リィラが一言つぶやいて、酒を煽る。

 シャルルは勿論見つかってほしい。でも、そんなのがシャルルであってほしくない。

 シャルルは自分が人を殺してしまうことを誰よりも怖がっていた。そして、人を殺してしまう度に自己嫌悪を繰り返していた。シャルルは誰よりも優しかった。だから、人を殺してしまう自分を憎んでいた。


「明日は早い、もう寝ておけ」


 シャルルじゃなかったとしても、そんな危険な奴は放っておけない。シャルルがここにいたら、あいつだってそんな奴を放ってはおかないだろう。

 俺は畳の上に寝ころがるとすぐに深い眠りの中に落ちていった。


「『魔女』……か」


 アルヴァレイが寝た後、リィラは一言つぶやいて酒をあおった。







 翌朝、俺たちは山頂を目指して、ティーアを登っていた。


「不思議だ。昨晩から記憶が無い。これが記憶喪失という奴なのか?」


 たぶん意識喪失の方だと思います。


「モタモタするな、鬼塚。まだまだ登らなきゃいけないんだから」


 ぶつぶつとぼやき続ける鬼塚の肩を叩きながら、リィラは先頭に立って登り始める。


「しかし、なぜいきなりこの筋肉山に登ることになったのだ?」


 そんな山無いです。

 しかも、山を登り始めて既に1時間以上。山の中腹辺りまで登ってきて、いまさらそんな疑問か。


「何だ、鬼塚。お前も堕ちたもんだな。お前は理由が無いとこの程度の山も登れないのか」


「ふざけたことを言うな。我が筋肉に理由など無いわぁ!」


 鬼塚はそう叫ぶと急に走り出し、リィラよりも前に出た。扱いやすい人だ。

 しかし自分のことを筋肉と同一化してる奴の近くにいて大丈夫なのか? 周りから変な目を向けられなきゃいいけど。

 まあ、もう遅いのは事実だったが。


「よし、わかった鬼塚。本当のことを教えてやる。こっちを向け鬼塚」


 リィラは耐えかねたように、鬼塚の肩を掴み振り向かせる。

 怪訝そうに眉を吊り上げる鬼塚に、リィラは正面から向かい合いその両肩に手を置いた。


「ここの山頂にお前の探し続けていた『筋肉の敵エネミー・オブ・マッスル』がいるらしい」


 鬼塚は驚愕といった表情になる。どっちにしても、どこか嬉しそうなんだが。


「ふ、ふはは」


 どこかのネジが入ったようだ。

 鬼塚の場合、日常的に全てのネジが抜け切っている。

 様子がおかしくなるときはどこかのネジが入っているというわけだ。


「ついに見つけたぞ! 待っていろ! 俺がお前らの筋肉を鍛えなおしてやる!」


 普通の英雄伝(ヒロイックサーガ)に出てくる台詞なら、腐った根性とか性根とか、もっと入るにふさわしい言葉があるだろうが。

 残念ながら、鬼塚が入るだけでまともな物語にはなりそうに無い。


「ちなみに、指差している方にあるのはさっきまでいた麓の村だからな。村の人をどう改造する気だよ」

 

