婚約破棄されたので未来視をやめます。災厄が続くようですが、今後のことはご自分でどうぞ
「ルミナ・フォン・アークライト。私は貴様との婚約を破棄する!」
王立学園の卒業記念パーティー。
大勢の貴族が見守る中、王太子であるユリウス殿下は私を指差し、高らかにそう宣言した。
隣には、最近殿下の隣に居ることが多くなった男爵令嬢、ミーナが立っている。ミーナは怯えたように殿下の腕に縋りつき、私を見て小さく震えていた。
なるほど。そういう筋書きか。
「理由を伺ってもよろしいでしょうか?」
「白々しい!貴様がミーナを虐めていたことは分かっている!」
「私が、ミーナ様を?」
「ええ⋯⋯ルミナ様は、私が殿下とお話しているだけで睨んできたり、階段から突き落とそうとしたり⋯⋯」
ミーナは目元に涙を浮かべながら、震える声でそう言った。大した演技力である。そんな事をした覚えは一切無いが、この場に居る人たちは、もう私が悪者だと決めつけているらしい。
「証拠はあるのですか?」
「ミーナがそう言っている。それが証拠だ!」
ああ、駄目だ。この人には、もう何を言っても届かない。
私は小さく息を吐いた。
「分かりました。殿下がそう仰るのであれば、婚約破棄を受け入れます」
「ふん。ようやく自分の罪を認めたか」
「いいえ。罪は認めません。ただ、殿下の婚約者であることをやめるだけです」
私がそう言うと、殿下は一瞬だけ顔を歪めた。
たぶん、私が泣いて縋ると思っていたのだろう。幼い頃からずっと王太子妃になるための教育を受け、王国のため、殿下のため、未来を見続けてきた私が、こんなにもあっさり婚約破棄を受け入れるとは思っていなかったのだと思う。
けれど、私も疲れていた。
——毎晩のように悪夢を見る。
洪水で流される街、疫病に倒れる民、魔物に踏み荒らされる村、隣国との戦争で血に染まる国境。
その全てを防ぐために、私は未来視で見た内容を紙に書き出し、父を通じて国王陛下や宰相へ伝えてきた。私が見た未来を元に、堤防が補修され、薬草が備蓄され、騎士団が派遣され、隣国との交渉が進められた。
しかし、それを知る者は少ない。
未来視のことは、王家のごく一部しか知らない秘事だったから。
だから殿下は、王国が平和なのは自分たち王族が優秀だからだと信じていたのだろう。
「では殿下。最後に一つだけお伝えしておきます」
「なんだ?」
「私は今後、未来視を行いません」
「⋯⋯は?」
殿下が首を傾げる。
意味が分からない、という顔だった。
当然だ。殿下は私の未来視を知らないのだから。
「今後のことは、ご自分でどうぞ」
私はそう告げて、一礼する。
そのまま会場を後にする私を、誰も止めることは無かった。
◆
この国には、古い呪いがある。
数百年前。建国王は精霊王と契約を結び、この地に王国を興した。
精霊王は王国に豊かな水と実りを与え、王国は大きく発展した。しかし、後の時代の王は精霊王との契約を軽んじ、聖域である森を焼き、精霊たちの泉を埋め、王都の拡張に利用した。
怒った精霊王は、王国に呪いを残した。
永きに渡り、この国には災厄が降り注ぐ。
洪水、飢饉、疫病、魔物の暴走、戦争。
ただし精霊王は、完全な滅亡だけは望まなかった。だから救済措置として、必ず未来視を持つ者が生まれるようにした。
災厄を視る者であり、災厄を避ける者。
私、ルミナ・フォン・アークライトは、そんな未来視を持って生まれた公爵令嬢だった。
父は私の能力を知ると、すぐに王家へ報告した。国王陛下と宰相は深く頭を下げ、私に王国の未来を見てほしいと願った。幼かった私は、自分の力で誰かを助けられるならと喜んで頷いた。
そして気付けば、私は王国のために未来を見るのが当たり前になっていた。
