(1)新しい日々‐Der Junge suchte ein Madchen‐
新暦2042年3月16日――。
「モタモタしてると喰われるぞ、アルヴァレイ! もっと速く走れないのか!」
俺は赤毛の女性に男らしい台詞で怒鳴られていた。金銭的問題で防具を着けられない俺はともかくとして、彼女も薄い金属製の胸当てを革の服の上から着けただけというラフな格好だ。双方とても旅人には見えない軽装だが、今はその身軽さに感謝していた。これからも下手に防具着けるよりは機動性重視の戦闘スタイルでもやっていけるんじゃないかと思う程度には。
そう、俺たちのこの格好は――驚くほど全力疾走に向いている。
本来なら全力疾走は必要ないはずだった。
一応保身のために断言しておこう。俺は悪くない。悪いのはただ1人、俺のやや前方を走っているこの馬鹿だけなのだ。
俺たちがいるのは、オーベン大陸西部にある深い渓谷の崖側壁にある道だ。右手にはずっと崖、左手には薄暗い谷底が見えている。
そして全力疾走の理由というか原因というか、俺たちは黒い塊たちに追いかけられていた。それらの名前は『死神の顎』として悪名高い魔物アルハングだ。アルハングは大気中の魔力が死んだ動物の頭骨内部に溜まっていき、その魔力が一定量を超えた時に『食欲』を行動基点とした生命体となる。
通常は5~20匹ほどで群れを成し、狙いを定めた獲物を捕らえるまで延々と追い続ける性質を持つ厄介この上ない魔物だ。生前の食性に関わらず肉のみを喰らい、その身体は死体故にスタミナ切れを持たない。その上、生命体のくせに餓死しない。食欲を満たすためだけに喰らい喰らうためだけに生きる奴らを殺すには、魔力の芯である頭骨を大量の炎で燃やし尽くすか粉々に砕いてしまうこと。それぐらいしか対処法がなく、逆に言えばそれができない旅人はそれができる集落まで逃げ切るか奴らの餌食になるかの二択だった。後者をわざと選ぶ者など通常は存在しないが。
何かしらの護身術を身につけている旅人ならば切り抜けるのは比較的容易いため危険指定B級の魔物だが、見た目以上に素早く動き、なにより群れて狩りをするため、旅人や雇われ護衛の傭兵など関係職はランク以上に危険視している。
護衛報酬をけちった商団が積み荷を捨てて命からがら逃げ帰るという話すら珍しくないのだ。それでも護衛を頼まない商人たちが後を絶たないのは驚きだが、その分、目撃地周辺を通る商人はできるだけ軽くて高価なモノを扱うようにしているらしい。命すら保証されない状況でも儲けを優先すると言うから商人もある意味では化物だ。その度胸は凡人には計り知れないだろう。
「しかしこれはまた予想外の多さだな。この辺りで伝染病でも流行って大量死したのか? 数えただけでも53匹はいるぞ」
「よく数えれましたね」
素直に驚嘆に値する。目視できるほどの濃度の魔力が黒く変質し、白い頭骨を覆うように噴き出しているような見た目をしているアルハングは数集まると、その1匹毎の輪郭が識別できなくなるのだ。
「足音を数えられるだろ?」
「人間業じゃねえよ」
アイツら足ないし。
アルハングは頭骨以外は動かせない。要するに足がなく頭骨だけが外れて動いているのだが、そのため地面を這いずり跳ねるような動作で前に進む。その数十匹の跳躍の度に鳴るガチャガチャという骨の音は群れの中で何倍にも増幅され、不気味な衝撃音として谷底を抜けて響き渡る。この馬鹿はそれを足音と言っているのだ。
そんな中、1匹毎の微妙な音の違いを聞き分けたと言うのか。
俺は隣を激走する理不人に心の中で悪態をつきながら、記録更新の全速力を叩き出しつつ、アルハングの追走から逃れようとしていた。
今さらながら、赤毛の女性の名はリィラ=テイルスティング。
