理由
「おまたせ~」
そういって現れた濱本は、ニットキャップにダウンジャケット姿。
こんな格好初めて見たわ。いつもはもちろんスーツ姿しか知らない。
それに・・・。
「あれ?眼鏡が違うじゃん。」
「ああ。これはプライベート用。」
眼鏡にビジネス用とプライベート用があるのか。
確かにいつものシルバーの眼鏡は「出来そう」な感じに見えるけど、今日の茶色のセルフレームは「優しそう」に見えるな。あくまでどちらも見えるだけ、だけどね。
「で。会社には連絡したの?」
「いや、まだ。」
濱本にオーダーを取りに来た女の子に、カフェオレのお代わりを注文してから、あたしは尋ねた。
「何であたしに先に電話してくるかな」
「ああ。それはね。」
濱本の眼鏡の奥の目がかすかに微笑う。
「澪ちゃんが心配してるかなぁって思って。」
こ、こういう時だけ「澪ちゃん」って呼ぶのは辞めろ。
そして、そうやって覗き込むのはやめなさいっ。
見慣れないセルフレーム越しの目に、なんだが目が合わせらんないよ。
ラフな格好にいつもと違う眼鏡が、まるではじめましての人みたいで。
はう・・・なに緊張してんだ、あたし。
「心配するもなにも君がいないことに気付いてなかったよ。」
「なんだよ。冷てーなぁ。」
「冷たい人が1時間半も待ってないでしょ。んで、何があった?」
「何って・・・」
濱本は運ばれてきたアイスティーをかき混ぜながら話し始めた。
カランカランとグラスに氷の当たるあたしの好きな音がする。
あたしと濱本が所属している営業2課には川原という課長がいる。あたしたちの直属の上司だ。
まあ上司ではあるが、年齢はあたしたちより3つ下になる。
その川原課長が事の発端らしい。
「川原にはもう耐えられねぇ。会社って数字が出来てたらオッケーなのか?」
「まぁ・・・そうだろうね。」
「人格的に問題があっても?」
「あっても。」
「だってよ~川原の小林さんに対する態度は許せねぇよ。」
小林さんというのは営業2課の中では一番の年長の営業マン。正直な所、この人良く営業やってるなって思うぐらい大人しいおじさんだ。まあとんでもなく営業成績はよろしくない。
あたしたちも「よろしい方」ではないけど。
川原課長はイケイケの営業マンタイプなので、小林さんみたいなタイプはいらいらするらしく何かというと当たっている。それについて濱本がむかついていたのも知ってる。
「だけどそれが君の無断欠勤とどう繋がるわけ?」
「・・・ストライキだ。」
はあ?すとらいき??
なんだか誇らしげな濱本の顔を、ぽかんと見ながらあたしは言った。
「馬鹿?」
「何で馬鹿なんだよっ!」
「んじゃ、ガキ。君がそんなことして何になるのよ。」
「だってさー聞いてくれよ。」
出たよ。濱本お得意の「聞いてくれよ」
同僚になって1年、何回濱本に「聞いてくれよ」といわれいろんな話を聞いてきただろう。
まるで学校から帰ってきた小学生の男の子が母親に話すみたいに、濱本は何でもあたしに話す。
自分が上手くやった契約の話から、見積もりの内容、客に怒られた話。
下手するとこいつの営業日報にも書いてないことまで、あたしのほうが詳しいかも。
「川原の奴、小林さんを苛めて辞めさせる気なんだぜ。」
「辞めさせる?」
嫌いだから辞めさせたいってわけ?
「川原の奴、あることないこと小林さんに言って怒鳴り散らしたらしい。それも、自分だけじゃなくて他の人間も小林さんのこと迷惑に思ってるとか言ったらしいんだ。俺の名前も出したらしい。んで、小林さんがいるせいで課の成績が下がってるとか、いなきゃ清々するとか言ったんだよ。昨日夜ね、小林さんから電話があったんだ。今まで迷惑かけてきたねすまないって。」
「ええっ?」
あたしは持ってたカップを口へ運ぶ途中で止まったままになってしまった。
川原課長が小林さんを嫌ってるんだなってことはわかってた。
いつも朝礼の後、小林さんが毎日課長の席の前に立たされてグチグチ言われてるのも見てる。
営業の其々の課の目標数字は所属人数によって決まるから、達成できない人がいるとお荷物になることも確かに間違いじゃない。
でも、だからといって言って良い事と悪い事がある。
少なくともあたしも濱本も小林さんを迷惑だと思ったことは無い。
濱本は入社してきてすぐに小林さんにいろいろ教えてもらったこともあって、逆に信頼しているくらいなのだ。
小林さんは大人しくて成績はぱっとしないが、事務処理は完璧だしとてもまじめな人だ。
「な?俺が怒るのもわかるだろ?」
止まってしまったあたしを、さらに覗き込んで濱本が言った。