未来視は便利な力ではない。意識して眠るたび、私は最悪の未来を見る。
助けを求めて溺れる子供。熱病に苦しむ人々。魔物に喰われる兵士。焼け落ちる村。
何度も、何度も、何度も。
私はそんな未来を見続けてきた。
それでも、殿下の隣で王国を支えられるならと、ずっと耐えてきた。
けれど、その未来はもう無い。
だから私は、未来を見ることをやめた。
◆
婚約破棄から三日後。
私は王都を出た。
行き先は、王国西部の小さな辺境都市、レグナ。
アークライト公爵家が所有する領地の一つで、王都から離れているため社交界の噂も届きづらい。父はしばらく王都に残るよう勧めてきたが、私はどうしてもあの場所に居続ける気になれなかった。
王都に居ると、どうしても眠るのが怖くなる。
未来視を使うと意識せずに眠れば、未来視は発動しない。その筈だ。しかし、王都に居ると無意識的に能力を発動してしまい、また災厄の未来を見るかもしれない。
見てしまえば、きっと私は放っておけない。だから私は、王都から離れることにした。
「ルミナ様。本当にこちらで宜しいのですか?」
屋敷に着くなり、侍女のマリアが心配そうに私を見る。
「ええ。しばらくここで静かに暮らすわ」
「ですが、王太子殿下の件は⋯⋯」
「もう終わったことよ」
そう言うと、マリアは何か言いたげな顔をしたが、結局何も言わなかった。
レグナでの生活は、思っていたよりも穏やかだった。
朝起きて、庭を散歩する。町へ出て、商店の人たちと話す。昼は読書をして、夜は早めに眠る。
王太子妃教育も、王宮からの呼び出しも、未来視の報告書を書く必要も無い。
眠る前に机へ向かい、見たくもない災厄の記録をまとめる必要も無い。
ただ、眠る。
それだけのことが、こんなにも幸せだったなんて知らなかった。
◆
穏やかな日々が一週間ほど続いた頃。思わぬ来客があった。
「お久しぶりです、ルミナ嬢」
「レオン殿下⋯⋯?」
屋敷の応接室に現れたのは、第二王子レオン殿下だった。
ユリウス殿下の弟であり、王位継承権第二位の王子。兄とは違って社交界に出ることは少なく、王宮の文官たちと共に政務を学んでいることが多いと聞いている。
そのため、私も何度か顔を合わせたことがある程度だった。
「突然の訪問、お許しください」
「いえ。ですが、何故こちらへ?」
「兄上の件です」
その言葉に、私は少しだけ表情を硬くした。
「婚約破棄の件でしたら、既に終わった話です」
「はい。ですが、僕は謝罪すべきだと思いました」
「謝罪、ですか?」
「兄上のしたことは、王族としてあまりにも軽率でした。僕が謝ったところで意味が無いことは分かっていますが、それでも何も言わずにはいられませんでした」
レオン殿下はそう言って、深く頭を下げた。
私は驚いた。
王族が公爵令嬢に頭を下げるなど、本来ならあり得ない。ましてやレオン殿下は、あの場で婚約破棄をした本人ではない。
「レオン殿下が謝る必要はありません」
「それでも、謝らせてください」
レオン殿下は頭を下げたまま言う。
「兄上は、貴女が王国のために何をしていたか何も知らなかったのでしょう」
「⋯⋯ご存知なのですか?」
「少しだけです。詳しいことは教えてもらえませんでした。ただ、父上や宰相が時折、貴女の報告をとても重く扱っていたことは知っています」
私は少しだけ視線を落とした。
未来視の報告は、国王陛下と宰相、一部の重臣だけが知る秘事だ。王太子であるユリウス殿下にすら知らされていなかったのだから、第二王子であるレオン殿下が詳しく知らないのは当然である。
「僕はずっと不思議でした」
「何がですか?」
「なぜ父上や宰相は、まだ若い貴女の言葉をそこまで重く扱うのか。なぜ貴女は、いつも少しだけ疲れた顔をしているのか」
「⋯⋯」
