第16話 餡子とクリームの仁義なき戦い
東京の下町、とある商店街。
夕暮れ時の買い物客で賑わうその一角に、異様な殺気を放つエリアがあった。
「ええい! また換気扇をこっちに向けやがって! お宅のバター臭い風が、うちの繊細な小豆の香りを邪魔してんだよ!」
「ハァ!? なんですって! そっちこそ、カビ臭い饅頭の湯気をこっちに流さないでくださる? こちとらフランス産の高級発酵バターを使ってるざますのよ!」
怒号が飛び交っているのは、創業二百年を誇る老舗和菓子屋『亀屋』と、その真横に店を構える人気洋菓子店『パティスマイリー』の間だ。
瓦屋根の重厚な日本家屋と、パステルピンクの可愛らしい洋館。
あまりにミスマッチな二つの建物は、屋根が触れ合いそうな距離で、そこから両家の店主――頑固一徹な和菓子職人の親父と、ヒステリックなパティシエールのマダムが、毎日のように罵り合っていた。
「けっ! 何がフランスだ。砂糖と油の塊なんぞ、日本人の口に合うか!」
「時代遅れの化石が! その古臭い暖簾ごと、博物館にでも行けばいいざます!」
近所の住人たちは「また始まったよ」と苦笑しながら通り過ぎる。
これはもはや、この商店街の名物とも言える光景だった。
『和』と『洋』。水と油。
決して交わることのない二つの世界。
だが、その裏で。
店の勝手口同士が向かい合う狭い路地裏にて、二人の男女が密かに手を重ね合っていた。
「……ごめんね、シエル。親父がまた酷いことを」
「ううん、いいの萬之助さん。ママの方こそごめんなさい……」
『亀屋』の跡取り息子、萬之助(26)。作務衣を着こなす精悍な若き職人だ。
そして『パティスマイリー』の看板娘兼パティシエ、シエル(25)。コックコートに身を包んだ、愛らしい女性である。
親同士は犬猿の仲だが、子供同士は幼馴染であり、そして今――誰にも言えない恋人同士だった。
すぐ横の家で育ち、反発し合う親たちを見ながらも、二人は互いの作る菓子への情熱に惹かれ合っていたのだ。
「こんな隠れた付き合い、もう終わりにしたい。俺はシエルと堂々と歩きたいんだ」
「萬之助さん……。でも、お父様とママが許してくれるはずないわ」
「わかってる。だからこそ……賭けに出るんだ」
萬之助はシエルの手を強く握りしめ、決意に満ちた瞳で言った。
「俺たちの結婚式で、親父たちを和解させる。……そのための『策』を授けてくれる場所を見つけたんだ」
+++
数日後。
ウエディングサロン『マリアージュ・ミラージュ』の扉を叩いた二人は、水指浄呂美の前に座っていた。
萬之助とシエルは、切実な表情で事情を説明した。
親同士の壮絶な確執。絶対に交わらない和と洋のプライド。そして、自分たちの許されざる愛。
「……なるほど。まさに現代のロミオとジュリエットですわね」
水指は優雅に紅茶を啜りながら、感嘆したように言った。だが、その目は全く笑っていない。
(簡単に壊せそうな案件ね。親族トラブル確定じゃない)
「僕たちの願いは一つです。結婚式という晴れ舞台の前に、和菓子と洋菓子を融合させた『和洋折衷』の素晴らしさを証明し、両親を和解させたいのです!」
「私と萬之助さんの愛があれば、きっと和と洋の壁も壊せるはずです。……水指さん、どうかお力を貸してください!」
二人は身を乗り出し、懇願する。
純粋で、熱くて、無謀な願い。
普通のプランナーなら「親御さんの説得が先決では」と止めるだろう。あまりにリスクが高すぎる。
だが、水指はゆっくりとカップをソーサーに戻し、聖母のような微笑みを浮かべた。
「素敵なお話ですわ。……愛の力で、長年の確執を解かす。プランナーとして、これほどやりがいのある仕事はございません」
「ほ、本当ですか!?」
「ええ。お二人のその熱い想い、私が全力でサポートさせていただきます」
二人の顔がパァッと明るくなる。
水指は手元のタブレットを操作し、スケジュールを確認するふりをした。
画面に映っているのは、同日同時刻に予約を入れている『B組』のデータだ。
『B組:交際1ヶ月のスピード婚。現在妊娠3ヶ月』
勢いだけで結婚を決めた若者カップル。マタニティハイになっているが、少し突つけば簡単に壊れそうな脆い地盤だ。
(B組もチョロそうだけど……このA組も、なかなかいい養分になりそうだわ)
水指の脳内では、すでに完璧な破綻シナリオが組み立てられていた。
親同士の対立など、最高の「火薬」だ。それを結婚式という密室に持ち込めばどうなるか。
和解? まさか。
起きるのは大爆発と、決定的な決裂だ。
水指は契約書を取り出し、例の条項を指差した。
「では、正式にご契約となります。こちらのキャンセル規定につきまして、ご確認をお願いいたします。挙式2週間前を過ぎてのキャンセルは、全額負担となりますので」
「はい、大丈夫です! 僕たちの決意は揺らぎませんから!」
「絶対にキャンセルなんてしません!」
萬之助とシエルは、迷いなく署名をした。
その文字を見つめながら、水指は心の中で冷ややかに嘲笑う。
(決意? ふふっ、親の罵り合いを目の当たりにしても、その言葉が言えるかしら)
水指は契約書を閉じ、二人に告げた。
「では、早速プランを練りましょう。ご両親を和解させるための、とっておきの演出……『和と洋のコラボレーション』についてご提案がございます」
それは、二人の愛を試す地獄への入り口だった。
水指の瞳が、獲物を狙う蛇のように怪しく光った。