「待っていろ、諸悪の根源よ!」


 筋肉以外まで色々と敵に回されたエネミー・オブ・マッスル。本当にいるかどうかは気にしない。


「俺がその性根を叩き壊してやる!」


 壊してどうする。

 しかも、似たような台詞を2度も言うな。


「うぉおおおぉあぁあああああああっ!」


 別に何かあったわけじゃない。鬼塚が叫びながら走って行っただけだ。


「あの馬鹿。いきなり暴走したりして、訳わからんな」


「あんな嘘ついてよかったんですか?」


「大丈夫だろう。たぶんそろそろ忘れてるだろうからな」


「なるほど、たまには頭いいですね、リィラさんでも」


「少し言い方は引っかかるが。まあいい。それより一応追いかけないとな。何があるかわからんし」


 あの人なら何かあっても大丈夫な気がする。

 とはいえ、ここはティーアだ。そうも言ってられないだろう。

 村を出る時に俺たちが死んでも村には何の責任もないという誓約書シュブールを何枚も書かされている。

 そういうところなのだ、ここ『悪魔の山(トイフェルベルグ)』と呼ばれるティーアの山は。


 リィラがものすごい勢いで走り去った後、俺は急に違和感を覚えた。

 いや、違和感なのかどうかも何がおかしいのかもよくわからなかったが、とにかく何かおかしかった。

 辺りを見回しても、それが何かわからない。何かの気配のような、そんないやな感じにも思える。


「はぁ」


 細かいことを気にしている暇は無いらしい。とりあえず今はリィラの後を追いかけるしかない。

 俺は緩い傾斜を走って登り始めた。







「へ~ぇ」


 少年が走り去るのを見届けると、隠れていた気の陰から出る。


「あの子、ちょっと面白いかも。見た目はただの神族にしか見えないのに私のこと気づいてたみたいだったし。あの子にしようかなぁ~。新しい玩具(おもちゃ)……。う~ん、あはっ♪ とぉってもいいこと考えちゃったぁ」


 ぶつぶつとそうつぶやいて、クスクスと笑う。


「そうと決まったら、あの子を追いかけなくちゃいけないねぇ」


 頭の中に浮かんだえげつない考えをまとめつつ、歪んだ微笑みを浮かべた。足を1歩ずつ前に踏み出す。


「弱いものいじめの狩りって趣味じゃないんだけどなぁ♪」


 胸躍らせながら、誰かしらに向かってそう宣言した。


「シンシア」


 自分の中に呼びかける。

 それに応えるように、自分の奥から『シンシア』が表に出てきて、心の奥に追いやられる。

 人格を入れ替えたのだ(ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ)


『おはよう、シンシア』


「おはようございます、ルシフェル姉様。突然ですが、久しぶりのシャバの空気にハイになってもいいですか? て言うか、最近ぜんぜん出れなくて退屈だったんですけど」


『相変わらず面倒なしゃべり方するわね。後でたっぷり遊ばせてあげるから、とりあえず言うことを聞きなさいよ、シンシア。ここからまっすぐ頂上に行く道の途中に男の子がいるんだけどさぁ。その子の記憶を全部読み取ってよ』


「わかりました。少しだけ待っていてください。ルシフェル姉さま」


 両手を高く上げて、魔法陣を展開する。

 シンシアの固有能力パーソナルアビリティで、周囲の人の記憶を読むことができる。ただそれだけではないのだけれど。

 自分で作った能力(ヽヽヽヽヽヽヽヽ)とはいえ、彼女の前ではプライベートなど皆無だ。


『頼んだわよ』


 独り言にしか聞こえないだろうが、絶対に交じり合うことのない二者間の意思疎通の結果だ。

 自己とのコミュニケーションに近いが、本人たちにはただの会話だ。


「それにしても、ルシフェル姉さまが男の子に興味を抱いておられるとは……はっ。これが恋というものなのですか!」


『言っておくけど、違うからね』


 右手を心中なかから操って、シンシアの頬を強くつねる。


「魔力レーダーが数百メートル先にそれらしき男性を発見しました。なにやら筋肉だ何だと叫んでおります」


『そっちじゃなくて、もっと手前よ。て言うか、誰よ、それ』


「そうですか。わかりました。……数十メートル先にそれらしき若ツバメを発見しました」


『若ツバメ言うな』


「筋肉と少年の間やや少年よりの位置に若い女性がおりますが、これはまさかの三角関係ですか、むふ。お姉さまもなかなかいろいろ大変そうですね」


『そんなんじゃないって言ってるでしょうが、人の話を聞く気無いの?』


 今度は両手を動かさせて、さらに頬をつねる。


「いふぁいれす、おれえふぁま。記憶の波を検知、複製完了しました。いかがしましょうか」


『もういいわよ。またね、シンシア』


「ちょっとお待ちください。お姉さまは先ほど私をたっぷり遊ばせて下さると~! ……いたた、ちょっと強くつねりすぎたかな。へぇ~、シャルルちゃんね~。やっぱりあのアルヴァレイとかいう子、面白いわー。あは、この子ならイケそうじゃない。お人形遊び……フフ。となると、シャルルちゃんから何とかしないと」


 彼女が心の奥に潜り込むと、身体の動きが止まった。やがてその身体は倒れ、ごつごつとした岩肌にその身を強く打ちつけた。岩で擦ったところが赤く滲む。傷に身じろぎ一つしない。