「でも、兄上は何も見ていなかった。貴女がどんな顔で王宮を歩いていたのかも、きっと気付いていなかった」
レオン殿下の言葉に、胸の奥が少しだけ痛む。
この人は見ていたのだ。——私のことを、ちゃんと。
「ありがとうございます」
「え?」
「気付いてくださっていたのですね」
私がそう言うと、レオン殿下は少しだけ困ったように笑った。
「僕が気付いていただけでは、何の意味もありませんでした」
「そんなことはありません」
そう答えた時、不思議と少しだけ心が軽くなった。
誰にも知られていないと思っていた。
私が何を見て、何に苦しんで、何を防いできたのか。
でも、少なくともこの人は、私が疲れていることに気付いてくれていた。
それだけで、少しだけ報われた気がした。
◆
それから、レオン殿下は何度かレグナを訪れるようになった。
最初は謝罪と見舞いという名目だったが、次第に話題は王国の歴史や政務のことへ移っていった。
レオン殿下はよく学ぶ人だった。
王族だから命じれば良い、ではなく、どうしてそうなったのか、どうすれば変えられるのかを考える人だった。
「ルミナ嬢。この国に精霊王の信仰がほとんど残っていないのは、やはり王家が意図的に消したからなのでしょうか」
ある日、レオン殿下はそう尋ねてきた。
私は手元の古い書物を閉じる。
少し迷ったが、レオン殿下ならかつて起きた精霊王との事件を、真っ直ぐ聞き入れてくれると思った。そう思った私は、重い口を開く。
「恐らくそうでしょう。王家にとって、都合の悪い事ですから」
「都合の悪いこと⋯⋯つまり、王家の恥、のようなものがそこに⋯⋯?」
「⋯⋯言うなれば、そうです」
私は一度言葉を区切り、深く息を吸う。
「この国には、精霊王の呪いがあります」
「呪い⋯⋯」
「かつて建国王は精霊王と契約を結び、この豊かな土地に王国を築きました。しかし、幾代か後の国王が精霊王との契約を破ったのです。精霊王の愛する森を焼き、泉を埋め、王都の拡張に使った。それが原因で、この国には災厄が降り注ぐようになったのです」
レオン殿下は息を呑んだ。
「本当に⋯⋯そんなことが⋯⋯」
「王家の禁書庫には記録が残っているはずです。陛下や宰相閣下はご存知でしょう」
「では、ルミナ嬢の未来視は⋯⋯」
「精霊王が残した救済措置です。災厄を防ぐために、王国には未来を視る者が生まれる。そうして、この国は何度も滅亡を回避してきました」
レオン殿下は顔を伏せた。
その拳が、膝の上で強く握られている。
「そんなものを、一人の女性に背負わせていたのですか⋯⋯!」
「私だけではありません。歴代の未来視の持ち主も、同じように王国を守ってきたはずです」
「だからといって、それが当然であっていいはずがない⋯⋯っ!」
レオン殿下の声には怒りが滲んでいた。——その怒りは、私に向けられたものではない。
王家に向けられたものだった。
「謝らなければ」
「誰にですか?」
「精霊王に。そして、この国のために災厄を見続けた人たちに」
私は驚いて、レオン殿下を見る。彼の表情は真剣だった。
「無駄かもしれませんよ」
「それでもです」
「精霊王が許してくれるとは限りません」
「許されるために謝るのではありません。謝らなければならないことをしたから謝るのです」
その言葉に、私は何も言えなくなった。
私はこれまで、王家の人間は王国を維持することばかり考えているのだと思っていた。謝罪も、儀式も、政治のために利用するものだと。
でも、レオン殿下は違った。
少なくとも彼は、損得ではなく、間違っていることを間違っていると言える人だった。
「レオン殿下」
「はい」
「もし本気で精霊王へ謝罪するつもりなら、まずは聖域の森を再生する必要があります」
