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恋愛結婚こそがイレギュラーですわよ  作者: 章槻雅希


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王太子の答え

「王太子殿下の御成りです」


 侍従の声と共に、中庭に一人の麗しい青年が姿を現しました。陽光を受けて輝く金髪に、深い蒼の瞳。学院の制服姿であっても最高位の教育を受けたその立ち居振る舞いは一片の乱れもなく、生まれながらの気品が滲んでいらっしゃいます。


 わたくしは優雅に淑女の礼を取りました。


「ただいま、リュディ」


「お帰りなさいませ、シアン殿下」


 グラシアン殿下──シアン様は柔らかな微笑みをわたくしに向けてくださいます。そして、自然に交わされた互いの愛称に、フラヴィの表情が固まりました。けれど、直ぐに彼女は首を振り無理にも微笑みました。


(違う、あれは婚約者だから仕方なくよ。本当は無理をしてるんだわ。ルディビーヌ様が愛称を呼べるのは……幼馴染だからよ)


 そんな考えがその表情から読み取れるようでした。


 シアン様はわたくしの隣まで歩み寄ると、自然な所作でわたくしの手を取られました。


「公務が長引いてしまってね、待たせたかな」


「いいえ、ご公務が優先ですもの」


 指先がそっと重なる。幼いころから変わらない仕草です。婚約者だから義務で触れるのではありません。お互いに安心するから触れるのです。


 それを見てもなお、フラヴィは首を横に振りました。


「違う……そんなの演技よ」


 小さく呟いた言葉はシアン様の耳にも届いたのでしょう。シアン様は初めてフラヴィへと視線を向けられました。


「ドロテ嬢」


「はい!」


 パッと顔が輝きます。その期待に満ちた笑顔を見て、レオンス卿が居た堪れないといった表情になりました。


「何かあったのかな?」


 よく知らない者からすれば穏やかな声ですが、わたくしたちにはシアン様の苛立ちが解ると尖った声音でした。恐らく侍従から何か聞いているのでしょう。本来ならば学院にはお見えにならないはずでしたのに、予定を変更していらっしゃるのですもの。


 わたくしはシアン様を宥めるように触れ合っている指先をトントンと軽く叩きます。シアン様もそれに応えるように指先を撫でるようになさいました。


 わたくしたちのそんな動きにもシアン様の苛立ちにも気づかぬフラヴィは勢いよく一歩前に出ました。


「グラン様、もう我慢しなくていいんです!」


 シアン様以外の全員が息を呑みます。サミュエル卿などは『え、こいつまだ解ってないの』という未知の生物を見るような表情になっています。


「あたし、全部解ってます! 政略結婚だから言えないんですよね! 本当はルディビーヌ様との結婚なんて嫌なんですよね!」


 シアン様はすっと目を細められます。ああ、ご機嫌を損ねてしまわれたようです。これはシアン様は徹底的にフラヴィの心を折るのでしょう。これはシアン様がお出でになるまでに事態の収拾が出来なかったわたくしの失態ですわね。


「だから!」


 フラヴィは必死でした。わたくしに否定されたことを覆すために。


「もう自由になっていいんです! あたしがいます! あたしならあなたを幸せに出来ます!」


 沈黙が流れます。風が木々を揺らす音だけが聞こえました。やがてシアン様は静かに口を開かれました。


「……ドロテ嬢」


「はい!」


「一つ確認したい」


「はい!」


「私はいつ、そのようなことを君に話した?」


 フラヴィの笑顔が凍ります。


「え……?」


「婚約が嫌だと、リュディヴィーヌを愛していないなどと、君如きを愛しているなどと、いつ話した?」


 シアン様、お優しい王子様の仮面が外れかけておりますわよ。わたくしとの関係を否定されてお怒りなのが判るのは嬉しゅうございますけれど。


「それは……」


 答えられない。けれど、それでもフラヴィは変わらぬ主張を続けます。


「言葉にはしてません。でも、判ります! あたしは恋をしてるから! 貴方もあたしを好きなんだって!」


 これまでの説明を何一つ理解していないフラヴィにティボー卿は手で顔を覆いました。レオンス卿は眼を閉じ首を振ります。サミュエル卿は人外の魔物を見るかのようにフラヴィを観察していました。


 シアン様は、シアン様だけは静かでした。


「つまり、私の言葉よりも、君の想像を信じるということか」


「想像じゃありません! 恋です! 恋をしているから判るんです」


 フラヴィ以外には理解できぬ理屈でシアン様に変わらぬ主張を続けます。


 シアン様は小さく溜息をつかれました。ここまで訳の分からぬ主張をするのであれば不敬であるとしてフラヴィを拘束し罪を問うことも出来ます。けれど、フラヴィは治癒魔術師見習いとしては真面目に努めています。ですからシアン様は不愉快ではあれどまだ彼女を切り捨てない道を探しておられるのでしょう。