テオドールから出たことがなく戦技以外にあまり興味のなかった俺は知らなかったのだが、エルクレス神和帝国のテイルスティング家と言えば大陸に知らない人はないというほどの名家らしい。ちなみに親も知っていた。少しショックを受けたものだが、それはおいといて。
「いや、ハハハッ。こんなスリル満点の鬼ごっこ、滅多にできる体験じゃないし。もっと楽しそうにしろ、アルヴァレイ!」
彼女はそう馬鹿明るい声で叫ぶ。声色は裏返っていたが、中には明らかに俺へのからかいが含まれていた。
「別に楽しんじゃいませんよ」
最初はともかく今この現状で楽しむ余裕はまったくない。
そろそろどんな人間でもこの人の性格がおおよそ理解できただろう。
「そもそもリィラさんが悪いんですよ。どうするつもりですか、いやどうしてくれるんですか?」
「知らん」
知らん、で済ませるか。そうかそうか。いい加減キレようかな。
つまりリィラ=テイルスティングというのはこういう人物なのだ。
先も言った通り彼女は理不人、これは歩く理不尽という単純な意味で、基本性格が暴君、やることはすべからく大雑把で、最終的には破綻しそうな穴だらけの計画を立てたりする。見た目こそ凛とした美しさを持っているのに口調が女らしくなったところを見たこともない。
しかし身体能力は化け物級、故に戦闘能力も化け物級だ。本人は魔術による身体強化だと笑っていたが、俺は信じない。あまり公言することではないが俺は彼女と同じ湯船に入ったことがある。珍しくよった彼女に無理やり引きずり込まれたのだ。詳細は控えるが、その時も彼女は異常な握力を発揮していた。ただの魔術なら何も身につけていない状態で行使できるわけがない。魔法陣がないんだからな。
「アルヴァレイ! 誰かに道聞いてこい。ここから出んことには埒があかない」
こんな所に人がいるか。
本当ならこのくらいの時間には既にこの仕事は完遂できているはずだった。彼女が足を滑らせてここに落ちていなければ、あらかじめ張っておいた罠のところまではそんなに距離はなかったのだから。
「くそっ……誤算だったな。まさかお前まで落ちるとは思ってなかったんだ」
「どの口が言いますか」
数分前、予定通りアルハングを誘い出し作っておいた罠まで誘導するため俺と彼女が奔走していた頃だ。
背後から飛びかかってきたアルハングをために跳び退き、リィラは足を踏み外した。彼女がその時、落ちまいととっさに掴んだのは俺の服の襟。
無理だ。手ならまだしもそれで踏ん張れるわけもない。バランスを崩して下の道まで滑り落ちた俺たちは仲良く無駄に長い距離を走る羽目になったのだ。
「少しは悪いと思え」
「だから、罠が無駄にならないように上に登る道探してるんじゃないか。お前は人に感謝することを覚えろ」
「やってやったみたいな顔するな。リィラさんは常識を身に付けてください。またあの馬鹿が罠をぶっ壊してたらどうするつもりなんですか」
「お前、あの馬鹿がいないときはちゃんとあの馬鹿って言うんだな」
「そりゃそうでしょう。目の前で言っても反応がめんどくさいだけですから、っていうか話逸らすな。あんたも充分あの馬鹿と同類だよ。罠が壊れもとい壊されてたらどうするつもりですか?」
「ま、その時はその時だ。あの馬鹿が勝手に片付けてくれるだろうよ」
「ああ、なるほど」
説得力のある至極論理的な意見だ。ただし対鬼塚でしか使えない論法だが。
同じ場所を行ったり来たりしながら、たまにアルハングを谷底に落としてみたり、さらに下の道にまた落ちたりして、なんとか見つけた上に向かう道を走ること10分。
ここまでくれば予定通りに話が戻せて、万事一件落着だ。
しかし、現実そううまくはいかなかった。やっとのことで、罠を仕掛けた地点まで戻ってきたというのに。神様ってやつはどうも物事を公平にする気はないらしい。
どれだけ運ないんだよ、俺たち。