「聖域の森⋯⋯」
聖域の森は、精霊王が愛していた森だ。かつては豊かな自然が栄え、効果の高い薬草なども自生する、命溢れる森だった、らしい。今では見る影もないが⋯⋯。
「王都の北西に、今はただの荒れ地になっている場所があります。そこはかつて、精霊王の森だった場所です」
「すぐに調べます」
「泉もあります。埋められていますが、地下水脈はまだ死んでいないはずです」
「分かりました」
レオン殿下は迷わず頷いた。
「ルミナ嬢。教えてください。僕は、何をすればいいのでしょうか」
その問いに、私は少しだけ考える。
——未来視をやめると決めた。王国の災厄を背負うのは、もう嫌だと思った。
けれど、目の前に居るこの人は、私に未来を見ろとは言わなかった。ただ過去の罪を正すために、何をすべきかを聞いている。
それなら、少しくらいは手を貸してもいい。
そう思ってしまった。
「まずは、王家の禁書庫を調べてください。そこに建国時代の契約書があるはずです」
「はい」
「それから、聖域の森の跡地を王家直轄地として保護し、開発を停止してください」
「分かりました」
「泉を掘り返す時は、鉄の道具を使わないでください。精霊たちは鉄を嫌います」
「覚えておきます」
どれもこれも、未来視の持ち主が継承してきた書物に書かれていた内容だ。これが嘘だとしたら、初代の未来視さんに文句を言うしかない。
レオン殿下は真剣な顔で、私の言葉を一つずつ書き留めていく。
その姿を見て、私は少しだけ笑ってしまった。
「何かおかしかったですか?」
「いいえ。ただ、殿下は本当に真面目なのだなと思いまして」
「わ、笑われるほどでしょうか⋯⋯?」
「ふふ⋯⋯少しだけ」
私がそう言うと、レオン殿下も困ったように笑った。
その表情は、どこか柔らかかった。
◆
婚約破棄から三週間が経った頃、王都の北を流れる大河が氾濫した。
本来なら、ルミナがその未来を見ていたはずだった。堤防の一部が崩れ、大量の水が街道へ流れ込み、北部の物流が完全に止まる未来だ。
ルミナが未来を見ていれば、すぐに堤防の補修を提案していただろう。
しかし今回は違う。
誰も未来を知らなかった。
その結果、北部の橋が三本流され、王都へ届くはずだった小麦が大量に失われた。
「何故こんなことになった!」
王宮の会議室で、ユリウスが声を荒らげる。
宰相は疲れた顔で資料をめくった。
「北部の堤防は老朽化しておりました。以前から補修の必要性は指摘されておりましたが⋯⋯」
「なら何故補修しなかった!」
「例年であれば、ルミナ様から優先順位の高い災害について報告がありました。今年はそれがありませんでしたので」
「ルミナ?」
殿下は心底分からないという顔をした。
「なぜここであの女の名前が出る?」
その場に居た何人かの重臣が、気まずそうに視線を逸らした。
◆
さらに一ヶ月後。
今度は南部で疫病が広がった。
発端は小さな港町だった。南方から来た商船の乗組員が持ち込んだ病が、街の中で一気に広がったのである。
本来なら、ルミナはこの未来も見ていただろう。
事前に港の検疫を強化し、薬草を集め、患者を隔離すれば、被害は最小限で済んだはずだった。
しかし今回も、誰も未来を知らなかった。
王宮は対応に追われた。
薬は足りず、医師も足りず、港町から逃げ出した人々によって、病はさらに広がっていった。
「またか!」
王太子宮で、ユリウスは机を叩いた。
「洪水の次は疫病だと!?いったい何が起きている!」
「殿下。落ち着いてください」
隣に居たミーナが、青い顔でそう言う。
「落ち着いていられるか!民の不満が高まっているんだぞ!」
「で、でも⋯⋯私に言われても⋯⋯」
ミーナは困惑していた。
当然だろう。