 その横たわる身体に突然変化が起きた。肌がまるで(ヽヽヽヽヽ)液体のように波打つ(ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ)。瞬く間に体表面から何から全てのパーツがその形を変えた。


『起きなさい、シャルル(ヽヽヽヽ)


 身体がムクリと起きる。


「ここは……どこ?」


 見たことのない景色だった。でも、シャルルはそこがどこだか知っていた。なぜだか頭の中からここ、ティーアのことが浮かんできたのだ。

 来たことの無いはずの場所を、見たことの無いはずの景色を、ただ漠然とそこはティーアなのだと直感した。

 そして、なぜだろう。

 シャルルは知っていた。

 彼が、アルヴァレイがティーアに来ていることを。

 そして、もう二度と会わないと心に誓った彼に会わなければならないということを。

 心が矛盾を肯定していた。心が矛盾を強要していた。

 シャルルは、それが第三者の意志だとは微塵にも思わなかった。


「アルヴァレイさん……」


 そうつぶやいて、シャルルは山を登り始めた。

 会いたかった。けれど会いたくなかった彼の背中を追いかけた。







「遅いぞ! アルヴァレイ」


 リィラは鬼塚に追いつけたらしく、腰かけて待っていた。

 まあ腰かけているのはリィラだけで、腰かけられているのは鬼塚だけだったが。


「どこまでも筋トレしか頭に無いんですね、アンタ」


 鬼塚は高速腕立て伏せに没頭していた。リィラはその重り代わりということなのだろう。そのせいかかなり、リィラは不機嫌そうな顔をしていた。


「こうでもしないと、お前を待つ気は無さそうだったんでな。私としてはかなり不本意だが、お前はまだ未熟だからな。コイツと違って不用意に置いていくわけにもいかん」


「む、何の話だ?」


 リィラに指されているのを知らない鬼塚は、腕立て伏せのペースを大幅に落として、顔だけを俺に向けた。

 おそらく、話しながらの腕立て伏せはできないのだろう。脳のスペックの問題だろうか。


「いやいや、全身筋肉質の山羊ヤギがあの世に旅立つかもしれないって話です」


「よぉし! ならばその全身筋肉痛の山羊ヤギとやらと戦ってやろう!!」


 全身筋肉痛て、可哀相だなその山羊ヤギ


「相手、山羊ヤギなんですけど……」


「筋肉に不可能は無い!」


 会話にならなかった。しかもお前、筋肉痛の山羊ヤギにさらに鞭打つ気かよ。

 この人なら何とでも仲良くなれそうな気がする。いろいろな意味と、方向で。


「さて、そろそろ行くか」


 リィラがそう言って、腰を上げた瞬間だった。


「待てぃ!」


 鬼塚の叫びに、思わず腰を下ろすリィラ。


「ノルマ達成まであと325,837回なんだ、だから待て」


「行くか」


「そうですね」


 相手にする気すら起こらなかった。たぶん、いや間違いなくリィラも同じことを思っているはずだ。

 だからこそ、あっさりと腰を上げるのだ。


「仕方ない……今夜だな……」


 ぶつぶつと不満そうにつぶやく鬼塚。

 この人だけは、どんなことがあっても今夜を迎えられるだろう。このティーアで。何があっても。

 例えば、目の前にドラゴンが現れるみたいな不運な遭遇(アクシデント)が起こっても。


「リィラさん。俺たちって、相当運悪いですよね」


「ああ、例えば鬼塚がついてきたこととか、鬼塚がついてきたこととかな。まぁそれに比べればこんな奴、って訳にもいかないか。ふむ……いわゆる鏃翼竜リンドヴルムとか言う奴だな」


「よく知ってますね」


「昔ちょっとな。自分でも珍しい経験だと自負している」


 体高は2,3メートル超。体長5メートル弱。

 体中をくまなく覆いつくす赤い鱗。

 頭の後ろから背中にかけて突き出た刺々(とげとげ)しい突起。

 鋭く大きな牙が無数に生えならぶ裂けた口の端からは黒い煙がぶすぶすと立ち上り、巨大な翼についた爪は鋭いやじりのような形をしていた。

 鏃翼竜リンドヴルムはおもむろに身体の2倍以上ある翼を広げる。そしてそのアギトを大きく開いた。


 グォオオオオオオオオオオオオオオオオッ!


