8 二重城塞都市テスル
レスタス侯爵領はセロナルス王国西部で最大の人口を抱える王国屈指の領主領だ。
南は海、東はセロン大河と、水運の便に恵まれ、西はサンダハル王国からシグルヴァード王国にまで至る交易路の起点となっている。経済力も文化レベルも、北で領地を接する俺の出身地キーラス伯爵領とは比較にならない高さだ。
今俺がいるのが、侯爵領のほぼ北西端に位置する二重城塞都市テスル。二重城塞都市はダンジョン都市とも呼ばれ、城塞都市の内側に更に城壁で囲まれたダンジョンが存在する。氾濫に備えてダンジョンを囲む防壁と要塞が作られ、それを中心にして周辺が開拓され人が集まり、街とそれを守る長大な城壁が築かれたのだそうだ。
生まれも育ちもこのテスルだというシニスには当たり前の景色なのだろうけれど、15歳で成人して近隣の村から出てきた時のクラムにとっては、この都市、というかそそり立つ城壁の威容は恐怖でしかなかったらしい。
かくいう俺も、初の城塞都市お宅拝見に正直ビビり気味だ。やだなー。あの落とし格子の下とか通りたくないなー。その先の床も絶対トラップドアだよなー。俺、絶叫マシンとか嫌いだったんだよね。ほら、人を楽しませる為の施設でも事故は起こるわけじゃない?人を害する気に満ち満ちた施設で事故が起こることがないと?そんなことは
「信じられないねっ、フン!」
「えっ?えっ?リオ?あれ?なにか凄く警戒してる?都会は慣れてないのかな……大丈夫だよ?」
クラムめ。田舎者扱いか。入市税を払ってくれたことは感謝してるけど、そんなものはシニスへの下半身事情情報操作でチャラなんだぜ。シニスのやつ、病気、って言葉を聞いて以来近寄ってきやしねぇ。いいけど。
「それでリオ」
凶悪な防衛設備の並ぶ暗い城門の通路を通り抜けた俺たちの前に、明るい日差しが降り注ぐ賑やかな街並みが姿を見せた。
陽光に輝く短い銀髪を揺らして振り向いたエイルリルさんが、その翠の瞳で真っ直ぐに俺を見つめる。
ドキドキする。その眼で見つめられることも、その声で名前を呼ばれることも。
「人目もあるのでそろそろわたしの尻を凝視するのは遠慮してもらおうか。冒険者ギルドで登録という話だったが、先ずは服を買ってその妙な格好をなんとかしよう」
「あ、はい」
バレてたかー。
「いや、ここ、こんな格好で入っていいんですかね?」
当座の資金を確保するために魔石を売りたいと相談したところ、エイルリルさんの馴染みだという商店に連れてきてくれた、んだけどね。こじんまりとしていて、いかにもな大店的威圧感はないのだけれど、天井近くまである縦長の大きなガラス窓から窺える明るく白い店内の様子には、こう、上品というか客を選ぶ感が漂っていて、彼シャツの不審者が入店を許される感じがしないのですが。
「アトグリムはいるかな?」
構わず美麗な装飾が施されたドアを開け、店内へと声をかけるエイルリルさん。いや、不安を察して?「大丈夫」とか言って?
「やあ、エイリー」
愛称呼びだと?
奥から出てきたのは長身に仕立ての良さそうな異国風の長い上着を纏った三十がらみの優男。
控えていた男性店員になにやら合図をすると奥のテーブル席に俺たちを誘った。
勧められるままに精緻な彫刻が施された布張りの椅子に腰を下ろす。マジか!?座りごごち良すぎんだろコレ!
「良い店だろう?主はともかく、内装は、さ」
隣に座ったエイルリルさんが軽口を叩く。
その向こうで「おいおい」とか言って親密な空気を醸し出す優男に内心で舌打ちをする。
「良い店かどうかは商談次第、だよね?こっちがあまりに店の雰囲気にそぐわない見てくれなんでどうしよう、って感じだったけど、こうやって見るとクラムもシニスもここの空気に甚だしく似合っていないから気にしないことにするよ」
「「ヒドくない!?」」
ニルミナまでの俺は、ゴブリン程度の下級魔石しか取引したことがない。ソロではオークやボアのような中級の魔物には手が出なかった。ゴブだといいとこ100シル。薬草摘んでた方が稼げるくらいだ。晩飯にエールでもつけたら吹っ飛ぶ。オークなら1000シルは超える。銀貨だ。
そりゃ当然、肉をはじめとした素材の方が金になる。ただ魔物は内臓周りが使えず意外と可食部が少ない。死んだ途端に内蔵の類が腐って毒になるからだ。それゆえ食用と考えられているオークやボアでも、魔石の稼ぎが占める割合は意外と大きい。ソロだと素材なんて運べなかったりもするので、まずは魔石だ。
多少は安くはなるが、ギルドで売れば、まぁ、適正に買い取ってはもらえる。
だけどあの谷の魔物は……知らないヤツばっかだったしなぁ……ギルドで出して悪目立ちしたりするのも、ねぇ?
