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死んだ弟をなんとか助け出して、結婚することにしました  作者:


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Ep1.深夜のインターフォン

 しんと静まりかえる夜更け、時間だけが淡く流れて行く。窓からは、道路脇に並んだ街灯が、ぼんやりとした光の円を描いているのが見える。


 ――静寂を破るインターフォンの音が鳴り響いた。作家・早崎舞はキーボードを打つ手を止め、眉をひそめた。おもむろに椅子から立ち上がると、部屋の隅に備え付けられている親機の元へと歩を進める。


 インターフォンのモニターには、ぱっちりとした瞳と、柔らかな表情の少女が映し出されていた。歳は十代前半あたりだろうか。


 舞は訝しがりながらも誰何した。

 「どちらさまですか?」

 『……舞さんですね。悠さんのことでお話があります。ドアを開けて頂けないでしょうか?』

 『悠』という名前を聞いた舞は、早足で玄関へと向かう。

 弟・悠は舞の唯一の肉親だった。二年前、父の葬儀で十数年ぶりに再会し、その日から、よく食事に行ったり遊びに行ったりしている。


 舞がドアを開けると、少女は優しげな微笑みを湛えた。

 「こんばんは。私は久美っていいます。お邪魔します」

 玄関先でペコリとお辞儀した久美は、可愛らしい靴を脱ぎ棄てると舞の横をすり抜けて、勝手に中へと入っていこうとする。


 舞はその様子に慌て、思わず久美の細い肩を掴んだ。

 「ちょっと、あなたは何者なの? 悠とはどういう関係?」


 急に肩を掴まれた久美は、その場で足踏みをしつつ、身体を止めた。

「せっかく、中できちんとお話ししようと思ったのですが……もうここでいいですね」


 そう言いながら振り返ると、少しだけ悲しそうに目を伏せた。

 「……久美は舞さんを、悠さんの元へ送り届けるために来ました」

 「えっ……?」


 舞が問いただすより早く、久美は懐から包丁を取り出す。

 「そのためには舞さんに一度、死んでもらう必要があります。なんでしたっけ、天ぷら? 違った。そう、テンプレ通りに」

 言うが早いか、久美は包丁を両手で構えると、舞の心臓めがけて一思いに突き刺した。


 「きゃあっ!」

 舞の絶叫が廊下に響き渡り、彼女はその場に崩れ落ちた。胸には包丁が……刺さっていない。血も……流れていない。


 久美の手からも包丁は消えていた。

 「気絶しちゃいましたか……ホログラムの包丁なんですけどね」

 左右の手のひらを天井に向け、やれやれと言った様子で床にうずくまった舞を見下ろす。


「……でも、これで転送準備が整いました。悠さんとの束の間の再会を、どうぞお楽しみください……」

 その夜を境に、舞がマンションから出てくることはなかった。


 ――目を開けた瞬間、視界がぐらりと揺れた。舞は呻きながら、重たいまぶたをこじ開けると、見知らぬ天井が視界に入った。淡い光が周囲を照らしている。


 「……っ」

 思わず胸に手を当てる。ただ心臓の鼓動が伝わってくるだけだった。


 昨夜の記憶が断片的に蘇る。深夜にインターフォンが鳴り、玄関のドアを開けると久美という少女が立っていた。そしておもむろに包丁で刺され――そこまで思い出したところで、声がした。


 「おはよう。姉さん」


 ベッドの脇に座っていたのは、悠だった。舞の視線は自然と上に向かう。細身なのに肩幅に沿った筋肉の影がちらりと見える。左右に綺麗に分かれた、やや長めの前髪と端正な顔立ちは、少年の面影と大人の色気を見せていた。

