覚悟
「・・・何処へ連れて行こうって言うの?」
地下鉄の中、扉の前に立ったまま、あたしは尋ねた。
「話のできるところ、かな。」
「あたしは会社に行かなきゃ。無断欠勤はごめんだわ。」
・・・君じゃあるまいし。そんな意味をこめて濱本を見上げる。
「それは大丈夫。澪ちゃん今日有給になってるから。」
・・・へ?
有給申請なんて出してないし。
「昨日最後まで話聞かなかったでしょ?」
「・・・聞かなかったんじゃない。聞けなかったの。」
「まあね。」
濱本が少し上に視線をそらしながら言った。
何でこいつが赤くなるのっ。ついつられてあたしも耳が熱くなって来ちゃうでしょ。
「な、何で有給なのよ?」
「それも後で一緒に話すから。」
訳が解らない。
でも。
こいつはそういう行き当たりばったりな嘘をつく奴ではないと思う。
だから、何故か解らないけどあたしは今日有給になっているのだろう。
「とりあえず、腕を放してくれないかな?目立って仕方ないよ。」
朝の地下鉄の中に腕を取って連れ込まれる人なんて、そうそういるもんじゃないだろう。
これ以上あたしは目立ちたくはないのだ。
「逃げない?」
「・・・逃げない。」
「わかった」
やっと濱本の手から開放されて、あたしはとりあえず空いていた座席に座った。
隣は空いていたけれど、濱本は何故かあたしの前に立った。
只でさえ背が高いのに、見上げるだけで首が痛くなりそう。
「・・・終点まで行こう。」
濱本が壁の路線図を見ながら言った。
「緑地公園?何しに?」
「何しにって訳じゃないけど・・・。なんとなく行ってみたくなった。」
もう。こうなれば半分どうとなれって気分。
「・・・澪ちゃん、降りるよ?」
30分ほどしただろうか。濱本の声であたしは目を覚ました。
・・・覚ました?やば。あたし寝ちゃったのか。
座って下を見ていたら・・・ついうとうとしてしまってたんだ。
寝てないもんな。
状況がいまいち飲み込めなくてボーっとしているあたしを濱本が覗き込んでいた。
「終点着いたよ。降りよう。」
「ん。」
緑地公園駅。来るのは初めてだな。
清算をして改札を出て地上へ上がると・・・そこはもう公園の入り口だった。
平日の朝なので、人は少ないけれど。
中途半端に寝てしまったからか、あたしはまだ頭がぼんやりしているようだ。
「ちょっと歩くか。」
そういうと濱本は歩き出した。ゆっくりと。本当にお散歩に来ましたって感じで。
あたしも釣られて歩き出した・・・けど、
平日の朝の緑地公園に、パンツスーツにビジネスバックの女。
似合わない事この上ないよな。
あたしが逆の立場だったら、この人ここで何してるんだろうって思うわよ。
自覚してるんだからあんまり見ないでほしいなぁ、ベビーカー押したママさん。
と、濱本が振り返った、
「これ、着ときな。」
と同時に渡されるダウンジャケット。
「え?いいよ」
「そのままでいるより目立たないから。それに寒いだろ。」
確かに12月の風は少し寒くて。
あたしはコートを着てくるのを忘れるくらい動転してたんだな、と思う。
「濱本は寒くないの?」
ダウンの下はパーカーとジーンズ姿。
「大丈夫。」
「・・・ありがと。」
さすがにメンズのLのダウンは大きすぎたけど、スーツのジャケットが隠れたのでありがたく借りることにする。
かすかに男の人のにおいがして、なんだかどきどきするけど。
緑地公園はかなり広かった。
野球用のグラウンドがあったり、芝生があったり。その向こうには池まであった。
休みにお弁当持って遊びに来たら楽しいだろうな。バーベキューとかも良いだろうな。
あーあ。こんなシチュエーションなのに、あたしってお気楽だなぁ。
そう思ったら、何か笑えて来ちゃって、あたしは立ち止まってうーんと伸びをした。
「・・・どうしたの?」
前を歩いていた濱本が振り返った。
「いや。お弁当持って遊びに来たら楽しいだろうなって思って。」
濱本が少しびっくりしたような顔をして、そして微笑った。
「うん。楽しいだろうな。俺も今そう思いながら歩いてた。」
「だよね。もう少し温かくなったらきっと楽しいよね。」
「澪ちゃん、寒い?」
「あたしはこれ貸してもらってるから。濱本のほうが寒いでしょ?」
「俺は平気・・・といいたいとこだけど。寒いな。」
あたしはさらに笑ってしまった。
こういう所素直な奴だなぁ。
「そこへ入るか。」
公園の池の傍に小さなレストランがあった。この時間はモーニングをやっているらしい。
世の中には平日に公園へ散歩に来てモーニングを食べる人なんて言うのもいるのか。
あたしはそう思った。
入ってみると他には老夫婦が一組だけだった。
あたしと濱本は池が見える窓際に座ると、温かい飲み物を注文した。
「煙草吸っていいですか?」
珈琲とレモンティーを持ってきてくれた店員に濱本はポケットの煙草を取り出しながら尋ねる。
「あ。すぐに灰皿お持ちしますね。」
「有難う。お願いします。」
そして。
お互いに一服吐き出したところで、濱本があたしを見て口を開いた。