「ドロテ嬢、私は君を評価している」


 フラヴィの顔がパッと明るくなりました。


 けれど。


「希少な治癒魔法の使い手であり、更に修練に励んでいる。民の役に立ちたいという志も立派だ。国を治める王族として感謝している」


 そこで言葉を切られました。


「それだけだ」


 個人的感情はないのだと、はっきりとシアン様は告げられました。けれど、フラヴィはやはりそれを受け入れられないようです。


「君へ特別な個人的感情を懐いたことは、一度もない」


 フラヴィの瞳が大きく揺れました。


「う…嘘……」


「君は学院の生徒の一人であり、将来は王国へ貢献してくれるであろう治癒魔術師見習いだ。それ以上でもそれ以下でもない」


 はっきりと個人的感情はなく、飽くまでも王太子として国に貢献するであろう治癒魔術師に接していたに過ぎないと、シアン様ははっきりとおっしゃいました。


 それでも、フラヴィは足掻きます。自分の恋を否定されていると感じるのかもしれません。彼女の恋を否定しているわけではなく、思い込みによる相思相愛を否定しているのですが、それも彼女には理解できないようでした。


「そんな……違う! そんなの嘘! ルディビーヌ様がいるから言えないだけ! あたしを傷つけないために」


 何故、フラヴィの言葉を否定することが彼女を傷つけないことになるのでしょう。やはりフラヴィの思考は理解できません。もしかしたら自分を傷つけさせないため、と言いたいのでしょうか。


 なおも現実を認めないフラヴィにシアン様は首を横に振られます。


「違う。君を傷つけるのは本意ではない。だからこそ、誤解を招くような接し方は避けてきたつもりだ」


 レオンス卿たちが揃って頷きました。実際シアン様は学院でも王宮でも誰に対しても公平でした。わたくしや母王妃殿下以外の女性を特別に扱い、或いは贔屓したことなど一度たりともございません。


「でも! 笑いかけてくれたじゃないですか! ありがとうって、優しくしてくれたでしょう!」


「優しくされれば恋人なのか?」


 穏やかな問いでした。けれど、想い合っていると思い込んでいた相手からのその一言はフラヴィの心を射抜きました。


「私は民にも笑う。騎士にも、侍従にも、教師にも、子供にも。それが王族だからだ」


 フラヴィは何も言えません。


「君は」


 シアン様は真っ直ぐに彼女を見つめます。苛立ちは治まっているようです。今はただ、王族として、一人の民に向き合っておられるのです。


「私が優しかったから、私の心まで決めつけた。君は私の意思を一度でも尋ねただろうか」


 返事はありません。


「私が何を望むのか、誰を愛しているのか、誰と未来を歩みたいのか。君は一度も聞かなかった。己の妄想を私の本心だと決めつけただけだ」


 声は穏やかでありながら厳しい言葉は、中庭の空気を支配するだけの重みがありました。


 フラヴィの目から大粒の涙が零れ落ちます。


「でも……あたしは貴方を幸せに」


「誰が」


 シアン様は静かに問い返されました。また声に苛立ちが戻ってしまっています。それは一人の男性としてわたくしを想ってくださっているからこその、横恋慕した勘違い少女への怒りが籠っていました。それでも、王国の民ゆえに、その怒りを抑えておられます。


「誰が、私が不幸だと言った?」


 その一言で空気が凍り付きました。フラヴィは口を開いたまま固まります。漸くシアン様のお怒りに気付いたのかもしれません。


「私は一度でもリュディヴィーヌとの婚約を嘆いたことがあるか」


「……ないと思います」


 掠れた声でフラヴィは答えます。


「私も一度も聞いたことがありませんね」


 更に答えたのはレオンス卿でした。


「俺もです」


 ティボー卿も続きます。


「ございません」


 サミュエル卿も静かに頷きました。


 シアン様はそっとわたくしと繋いだ手を見つめます。その眼差しはとても穏やかでした。


「私は3歳から彼女を知っている。泣き虫だったころも、負けず嫌いなところも、努力家であることも、民に寄り添い民を思っていることも、全部知っている」


 そしてわたくしへ微笑まれました。


「だから、愛した」


 胸が熱くなります。こんなにも真っ直ぐなお言葉を人前でいただくのは照れますわね。


 けれど、フラヴィはその言葉を聞いてもなお、小さく首を振っていました。


「そんなはず……そんなはず、ない……」


 恋に縋る少女は、まだ現実を受け止めきれずにいるようでした。


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