Ep3. 制限の美
舞の苛立ちを含んだ質問に対し、悠は真顔で答えた。
「姉さん知っている? とある国では、恋愛の表現が厳しく規制されているんだ。キスも、抱擁も、愛し合う言葉すらも制限されている。だからその国の作家たちは、苦肉の策として、恋愛の場面に“ダンス”を描いた。それが、愛の象徴になったんだ」
舞はわずかに眉をひそめた。だが悠は、彼女の冷ややかな沈黙を肯定と履き違えたかのように、言葉を重ねていく。
「……それを見て、雷に撃たれたような衝撃が走った。これこそが“制限の美”だと思った。囚われた中で、いかに美しく描写できるか。それが、創作の本質だと思ったんだよ」
舞は額を手で覆いながら、深いため息をついた。
「でも、ここは日本よ。恋愛の描写に、規制なんてない。むしろ、感情の機微や言葉のやり取りを求めてる。日本の読者のニーズに応えた文を書かないと、決して受け入れてもらえないわ」
悠は、少しだけ首を傾け、すぐに戻すと訴えるような目を舞に向けた。
「受け入れられなくても、それを貫くのが、本当のプロじゃないか!」
その訴えに、舞の視線は悠に釘付けとなり、反論の余地さえ奪い去った。
「AIに書かせた小説は、ありきたりな恋愛ばかりだった。テンプレ通りの“手を握る”“目を見る”“告白する”――そんなのばかり。なのに、それが一次通過したんだ。僕の本気は全部落ちたのに」
悠の声には、怒りとも悲しみともつかない捩れがあった。
「僕の“制限の美”は届かないのに、AIの“ありきたりな愛”は届く。だったら、僕は何のために書いてるんだよ……教えてよ、姉さん」
舞は、思わず口にした。
「……どうしようか」
――悠の顔を見つめながら、静かに思った。このまま話し合っていても、ラチが明かない。価値観が違いすぎる。この部分だけを見れば、幼いころ寝起きを共にした姉弟なのか、疑いたくなるほどだった。
舞は、深く息を吸い、まるで迷子になって泣き叫ぶ子供をあやすような穏やかな声で、悠に語りかける。
「……じゃあ、もし私が小説を書いて、賞に応募したら、ここから出してくれる? ……悠も一緒よ」
悠は少し驚いたように目を見開いたが、すぐに微笑んだ。
「もちろん。約束するよ」
舞はその言葉に、わずかに肩の力を抜いた。だが次の瞬間、悠は口角を上げた。
「ただし、応募した作品が――何らかの賞を取ったら、ね」
舞は目を細めた。
「……賞を取らなきゃ、出られないってこと?」
悠は確信に満ちた眼差しを舞に向けながら、力強くうなずいた。
「プロならできるでしょう? 姉さんは実力のある作家だ。だから、僕は信じてる。姉さんなら、必ず賞を取れる」
その言葉は信頼というよりも、圧力に近いものがあった。
舞は黙った。賞を取る――それは、作家にとって栄誉であり、同時に運にも左右される。どれほどの実力があっても、選ばれるかどうかは、同時に応募してきた作品の力関係によって、決まることだってある。
「……それが条件なのね」
「うん。姉さんの物語が、僕の希望を乗せた上で認められたら、僕は満足する。そして、姉さんを自由にしてあげられる」
悠の目を見つめた。その目は“助け”を求めているようでもあった。
舞はPCの前に座った。そして、自分が書くべき物語は何か――その問いが、改めて胸に迫ってきた。
PCの前に座った舞を見て、悠はニコニコしながら話しかけた。
「僕の希望なんだけどね。さっき言った“下読みのメンタルを地獄に落とす”っていう条件を付けてね」
悠は、あくまで穏やかな口調でそう付け加えた。
舞は言葉を失った。胸の奥から絶望がじわじわと染み出してくる。
「それ……間違いなく無理なやつじゃない……」
賞を取るだけでも至難なのに、さらに“地獄に落とす”などという過酷な条件まで課されるとは。舞は、悠がどこまで本気なのかを、測りかねていた。