「リィラさん」
「どうした、アルヴァレイ」
「さっきは何も考えずに同類だなんて言ってすいませんでした」
「ああ、気にするな。私も気にしないように努力する。そんなことよりだな」
いい加減にしろ、馬鹿野郎。
「まさか、罠をぶっ壊すだけじゃ飽きたらず、自分でかかってるとは思いもしませんでした」
「ああ、可能性の範疇じゃないな」
ダメだこいつ、早く何とかしないと。
先ほど話題に出た噂のあの馬鹿こと鬼塚石平は、俺たちが数日がかりで掘った深い落とし穴の底で腕立て伏せを繰り返していた。
その構造自体は至極単純、3メートルほどの深さの穴を掘り、壁面に油を流しこむ。これは脱出を防ぎつつ最後に焼き殺すことにも適している、何処かの誰かが考案した対アルハング殲滅用罠だ。あまり汎用性がない上に作業量が半端じゃないのが欠点だが。なにせ作るのには普通でも1週間近くの時間と労力がかかる。うちには人としておかしい持久力を持つのが2人もいるから半分近くの行程でできてるけれど、鬼塚はそれを全部水の泡にしてくれた。
「どうします? これじゃ、この罠使えませんよ。都合のいい魔法陣は持ち合わせてませんし」
「どうすると言われてもな。こうなった以上はやるしかないだろう」
そう言ってリィラはため息混じりに剣を抜いた。細身で植物の蔓のような装飾の入った両手剣。エルクレスの正式な騎士用両手剣だ。
しかし彼女は剣の腕もさることながら、素手でも戦える近接格闘において人を超えた身体能力を誇っている。とは言え、そんな彼女が普通の女性の手には余るような剣を愛用しているのか、その理由を知っているのは本人を差し置いて俺だけだろう。
忘れようもない1年前のある夜、彼女は過去の記憶を失ったのだ。最近は昔のことから少しずつ思い出しているようだが、まだそれが父親の形見であることまでは思い出せていないだろう。なぜなら結構酷使しているからだ。形見だと知っているならそんな風には扱わない。
「脳なしかと思っていたが、生存本能くらいはあるようだな」
話に聞いていた限りでは、アルハングに何かを感じるほどの知能は無いはずだが、リィラの言う通り群れ全体に襲いあぐねている印象があった。
今の今まで逃げ回っていた獲物が突然向きを変えて戦闘体勢に入ったからだろうかとも思ったが、それもないと思い直す。
アルハングは元から食欲だけの化物だ。生への執着や痛みへの恐れを抱くこともなく、ただ腹を満たすためだけに狩りをする全自動の生命体のようなものなのだから。そうなると目の前の光景が説明できないのだが。
俺は緊張の中、これを好機とばかりに鉤爪を左手に装着する。間に合わなかったら素手でコイツらを殴らなきゃいけないところだったからな。
そして俺が腰に差してある短剣を抜いた時だった。
ざわ。
大気が揺れるような気配がして、アルハングがビクッと震える。
「なんだ?」
まるで普通の小動物のようだ、と思ったのもつかの間、群れの中の先頭の1匹が追いたてられるように飛び出した。恐らく狼などの頭骨だろう。死してなお鋭く尖った犬歯が唾液もないのに鈍く光る。
不可解さを感じながらも最初に襲いかかってきたアルハングをかわした。その時、リィラの剣がアルハングを正面から叩き割る様子が視界の端に映った。
俺は振り向きざまに再び牙を剥くアルハングを横に薙ぐと、ソイツは音も立てずに穴の底に落ちていった。
「お、アルヴァレイ。お前頭いいな!」
別にその気は無かった。しかし、リィラはそれに習うように次の1匹を空中で掴んで、穴の中に投げ捨てる。
「無様に落ちて朽ち果てるがいいさ。貴様のような雑魚に用はないぞ、アル!」
「父さんと母さんにはそう呼ばれてたから、アルハングをそう略称すんのやめい!」
