(12)失踪‐Das Madchen verschwand‐
目を覚ました時、後ろからグスグスという感じのすすり泣きが聞こえた。
立ち上がりつつ振り返ると、シャルルは大粒の涙を零していた。何故か袋に入れていたはずの俺の短剣を両手で持ったまま。
「よかった……気がついたんだな」
そう言って俺がシャルルの隣、ベッドの上に腰掛けようとした時――ドンッ。
「近寄らないで下さい!」
シャルルに突き飛ばされた。
予想外の行動に、何の用意もしていなかった俺は、容易にバランスを崩してなす術もなく床に転がった。
「あ……」
シャルルは思わず差し出そうとした手を引っ込める。
よかった。少なくともいつもの優しいシャルルだ。なにか混乱しているようだが。
原因はやっぱりアレなのだろう。さっきのシャルルは、ちょうど出会ったばかりで俺の首を絞めた時のシャルルによく似ている。しかしあの時は少なくとも話が通じそうなものだったが、今朝のシャルルはそうじゃなかった。怖いなんてものじゃない。明らかにアレは狂っている。
最初は姿がよく似ているが性格が正反対の双子説も自分の中で可能性としてあったのだが、それではシャルルがそれを隠していた意味がわからないし、ここにいるシャルルが何よりの証拠だ。間違いなくこっちもシャルルでアレもシャルルなのだ。
「話して……くれないか?」
俺がそう訊くと、黙ってはいるもののシャルルの肩にピクと反応が見られた。
「私……は……シャルロット=D……グラーフアイゼン……。『黒き森の魔女』と……呼ばれるに……ふさわしい――」
静かに話し始めたシャルルは、何故か早々と言葉を切る。そして、目に涙を一杯に溜めた顔を上げると、
「――化け物なんですッ!」
声を荒らげてそう叫んだ。
って――。
「化け物……って、そんな耳と尻尾くらいでそんな……」
俺は口ではそう言いつつも、さっきの黒き森でのシャルルを思い出していた。
化け物。
どす黒い何かを身体中に纏う化け物。
人知を超えた身体能力を持つ化け物。
目を背けたくなるほど残忍な化け物。
そういう意味で、アレは確かに化け物なんだろうな。
「違うんです……。私はやっぱり……ば……化け物なんです……」
シャルルは途切れ途切れの拙い言葉で、ぽつりぽつりと語り始めた。
夜になると否応なしに自分の中から現れる何か。残虐な性格を持つソレは、様々な理由はあれ躊躇なく人を殺すのだという。他人事のように感じているととられるかも知れないが、既に目の当たりにしてる以上、アレの重さは十分理解している。
血を求め、血を見ることに悦楽を感じ、血のために人を簡単に殺してしまうのだとシャルルは言った。
「二重人格……とかじゃないのか……?」
シャルルはふるふると首を振る。
「これはそんなのじゃないんです。毎日毎日……毎晩毎晩……どうしても夜になると抑えられなくて……分からなくなって……。アレが起きている時も、私の意識はあるんです……。どんなにやめてって思っても止まってくれなくてッ。人を殺してる時もッ……私はそれを見てるんです……。感触も、この手に……残ってるんです」
今気づいたことだが、話し始めてから今の今までシャルルは両手を恨めしげな目で見つめていた。おそらく、洗い落とせず爪の間に残ってしまった血を苦しげな表情で眺めていた。そして、その視線は俺の足元に置いてある洗面器に向く。洗面器には、シャルルの手を洗う時に使った赤く染まったぬるま湯が入ったままだった。
「アルヴァレイさん……。アルヴァレイさんが起きる前、私が何をしようとしていたか教えてあげます……」
その時、シャルルの膝から俺の短剣が滑り落ちた。
シャルルは膝からベッドを経て床へと目で追いはしたものの、床でカランと乾いた金属音を響かせたソレを再び拾い上げようとはしなかった。
シャルルはブルブルと震え、そしていっそう目から涙を流しながら、
「私は……アルヴァレイさんを殺そうとしてたんですッ」
『は? 殺すって俺を? なんで?』と混乱している俺を前に、シャルルはさらに言葉を続ける。
「自分勝手なただのわがままでッ、アルヴァレイさんを殺そうとしたんですッ!」
自分勝手なわがままで……?