彼女は王太子に愛される自分を夢見ていただけで、王国を支える覚悟など無かったのだから。
◆
レオン殿下は本当にすぐ動いた。
王家の禁書庫を調べ、建国王と精霊王の契約書を見つけ出し、聖域の森が焼かれた記録を確認した。
さらに父である国王へ直談判し、王都北西の荒れ地を王家直轄の保護地へ戻す許可を得た。
そこからの動きは早かった。
開発予定だった道を取りやめ、商人たちから土地を買い戻し、精霊王の泉があった場所を掘り返すために、人を集めた。
ただ、その工事は難航した。
精霊を怒らせないよう鉄の道具を使えないため、石や木の道具を用意しなければならない。さらに、森を再生するといっても、ただ木を植えれば良いわけではない。精霊が好む木、嫌う木、泉の周囲に植えてはいけない草花など、細かい決まりが大量にあった。
そして何より、それらの知識を知っている人間がほとんど居なかった。
「ルミナ嬢。すみません。また教えていただけますか?」
「レオン殿下、三日前にも同じことを聞きました」
「はい。ですが、現場の職人がどうしても不安だと言っておりまして」
「⋯⋯分かりました。確認します」
そんなやり取りが何度も続いた。
最初は少しだけ手を貸すつもりだったのに、気付けば私は聖域再生の相談役のような立場になっていた。
けれど、不思議と嫌では無かった。
レオン殿下は、私に未来を見ろとは言わない。
過去の記録を読み、今できることを考え、失われたものを少しずつ戻そうとしている。
その姿を見ていると、私も少しだけ、この国の未来を諦めたくないと思ってしまった。
◆
決定的だったのは、国境の魔物暴走だった。
王国東部にある黒森から、魔物の群れが溢れ出したのである。
本来なら、ルミナは一ヶ月前にその未来を見ていたはずだった。黒森の奥に住む魔狼の群れが繁殖期を迎え、餌を求めて周辺の村へ押し寄せる未来だ。
事前に騎士団を派遣すれば、村が襲われる前に討伐できただろう。
けれど、騎士団は動かなかった。
誰も未来を知らなかったから。
結果として三つの村が襲われ、多くの民が犠牲になった。
さすがに国王も、これ以上見過ごすことは出来なかったらしい。
王宮に王太子と重臣たちが集められ、そこで初めて、ユリウスは真実を知らされた。
「この国には精霊王の呪いがある」
「は⋯⋯?」
「そしてルミナ嬢は、その災厄を未来視によって防いでくれていた」
国王の言葉に、ユリウスは固まった。
「な、何を言っているのですか父上。未来視?災厄?そんな馬鹿な話が⋯⋯」
「馬鹿な話ではない。お前が呑気に学園生活を送っていた間も、ルミナ嬢は毎晩のように災厄の未来を見ていたのだ」
「そんな⋯⋯私は聞いていません!」
「教える必要が無かったからだ。王太子妃となる彼女を、お前が支える側になると思っていたからな」
国王陛下の声は低かった。
「だが、お前はその彼女を捨てた」
「そ、それはミーナが⋯⋯」
「その男爵令嬢とやらの証言も調べさせた。ルミナ嬢が虐めたという証拠は何一つ無かったそうだ」
殿下の顔が真っ青になった。
「お前は王国を守っていた女性を、根拠の無い言いがかりで切り捨てたのだ」
その場に重い沈黙が落ちる。そして国王陛下は、疲れ切った声で告げた。
「ユリウス。ルミナ嬢を連れ戻せ」
「⋯⋯はい」
「どんな手を使ってもだ。このままでは王国は本当に滅びる」
◆
婚約破棄から三ヶ月。
私はレグナの屋敷で、レオン殿下から届いた報告書を読んでいた。
聖域の森の再生は少しずつ進んでいるらしい。
泉の跡からは綺麗な水が湧き出し、周囲には小さな若木が植えられた。まだ森と呼べるほどではないが、荒れ地だった頃と比べれば大きな変化である。
「ルミナ!」
そんなある日、私の暮らす小さな屋敷にユリウス殿下がやって来た。