俺とリィラはそれから次々と襲いかかってくるアルハングを地面に空いた大穴の中に蹴り落とす作業を始めた。思った以上に楽しかったのは少し悔しいが。
「ぬうっ! 何だキサマら!」
鬼塚の声が穴の底から聞こえてくる。その後から次々聞こえる鈍い音。時には『鬼塚流破砕拳!』『鬼塚流ええいわからん!』だ何だと声が聞こえるが、俺はもちろんリィラもわざわざ聞いてやる気はなさそうだった。
「むぅっ、何故か俺だけ理不尽に働かされた気がするが……」
ことがすべて終わり、俺とリィラが近くの木陰からアルハングの残骸の積もった穴をぼんやりと眺めていると、鬼塚はぶつぶつと愚痴りながら穴から這い出てきた。
俺からすればそう思える思考回路の方がよっぽど理不尽に思えるんだが。
「おい、筋肉」
リィラが呼ぶと、鬼塚は辺りをキョロキョロと見回し始めた。どうやら背後にいるのに気づいていないようだ。
「誰だ。俺を呼ぶのは」
既に人扱いされていないのに、それでもいいのか。
「こっちだ、鬼塚」
「む。また声が。何処だ?」
ぶちっ。
もちろんリィラがキレた音だ。
瞬く間に鬼塚との距離を詰めると、背中側から思いきり蹴りをいれ、大分浅くなったアルハングの穴に突き落とした。
「ぬおおおっ、わ、罠かぁっ!」
例えそうだとしてもこんな大がかりな罠は使わないだろう。
「大丈夫か鬼塚。どれ、手を貸せ」
「ん? おおテイルスティングか! いつ以来だ?」
はい、突き落とされたこと今忘れた。
「今朝以来だ。いいから手を貸せ」
「おうよ」
リィラの手首を掴み、鬼塚が再び這い上がってくる。
「ところでテイルスティング、貴様はどうしてここにいるんだ?」
「あー、油で手が滑ったあー」
素晴らしい棒読みだった。
「しまったー、間違えて剣を振り下ろしてしまったー」
これも棒読みだ。っておい!
いつのまにか俺の手の中にあった短剣は穴の端から突き出すような感じでリィラの足の下。
自慢じゃないが俺の剣はいいものだ。ちょっとやそっとで折れはしない。リィラの剣で叩いてもせいぜい火花程度だろう。
鬼塚炎上。
「ぬおおおっ、だが俺は耐えてみせる!」
馬鹿がいる。
妙な主張をして上半身をグルグルと回し始めた鬼塚を放置して、リィラは元いた木陰に戻っていく。どうやら暑がっているようだが、この辺りの気温が上がっているのは間違いなく穴から立ち上る火柱と煙のせいだ。つまり鬼塚とリィラのせいだ。
炎が全てを燃やし尽くしてくれればよかったのに、鬼塚は予想外に耐えやがった。
というわけで人外決定、火傷もない。
「お前はいったい穴の底で何をしていた?」
白々しくもリィラが問い詰めると、鬼塚は無駄に白い歯を見せてサムズアップ。
「己が肉体をみがくため、敢えて過酷な穴の底で身体を鍛えていた」
「建て前はいい。本音を言え」
「滑って落ちた」
「なんだ鬼塚。お前、落ちたのか。相変わらず馬鹿な奴だな」
リィラはさも愉快そうに笑うと、急に目付きが変わった。
「お前、自分が何をしでかしたかわかっているのか?」
声色を低くして凄んだリィラの殺気に思わず後ずさる。しかし鬼塚は、通常なら殺気なんかわからない俺ですらわかるほどの殺気を気にも止めない様子で、
「好戦的なのは結構だが、この辺りで下手に殺気を出すのは止めておけ。意思持つ蜃気楼に囚われるぞ」
「私がそんな間抜けに見えるか」
意思持つ蜃気楼と言うのは、世界でもこの深い渓谷の谷底にのみ生息する魔物で、戦闘職の人たちに恐れられている。鬼塚の言った通り、殺気を持つ人の前に偽りの姿で現れて、谷底の巣に引きずり込む。しかも、その姿はその人が最も攻撃できない、大切な人を模してくるのだ。下手にいつ死ぬかわからないだけに、戦闘職にとって相性は最悪と言っていいだろう。
「例えアルヴァレイの姿で現れても切り捨ててやるから、安心しろ」
それは安心――なのか?