「もし賞を取れなかったら、ずっとここにいて、僕と一緒に小説を書いてもらう」
悠はそう言って立ち上がると、おもむろに舞の横からPCを操作した。ネットニュース動画が流れる。
「七月二十三日のニュースです。作家の早崎舞さんが行方不明に――関係者の間で心配の声が広がっています――警察では、三年前に発生した小説家連続拉致殺人事件と関連があるかを捜査しており――』
舞は、息を呑んだ。目覚めるまでの間に五日経っており、しかも事件性のある失踪扱いになっていた。
――小説家連続拉致殺人事件。犯人は四人の小説家を拉致監禁し、不可解な条件で執筆を強要し、賞に応募させた。結果、賞を取った二人が解放され、落選した二人は殺害された。犯人は捕まっていない。
舞はニュースを見て、ふと悠の顔を見た。まさか……いや、そんなはずない。
「今、僕のこと疑ったりした? 事件とは絶対に関係ないからね!」
慌てた悠に、舞は柔らかな笑みを浮かべ、右手をひらひらと振って否定する。
「うん、わかってる。悠が人を手にかけるわけないって」
安心しようと笑ったが、心の片隅で裏に誰かがいる気がしてならなかった。
「さっきまでは失踪だけだったのに……いつの間にか、姉さんが事件に巻き込まれたことになってて、びっくりした」
悠は気まずそうに頬をかきながら、視線をそらした。
「あなたのせいでしょ!」
舞はわざとムッとした顔をして、悠に言い返す。
「……原稿料は、もらえるんでしょうね?」
悠は、舞の拗ねた顔を愛おしそうに見つめ、笑いながら答えた。
「言い値で払うよ。僕、結構お金持ってるんだ。あと、姉さんの好きに書いてもらって構わない」
舞は、ほんの一瞬、心が揺れた。
――何不自由なく、小説を書き続けられる環境。締切も、編集からの指摘もない。好きなだけ書いて、好きなだけ物語に没頭できる――そんな夢のような場所。
けれどそれは“物語の墓場”でもあった。小説は読者に読まれてこそ意味がある。だから、ここを出て小説を書き続ける。
舞は真剣な面持ちで、悠をまっすぐに見つめた。
「……わかった。あなたの条件、受けるわ」
静かにそう言うと、悠の目がわずかに輝いた。
「ただし、私からも一つだけ条件がある。応募する賞は、私に選ばせて」
「いいよ。どうせ、担当編集者の田中さんのところでしょ」
舞は目を見張った。
「なんであなたが、それを知っているのよ」
意地悪を考えついた子供のような悠の顔が、舞の目に止まる。
「だって、読んでもらいたいのがミエミエだし。いつもウキウキしながら僕に話してたよね、田中さんのこと。もしかして、無意識だった?」
膝に置いた舞の手が、小刻みに震える。
「田中さんには、奥さんがいるわ。変な勘違いしないで!」
悠は不思議そうに舞を見つめた。
「……ねえ、姉さん。田中さんは違うにしても、なんで今まで彼氏とかいなかったの? 本当に美人なのに」
「いきなり何を言い出すのよ……いないわよ」
「本気だよ。見惚れるような綺麗な黒髪と、清楚で思わず惹かれそうになる顔立ち。編集部の誰かに告白されてもおかしくないと思う」
舞はなんだか恥ずかしくなって、頬を赤らめた。
「それはそうと。ありがとう、舞先生。これで、また姉さんの新しい物語が読める」
「先生なんて言葉、使わないでよ……」
舞は、PCの画面を見つめながら、心の奥で呟いた。
――悠はこの状況をどう越えていくのかを、私に見せて欲しいのかもしれない。なら、見せてあげる。私の物語を。
漆黒の髪が流れるように肩をすべり落ち、静かな光をまとって揺れる。その横顔には、ひとりの作家としての覚悟が宿っていた。そして、彼女のスラリとした指がキーボードを打ち始めた。




