第4話 調査
ようやく沈み始めた太陽の光が、壁の割れ目から細く差し込んでいた。
放棄されてから長い年月が経った今、この荒廃した研究所を訪れる者はいない。
――今日、この時を除いて。
足を踏み出すたびに背の高い草が揺れ、潜んでいた虫たちが慌てて飛び立つ。
幾度となく繰り返されるその光景を横目に、エリナは集合場所へと急いでいた。
なにかがわかるかもしれない――。
そんな好奇心に近い期待が、胸の奥で静かに熱を帯びている。
握りしめたペンダントに視線を落とすと、内部のランプが先ほどよりも輝きを増したように見えた。
「おーい」
前方からの呼び声にエリナが顔を上げると、そこには手を振るイザベラと、無言のまま佇む探偵の姿があった。
「集合時刻ちょうど……か」
探偵は短く呟き、機械の腕に巻かれた腕時計に視線を落とした。
――サイボーグに腕時計なんて、いらないでしょ。
妙に人間くさいその仕草が可笑しくて、エリナは心の中で思わずツッコミを入れた。
だが、その直後、ほんの一瞬だけ彼の姿に視線が釘付けになる。
「あれ?」
ふと、胸の奥に小さな引っかかりを覚える。
探偵の様子を見ていた――その、わずかな間に。
(なんか......見た目が変わったような...?)
エリナは首を振って思考を打ち消し、探偵の背を追って研究所の入口へと駆け込んだ。
その瞬間、視界の端に映り込んだ建物の外壁。
剥げかけた塗装の下に、大きく「シグマ―工業」のロゴが刻まれていた。
***
日光の届かない内部は、ひんやりとした湿気に満ちていた。
壁や床には無数のひびが走り、天井からはむき出しのコードが力なく垂れ下がっている。
コンクリートの隙間からは冷たい水滴が断続的に滴り、静まり返った通路に微かな音を響かせていた。
「気をつけろ」
探偵は、不規則に火花を散らすケーブルを避けながら、迷いのない足取りで進む。
「それにしても、電気が生きているなんてね」
イザベラは大事な“依頼人”に気を配りながら、慎重に足を進めた。
頭上では、古いLED照明が煌々と光を放ち、かえってこの廃墟の異様さを際立たせている。
一方、エリナのペンダントの光に変化はなかった。
「んー……」
角度を変えて掲げてみるが、反応はない。
「メインコンソールルームへ向かう。そこなら、あらかたの情報が集まるだろう」
案内板の掠れた文字を辿り、数分で目的地に到着した。
壁一面を埋め尽くすモニターと、整然と並ぶコンピュータ。
「……すごい」
映画のセットのような光景に、エリナは思わず息をのんだ。
「ん?」
探偵が、並んだ端末の中で唯一起動している一台に気づいた。
淡い光を湛えた画面に、無機質な文字列が浮かんでいる。
《セイタイニンショウ ヲ シテクダサイ》
デスクの上には、ほこりをかぶった指紋認証装置が置かれていた。
***
「……駄目ね。他は起動しない。」
イザベラが各端末を点検して回ったが、画面が灯ることはなかった。
「つまり、使えるのはこいつだけか...」
探偵は目の前の画面を鋭く睨みつける。
「じゃあ、他の部屋を先に見て回った方が――」
エリナが言い終えるより早く、探偵は懐から取り出したコネクタを端末へと接続した。
瞬間、画面が暗転し、細かな文字列が滝のように流れ落ちる。
「……まさか、それって……ハッキング?」
探偵の体から伸びたケーブルが、コンピュータと直結されている。
エリナはその光景に息をのみ、同時に胸の奥が高鳴るのを感じていた。
《エラー》
――しかし、無残にも画面に表示されたのはエラーの文字であった。
「...」
気まずい沈黙が流れる。
「……妙だな」
探偵は低く呟き、ケーブルを引き抜いた。
「データの書き換えも、一切のリカバリも拒絶している」
「それって、一体...?」
「要するに、登録された情報を誰にも変更できない設定になっているのよ」
イザベラが補足した。
「普通、社員の異動とかがあるから書き換えられるようにしておくものだけど...」
「とりあえず、他をあたるぞ」
探偵は深く追及せず、踵を返して部屋を出ようとする。
エリナは小さく溜息をつき、首にかけたペンダントをそっと手に取った。
「もう少しだと思ったんだけどな……」
触れた指に反応してペンダントが開く。
――指紋認証
エリナは、はっと息をのむ。
「……ちょっと待ってください」
先を行く二人を呼び止め、エリナは再びコンピュータの前へと戻った。
「何を――」
イザベラが言い終わらないうちに、エリナは認証装置へと指を伸ばす。
一瞬の静寂。
次の瞬間、画面の文字が切り替わった。
《アクセス ヲ ショウニン》
「えっ」 声を漏らしたイザベラに対し、探偵は無言のまま画面を見据えた。
そこには施設内の詳細な地図が映し出され、ひとつの部屋を赤く点滅させていた。
***
「それにしても、よく気づいたわね……」
少し悔しそうに零すイザベラに対し、エリナはただ自分でも不思議そうに首を傾げるだけだった。
「あの指紋認証がヒントだったってわけだ。」
探偵は通路の奥を見据えたまま、歩調を緩めない。
奥へ進むにつれ、周囲の風景は一変した。
「なんか……荒れてますね」
書類が散乱し、照明は粉々に砕けている。
それは経年劣化ではなく、誰かが何かを激しく探し回ったような、人為的な破壊の痕跡だった。
やがて、探偵が足を止める。
通路の行き止まりに、重厚な扉がひとつ。
――「所長室」
「待て」
扉へ手を伸ばそうとしたエリナを、探偵が制した。
「中に何かいる。」
彼は警戒を解かぬまま、慎重な足取りで一歩を踏み出す。
扉を開けた先は、いたって普通の研究室に見えた。
――少なくともエリナには。
部屋をよく見渡すと、何体もの「SECURITY」と刻印されたロボットが放置されていた。
「警備用ロボット……?」
好奇心にかられ、エリナが足を進めたその時――
「危ない――!!」
イザベラの叫びが響く。
鋭い金属音が静寂を切り裂いた。
顔を上げると、目の前で探偵が刀を閃かせ、再起動したロボットの剣を真っ向から受け止めていた。