「ていうかなんで俺なんですか? もしかしたら鬼塚かもしれませんよ」
「そしたらむしろ喜んで100回は斬り捨てるから問題はないんだが」
「なんと!?」
大げさに驚いた鬼塚をリィラは再び穴の中に蹴り落とすと、
「そんなところでいつまでも何をしているんだ、鬼塚。とっとと村に戻って酒蔵を襲撃してから先へ進むぞ」
「酒蔵を襲撃するのはやめてください」
手配書回るぞ。騎士のクセに。
……あれ? いつもなら一言反撃が来るのに、リィラの反応がない。
顔を上げると、リィラは忌々しそうな表情で崖の方を眺めていた。
「どうかしたんで――」
「黙れ、アルヴァレイ」
一瞬だった。
リィラは一瞬で抜剣し、虚空を横一文字に薙いだ。これは――。
「フン、馬鹿の忠告も聞いとくもんだな」
「出たんですか?」
「ああ」
リィラはヒュンッと見えない返り血を落とすように振ると、まだブスブスと煙を上げる穴に歩み寄り、剣を投げ落とした。骨の山に刺さった剣がわずかに光る。
別に珍しい光景じゃない。リィラと旅をしている内に何度も見ている。彼女の剣は魔弾の媒体でもある。本体は魔力の塊であるアルハングの残留魔力を剣に吸わせているのだった。
「鬼塚、それを取ってくれたらいつか手合わせしてやる」
「本当か?」
騙されるな、鬼塚。この人のいつかは『いつでもない』。ちなみに俺は金銭関係で嫌ってほど思い知らされてる。
騙された鬼塚は、妙に嬉々としてその剣を拾い上げてリィラに手渡す。
「どんな姿だったんですか?」
「昔死んだ同僚だ。愚か者が」
昔死んだとはいえ、なんの躊躇いもなく斬り捨てたんかいこの人は。
「行くぞ、アルヴァレイ」
再び剣を鞘に納めて、リィラは先へと歩き始めた。
「ありがとうございます。若いモンが年々減って困っていましたのでな。お礼は少なくて申し訳ないのですが」
依頼人の老人はリィラの手を掴んだまま、ぺこぺこと頭を下げる。
「金のことなど気にせず自分のためにとっておけご老人。酒をくれればそれでいい」
俺はできれば金の方がよかったんだが。
なんで村の人たちには俺たち相手みたいに暴君にならないんだよ。
村の人たちに見送られ、小さな酒樽を2個かついだ鬼塚と1個を脇に抱えたリィラ。そしてそれ以外の荷物を全てかつがされた俺は1週間泊まった村を後にする。ちなみに俺の扱いはいつもこんなものだ。今回はリィラも1つ持っているだけ珍しいと言えるだろう。
『移動ギルド』
俺たちの社会的な立場を端的に表すならそれが最も分かりやすい。今のところ似たようなことをしていた前例はないから俺たちが初めてと言うことだろう。
もっと具体的に言えば、村や町に客人として滞在することを条件にそこのギルドでは難しい依頼を請け負う。都合がいいことに鬼塚とリィラは手練れだ。大抵の奴らはどちらか一方がいれば下せるといえばわかりやすいだろうか。
なんとなく今疑問の声が聞こえた気がするから記憶を失ったリィラの代わりに釈明しておこう。俺やリィラさんの事情を全て知っている傍観者がいるとすれば最初に浮かぶ疑問はもちろん――
『何故あの悪夢のような夜にその馬鹿げた身体能力を使わなかったのか』
期待を裏切っているかもしれないが、その答えは簡単に想像しうる。
アレはそんなものじゃないのだ。そんな程度では済まない。
