第17話 改悪された幻のレシピ
ウエディングサロン『マリアージュ・ミラージュ』のVIPルーム。
萬之助とシエルは、水指がテーブルに広げた一枚の古ぼけた和紙を、まるで宝の地図でも見るかのように食い入るように見つめていた。
「こ、これは……」
「まさか、うちのお爺ちゃんと、萬之助さんのお爺様が?」
二人の声が震えている。
水指は重々しく頷き、演出たっぷりに語り出した。
「ええ。私も驚きましたわ。お二人のご実家の歴史を調査していたところ、地域の古文書館でこの資料を発見したのです」
水指が指差した古い記録には、墨文字で『亀屋・パティスマイリー共同試作覚書』と記されていた。
そこには、かつて犬猿の仲になる前の先代――二人の祖父たちが、和と洋の垣根を超えて協力し、ある一つの菓子の開発に挑んだ記録が残されていたのだ。
「『あずき香るパイ饅頭』……」
萬之助がその名を呟く。
「親父からは、先代同士は大喧嘩して決裂したとしか聞いていなかった。まさか、協力して新しい味を作ろうとしていたなんて」
「ですが、この試みは失敗に終わりました。記録によれば、味の調和が取れず、互いのプライドが衝突して喧嘩別れになったそうです。それが今の確執の始まりなのです」
水指の言葉に、シエルが悲しげに目を伏せる。
しかし、水指はここで声を弾ませた。
「だからこそ、ですわ。この未完に終わった『幻のコラボ菓子』を、孫であるお二人が現代に復刻させ、完成させるのです」
「えっ?」
「想像してみてください。両家顔合わせする結婚式の1週間前、いがみ合うご両親の前に、かつて祖父たちが夢見た『幻の味』を差し出すのです。それが完璧な調和を奏でていたら……ご両親はどう思うでしょうか?」
萬之助とシエルが顔を見合わせる。その瞳に、希望の火が灯った。
先代が成し遂げられなかった夢を、自分たちが叶える。
それは、単なる美味しい菓子ではない。両家の歴史を修復し、和解へと導く最強の「鍵」になるはずだ。
「やります! 僕たちなら、きっと完成させられるはずです!」
「私も! 萬之助さんの餡子と私のパイ生地で、最高のマリアージュを作ってみせます!」
二人のやる気は最高潮に達した。
水指は満足げに頷くと、引き出しから封筒を取り出した。
「素晴らしい決意です。……実は、その古文書の続きに、当時の『配合レシピ』が記されておりました。私が現代の単位に書き起こしておきましたので、こちらをお使いください」
差し出された一枚のレシピ。
それは、二人にとって和解への道しるべであり、勝利への切符に見えただろう。
萬之助は震える手でそれを受け取り、深々と頭を下げた。
「ありがとうございます、水指さん! あなたは僕たちの恩人です!」
「このレシピで、絶対に成功させてみせます!」
二人はレシピを大事に抱え、希望に満ちた足取りでサロンを後にした。
その背中が見えなくなるまで、水指は優しく手を振り続けていた。
+++
扉が閉まり、静寂が戻ったサロン。
水指はゆっくりとソファに腰を下ろし、優雅に脚を組んだ。
その唇から、クスクスという忍び笑いが漏れる。
「……恩人、ね。ふふっ、傑作だわ」
彼女は手元のタブレットを開き、本物の古文書の画像データを削除した。
先ほど二人に渡したレシピ。
それは確かに古文書を元にしてはいるが、水指の手によって決定的な「改悪」が施された代物だった。
「餡子の水分量は通常の1.5倍。これでは煮詰まらず、ベチャベチャの水っぽいペーストになるわね」
水指は楽しげに独りごちる。
和菓子において、餡の水分調整は命だ。それが狂えば、風味も食感も台無しになる。
「そしてパイ生地のバター含有量は半分以下。これでは層ができず、サクサク感なんて夢のまた夢。……焼き上がるのは、生焼けで硬い、小麦粉の塊よ」
水っぽい餡子を、膨らまない硬い生地で包んで焼く。
出来上がるのは想像するもおぞましい、ドロドロで生臭い、不味いだけの失敗作だ。
しかも、それは「祖父たちのレシピ通り」に作った結果として突きつけられる。
二人は必ず失敗する。
何度試作しても、レシピ通りに作る限り、決して美味しくはならない。
焦りと不安の中で自信を喪失し、互いの技術を疑い始め、最後にはこう思うはずだ。
――やっぱり、和と洋は混ざり合わないんだ、と。
「試食会で、見るも無惨な失敗作を親たちに披露することになる。……親たちは言うでしょうね。『ほら見たことか、先代が失敗したのも当然だ』『和と洋など水と油なのだ』と」
その時こそ、二人の心が折れる瞬間だ。
希望は絶望へと変わり、愛は無力感に塗りつぶされる。
そして訪れるのは、婚約破棄とキャンセル料の支払い。
「精々頑張ってちょうだい、ロミオとジュリエット。……そのレシピは、あなたたちを地獄へ導く招待状なのだから」
水指は冷たい瞳で虚空を見つめ、残酷な結末を想像して恍惚の表情を浮かべた。
愛の奇跡など起こさせない。
すべては計算通り、破滅へのカウントダウンが始まっていた。