わけもわからず状況も掴めず、首を傾げざるを得ない俺を後目に、シャルルは自嘲するような告白を続ける。
「私は化け物です……ですが日の出ている間は少なくとも人にとても近い姿でいられました。だからこそアルヴァレイさんと一緒にいることができました。私はアルヴァレイさんにとって『人』でいたかった。でも少なくとも『化け物』になりたくはありませんでした。でももうダメなんです。いくらアルヴァレイさんでも……私を嫌いますからッ。私が怖くなりますからッ! だからッ……だから嫌いになる前に……アルヴァレイさんに冷たくされる前に殺してしまえばって思ったんです。私が見たくないからって、一時でもそんな風に考えてしまう『化け物』なんですッ!」
シャルルの声は震えていた。
殺すとか、俺自身に関わることになると俄然話も変わってくる。別にこれまで軽々しく聞いていたわけでも、これからは自分への危害を恐れてシャルルを突き放すというつもりもない。話がより身近、というか鬼気迫るものになったということだ。
「『殺そうとしてた』とか『一時でも』とか言ったな? じゃあなんで殺さなかったんだよ」
戦技においてもシャルルの方が上にいる。しかも寝ていたのだから、俺を殺すぐらい容易にできたはずだ。
「勘違いするなよ。別に俺は死にたかったわけじゃない。簡単にできただろうし、いくら友達とはいえ関係がぶっ壊れた結果を見たくないっていうさっきの思考回路だと迷う要素も躊躇う理由もなかったはずだ」
だから変なモノを見るような目で俺を見るのはやめろ。
「……自分でもおかしいことはわかってたんです。有り得ないってわかってたんです。きっと錯覚だって、気のせいだって思おうとしていたんです」
話……変わってないよな。
「何考えてるんでしょうね、私……。化け物が人を好きになれるわけがないのに。好きになっていい権利なんかないのに……。私は化け物なのに……」
「シャルル。お前、それって……」
その後が続かなかった。シャルルが俺の言葉を遮るように、俺に向けて開いた右手を突き出したのだ。
「『あまねく大気よ。我が願いに応え、震えを失して静寂を為せ』」
しまった、と思った時にはもう遅かった。シャルルの口を無理やり塞いででも、言葉を届かせないといけない状況なのに。
シャルルが使ったのは古代の下位魔法。学校に通ったことがある人なら歴史の一般教養として学ぶものの1つだ。
使うことさえできれば準備が要らず、いわゆる『詠唱』のみで発動できるため、比較的扱いやすかった、らしい。しかし、この現代でそれらの古代魔法を見る機会はない。現代人の魔力体質で使える人がいなくなってしまったため、知識としては知っているという程度の退廃魔術に成り下がったのだ。
しかし詳しい年齢は知らないが、シャルルは時の流れから外れた異常な存在。現代人の魔力体質など一切関係ないということなのだろう。つまり、退廃魔術と呼ばれる強力な魔法もシャルルに関してはその限りではない、ということだ。そう考えれば短距離とはいえ言葉による『詠唱』のみで発動する空間転移魔法を使っていたのも今更ながらに納得だ。
そして実際に今シャルルが使ったのは遮音魔法。音波による空気振動を停止させ、その名の通り音を遮る魔法だ。
今でこそあまり関係がないが、『詠唱』による魔術行使を封じるというトップクラスの魔術制限魔法だったらしい。指向性アリ効果範囲も対象指定とくれば、さぞ古代においては絶大な効果を誇っていたに違いない。今ですら心を伝えるのに必要な『言葉』を封じられるのだから。
どれだけ喋ろうとしても声が出ない。説得しようにも何もできないのだ。シャルルはこの無力感をわかっているのだろうか。
「アルヴァレイさん……。最後に私からのワガママを聞いてもらえませんか?」
最後……!?
コイツは何を言ってるんだ?