正直、来るとは思っていた。
王国で起きていることは、商人や旅人を通じて耳に入っていたからだ。
「何の御用でしょうか?」
私が応接室でそう尋ねると、殿下は椅子に座ることもなく頭を下げた。
「戻ってきてくれ」
「どこへですか?」
「王都へだ!」
今更何を、という言葉が頭をよぎる。
「何故?」
「王国が大変なんだ!洪水、疫病、魔物の暴走⋯⋯このままだと本当に国が滅びる!」
「そうですか」
私がそう答えると、殿下は信じられないものを見るような目を向けてきた。
「そうですか、ではない!君の力が必要なんだ!」
「私の力とは?」
「未来視だ!君は未来が見えるのだろう!?なら、これから起きる災厄を教えてくれ!」
随分と都合の良い話だ。
私は思わず笑ってしまった。
「殿下。私はもう、貴方の婚約者ではありません」
「それは⋯⋯」
「貴方が婚約破棄したのですよね?」
「分かっている!だから謝る!私が悪かった!」
殿下は必死だった。
きっと初めて、自分が失ったものの大きさを理解したのだろう。
「ルミナ。頼む。王国を救ってくれ」
「嫌です」
「⋯⋯え?」
「お断りします」
私の返事に、殿下は固まった。
「な、何故だ!多くの民が苦しんでいるんだぞ!」
「そうですね」
「なら!」
「ですが、それは私の責任ではありません」
私は静かに告げる。
「王国には元々、精霊王の呪いがありました。昔から何度も滅びかけていたのです」
「⋯⋯」
「それを私がずっと止めていただけです」
殿下は何も言えなかった。
「私は王国のために未来を見ていたのではありません。貴方と共に生きる未来があると信じていたから、耐えていただけです」
「ルミナ⋯⋯」
「でも、その未来は貴方が捨てました」
私は殿下の目を見る。
「ですから、今後のことはご自分でどうぞ」
その言葉を聞いた殿下は、膝から崩れ落ちた。
「ルミナ嬢」
その時、応接室の扉が開いた。
入ってきたのはレオン殿下だった。
「レオン⋯⋯何故お前がここに」
「兄上。こちらに来ると聞いたので、追いかけてきました」
レオン殿下はユリウス殿下を見下ろし、静かに言う。
「ルミナ嬢に未来視を求める前に、貴方がすべきことがあるのではありませんか」
「な、なんだと?」
「謝罪です。婚約破棄のことだけではありません。貴方は彼女が何を背負っていたか知ろうともせず、一方的に断罪した。まずはそれを謝るべきでしょう」
「私は謝った!」
「王国を救ってほしいからでしょう」
レオン殿下の声は冷たかった。
「それは謝罪ではなく、取引です」
ユリウス殿下は言葉を失った。
「兄上。貴方は王太子として、あまりにも多くのものを見落としました」
「黙れ⋯⋯」
「ルミナ嬢の苦しみも、王国の呪いも、精霊王への罪も、何も見ようとしなかった」
「黙れ!」
殿下は立ち上がり、レオン殿下を睨みつける。
「第二王子の分際で、私に説教するな!」
「王位継承権の問題ではありません」
レオン殿下は一歩も引かなかった。
「国を背負う覚悟の問題です」
静かな言葉だった。
けれど、その言葉は何よりも重かった。
ユリウス殿下は唇を震わせ、やがて何も言わずに応接室を出ていった。
◆
その後、ユリウス殿下は王太子の地位を失った。
ミーナ男爵令嬢も虚偽の証言を行った罪で裁かれ、社交界から姿を消した。
新たな王太子となったのは、第二王子レオン殿下だった。
レオン殿下は就任後すぐ、聖域の森の再生事業を正式な国家事業として進めた。
王家は精霊王との契約を破った歴史を公表し、長年隠されてきた王家の罪を民に明かした。当然、批判は大きかった。王家への不信も高まった。
それでもレオン殿下は逃げなかった。
聖域の森の前に膝をつき、精霊王へ謝罪する儀式を行った。