せっかくの機会なんで相場とかを確かめておきたいんだよね。
で、だ。当然、火竜の魔石は出せない。アレは俺がそれなりの立場になるまでは出せない。見た目ヤバいもの。ソフトボールよりデカい。あと実は二つある。谷の南端から2日くらいのところで2匹目が現れた。もちろん、死にかけた。
ここで出すなら北端近くの中型の魔物の魔石だよなぁ。
人面タスマニアデビル?あれの魔石、結構大きいんだよねぇ……角の生えたカエルは……それでも前に見たオーガのくらいはありそうなんだよなぁ。
蜘蛛、かなぁ。トゲトゲしたヤツ。アレ、オークのと同じくらいの大きさだよなぁ。うん、コレだな。
「中級くらいあると思うんだけど」
一枚板の天板に広げられた羅紗の上に蜘蛛の魔石を7つ出す。手持ちの半分だ。そこそこ値がつくようなら全部売ってしまおう。服って高いんだよね、中古でも。
「うわ、なに?オーク?色が違うね……でも中級はあるよね?」
「へぇ……リオくんって、意外とやるんだねぇ」
モブ顔組がうるさい。
「ああ、確かに中級くらいは……ん?」
魔石を一つ手にとったエイルリルさんが怪訝そうな顔をする。眉間にシワが寄っても美人。
「気づいたかい?エイリー」
くっ……また愛称で……俺だって「おやすみ、エイリー」とか「目を覚ましたのかい?エイリー」とか言ってみたい。
「いや、確かなことはわからないが違和感が……魔力が多い?」
「ああ、中級最上位から上級といったところだね。まったく……こんなものをゴロゴロ出されるとはね」
なんて?
「うちで出してもらってよかったよ。下手なところだと中級に色をつけたくらいの金額で買い叩かれるところだ」
「えーっ!?リオくん上級魔物を狩ったってコト?こんなにたくさん?」
「大きな声を出しちゃダメだよ、シニス。でも、リオはソロだって言ってたよね……ソロで上級?」
「うーん、でもそんなに大きな魔物でもなかったし……」
「大きさで魔物や魔石の等級が決まるわけではないからね。魔力が強い、毒がある、あとは虫系の魔物の魔石は大きさのわりに等級が高いことが多いかな。虫の魔物は体重が軽いからね、魔石のサイズが小さくなりがちなのさ」
うん、確かに棘蜘蛛は虫系だし毒もあったけどね。あと臭かった。
「リオくん、だったね。君さえ良ければ全て買い取らせてほしい。一つ4000シルでどうだろう?別の種類の魔石もあるようなら是非見せてもらいたいのだが」
ボロい!?いや、妥当なのか?俺以外にとっては毒が厄介すぎるからねぇ。
ギルドで売ってたら根掘り葉掘り訊かれたかもしれないな。売れるものは売っちゃおうかな。
「……っ、これ、は……」
カエルの魔石はフンフン頷きながら鑑定していた店主だが、人面タスマニアデビルの魔石にはちょっと硬直アンド絶句だった。地味顔カップルも絶句していたが、これはきっと、魔石が特別に臭かったからだと思う。蜘蛛やカエルとは比較にならない臭さ。一応どれも川の水で洗ってから収納したのだけれどね、臭いとれないもの。無理。
そこに店主に指示されてた店員が紅茶を運んで来たのだけれど、紅茶の香りとか、もう、台無し。一瞬で踵を返し「入れ直してきまグフゥ」と去っていく店員さん。エイルリルさんも表情がない。無。
「なんでエイリー来てるのにーすぐ呼ばないのよー!エイリーひさしぶ、クッサっ!?」
そこに現れたのは店主のものによく似た上着を羽織ったふわふわとした雰囲気の若い女性。ストロベリーブロンドの癖のあるボブヘアと童顔に似つかわしくない豊かな双丘を揺らしながらやってきたそのお姉さんは、異臭汚染ゾーンに入るなり可愛らしい顔を盛大にしかめてみせた。
さすがに放置もできなかったので店主の前に並んだ魔石を一旦収納する。
「クッサすぎ……って、んー?あれー?そうでもない?そんなことよりグリムっ!あたしだってエイリーに……やだ、なんか可愛いのがいる」
気のせいではない。ガン見されている。鼻息が荒い。「可愛い」だと?脳が腐ってる?
