第10話 急転
薄暗い所長室の壁には、3人分の人影。
部屋の中央にある机の上には、一枚の大きな地図と、整理しきれないほどの資料が積み重なっている。
「......まずは、依頼内容を改めて説明しよう」
事務所の所長、エドワードは手慣れた仕草で一枚の紙を取り出した。
「依頼者はガストン・フォード。この地区を古くから統制している集団『アスフォデル』のリーダーだ」
「『アスフォデル』......?」
エリナが小首をかしげて聞き返す。
「昔ね、この辺りは本当にひどい場所だったの」
イザベラは、どこか遠くを見るような目で話し始めた。
「強盗なんて当たり前で、命を落とす人間も珍しくなかった。......でも、そこに手を入れようとした人たちが現れた。それが『アスフォデル』の出発点よ。今じゃこの街全体が彼らの手の中にある。まあ、わかりやすく言えば『支配者』ね」
「あぁ、大筋はあっている。......しかし今、その『支配者』が失墜の危機に瀕している」
エドワードは資料の間に挟まれていた数枚の写真を取り出し、二人の前に広げた。
コンクリートに囲まれた、飾り気のない施設。だが壁面には無数の弾痕が刻まれており、そこで何が起きたかを無言で物語っていた。
「......これ」
エリナが写真に顔を近づけ、表情を固くする。
「先日の深夜、『アスフォデル』の拠点が正体不明の武装集団に急襲された。警備はあっという間に制圧され、奴らは自分たちを『セレスティアン・オーダー』と名乗り、ガストンへの直接面会を要求している」
「要するに、反乱ってわけね」
「でも、なんで反乱を? ガストンさんたちは、この街をずっと守ってきたんですよね......?」
素直な疑問だった。
エリナにとって、秩序を守る者への攻撃は、ただの身勝手な暴挙にしか映らない。
「お前の言いたいことはわかる。......だが、今はそれどころではない」
エドワードは地図の一角を指先で叩いた。
「奴らはすでに複数の拠点へ同時に侵攻している。このままでは、この街の主が変わるのも時間の問題だ」
赤い眼が、静かに二人を射た。
「今回の依頼内容は、奴ら......『セレスティアン・オーダー』の無力化だ」
「む、無力化......? 戦う、ってことですよね......?」
エリナの声に動揺が滲む。
「私たちって探偵ですよね? 武装した集団と戦うなんて、どう考えても......」
イザベラとエドワードは顔を見合わせた。
――しばしの沈黙が流れる。
「そういえば......まだ言っていないことがあったわね」
イザベラが苦笑いを浮かべると、エドワードが重々しく口を開いた。
「俺たちが探偵事務所を名乗っているのは、表向きの話だ。実態は何でも屋、どんな依頼も断らない『便利屋』だ。ここで生きていくためにはそれしか道がない」
「......便利屋」
「探し物から、街に巣食うゴミの掃除まで。何でもやる」
エリナの顔に、隠しきれない不満が浮かんだ。無理もない。彼女がここにいるのは真実を追うためで、命を賭けた抗争の駒になるためではなかった。
「......で、これからどうするの?」
重くなりかけた空気を、イザベラがあえて軽い声で割った。
「まず状況の確認だ。拠点に潜入して、実態を自分の目で確かめる」
「......潜入、ですか」
エリナが眉をひそめて、その言葉を繰り返す。
「あぁ。敵の数も、武装も、これだけの資料じゃ限界がある。奴らが裏で何をしているのか、この目で確かめる必要がある」
エドワードはそう言うと、静かに立ち上がった。
「......だが、そのためには装備を整えることも必要になってくる。特にエリナ、お前はな」
「えっ......私?」
「お前は今武器すら持っていないだろう」
「まるで動く的...ね」
イザベラが肩をすくめて言った。
「装備はこっちで用意させてもらった。付いてこい」
エドワードはそう言い残すと、迷いのない足取りで部屋の扉へと向かった。
エリナは戸惑いながらも、弾かれるようにその後を追う。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ガラガラガラ......。
事務所の裏口を出てすぐの場所に構えられた、無機質なガレージ。
重々しい音を立ててシャッターが巻き上げられると、淀んでいた空気が外気と混ざり合い、オイルと鉄の匂いが鼻を突いた。
壁際には無骨な工具や様々なパーツが並ぶ棚があり、何より目を引いたのは、中央に鎮座する一台の車だった。
大型のフロントグリルと重厚な車体は、まるでエドワードの身体と対であるかのように、鋭く、鈍い金属特有の光を放っている。
「......車、ですか?」
エリナは呆気に取られたように呟く。
エドワードは答えず、運転席に滑り込んでキーを回した。
ドォンッ――腹を揺らすような点火音が響き、低いエンジン音がガレージを満たす。
「乗れ」
親指で助手席を指さす。
車は入り組んだ裏道を縫い、やがて大通りへと躍り出た。
