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【婚約破棄無双】~わざと結婚式場をダブルブッキングしてから裏工作で愛を試し、先に別れた方からキャンセル料をせしめます。真実の愛以外は認めません~  作者: 団田図
第2章【新郎:損得勘定だけのロジカルモンスター】×【新婦:承認欲求の塊であるキラキラ女子】

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第10話 暴落と損切り

 静寂に包まれたVIPルーム。

 水指みずさしは、まるで裁判官が判決文を読み上げるような厳粛さで、手元の契約書を開いた。

 向かいに座る高城とエレナは、腕を組み、自信満々な表情で互いを見据えている。彼らはまだ信じているのだ。自分の要求が「論理的に正しい」ことを、相手も理解し、受け入れるはずだと。


「では、読み上げます。まずは第1条、『ビジュアル・キャピタルの維持』について。こちらはご新郎様からのご要望です」


 水指の声が、部屋の空気を震わせる。


『乙(妻)は、結婚生活において常に全盛期のビジュアル・クオリティを維持する義務を負う。具体的数値目標として、体脂肪率は常に18%以下をキープすること』


 エレナが「ん?」と眉をひそめた。だが、水指は構わず続ける。


『なお、妊娠・出産時の一時的増加を除き、基準値を逸脱した場合は――1kgにつき月額10万円の罰金を、夫の管理口座へ支払うものとする』


 読み終えた瞬間。

 ガタンッ!

 エレナが勢いよく立ち上がった。その美しい顔が、怒りで赤く染まっている。


「はあ!? ちょっとタクヤ、何なのこれ! 私は人間よ、ロボットじゃないの! 体脂肪率18%以下って、アスリート並みじゃない!」


 激昂するエレナに対し、高城は涼しい顔でコーヒーを啜った。

「何を怒っている? 君の最大のアセット(資産価値)は、その美貌だろう? それをメンテナンス(維持管理)するのは、プロとして当然の責務だ」

「だからって罰金!?」

「当然だ。太った君なんて、僕にとっては価値のない『不良在庫』と同じだからな。品質低下によるブランド毀損を、金銭で補填してもらうのは経営者として合理的な判断だ」


 不良在庫。

 その単語が、エレナのプライドという導火線に火をつけた。

 彼女のこめかみに青筋が浮かぶ。

 エレナは深く息を吸い込むと、ニヤリと冷笑を浮かべ、高城を指差した。


「よくもまあ、そんなことが言えるわね。……『資産価値』って言うなら、あなたこそ鏡を見てみたら?」

「……何だと?」

「気づいてないとでも思った? あなた、最近頭頂部が薄くなってきてるわよ。サロンのダウンライトの下だと、地肌が透けて見えるの」


 その場の空気が凍りついた。

 高城の表情が強張り、持っていたコーヒーカップがカチャリと音を立てる。


「な、何を……」

「隠しても無駄よ。私のフォロワーたちは目が肥えてるの。『高城社長、最近キてない?』ってDMも来てるんだから。……ビジュアル・キャピタルがクラッシュ(暴落)してるのは、どっちかしら!」

「ふ、ふざけるな!」


 高城は慌てて自分の頭を押さえた。顔は真っ赤だ。

「こ、これは激務による一時的なストレスだ! 回復の見込みはある!」

「言い訳乙。植毛もしないで私に体脂肪率の文句言わないでくれる? みっともない」


 罵倒の応酬でカオスと化したサロン。

 だが、水指は表情一つ変えず、淡々と次のページをめくった。


「続きまして第4条。『ソーシャル・インフルエンスの配分権』。こちらはご新婦様からのご要望です」


 二人の視線が水指に集まる。


『夫婦同伴のメディア露出、およびSNS投稿において、フォロワー数が少ない方(夫)は発言権を持たず、写真撮影では常に妻の半歩後ろに立つこと』


 ピクリ、と高城の眉が跳ねた。


『なお、夫は妻の引き立てモブに徹する義務を負い、妻の世界観を乱す独自の経営論等の発言を禁ずる』


 今度は、高城がテーブルを叩いて立ち上がった。

「ふざけるな! 俺は社長だぞ! 上場を目指す企業のトップだ! それがお前のアクセサリー扱いされてたまるか!」


 エレナは鼻で笑い、髪をかき上げた。

「事実でしょ? 世間への影響力は私の方が上。数字がないなら黙っててよ。映えないんだから」

「き、貴様……! 俺の会社の社会的信用と資金力が目当てだったくせに!」

「あなたこそ! 私の知名度を利用して株価を上げようとしてたくせに!」


 仮面が完全に剥がれ落ちた。

 そこにあるのは「最強の最適化カップル」などではない。互いを踏み台にし、骨の髄までしゃぶり尽くそうとしていた、醜いエゴの塊同士だ。

 罵り合いはヒートアップし、もはや修復不可能なレベルに達していた。


 やがて、高城が荒い息を整えながら、眼鏡の位置を直した。

 その瞳から感情が消え、冷徹な計算機の光が戻る。


「……計算し直した」

「あ?」

「この契約内容で結婚生活を維持した場合の精神的コスト(ストレス)と、将来的なブランド毀損のリスク。それらを試算すると……ここで手を引く方が、長期的には損失が少ない」