確かにリィラの動きはほぼ素人の俺から見てもこの1年で異常なほど洗練されてきた。だが、おそらくまだ届かない。アレは身体能力で何とかなるようなものじゃない。俯瞰で見ていただけでも足が動かなくなったのだ。対峙なんてしたら瞬きひとつ覚束ないだろう。
あの『夜のシャルル』には、今のリィラでも勝てない、何故だかそう確信できる。
こうは言いたくなかったが、アレはそれぐらいの化け物だった。リィラの化け物級では足りない人外だったのだ。
話を戻すが、ちなみにこの『移動ギルド』の方法を考えたのは俺じゃない。こんな商売になりそうな策を俺が思いつくわけがない。かといってリィラや鬼塚でもない。リィラはその手のことを考えるのが苦手だし、鬼塚はそもそも考えることがほぼない。これを考えたのはミッテ大陸のヴァニパル共和国で学校に通っている俺の妹だ。妹は確実にクリスティアースの血族で、医商双方の遺伝子を受け継いでいるのだ。
そして、もちろん『移動ギルド』はあくまで手段であり、旅の目的ではない。俺の目的はシャルルことシャルロット=D=グラーフアイゼンの捜索だ。リィラは俺からその話を聞き――聞くまでの経緯はある意味事故と言っていい――友人としてついてきてくれたのだ。最初は断ったが『記憶を失った私をまるで腫れ物のように扱う今の居場所に居たくない』と言われ、断れなくなった。本当のことを教えないのは、彼女を利用しているからだとわかっている。言い訳をする気はないが彼女を騙していることに罪悪感を感じてもいるのだ。
そしてリィラについてきたのが鬼塚だ。リィラは同僚と言っていたが、本人が何も語らない上、テオドールを出る時に『筋トレ万歳!』と叫んでいたから鬼塚の事情諸々については触れないようにしている。
「次は何処に行く? テオドールか?」
やけに元気な鬼塚がそう叫ぶ。戻ってどうする。
「次は何処なのか、ちゃんとさっきの村で聞いておいたんだろうな、アルヴァレイ」
俺が村長に聞いてた時、隣にいただろ。
「深い渓谷を抜けたところに多少大きめの村があるそうです」
「大きくても村なのか?」
「たぶん村にしては大きい、程度だと思います。ただ都市ギルドの分館が1つあるそうですから、もしかしたら仕事はないかもしれませんね」
「なんだその不届きなギルドは。仕事がないなんて言ったら分館を潰してやる」
この人はやりかねない。
「ちなみに村の特産はお酒だそうですよ」
「なんだその素敵な村は。仕事をあってもなくても酒蔵を襲撃してやる」
まだ見ぬ村人の皆さん、ごめんなさい。
「そんなことよりリィラさん。鬼塚の持ってる樽が1つ減ってますけど」
「何ッ!? 貴様、鬼塚ァッ! 私の酒を何処にやった!」
全部の所有権を主張するリィラは、鬼塚の右手から酒樽を奪い取って、首に剣先を突きつけた。
「む、すまん。あまりに上手そうな匂いがしたのでな。つい呑んでしまった」
「貴ッ様あぁぁぁっ! 無断飲酒は兆死に値するぞッ!」
万死では足りないらしい。
命の危険を察知したのか、鬼塚はリィラの剣を持つ手を押さえにかかった。
「ぬううぅっ、貴様ごときの腕力で私を押さえ込めると思うな、鬼塚ああぁぁぁっ!」
この人たちとの旅はいつもこんな感じに騒がしい。
リィラさんの名前は適当です。
テイルスティングは英語の『尻尾』『突き刺す』を合わせました。
鬼塚のバカなボケとアルヴァレイのツッコミを楽しめる方が多いことを願ってます。