 悠は申し訳なさそうに、それでいて、ほっとした表情を浮かべ、舞を見つめていた。


 「悠……?」

 舞の声はかすれていたが、その瞳には、はっきりと安堵の色が浮かんでいた。

 「よかった、悠、無事だったのね……悠のことで話があるって夜中に久美ちゃんって女の子が訪ねてきて……何かあったのかと心配したのよ」


 「うん。ほらこの通り」

 悠はそう言うと、両腕を大きく広げて見せた。


 舞は弟の無事を確認すると、昨日の忌まわしい出来事を悠にぶつける。

 「それより久美ちゃんはどこ? 私、あの子に刺されたのよ!」


 『刺された』という言葉に微かに反応した悠だったが、再び穏やかな表情を舞に向けた。

 「姉さんも久美ちゃんに会ったんだ。今はここにはいないよ。刺されたって言うのは……夢でも見た? だって姉さんどこもケガしてないし」


 悠は何か考え事をしていたが、舞に目を向けると別の話題を振った。

 「いったん、その話は後にしようよ。それよりお腹空いてない?」

 悠は、朝食を載せた小さなテーブルを指さした。


 「……いただきます」

 舞は箸を手に取った。目を覚ましてから、疑問が次々に浮かんだが、空腹には抗えなかった。悠はテーブルの向かいに座り、頬杖をつき、舞を幸せそうに見つめていた。

 「美味しい?」

 「……ええ。美味しいわよ。とても」

 食べ終えた舞は箸を置き、悠を見据えた。


 「まずは質問させて。ここはどこ?」

 部屋の周りを見回す。壁の一面は全面ガラスの窓と扉で、中庭の芝生がきれいに整えられている。その周囲を高さ五メートルほどのコンクリート塀がぐるりと囲んでいた。


 悠は軽く頷いた。その問いが予想通りだったかのように。

 「これさ、姉さんと一緒に暮らすために全部用意したんだ。久美ちゃんが、姉さんをここに連れてきてくれた。僕の願いを叶えてもらうために、協力してくれた。この場所がどこなのかは、僕も分からない」


 悠は短く息をつき、どこか寂しげな声で続けた。

 「……そして姉さんは、僕の願いを叶えない限り、ここから出られない」


 舞は呆然とため息を漏らす。

 「まったく意味が分からない。もっと分かるように説明してくれる?」


 「詳しい経緯は後で必ず全て話す。今は、これ以上は話せないんだ」

 悠は唇に力を入れて、眉尻を下げた。納得できはしないが、沈痛な表情を見て、いったん黙ることにした。


 「とりあえず分かった。まずは連絡を取らせて。みんな心配すると思うから」

 ここで舞は、何も持たずに来たことに気づいた。


 「悠、スマホ貸して!」

 「貸してもいいけど……ここの設備は特殊な作りらしくて、スマホでの通信はできない。ネットは繋がるんだけど、中継サーバーで監視していて、送信が制限されてる」


 「……いろいろと終わったかも……」

 原稿を書き上げることも、編集者との打ち合わせも、すべて出来なくなった。

 「あと、あれは……FAXって呼んでいいのかな。文書を外に送れる装置がある」


 その言葉に、希望の光が灯る。

 「FAX! 悠、FAXで連絡をしたい!」

 悠は舞を見つめなおし、静かに口を開いた。

 「ごめん。姉さん。それはできない。緊急非常用らしくて、通信できるのは一回だけ。そしてそれは僕の目的のために使いたい」


 「……」


 舞は、悠を見上げながら懇願した。

 「お願い……やっぱり、ここから出して。まだ書きかけの原稿もあるし、抱えている仕事もたくさんあるの。みんなに迷惑はかけられない。出版社の人に事情を話したら――ずっと悠のそばにいるから」


 悠は、沈痛な面持ちで、俯いた。

 「……姉さん、本当にごめん。それはできないんだ……全てが終わったら、僕を警察に突き出したっていい」


 ……しばしの沈黙の後、悠はぽつりとつぶやいた。

 「……いや、姉さんを出してあげられる……でもそのときは、姉さんとは二度と会えなくなる……」

 ――二度と会えなくなる――その言葉が舞の願いを止めた。同時に、裏に誰かがいるのでは、という思いが胸をよぎった。


 「……もしかして悠もここに閉じ込められているの? 私が出たら、あなたは……」

 悠は顔を伏せたまま、何も答えなかった。

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