「私のことを忘れてください」
何故だか身体が動かない。まるで床に張り付けられたように。
「さようなら、アルヴァレイ……クリスティアース……さん」
シャルルは、スッと俺のベッドから立ち上がる。ベッドがギイッと軋む音が妙に目立つ。シャルルは俺の隣をすり抜けるように通り、ドアにかけられた鈴がチリンと鳴った。
パタン。
部屋のドアが閉まり、不気味なほど部屋の中が静まり返る。
「……」
わずかな時間、室内は不思議な緊張に包まれ、そして気づいた。
身体が動く。
「シャルルッ!」
声も出る。
俺は慌てて部屋を飛び出す。階段を半ば転げ落ちるように駆け下りると、
「てぇいっ!」
ヒュンッ。
「のわぁっ!」
なんか包丁が飛んできた。
「ア~ル~!」
笑顔の修羅、降臨。なんでこんな最悪のタイミングに。
「アンタ、シャルルちゃんになんか変なことしたんでしょ!」
「シャルルを見たの!?」
「『今までお世話になりました。もうここに来ることはできそうにないので、お別れを言いに来ました』って言ってたわよ」
「どっちに行った!? それ以外には何か言ってなかった!?」
「空間転移魔法を使う人、久しぶりに見たわ。アンタにこれを渡しといて、って言ってたわよ」
空間転移魔法を使ったなら方向はわからないな。
で、渡されたというコレは何?
2つに折られた紙。
要するに手紙というものだろうか。
一方的に自分の言葉を伝えるだけの古典的デバイス。
俺はそれを開いて中に書かれていた文字に目を通す。
そしてそれを手の中で握り潰した。
――アルヴァレイさんへ。
先ほども言ったとおり、私のことは忘れてください。私は化け物ですから。
もう二度と、この街には来ないことにします。家も無くなってしまったので、森も離れることにします。
それとご迷惑をかけてしまったことを謝らせてください。
最後にもう一つだけ、友達だった私のワガママを聞いてください。
ルーナは森に置いていきますから、たまに顔を出してあげて下さい。
さようなら――
震える字でそう綴ってあった。
「化け物……か。馬鹿だな。あいつ」
シャルルは馬鹿だ。
早とちりして、嫌われたと、怖がられたと、勝手に勘違いして、自分勝手に消えた。目の前からいなくなった。
「ホント……馬鹿だよ」
あまりにも短い時間だった。シャルルと過ごした時間は。
でも、気づかなかったのか。ここ最近あんなに近くで過ごしてきたのに。
そんなことに気づかないほど馬鹿だったのかな。
「馬鹿なのはお前だけじゃねえよ」
目の前からいなくなったくらいで、忘れろと言われたぐらいで、友達を簡単に捨てられるほど俺は小利口に利口じゃない。そんな歪んだ損得勘定で動けるほど深く考えていない。
「絶対に見つけてやる」
黒き森の開けた丘の瓦礫の前で、黒いローブを羽織り、黒い帽子を被り直した。
そして、隣に立っているルーナの頭を撫でてやる。
「元気でね。ルーナ、人間とかに見つかっちゃダメだよ。それと……」
言葉が詰まる。
涙が出そうになるのを抑えて、無理やりルーナに笑ってみせる。
「アルヴァレイさんがルーナに会いに来てくれると思うけど、2人で私を追っかけてきたりしちゃダメだよ。私はもう……会わないって決めたんだから……」
ルーナは低く鳴いた。そして、顔を寄せてくる。
ペロッ。
ルーナの舌が頬を撫でる。
そして、気づいた。
「あれ……? おかしいな……」
目から涙が流れ出ていた。無意識の内にローブの襟を濡らしていた。
「何でだろ、何で……涙が止まらないんだろ。おかしいな……。アルヴァレイさんのことは忘れようって決めたのに……。私は化け物なのに」
まるで心が忘れるのを拒んでいるかのように。
アルヴァレイと過ごした日々を永遠に覚えていたいとでも言っているようだった。
「あはは。私の泣き虫~。っぐす……うぇっ……っひぐ……」
もう止まらなかった。
大粒の涙が後から後から流れ出てくる。
こんな気持ちになるのなら最初から出会わなければよかった。
最初から一緒に過ごしたいと思わなければよかった。
私はルーナの首に抱きついて、子供のように泣いた。
「あは……じゃあね。もう誰にも会わないから」
そして、シャルルは大好きな『家族』の前からも姿を消した。
ルーナは辺りをキョロキョロと見回し、悲しげに小さく鳴いた。
いきなりヒロインがどこか行っちゃいました。
でもそういう話なんです。仕様なんです。
それと……多くて見にくくてすいません。