 咆哮。

 空気をびりびりと震わせて、轟音と衝撃が俺たちを襲う。

 油断していたら、それだけで吹き飛ばされそうだった。

 戦慄する空気の中、俺とリィラの心は久々にひとつになっていた。


「逃げるぞ、アルヴァレイ! 鬼塚!」


 言い終わるか終わらないかの内に、俺とリィラは走り出していた。

 その場に鬼塚バカだけが残る。


「何をしている、鬼塚! いったん退くぞ!」


「何を言う! これほど強そうな奴が目の前にいるのだぞ! そう考えるとほら、腹が鳴らんか?」


 別にお腹は空いてねえよ。腕の間違いじゃないのか、ソレ。


「相手は曲がりなりにも竜族だ。いくらお前でも勝てん、死ぬぞ!」


「わが筋肉に不可の」


「やかましい!」


 リィラは目にもとまらぬ速さで、鬼塚に走りよると、その背中にゴギン!

 剣の柄で重い一撃を加えた。


「うぉぶぐぁっ」


 心なしか鬼塚の身体が不自然に曲がっているような気がするが、大丈夫か……?


「ほら、行くぞ」


 さっきから無視され続けている鏃翼竜リンドヴルムの機嫌が悪くなっているのは、どこからどう見ても明白だ。鏃翼竜リンドヴルムは低く唸り、大きく口を開いた。

 その奥の暗闇がぼんやりと明るくなる。


「リィラさん。かなりやばいんじゃないですかね。アレってあのアレですよね」


「ああ、あのアレだな。ちぃっ、鬼塚なんか置いてけばよかったか」


 『竜の息撃(ドラゴン・ブレス)』だ。

 これは聞いた話だが、鏃翼竜リンドヴルムは呼吸をするように火を噴くと言われている。

 その火炎は森の木々を一瞬で灰に変え、金属をもどろどろに溶かしてしまうとか。


「逃げろ!」


 2人は鏃翼竜リンドヴルムに背を向けて、走り出す。

 リィラの肩には鬼塚の巨体が乗っているのに、なぜか俺より足が速い。

 そんなこんなで俺が最後尾。そりゃそうだ。そもそも身体能力が違うんだから。


「間に合え!」


 リィラがそんなことを叫んだ時だ。


 ボフッ。


「はい?」


 突如聞こえた軽い破裂音に思わず振り返る。

 その瞬間、俺の視界に映ったのは、直径30センチにも満たない火の玉のような物を地面に吐き出した鏃翼竜リンドヴルムの憐れな姿だった。

 微妙な沈黙が辺りを包む。


「リィラさん」


「何だ? アルヴァレイ=クリスティアース。何か言いたいことでもあるのか?」


 気まずい空気を紛らわせるためか、リィラはわざと俺をフルネームで呼んだ。


「もしかしてですが……ドラゴンって実は大したことない?」


 鏃翼竜リンドヴルムの火球は下草を焦がしただけで消えてしまった。

 灰にもなっていないし、こんな火で金属を融かすことなどできはしない。


「おい、起きろ、鬼塚」


 戸惑う鏃翼竜リンドヴルムの目の前で、リィラは肩の鬼塚を地面に叩きつけた。

 しかし依然として、ぐったりとして動かない鬼塚。


「おい、いい加減に起きろ。筋肉」


「どぉらっしゃああああああぁぁぁぁぁ!!」


 既に人間じゃないがそれでもいいのか。

 元気に起き上がった鬼塚は鏃翼竜リンドヴルムの姿を見た。

 さっきまでと違う、大きく翼を広げ、俺たちを威嚇する勇壮な姿を。


「鬼塚。お前に任せた」


「よし、任せろ!」


 何をかわかっているのだろうか。

 鬼塚は走り出し、瞬く間に懐に潜り込むと、その腹辺りで思い切り腕を振りかぶった。


 グヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!


