第7話 羨望という名の麻薬
週末。都内のイベントホールは、熱狂的な歓声と無数のフラッシュに包まれていた。
西園寺エレナがプロデュースするコスメブランド『ELENA's GLOW』の新作発表会。
深紅のドレスを完璧に着こなし、ステージの中央に立つ彼女は、まさに現代の女王だった。
「エレナ様ー! こっち向いてー!」
「結婚おめでとうございます! 超お似合いです!」
集まったファンやメディアからの祝福の嵐。
エレナは計算され尽くした角度で顎を引き、カメラに向かって完璧なスマイルを振りまく。
その瞳の奥で、彼女は脳内物質がドロドロと溢れ出すのを感じていた。
(……これよ。この視線こそが、私の養分)
羨望。嫉妬。憧れ。
それらは彼女にとって、最高級の美容液であり、生きるためのガソリンだった。
リポーターがマイクを向ける。
「お相手は、あのIT界の寵児、高城社長ですよね? 美男美女でお互いに経営者……まさに理想のパワーカップルだと話題です!」
エレナはマイクを受け取り、とろけるような声色で答えた。
「ありがとうございます。彼とはビジネスに対するパッションが共鳴し合って……お互いを高め合える、唯一無二のパートナーなんです」
会場から「素敵ー!」という黄色い悲鳴が上がる。
だが、エレナの脳内では、まったく別の冷徹な計算式が回っていた。
(高城タクヤ。彼の会社の時価総額と知名度、そこに私の発信力が掛け合わされる。この合併(結婚)によるシナジー効果は、私のブランド価値を最低でも3.5倍、広告換算費で数億円規模に引き上げるわ)
愛? そんな不確定な感情などどうでもいい。
重要なのは、彼が「西園寺エレナの夫」としてスペック的に合格ラインを超えており、彼女をより輝かせるための「最強のアクセサリー」になり得るかどうかだ。
浴びせられるフラッシュの光の中で、エレナは確信していた。
この結婚は、人生最大の勝利(勝ち確)案件であると。
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その夜。
二人は西麻布にある会員制フレンチレストランの個室にいた。
夜景の見える特等席。テーブルにはキャビアやトリュフを使った芸術的な料理が並ぶ。
しかし、二人の間にロマンチックな雰囲気は微塵もない。
彼らの目の前に広げられているのは、料理ではなく、結婚披露宴の『席次表』のドラフトだった。
「……エレナ。この配席案だが、修正が必要だ」
ワイングラスを揺らしながら、高城が不服そうに眉をひそめる。
彼は上座に近いテーブルを指差した。
「ここ。僕の会社の出資者であるエンジェル投資家や、VCの重鎮たちだ。彼らを最優先で配置すべきだろう。君の友人の枠を削って、ここを空けてくれ」
エレナがフォークを止める。
美しく整えられた眉が、ピクリと跳ね上がった。
「はあ? どういうこと? 私のゲストを末席に追いやるつもり?」
「君のゲストというのは、あの……なんだ、スマホ片手に自撮りばかりしているインフルエンサー集団のことか? 彼女たちに上座を用意する必要性が、合理的に説明できないな」
高城の言葉には、明確な軽蔑が含まれていた。
彼にとっての価値ある人間とは、資本を持ち、社会を動かす権力者たちだ。画面の中だけで騒いでいる女たちなど、リソースの無駄遣いに過ぎない。
カチャン、とエレナがフォークを皿に置いた。
乾いた音が、張り詰めた空気をさらに凍らせる。
「タクヤ、あなた何もわかってないのね。時代錯誤もいいところよ」
「何だと?」
「私のインフルエンサー仲間、通称『エレナ軍団』の総フォロワー数が何人か知ってる? 軽く一千万人は超えるのよ。彼女たちが一斉に式の様子を投稿すれば、その宣伝効果は数千万、いや億単位の価値があるわ。彼女たちはただの友人じゃない、歩く巨大広告塔なのよ!」
エレナは身を乗り出し、高城を睨みつけた。
「それを、むさ苦しいおじさんたちのために後ろへ下げろですって? 私のブランド戦略を邪魔する気?」
高城も負けじと声を荒らげる。
「おじさんたちだと? 彼らは僕のビジネスの生命線だぞ! 君の虚業のような『いいね!』稼ぎとは重みが違うんだ!」
「虚業ですって!? あなたの会社だって、私のSNSで拡散してあげたおかげで採用エントリーが増えたんじゃない!」
一触即発。
給仕係が怯えて部屋に入れないほどの殺気。
普通のカップルなら、ここで「もう無理」「別れよう」となる場面だ。
だが、この二人は違った。
ふっ、と高城が鼻で笑い、冷静さを取り戻すように眼鏡の位置を直した。
「……まあいい。感情的な議論は非生産的だ」
「そうね。声を荒らげるなんて、シワが増えるだけだわ」
二人は同時に水を飲み、呼吸を整える。
彼らの脳裏にあるのは、ここでの破局がもたらす「損失」の計算だ。
婚約発表直後での破局は、高城にとっては「経営者としての判断力の欠如」と見なされ、株価に悪影響を及ぼす。
エレナにとっては、「男に捨てられた女」というレッテルが貼られ、キラキラしたブランディングに傷がつく。
(一人でいるより、二人でいた方が市場価値が高い)
その一点のみにおいて、二人の利害は一致していた。
高城は手元のタブレットを取り出し、計算機を叩くふりをして妥協案を提示した。
「……折衷案だ。投資家たちは上座の中央へ。君のインフルエンサー軍団は、写真映えのする窓際の席へ配置する。これなら『背景』としての見栄えもいいし、彼女たちも自然光で自撮りができて満足だろう。ウィンウィンだ。どうだ?」
エレナは少し考え込み、やがて小さく頷いた。
「……悪くないわね。窓際ならレフ板効果もあるし。それでフィックスしましょう」
二人は再びワイングラスを持ち上げた。
愛の仲直りではない。ただの契約更新だ。
「我々の未来のROIに」
「最強のブランド価値に」
チン、とグラスが触れ合う音が、冷たく響いた。
+++
その様子を、タブレット越しの盗聴データで聞いていた者がいる。
ウエディングサロン『マリアージュ・ミラージュ』の奥の部屋。
水指浄呂美は、優雅に紅茶を啜りながら、スピーカーから流れる二人の「商談」を聞き届けていた。
「ふふっ……滑稽ですわね」
彼女の向かいでは、占い師のチャキ由美子が呆れたように肩をすくめている。
「なんなのあいつら! 可愛げがないどころか、血も涙もないじゃない。あれじゃあ、ちょっとやそっとの揉め事じゃ別れないんじゃないかい?」
「ええ。彼らは感情では動きません。損得勘定という強固な鎖で繋がれていますから」
水指はカップをソーサーに置き、冷徹な瞳を細めた。
「ですが、逆に言えば……その『計算』さえ狂わせてしまえば、脆いものですわ」
感情の絆があれば、苦難も乗り越えられるかもしれない。
だが、利益だけで繋がった関係は、赤字になった瞬間に切り捨てられる。
水指は手元の資料――高城の会社の財務状況に関する極秘データと、エレナのSNSアカウントの裏解析データ――を指先で弾いた。
「最強のカップル? いいえ、ただの『相互依存の砂上の楼閣』です。……さあ、少しずつ足場を崩して差し上げましょうか」
水指の唇が、三日月のように吊り上がる。
羨望という名の麻薬に溺れた二人はまだ気づいていない。
その足元に、破滅への落とし穴が口を開けて待っていることに。




