第20話 窓越しの醤油とクリーム
その日、下町の商店街は、いつもの喧騒が三倍になったような大騒ぎに包まれていた。
アーケードには『祝・ご結婚! 亀屋&パティスマイリー』という巨大な垂れ幕が下がり、紅白の餅とマドレーヌが道ゆく人々に振る舞われている。
「おい見ろよ! あの犬猿の仲だった親父たちが、肩組んで酒飲んでるぞ!」
「奇跡だわ……。本当にロミオとジュリエットが結ばれちゃったのね!」
商店街の人々が感涙にむせぶ中、特設ステージでは、紋付袴姿の萬之助と、純白のウエディングドレスに身を包んだシエルが、照れくさそうに並んで頭を下げていた。
長年、壁一枚を隔てて睨み合っていた和と洋の老舗。その境界線が、二人の愛と、職人としての意地によって取り払われた瞬間だった。
それは、水指浄呂美が仕掛けた「デス・ウエディング」が、祝祭へとひっくり返された敗北の光景でもあった。
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それから数日後。
お祭り騒ぎが去り、商店街にはいつもの日常が戻っていた。
結婚を機に、二つの店は統合して『和洋菓子店』になったのか?
答えはノーだ。
『亀屋』は相変わらず重厚な暖簾を掲げ、『パティスマイリー』はポップな看板を出している。
互いの「伝統」と「こだわり」を尊重し合い、あえて店は分け、それぞれの味を守り続けることを選んだのだ。
ただし――変わったこともある。
店の裏手、二人が引っ越した新居のマンションは一緒だが、職場である店同士の距離感に変化が起きていた。
午前十時。仕込みの真っ最中。
『亀屋』の厨房の窓がガラリと開いた。
「おーいシエル! みたらしのタレ煮詰めてたら醤油切らした! 貸してくれ!」
作務衣姿の萬之助が、隣の洋館に向かって叫ぶ。
すると即座に、『パティスマイリー』の窓がパタンと開き、コックコート姿のシエルが顔を出した。
「もう、萬之助さんったら! 在庫管理はしっかりしてって言ったでしょ!」
「わりぃ! 今夜マッサージするから!」
「しょうがないなぁ。……はい、醤油! その代わり、こっちグラニュー糖足りないの! 一袋投げて!」
「おうよ! ナイスキャッチ!」
窓と窓の間を、醤油ボトルと砂糖の袋が放物線を描いて飛び交う。
かつて罵声が飛び交っていた空間には今、調味料と愛あるやり取りが行き交っていた。
その賑やかで仲睦まじい姿は、早くも商店街の新たな名物風景となりつつある。
そして、二つの店の店頭には、ワゴンに山積みされた新商品『あずき香るパイ饅頭』が並び、どちらのレジにも長蛇の列ができていた。
和の深みと洋の軽やかさ。
別々の道を歩んできた二つが、互いを尊重しながら混ざり合う、最高傑作だ。
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その様子を、通りの向かいにある喫茶店から眺めている人影があった。
水指浄呂美だ。
彼女の手元には、今回の一連の収支報告書がある。
A組(萬之助たち)からのキャンセル料はゼロ。しかし、裏で動いていたB組の破談によるキャンセル料が入ったため、トータルではしっかりと黒字を確保していた。
「……ふっ」
水指はカップを置き、口元を緩めた。
いつもなら、獲物を逃した悔しさが残るはずだ。
だが今回ばかりは、胸の中に奇妙な清々しさがあった。
「『真実の愛なんて幻想』……そう言い続けてきましたけれど」
彼女の視線の先で、萬之助とシエルが窓越しに笑顔で手を振り合い、それぞれの厨房へと戻っていく。
ベタベタと甘えるわけでもなく、互いに背中を預け合う戦友のような、凛とした関係。
「甘いだけでも、しょっぱいだけでもない。……あの『甘辛い』関係も、悪くはないわね」
水指は伝票を掴んで席を立った。
ヒールの音を高く響かせ、店を出る。
彼女はもう振り返らない。この商店街での仕事は終わった。
「さて、感傷に浸るのはこれくらいにして。……次はどんな『幸せボケ』したカップルが、私のサロンを訪れるかしら」
ウエディングプランナー、水指浄呂美。
愛の真贋を見極める彼女の「デスゲーム」は、まだまだ終わらない。
真実の愛か、それとも偽りの情か。
それを証明するのは――キャンセル料という名の代償だけなのだから。
第4章 完
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