 突然日が陰り、さっきとは比べ物にならない轟音が俺たちを襲った。

 前からではない、はるか上方からだ。押さえつけるような激しい空気圧に姿勢を崩される。


「嘘だろ」


 鏃翼竜リンドヴルム

 それもさっきのとは比べ物にならない。

 体高は7,8メートルある。体長はもう目測できない。

 広げた翼にも無数の小さな穴があき、甲殻も一部傷がついている。

 歴戦の覇者の証のようだ、と俺が思った瞬間、リィラは動いた。


 ゴキッ。


「うぉぶぐぁっ!」


 心なしか鬼塚の身体が不自然に曲がっているような気がするが、大丈夫か……?

 リィラは鬼塚の巨体を軽々と肩に担ぎ上げると、ものすごい速さで山の斜面を駆け下りはじめた。


「アルヴァレイ、お前も早く逃げろよ!」


 さっき置いていけないって聞いたように思ったばかりなのに、あれれ?

 何はともあれ、リィラの後をついて走る。


「最初にいた方って、まだ子供だったんですかねぇ!」


「たぶん後のほうが親だったんだろうさ!」


 走りながら後ろを振り向くと鏃翼竜リンドヴルムは追いかけてきていた。もちろん大きい――たぶん親――方がだ。

 身体の構造上、バランスがとりにくそうだったので、走るのは苦手と推測していたが、どうやらそうでもないらしい。

 鏃翼竜リンドヴルムに踏みしめられた地面が次々と砕け、どんどん地形が変わってゆく。


「もっと速く走れ! 追いつかれるぞ!!」


 リィラがそう叫んだ。

 確かに追いつかれたら最後だ。死は免れない。

 だが、ただでさえ足場の悪い山道。これ以上に速く走ったら、間違いなく足をとられて派手に転んでしまう。

 その時だった。

 必死に走る俺の横を前方から来た誰かがすり抜けていった。一瞬、リィラかとも思ったがあのシルエットは……見たことがある。

 白いローブマントを着た小さな影。その金髪の間から覗くピンと立った耳。

 どこかで見たことのある格好だと思った。


「……ちょっ、えっ?」


 逃げているのも忘れ、立ち止まりつつ振り返る。ずっと探していた姿によく似ていたと思ったからだ。


 ズズゥウウウンッ!!


 その瞬間、地響きがした。

 鏃翼竜リンドヴルムの片翼が根元から引きちぎられ、地面に落ちたのだ。

 当然鏃翼竜リンドヴルムの動きは止まっていた。

 目を見開いたまま、突然の激痛の原因を探している様子だった。


「は?」


 俺が見た鏃翼竜リンドヴルムの姿。

 片翼をもがれ、両足を引きちぎられ、無数の鱗や甲殻さえもところどころ剥ぎ取られて、地に倒れ伏し、もがいていた。体中を切り裂かれ、傷口からどくどくと赤い血が流れ出している。

 そして、その頭部の近くに彼女は立っていた。


「シャルル?」


 彼女、シャルルは俺には振り向かず、息も絶え絶えの鏃翼竜リンドヴルムの鼻面に抱きついた。

 そして、震える声で一言つぶやく。


「ごめんなさい」


 鏃翼竜リンドヴルムは口の端から火花を散らし、黒煙を噴き出す。そしてまぶたが自然に下がり、動かなくなった。

 その言葉とは裏腹に惨い殺し方だと思った。

 しかし、それは一瞬よぎっただけですぐに忘れてしまった。

 10メートルを超す巨体を持つ鏃翼竜リンドヴルムが、俺とすれ違い、振り向くまでの短い間にボロボロにされたのに。


「シャルル……!」


「近寄らないで! アルヴァレイさんは……何で……どうしてあなたはここにいるんですか?」


 シャルルは冷たく言い放つ。


「聞いてくれ、シャ」


「私は、また殺しました。成竜すらも簡単に殺してしまえるような化け物なんですよ。何度言えばわかってくれるんですか……。アルヴァレイさんは私なんかと関わらないほうがいいんです。今すぐにテオドールに戻ってください……。お願いです……から……」


 シャルルは何も変わっていなかった。

 自分勝手に自分が嫌われていると勘違いして、ことごとく俺を拒絶する。


「すぐに帰ってください。貴方には他にもいるべき場所があるんです……」


 シャルルは視線を落とした。


「馬鹿か、シャルル」


 そう叫んでいた。

 シャルルはびくっと肩を震わせて、顔を上げた。

 その頬は涙に濡れている。


「俺がシャルルのことなんか嫌ってるわけ無いだろ」


「嘘です……! 貴方もそうなんです! 私が化け物でおぞましいから。もう近寄らないでくれ……って、そう思ってるに決まってます! 貴方は……化け物じゃありませんから」


