第8話 魔女の計算ミス
挙式まで残り1ヶ月。
招待状の発送が完了し、本来であれば新郎新婦の期待と不安が入り混じる繊細な時期だ。
しかし、サロン『マリアージュ・ミラージュ』に現れた高城とエレナに、センチメンタルな空気は微塵もない。彼らが気にしているのは、当日のオペレーションと、メディアへの露出効果のみだ。
そんな「鉄壁」の二人に対し、水指は第一の刺客を投入した。
「お二人とも、準備は順調ですが……少しお疲れのご様子。本日は、当サロンが契約している特別な『メンター』をお呼びしておりますの」
「メンター? ビジネスコーチか何かか?」
「ええ、ある意味では。人生という名のビジネスを導く、特別な方です」
水指が合図を送ると、照明がわずかに落とされ、奥の扉が開いた。
現れたのは、紫色のベールを被り、巨大な水晶玉を抱えた占い師、チャキ由美子だ。
「……見えます。乱れ飛ぶ数字の羅列と、崩壊する摩天楼が……」
チャキは登場するなり、大仰に天を仰いだ。
普段のカップルなら、その異様な雰囲気に飲まれるところだが、高城は冷ややかな目でチャキをスキャンした。
「……水指さん。これはどういうアトラクションだ? 僕はオカルトには興味がない」
「まあ、そう仰らずに。彼女の『リスク分析』は、業界でも定評がございますのよ」
「リスク分析」という言葉に、高城が少し反応した。
チャキはその隙を見逃さず、二人の前に水晶玉をドンと置いた。
「若き経営者たちよ。あなた方の前途には、輝かしい成功ではなく……破滅の相が出ておる!」
チャキは水晶玉を撫で回しながら、事前に仕込まれた「不吉な予言」を叫んだ。
「最悪の相性です! お二人の星は互いに反発し合っている。火と油、いや、トングと天狗のような関係だ!」
「……何? トングと天狗……? 語呂だけで喋っていないか?」
「このまま合併(結婚)すれば、互いの運気……すなわち『事業運』が吸い取られる! 私の見立てでは、結婚後半年以内に株価は暴落、一年以内に両社とも倒産するでしょう!」
倒産。
経営者にとって最も忌むべきワードを、チャキは突きつけた。
通常のカップルなら、「えっ、嘘……」「どうしよう」と不安に駆られ、互いに疑心暗鬼になる場面だ。水指も、まずはこれで二人の「損得勘定」を揺さぶるつもりだった。
室内を沈黙が支配する。
高城は眉一つ動かさず、懐からスマートフォンを取り出した。
そして、高速でフリック入力を始めた。
チャキが「お、恐れをなして震えているのか……?」と畳み掛けようとした、その時。
「……ふむ」
高城が顔を上げた。その瞳には、恐怖ではなく、純粋な疑問が浮かんでいた。
「その『倒産リスク』の算出ロジックは?」
「は?」
予想外の返しに、チャキが素っ頓狂な声を出す。
高城はスマホの画面――高度な確率計算アプリ――を見せながら淡々と言った。
「僕と彼女の事業領域は、ITと美容で競合しない。むしろクロスセルによるアップサイド(上昇余地)が見込めるはずだ。君の言う『運気が吸い取られる』という事象の、統計的エビデンス(根拠)はどこにある? 過去の事例ケーススタディをN数100以上で提示してくれ」
「えっ……あ、いや、それは星の巡り合わせですので……宇宙の意思というか……」
「エビデンスが薄いな。定性的な感覚だけで経営判断はできない」
高城は興味を失ったように視線を切った。
さらに、隣のエレナも冷ややかに口を開く。
「そうね。それに、仮にその『不吉な予言』が本当だとしても、今ここでキャンセルする方がリスクが高いわ」
「リスクだと?」チャキがたじろぐ。
エレナは手入れの行き届いた爪を見つめながら、独り言のように言った。
「招待状はすでに発送済み。メディアにも結婚のリリースを打ってあるわ。この段階で破談になったらどうなると思う? 『西園寺エレナは男を見る目がない』『結婚直前に逃げられた女』……そんなレッテルを貼られて、私のブランドイメージは暴落よ」
高城が頷き、引き取る。
「その通りだ。今キャンセルした場合の違約金および『レピュテーション・リスク(社会的信用の失墜)』と、結婚後に事業が悪化するかもしれないという不確定なリスク。両者を天秤にかければ、答えは明白だ」
二人は顔を見合わせ、同時に頷いた。
「結論。このままゴー(進行)だ」
「アグリーよ。……一度結婚して、実績を作ってから『円満離婚』というストーリーを作った方が、ブランディング的には正解だわ」
二人の思考回路は、完全に「ビジネス」で統一されていた。
愛が冷めるも何も、最初から愛などない。あるのは「どちらが傷を負わないか」という冷徹な計算だけだ。
チャキは口をパクパクさせ、助けを求めるように水指の方を見た。
「……というわけだ。水指さん、この迷惑な占い師を下げてくれ」
「失礼いたしました。……私の選定ミスですわ」
水指は深々と頭を下げたが、その表情は髪に隠れて見えない。
+++
打ち合わせが終わり、二人が帰った後のサロン。
チャキ由美子はベールを脱ぎ捨て、ソファに倒れ込んだ。
「ちょっと水指! 何なのあいつら! 可愛げがないにも程があるわよ! 私の占いを『エビデンスがない』で切り捨てる客なんて初めてよ!」
チャキは悔しそうに地団駄を踏む。
「今回は崩すの無理じゃない? 鉄壁すぎるわよ、あの自己愛カップル」
だが、水指は静かだった。
彼女は高城が座っていた席を見つめ、ゆっくりと口角を吊り上げた。
「いいえ、想定通りです」
「はあ? 失敗したじゃない」
「逆ですわ。彼らの行動原理が、完全に『損得』だけだということが証明されました」
水指は立ち上がり、ホワイトボードに書かれた二人の名前――高城タクヤと西園寺エレナ――を赤いマーカーで囲った。
「彼らは愛や情では動きません。不吉な予言も、感情的な揺さぶりも通用しない。……ならば、彼らが最も恐れるものを提示すればいいだけのこと」
「最も恐れるもの?」
「『損失』ですわ」
水指の瞳が、狩人の色を帯びる。
「彼らは結婚を『利益を生む投資』だと信じている。なら、その前提を覆してあげればいい。結婚することこそが、彼らにとって『最大のリスク』であり『巨額の負債』になると、数字で可視化して差し上げるのです」
水指は引き出しから、一冊の分厚いバインダーを取り出した。
表紙には何も書かれていないが、それが「次の手」であることは明白だった。
「チャキさん、今日はありがとう。最高の前座でした」
その冷徹な横顔を見て、チャキは息を呑んだ。
一度の失敗で諦めるどころか、相手の特性を分析し、より残酷な罠を張る。
その執念と、歪んだプロ意識。
(……ああ、やっぱりこの女、イカれてる。だから惚れるんだけどね。彼女が一度でもダブルブッキング作戦に失敗(両カップルともキャンセルしない)となったら、この業界でのやり直しがきかない。それに、莫大な慰謝料がのしかかる。その凍てつくような覚悟にゾクゾクするのよね)
チャキはニヤリと笑い、「どういたしまして」と指を鳴らした。
B組の破壊工作も進んでいるが、まだ決定打には至っていない。
ダブルブッキングの行方は、いよいよ混沌としてきた。
だが、水指にとっては、それすらも極上のエンターテインメントに過ぎないのだった。




