最終章「終幕」
王都は、奇妙な静けさに包まれていた。
混乱はあった。
恐怖もあった。
だが、それ以上に。
「……助かったのか」
誰かが呟いたその言葉が、すべてを表していた。
魔王が現れた。
そして。
消えた。
いや、正確には退いた。
その理由は、誰の目にも明らかだった。
一人の男。
名を、カイト。
ただそれだけの存在が。
世界の均衡を、あっさりと揺るがせた。
王城。
玉座の間。
国王は深く息を吐いた。
「……想定を超えている」
静かな声。
だが、その内容は重い。
隣に立つアリアも、無言で頷く。
ここまでとは思っていなかった。
強い。
そんな言葉では足りない。
「制御不能、か」
重臣の一人が呟く。
誰も否定しない。
縛れない。
従わせられない。
それでも。
「……敵には回せん」
それだけは、全員が一致していた。
だからこそ。
「どう扱うか」
それが、最大の問題になる。
一方、その頃。
城の中庭で。
カイトはベンチに座っていた。
手にはパン。
のんびりと齧っている。
先ほどの出来事など、まるで関係ないかのように。
リシアがその隣に立つ。
しばらく無言。
そして。
「……すごいことをしましたね」
ぽつりと呟く。
カイトは首をかしげる。
「そうですか?」
本気で分かっていない。
リシアは苦笑するしかなかった。
魔王を退けた。
それがどれほどの意味を持つのか。
説明する気力も、もうなかった。
「これから、どうされるんですか?」
代わりに、そう聞く。
カイトは少し考える。
これから。
特に予定はない。
やることもない。
だが。
「とりあえず、適当に働きますかね」
それが答えだった。
生活するには金がいる。
それ以上でも、それ以下でもない。
リシアは小さく息を吐く。
(この方は……本当に)
世界を救った自覚がない。
英雄でもない。
ただの生活者。
だからこそ。
危うくもあり。
同時に――。
安心できる存在でもあった。
その時。
「カイト様」
アリアが近づいてくる。
いつもの穏やかな表情。
だが、その目にははっきりとした意志が宿っていた。
「今後について、お話があります」
カイトは露骨に嫌そうな顔をする。
「長いですか?」
「できるだけ簡潔に」
「じゃあいいです」
あっさりと了承。
アリアは一瞬だけ目を細め、それから微笑む。
「この国で、正式にお仕事をしていただけませんか」
率直な提案だった。
「報酬は、最大限に用意します」
条件も明確。
カイトは少し考える。
王都。
面倒は多い。
だが。
環境は悪くない。
飯もある。
部屋もある。
そして何より。
「まあ、いいですよ」
軽く頷いた。
その瞬間。
アリアの表情が、わずかに緩む。
周囲の空気も、少しだけ軽くなる。
“最悪の事態”は避けられた。
誰もがそう感じていた。
だが。
当の本人は。
「仕事って、掃除でいいんですよね?」
そんなことを確認している。
アリアは一瞬だけ言葉に詰まり。
そして。
「……ええ」
と答えた。
間違ってはいない。
ただし。
その“掃除”の規模が問題なだけで。
カイトは満足そうに頷く。
「じゃあ楽ですね」
本気でそう思っている。
リシアは思わず視線を逸らした。
(楽ではありません)
だが、それももう言わない。
この人にとっては。
すべてが同じなのだから。
それから。
カイトは王都に住み着いた。
依頼を受けては、適当に“掃除”をする。
瘴気。
魔物。
呪い。
何であろうと、関係ない。
触れれば消える。
それだけ。
結果として。
国は安定し。
魔王軍は動きを鈍らせ。
世界は、静かに均衡を取り戻していく。
だが。
その中心にいる男は。
「今日も平和ですね」
そんなことを呟きながら、のんびりと空を見上げている。
何も知らず。
何も気にせず。
ただ、目の前の“汚れ”を片付けるだけ。
それだけで。
世界は回っていく。
誰にも理解されない形で。
そしてこれからも。
彼はきっと。
同じことを繰り返す。
気づかないまま。
終わらせ続ける。
すべてを。
静かに。
確実に。
――掃除するように。
終幕