「嘘じゃない。俺はシャルルのことは大好きだよ」


「嘘……です……」


 確かに怖くないといえば、嘘になる。

 あの悲惨な夜のシャルルに恐怖を覚えたのは事実だ。

 あんなシャルルは見たくなかったし、近寄るのにも覚悟がいるような有り様だった。

 あの時のシャルルは怖かった。

 でも……。


「俺はシャルルの友達を辞めたつもりはないし、これまでも仲良くしてたつもりだったし、これからも仲良くしていたい」


「……ダメです」


「シャルル……」


「……ダメですよ。今はよくても、いつか私の近くにいることを後悔します。私はたぶん……また殺してしまいます。それに……夜になると、自分が抑えられないんです」


 シャルルの声がだんだんか細くなる。


「もしかしたら、アルヴァレイさんだって殺してしまうかもしれないです! だから、私とはいないほうがいいんです……」


「俺だって強くなった。シャルルなんかにそうそうやられないよ」


 まあ、今でも、夜のシャルルには勝てる気がしないけどね。


「寝てる間に襲っちゃうかもしれないのに!」


「むしろ襲ってくれ」


 不意打ちとか不穏な方とは別の方で。


「それに、シャルルだってあの時俺を殺せなかったじゃないか。殺せたのに」


 そう、あの夜が終わった次の朝。

 シャルルは俺を殺さないで立ち去った。殺すこともできたはずなのにそうしなかったのは、彼女がソレを望んでいなかったからなのだ。


「あれは……」


 シャルルの顔が真っ赤になった。

 おおかたあの時、自分が口走ったことでも、思い出したのだろう。


「~っ!!」


 なんかシャルルが悶え始めた。


「そうじゃないです! そんなことじゃありません! 私といると危険なんです!」


「俺が守ってやる」


 シャルルに殴られた。痛ぇ。


「にゃ、にゃに言ってるんですかっ。私があぶにゃいんですっ!」


 猫みたいだった。尻尾がせわしなく動き、耳もぴくぴく元気に動いている。


「こらこら、自分が危ないとか、間違っても言うなよ。もっと大事なことは他にあるだろ?」


「大事な……こと?」


「お前、俺のこと嫌いか?」


「にゃ、にゃに言ってるんですかっ。そんにゃわけにゃいじゃにゃいですか!」


 定着させようとしているのかな。猫語。


「よかった。なら安心だ」


「えっ?」


「俺がシャルルを好きで、シャルルが俺を好きなら……」


 シャルルはきょとんとした顔で俺を見ている。

 突然、その目が輝き始め、顔を真っ赤にして、指で髪をいじってみたりし始めた。


「俺たちはまだ友達同士ってことだろ」


 シャルルに殴られた。痛ぇ。

 何で殴られたのかがわからない。

 なぜかシャルルは頬を膨らませて、そっぽを向いてしまった。

 でも、これでよかった。

 シャルルの硬かった表情は、いつの間にか和らいでいたのだから。

 これが今までのやり取りの成果だとすれば、なかなかのもんだ。


「アルヴァレイ、話は終わったか」


 リィラは歩み寄ってきて、そう言った。

 それに対してうなずくと、リィラはシャルルを指差した。


「そいつに3つほど聞いておきたいことがある」


 リィラの目が鋭く光った。


「では1つ目の質問だが。お前がシャルロット=D=グラーフアイゼン本人で間違いないんだな?」


 シャルルは気迫に気圧されたように、びくっとして後ずさる。


「は、はい……」


 震える声でそう答えたシャルルは俺の方にすがるような視線を向けてきた。

 その目は、この人は何ですか、と語っているようだった。


「そうか。では2つ目の質問だ」


 リィラは一拍置いて、その刹那に空気を凍りつかせるように言い放った。


「なぜ殺したっ!?」

ティーア……ドイツ語で『動物』です。

トイフェルベルグ……ドイツ語でそのまま『悪魔の山』です。

シンシア……英語で『優しさ』かな? 怪しいです。

ルシフェル……言わずも知れた堕天使の名前です。ルシファーとか呼ばれたりもします。

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