 高城は水指の方を向き、きっぱりと告げた。

「ロスカット(損切り)だ。このプロジェクトはペンディング(中止)にする」


 それを聞いたエレナも、腕を組んで頷いた。

「アグリーよ。あなたのような『不良物件』と結婚したら、私のブランドに傷がつくだけだわ。バツイチになる前に別れるのが正解ね」


 二人の意見が、皮肉にも初めて完全に一致した。

 高城は懐から手帳を取り出し、事務的に言った。


「そういうわけだ、水指さん。式はキャンセルする。……ついては、2週間前に振り込んだ挙式費用の返金手続きをお願いしたい。会場も使わないし、料理もまだ提供されていないんだ。実費を引いた残金は戻るだろう?」

「ええ。私のドレス代だって、まだ未着用なんだから返してよね」


 当然のように返金を求める二人。

 水指は、聖母のような微笑みをたたえたまま、ゆっくりと首を横に振った。


「いいえ。……残念ながら、1円たりともお返しすることはできません」


「は?」

 二人の声が重なった。

 水指は手元の契約書、その第15条を指先でトントンと叩いた。


「ご契約時にもご説明いたしました通り、挙式2週間前を切ってのキャンセルは、理由の如何に関わらず見積もり総額の100%を頂戴いたします。……つまり、先日お振込みいただいた約800万円は、すべてキャンセル料として充当させていただきます」


 その言葉に、高城が顔色を変えて詰め寄った。

「ば、馬鹿な! 800万だぞ!? 何もサービスを受けていないのに没収だと!? そんな暴利が許されると思っているのか!」

「契約は絶対ですわ、高城様。あなた様ご自身が、最初に仰ったではありませんか。『互いに合意済みのコミットメント(契約)を一方的に破棄する場合、ペナルティは甘んじて受け入れる』と」


「ぐっ……!」

 高城が言葉に詰まる。自分の吐いた「ビジネスの論理」が、そのままブーメランとなって突き刺さったのだ。

 エレナもハンドバッグを握りしめ、ギリギリと歯噛みした。


「最悪……! 私の400万がドブに消えるってこと!? 新作のプロモーション費用に回せたのに!」

「……エレナ。認めよう。これは『授業料』だ」

 高城が苦虫を噛み潰したような顔で、震える拳を握りしめた。

「これ以上ゴネて、泥沼の訴訟沙汰になれば、それこそメディアの餌食だ。800万の損失で、将来の数十億のブランド価値を守れるなら……安いものだと考えるしかない」


「……っ、わかってるわよ! でも、悔しいものは悔しいじゃない!」


 二人は顔を見合わせることもなく、吐き捨てるように言った。


「わかった。その金はくれてやる」

「二度とこんな店に来ないわ!」


 捨て台詞を残し、二人は足早にサロンを去っていった。

 その背中は、登場時の自信に満ちたオーラなど微塵もなく、損をした投資家そのものの哀愁が漂っていた。


+++


 後日。

 静まり返ったサロンで、水指はチャキ由美子と共に、入金済みの口座残高を確認していた。

 返金不要。800万円の利益確定。

 水指はゆっくりとワイングラスを傾けた。


「愛を数字で語る者は、数字によって引き裂かれる。……今回も、美しい破局でしたわ」

「まったくだよ。あいつら、最後まで『損得』だけだったねえ」


 チャキが呆れたように笑い、ナッツを放り込む。

 水指は窓ガラスに映る自分の姿を見つめ、独り言のように呟いた。


「彼らにとって愛とは、他者を愛することではなく『自己愛』のこと。鏡合わせのナルシスト同士……近づければ、いずれ割れるのは明白でしたわ」


「で? あの枠はどうなったんだい? 結局、ダブルブッキングしていた『B組』が挙式することになったんだろう?」


 チャキの問いに、水指は少しだけ表情を曇らせた。

 A組が早期にキャンセルしたことで、もう一組のB組――公務員の地味なカップル――は、予定通りその日時に式を挙げることができた。

 表向きは、B組の「勝利」に見えるかもしれない。


「ええ。B組は式を挙げました」

「へえ! 珍しいね。あんたのゲームから生き残るなんて。やっぱり、世の中に真実の愛はあるってことかね?」


 チャキがからかうように言うが、水指は冷ややかに首を横に振った。


「いいえ。……事実はもっと醜悪でしたわ」

「どういうこと?」


 水指はタブレットを操作し、一枚の報告書をチャキに見せた。

 そこには、B組の新郎に関する興信所の調査結果が表示されていた。


『新郎、違法ギャンブルにより借金400万円あり』


「B組へこの事実を結婚式前に匿名でリークしたのですが、新郎が新婦へ謝り続けて、二度とギャンブルはしないという約束で式当日を迎えました。しかし、新郎は、資産家の新婦を愛していたわけではありませんでした。彼が式に執着したのは、親族や友人から集まる数百万円の『ご祝儀』が目当てだったのです。それで借金を返済するために、意地でも式を決行した」


「……うわあ」

「そして、式の翌日。ご祝儀を持ち逃げされそうになった新婦が警察に通報。……その日付けで、離婚が成立したそうです」


 水指は皮肉な笑みを深め、グラスに残ったワインを一気に飲み干した。


「結局、今回も『真実の愛』にはお目にかかれませんでした。……残ったのは、私の利益だけ」


 虚しさと、昏い達成感。

 水指浄呂美は空になったグラスを置き、次の獲物を待ち構えるように、冷たく微笑んだ。


第2章 完



ここまでお読みいただきありがとうございました。

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