「街に......出るんですか?」
久しぶりの市街地をエリナが窓越しに追う。
「知り合いがこっちにいるんだ。奴らに装備を用意させた」
休日昼前のハイウェイ。どこもかしこも行楽へ向かう車でごった返していた。
のろのろと進む車列の中、エドワードの操る黒塗りのセダンだけが、狭い檻に押し込められた獣のように、低くくぐもった音を響かせている。
ガコンッ......ガコンッ。
静かな車内には、時折シフトノブを叩く音が響くだけだ。
シフトノブを操るエドワードの手に、余計な動きは一切ない。儀式めいた、静かな正確さだった。
渋滞の熱気で歪む外光が、フロントガラスを透してダッシュボードを白く焼き、無骨な計器類に鋭い陰影を落としている。
窓ガラスに守られた室内は、外の喧騒を遠い世界の出来事のように遮断し、ただエンジンのわずかな振動がシートを通じて身体に伝わっていた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「......到着だ」
一時間ほどで、車は側道の奥まった場所に止まった。
周囲の廃れた景色に馴染むように建つ、無骨なガレージ。
「......暗いですね」
エリナが空を仰ぐ。
立ち並ぶ高層ビルの巨大な影に太陽は無残に遮られ、盛夏の昼間だというのに、辺りは夜に近い暗さに沈んでいた。
「こっちだ」
エドワードは正面の大きなシャッターには目もくれず、入口らしき扉の横を通り抜けて、建物の裏側へと迷いのない足取りで歩いていく。
「えっ......こっちじゃないんですか?」
エリナが慌てて追いかけると、エドワードは裏口らしき戸の前に立っていた。
ドアの横には電子ロックの端末が取り付けられている。
エドワードが端末に手をかざす。
ピッ......ガチャリ。
乾いた解錠音とともに、ドアが開く。
エドワードは慣れた手つきでドアノブを回し、中へと足を踏み入れた。
ドアの向こうは、驚くほど静かで、整然とした空間だった。
かつての事務所を手直ししたらしいその部屋には、油の匂いもなく、デスクの上に余分な紙一枚ない。棚に並んだ年代物の整備マニュアルは、背表紙が寸分の狂いもなく揃えられている。
「留守にしているのか......? おい、来たぞ」
エドワードの声が、静まり返った事務所に低く響く。
返事はない。ただ、部屋の奥にある空調のわずかな駆動音だけが聞こえていた。
「あの......」
エリナが口を開きかけた、その瞬間。
「だーれだ!」
視界が、黒くなった。
「――きゃあぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
静寂が、悲鳴に吹き飛んだ。
「あははは! 驚きすぎだって~! そんな叫ばなくてもいいじゃん」
鈴が転がるような笑い声とともに、顔を覆っていた手が離れる。
振り返るとそこには、透き通るような白の装甲に、鮮やかなピンクの装飾を纏ったロボットの少女が立っていた。
顔にある二つの丸いディスプレイ......その中で明滅する電子の瞳が、好奇心をそのまま灯したように、エリナを捉えている。
「......いったい何の騒ぎ? ......ってあら、来てたのね」
奥の部屋から、もう一体のロボットが現れた。
深い青で統一されたその機体は、隣のピンクとちょうど対をなしている。
状況を一目で察したのか、静かにため息をついた。
「まったく......クレア、こっちに来なさい」
「ちょっといたずらしただけじゃん! お姉ちゃんったら固いんだから~」
クレアと呼ばれた少女は、バネが弾けるような足取りでエリナの横を通り抜け、「お姉ちゃん」らしき青い機体の隣へと並んだ。
部屋の奥に並び立つ、青と桃色の双子機。
その所作は、プラスチック製の見た目とは裏腹に、実に人間味溢れるものであった。
「......コホン。改めて紹介しよう。シエルとクレアだ。青いほうがシエル、そっちがクレア」
エドワードはエリナに一瞥を投げてそう言うと、ゆっくり二機の方へ向き直った。
「......そしてこいつが――」
「新入りちゃんね!」
クレアが一歩前に飛び出した。
「......クレア」
シエルの静かな声。と同時に青い腕が伸び、クレアの襟首をつまんで、音もなく引き戻す。
「やれやれ......通常運転だな」
エドワードは呆れたように肩をすくめると、視線をエリナの方へ戻した。
「あっ......初めまして。エリナ・イアハート、です......」
目の前の光景に気を取られていたせいか、言葉がそこで途切れてしまう。
エドワードがすかさず引き継いだ。
「こいつの装備を受け取りに来た。用意はできているな」
「えぇ、もちろん。でも、その前に......」
シエルはそう言ったきり、言葉を続けなかった。
ただ、ゆっくりとエリナの前まで歩み寄る。
迷いも飾りもない足取り。
白いプラスチックの手が、静かに差し出される。
「ようこそ――私たちの『ガレージ404』へ」