王冠も、剣も、豪華な衣装も無い。
ただ白い服を着て、額を地面につけ、王家の罪を詫びた。
その日、私は少し離れた場所からその光景を見ていた。
未来視は使っていない。
それでも分かった。森の空気が変わったのだ。
風が吹いた。若木の葉が揺れ、泉の水面が光る。
その瞬間、小さな光の粒が森の奥へ吸い込まれていった。
精霊が戻ってきたのかもしれない。
許されたわけではないのかもしれない。けれど、謝罪は届いた。
そんな気がした。
◆
それからしばらくして、私はレグナの屋敷に戻った。
王都へ戻るつもりは無かった。
未来視を再開するつもりも無い。
王国はこれから、自分たちの力で災厄に向き合うべきだ。未来視を持つ誰か一人に全てを背負わせるようなやり方は、もう終わりにしなければならない。
そう思っていた。
ある日、レオン殿下が屋敷を訪れた。
「ルミナ嬢」
「レオン殿下。今日はどうされました?」
「少しだけ、貴女に報告を」
レオン殿下は穏やかに笑う。
「聖域の森の再生は順調です。泉の水質も安定し、周辺では小さな精霊らしき光が目撃されるようになりました」
「それは良かったです」
「災厄も、完全には無くなっていません。ですが以前より弱まっています」
「そうですか」
私はほっと息を吐いた。
王国はまだ危うい。けれど、少しずつ変わり始めている。
それなら、私が悪夢を見続ける必要は無いのだろう。
「ルミナ嬢」
「はい」
「僕は、貴女に未来視を求めません」
レオン殿下は真っ直ぐ私を見た。
「貴女がこれまで王国のために背負ってきたものを、また背負ってほしいとは言えません」
「⋯⋯」
「ですが」
レオン殿下は少しだけ緊張したように息を吸う。
「これから先、貴女自身の未来を、僕と一緒に見てはいただけませんか?」
その言葉に、私は目を瞬かせた。
遠回しではある。けれど、それは間違いなく求婚だった。
「レオン殿下」
「はい」
「私はもう、誰かのために悪夢を見続けるのは嫌です」
「はい」
「王国を救うためだけに生きるのも嫌です」
「はい」
「それでも良いのですか?」
「もちろんです」
レオン殿下は迷わず答えた。
「僕が望んでいるのは、未来視の力ではありません」
「では、何を?」
「貴女です」
真っ直ぐな言葉だった。
あまりにも真っ直ぐで、少しだけ困ってしまう。
私は視線を逸らし、窓の外を見る。庭の花が風に揺れていた。
昔なら、私は未来を見るのが怖かった。眠ればまた災厄を見るかもしれない。そんな恐怖で、夜が来るたびに息が苦しくなった。
けれど今は、少しだけ未来を見てみたいと思った。
災厄ではなく。誰かに背負わされる義務でもなく。
——自分が選ぶ未来を。
「少しだけなら」
「え?」
「少しだけなら、一緒に見ても良いです」
私がそう言うと、レオン殿下は驚いたように目を見開き、それから嬉しそうに笑った。
その夜。
私は久しぶりに夢を見た。それは災厄の未来ではなかった。
緑を取り戻した森。精霊王へ祈りを捧げる新たな王。
少しずつ立ち直っていく王国。——そして、レオン殿下と並んで歩く私。
目を覚ますと、朝日が窓から差し込んでいた。
未来視をやめたはずなのに、どうしてこんな夢を見たのかは分からない。
けれど、悪くない未来だった。
私はベッドから起き上がり、小さく伸びをする。
王太子妃になる未来は一度失った。けれど、それで良かったのだと思う。
だって今の私は、もう誰かのために悪夢を見続ける必要が無い。
これからは、自分の未来を選んでいいのだから。
私は窓を開ける。
朝の風は穏やかで、どこか懐かしい森の匂いがした。
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