「すごい!かーいいのが!いるます!」
いや「いるます!」じゃねーよ。怖えよ。モブズ二人も石化してないで助けろよ。
「え?なんだー?怪訝そうな顔しちゃって……ねえグリム、可愛いよねえ?」
「ああ、可愛いな」
「ほら、でしょー?だよねー?エイリーもそう思うよねえ?」
「そうだな。可愛いな」
なんだと?エイルリルさんまで?なにが起こっている?物心ついてこのかた気味悪がられはしても「可愛い」なんて言われたことないぞ。
精神操作されてる?電波?
「君らもそー思うよねー?可愛いよねー?」
「え?あ、いや、整った顔立ちをしてるとは思いますが……そこまでは……」
「アタシも可愛いとかは……いろいろ凄いとは思うけど……」
凄い、ってアレか?アレのコトか?シニスも大概だな。
「えー?可愛すぎなのにー」
はっ!?いつの間にか背後に!?なんか後頭部にやわやわがたゆんと
「耳とかー」
「フニャアァアッ!?」
「ほれほれー。耳の後ろをコリコリしてやろー」
「ニャッ!?ちょっ!やめ、フミィイィッ!」
この女、攻めどころをわかって、くぅ、ぬふぅ
「トーラ、わたしの連れにセクハラ紛いの真似はやめてもらいたいのだが」
「夫としても目の前で若い男の子と戯れられるのはキツイものがあるぞ」
おっと?ふうふ?このセクハラやわやわたゆんたゆんと?
「改めて自己紹介をしよう。アトグリム・ケルノン、このケルノン商会の会頭を務めている。君をモフり倒しているのが妻のトーラだ。わたしたち夫婦はシグルヴァード王国の出身でね、エイリーには同郷のよしみで魔石を直接取引してもらっている、そういう付き合いさ。まあ、トーラとエイリーは幼馴染でもあるのだけれどね」
「そーなのだー。幼馴染なのだー。エイリーが激かーいいーのー連れてきてビックリなのだー」
「ニャフッ……ふぅ、いや、『可愛い』って、冗談キツいよ、馬鹿にしてる?」
ようやくトーラさんの魔の手から解放された俺の言葉にアトグリムが目を丸くして答えた。
「馬鹿にしてるだなんてとんでもない!素直に感想を言えば……可愛いだろう?」
「可愛いよねー」
「可愛いな」
そうか。エイルリルさんは俺のことを可愛いと思っていたのか。もっと可愛がってくれて良いのだよ?
「あの、僕らにはちょっとわからないんですけど、多分、地域差とか文化の差とか、そういうんじゃないんですかね?」
「アタシの勝手な思い込みかもしれないですけどぉ、リオくんって『可愛い』とかって言われたこと、あんまりないんじゃないのかなぁ、って」
「一度もねえよ?」
驚くシグルヴァード組。そんな?
「端正な顔立ちの男の子に猫耳と尻尾だよ?可愛いに決まっているじゃないか」
いい歳した男に『可愛い』連呼されるのも微妙だけどな。
「顔はともかく獣人との混血は忌み子扱いだからね。可愛がられた記憶はないね」
今世の俺がちょっと中性的な顔立ちなのはわかっていたけどね。
キリーアの街の衛兵どもが嬉々として俺を嬲っていたのもそういうことだったのだろう。
ズボンの前が膨らんでるヤツとかいたし。
だけど、多少顔が整ってたって半獣人ってだけで普通は忌避されるからなぁ。
「獣の耳が生えてるのとか違和感ありすぎて駄目みたいなんだよね、生理的に」
嗜虐心は煽るみたいだけど。
「猫耳可愛いよー?シグルヴァードじゃー付け耳とか流行ってたよー」
「そうだね。トーラも猫耳カチューシャ持ってたしね」
「わたしも子供の頃に犬耳をつけていたな」
な……ん……コスプレ文化が……シグルヴァードに、だと?
俺はエイルリルさんの美しい翠の瞳を見つめ、告げた。
「俺は……シグルヴァード王国で冒険者になるべきなのかもしれない」
第二章シグルヴァード王国編が始ま
「シグルヴァードに冒険者ギルドはないぞ?」
始まらなかった。